17-1 バラ:私たちは友達
二年生になってもボドゲ部(仮)の活動は相変わらずだった。校舎四階の端っこ、第三資料室というぼんやりした名前の狭い部屋が仮の部室なのもそのまま。
わたし──大須瑠々も今まで通りにボドゲ部(仮)の部員だ。
角くん──角八降くんもいつも通り。大きなカホンバッグにボードゲームを詰めて持ち歩いている、その姿も相変わらず。
そんな相変わらずの角くんはその日、第三資料室で、カホンバッグからそんなに大きくない箱を取り出した。白っぽい箱には色とりどりの花の絵、そこに柔らかな色合いで『Tussie Mussie』という文字。なんて読むんだろうと思っていたら、その文字の下に小さく『タッジーマッジー』と書かれていた。
「タッジーマッジー」
口に出してみたけど、聞き慣れない言葉だった。まるで何かの呪文みたいだ。
角くんがいつもみたいに穏やかに笑う。
「タッジーマッジーって、小さな花束とか、ブーケとか、そういうもののことを言うみたい。花束を贈るのがテーマのゲームなんだ」
「花束を贈る?」
「そう。綺麗なデザインのゲームだよ。ちょっと見てみない?」
わたしが頷くと、角くんはほっとしたような顔をして、箱の蓋を持ち上げた。
中から出てきたのは、しっかりした厚紙の紙の束。カードと呼ぶには細長くて厚みがあるそれには、一枚ずつそれぞれに違う花の絵が描かれているみたいだった。
角くんの手が、その一枚を持ち上げる。ピンク色のその花は『バラ』だった。その名前の下に「私たちは友達」と書かれていた。さらにその下には「あなたのピンクの花1つにつき+1点(これを含む)」と書かれている。
「これは『花タイル』。全部で十八枚。ゲームは基本的にこの十八枚のタイルだけで遊ぶんだ」
角くんの言葉に瞬きを返す。
でもそうか、カードを何枚か使うだけとか、そういう小さい箱のゲームは前にもあった。こういう小さい箱のボードゲームを「小箱ゲーム」と呼ぶのだと、前に角くんが言っていた気がする。
「『花タイル』にはそれぞれ色があって、この『バラ』はピンクだね。同じピンクの花が点数になるタイルだ。『赤いバラ』もあるよ」
紫、黄色、白、色とりどりのタイルを広げて、角くんは中から『赤いバラ』のタイルを見付けて持ち上げた。『赤いバラ』という名前の下には「愛しています」と書かれていた。
「こっちが『赤いバラ』。効果もピンクの『バラ』とはちょっと違うんだ」
「この、名前の下に書いてある言葉はなんなの?」
わたしの質問に、角くんは「ああ」と声をあげてから、ためらうように目を伏せた。
「これは、花束に込められた意味というか、メッセージというか、そういうものらしいよ。ただまあ、フレーバーテキストっていってゲームには影響しない文章だから、気にしなくて大丈夫」
「この言葉を言わないといけないとか、そういうのはないんだよね?」
前に、カードの台詞を言わないといけない、というゲームで遊んだことを思い出す。その台詞は「愛の言葉」と呼ばれていて──その時のことを思い出してしまって、わたしは角くんを見られなくなって俯いてしまった。
ゲームの中とはいえ、あんな台詞を言い合ったなんて。思い出すといつもどうして良いかわからなくなる。角くんはどうして平気でいられるんだろう。
「そういうルールはないよ。だから大丈夫、だと思う。花束を選んで贈るだけ」
「それなら良いけど」
角くんの言葉に、俯いたまま頷いた。角くんの手がピンクと赤のバラのタイルを他の『花タイル』と重ねて置くのが見えた。
耳の奥でざわめきが聞こえる。それから密やかな笑い声。そうやってボードゲームの世界に入り込むときになってようやく、ゲームの舞台を聞いてなかったと気付いた。わたしと角くんは、このゲームの中で何になるんだろう。
背中とお腹、腰回りが押さえつけられている。背中が曲げられない。これは、コルセットというものじゃないだろうか。何気なくお腹に当てた手は白いレースの手袋を着けていた。
白い袖は手首に向かって赤と白、そのグラデーションのレースが重なって広がっている。まるで、幾重にも重なる花びらみたいだ。
スカートも同じ色合いのレースが重なってふんわりと丸く広がっている。この広がりは、どうやらスカートの中に何か広げるための枠のようなものがあるからみたいだった。体を動かすと、その枠も揺れる。座るときはどうしたら良いんだろうか。
頭も重いし、視界に帽子のツバが見える。帽子のツバ越しに隣を見上げて、そこに角くんがいないと気付く。
周囲を見回せば、ティーカップとソーサーを手にした人たちが、微笑みながら何かおしゃべりをしている。お茶会、というものだろうか。
女の人たちは、わたしと同じようにツバの大きな帽子とふんわりと広がったスカートだ。きっと、あのスカートにも枠が入っているんだと思う。
男の人たちは、シルクハットに蝶ネクタイ、ゆったりとしたジャケット、という服装でいかにも紳士、という出で立ち。
心細くなってきたとき、立ち話に興じる人たちを掻き分けてやってくる紳士の姿を見かけてほっとする。周囲の紳士と同じような出で立ちだけど、それは確かに角くんだった。
角くんはその手に小さな花束を持っていた。赤いチューリップの花束。わたしの前に立つと、わたしを見下ろしてほっとしたように微笑む。
「ゲームだから大丈夫だとは思っていたけど、見付かって良かった」
わたしもほっとして、改めて周囲を見回して口を開く。
「花束を贈るゲームって聞いてたけど、いったいどういう設定なの?」
「設定としてはヴィクトリア朝だったはず。イギリスの社交界で花束にメッセージを込めて贈り合うっていう……まあ、それはあくまでただの舞台設定だけど」
角くんはそう言って、手元のチューリップの花束を見下ろした。『赤いチューリップ』は「あなたの赤の花1つにつき+1点(これを含む)」で、メッセージは「愛しています」。そんな言葉が頭に浮かぶ。慌てて角くんを見上げた。
「待って、ひょっとしてゲーム、もう始まってる?」
「ああ、えっと……」
角くんも困ったようにわたしを見下ろした。
「始まってるっていうか、多分俺がスタートプレイヤーなんだと思う。さっき花束を選んで、それがこれ」
「え、わたしまだルールちゃんと聞いてないよ」
「それは大丈夫、ちゃんとインストしてから始めるから、さすがに。それまでは、いきなり花束を贈ったりしないから、安心して」
角くんはそう言って、『赤いチューリップ』の花束を持ち直して首を小さく傾けた。ぴんとした濃い緑色の葉っぱ。つんと上を向いて丸く並ぶ真っ赤な花びら。
目が合うと、角くんは急に手袋をした片手で口元を覆って視線を逸らしてしまった。
「いや、あの、花束のメッセージはフレーバーで、ゲームとしては意味はないからね。あくまで点数を競うゲームだから」
角くんの言葉に瞬きをしてから、『赤いチューリップ』のメッセージが「愛しています」だと思い出して、わたしは俯いてしまった。
きっと角くんは、角くんが言う通りにゲームとして選んだだけなんだとは思うけど。だったら、メッセージなんかわからなければ良いのに。ゲームの効果だけわかればそれで良いのに。
落ち着かず、ちらりと角くんを見上げれば、角くんも同じようにわたしを見て、目が合ってまたお互いに目を逸らし合ってしまった。




