16-4 キキョウ
春と夏、ツリーハウスにはまだブランコが用意されていない。どうやら『くまホテル』のお客様のために秋の終わりにだけ用意されるんじゃないかって、角くんが言っていた。
ブランコも『くまホテル』も、この森の動物たちの憧れ。わたしも今はこの森のウサギだからかもしれないけど、すっかりブランコに乗りたい気分になっていたし『くまホテル』で冬眠したい気持ちになっていた。
だから、どうやったら勝てるだろうかと夏の地図を広げて眺める。
夏の花は『キキョウ』。くだものは『イチジク』と『ビワ』。春には花束のために花を集めたけど、夏の花で花束は作れなくても良いかな、と考えている。それよりも『クローバー』の数が最下位ならマイナス二点だから、そっちの方をなんとかしたい。
「だから、夏は『クローバー』を優先しようと思うんだけど」
わたしは地図を指差しながら、角くんに自分の考えを伝える。最後にそっと見上げたら、角くんはいつもみたいに穏やかに微笑んで頷いた。
「良いと思うよ。それで『クローバー』以外はどうする?」
「花は……拾えたらで良いかなって思ってる。『キキョウ』がないとマイナス一点だけど、花束の二点があるから全体ではマイナスにならないし。あと、くだものも少しは持っておいた方が良いのかなって。今更かもしれないけど」
わたしの言葉に、角くんはまた頷いた。それから、先を促すようにわたしの顔を覗き込んでくる。
角くんと目が合って、落ち着かなくてわたしは地図に視線を落とす。それで、森の小道を進んだ先にある『くまストア』の絵が見えて、それを指差す。
「あ、それと、買い物ができるように『どんぐり』も貯めたいかも」
夏のスタートプレイヤーはアナグマだった。わたしはその次。
アナグマは森の小道一マス目の『クローバー』を拾う。そこで『どんぐり二つ』も拾っている。その先は『どんぐり一つ』と『イチジク』、それから『どんぐりゼロ個』の『キキョウ』が並んで、『どんぐり一つ』と『ビワ』、そして『どんぐりゼロ個』の『クローバー二つ』。
正直『クローバー』は欲しい。二つあればきっと楽になると思う。でも『どんぐり』も欲しい。小道をずっと辿ってみれば『どんぐり二つ』を拾うことができるのは、もうあと『くまストア』直前の何マスかだけだった。
どうしようか『クローバー二つ』を拾ってしまおうか、でもいきなり進みすぎる気もする。だったら『どんぐり一つ』が拾える『イチジク』か『ビワ』を拾っても良いかもしれない。
どっちかって言ったら、手前にある『イチジク』の方が、先の選択肢が多いから良いはず。
自分で次に何をするかが決められたのが嬉しかった。わたしは『イチジク』のマスを指差して角くんを見上げる。
「ここにしようと思う」
目が合うと、角くんは何度か瞬きをしてから頷いた。
「良いと思うよ」
そんなやり取りはいつもと同じ。だけど、ふと、不安になったのはどうしてだろうか。角くんの声か、表情か、それとも角くんの頭の上でぴんと立っていた耳がなんだか落ち着きなく動いていたせいかもしれない。
わたしは少しためらってから、口を開く。
「角くん、わたしの邪魔にならないように黙ってたりしてる?」
わたしの言葉に、角くんの耳がより一層慌ただしく動いて、それから角くんは困ったようにわたしを見下ろした。
「そんなことはないよ。その……そういうんじゃないから」
歯切れの悪い言葉に、わたしは少し唇を尖らせた。
「じゃあ、どういうこと? わたしまた角くんに我慢させてる?」
「いや、そんなたいしたことじゃなくて」
角くんはふいと視線を逸らしたけど、その耳はこちらを向いている。諦めずにじっと見上げていたら、角くんはちらりとわたしを見て、それから小さく溜息をついた。
「大須さん、この一年間でだいぶボドゲに慣れたなって、思っただけ。一人で決められるし、楽しそうにしてるし……楽しそうで良かったなって思っただけだよ」
わたしは瞬きをして、角くんの言葉の意味を考える。角くんの言うことはその通りだとわたしも思う。それまでずっとゲームというものから逃げてきたわたしだけど、角くんと遊ぶようになってからボードゲームというものにだいぶ慣れたと思う。
何をして良いかわらかないことはまだあるけど、どう考えたら良いのかわかれば、自分で決めることもできるようになった。それに、楽しいって思うことも増えた。
勝って嬉しいってだけじゃなくて、選ぶことが楽しいとか、決めることが楽しいとか、そういうふうに思うことだってある。
でも、角くんの言葉は、なんだかずいぶんと歯切れが悪い。それで納得いかなくて、角くんを見上げる。
角くんはわたしを見下ろして、もう一度小さな溜息をつくと、いつもみたいに穏やかに微笑んだ。
「大須さんはさ、もう俺がいなくてもボドゲを遊べるだろうし、楽しめるんじゃないかな、きっと」
瞬きをして、角くんを見上げる。角くんは落ち着かないように目を伏せる。
何を言えば良いのかわからないでいるうちに、角くんはまたわたしを見て安心させるように微笑んで、森の小道の先を指差した。
「さ、行こうか。『イチジク』のところだよね」
何事もなかったみたいに、角くんが歩き出す。わたしは慌ててその背中を追いかける。
角くんのウサギの耳は、やっぱり落ち着きなく動いていた。
甘いにおいを頼りに『イチジク』を見付けて、リュックに入れる。それから角くんが拾ってきた『どんぐり一つ』も。
さっきの『クローバー二つ』はキツネが拾ってしまった。でも、その二マス先にも『クローバー二つ』のマスがある。ここは『どんぐりゼロ個』だけど、やっぱり『クローバー』は増やしたい。
悩んで、角くんを見上げるけれど、角くんは相変わらず何も言ってくれない。
角くんに決めてもらいたいわけじゃない。自分で選んで自分で決める楽しさだってわかる。でも、じゃあ、わたしは何にもやもやしてるんだろうか。
「次はどうする?」
角くんの声に、脇道に逸れていた考え事が森の小道に戻ってくる。それでわたしは、角くんを見上げたまま、その『クローバー二つ』のマスを指差した。
「『クローバー』を拾おうと思う」
「良いと思うよ」
そう言う角くんの声は相変わらずだ。
その次は、思い切って森の小道の最後の方まで進んでみた。『くまストア』で買い物するなら、拾える森のめぐみは三つが限界。だったら三つ目は小道の最後でも問題ないはず。
そこでわたしが拾ったのは『クローバー一つ』と『どんぐり二つ』。これで『クローバー』も『どんぐり』も三つになった。
そのまま『くまストア』に並んだけど、わたしは四番目だった。四番目だと買い物一つに『どんぐり』が三つも必要だ。それに、わたしの順番まで商品がどれだけ残っているかもわからない。
順番待ちの切り株に座って大人しく『くまストア』の開店を待つ間、ちゃんと買い物できるだろうかと不安でそわそわしてしまっていた。
その不安は角くんにも伝わってしまっていたらしい。心配そうに顔を覗き込まれてしまったので、大丈夫という気持ちで笑ってみせる。こうやって気持ちが伝わってしまうのは、もしかしたら、わたしのウサギの耳のせいかもしれない、と気付いた。
わたしはそっと、自分のウサギの耳に触る。短い柔らかい毛の長い耳。触ると感触があって、確かにわたしの耳だってわかるけど、不思議な気分だ。
こうやってボードゲームの中に入って不思議な経験をすることを、角くんはいつも面白がってくれる。それで、角くんはいつも「大須さんと遊ぶの楽しいよ」って言ってくれるけど、角くんはわたしがいなくてもボードゲームを楽しむことができる。だって、わたしだけじゃなくて兄さんが一緒のとき、角くんはいつもとても楽しそうだから。
角くんはさっき、わたしは角くんがいなくてもボードゲームを楽しめるって言っていたけど、それってもう、角くんはわたしと遊ばなくても良いってことなのかもしれない。だけど、だけど、わたしがこうやってボードゲームを遊んでいるのは、角くんがいるからなのに。
気付いたらわたしの後にアナグマが並んでいて、それから緑のエプロンをしたクマがやってきた。
「開店するみたいだよ」
いつもみたいに優しげな角くんの声を見上げて、わたしは考え事をやめて頷いた。
わたしはボドゲ部(仮)から離れた方が良いのかもしれない、とまた考えてしまう。だって、その方が角くんはちゃんとボードゲームを遊べるんだろうから。
三つあった目標タイルは、わたしの前のキツネ、ハリネズミ、ヤマネが買ってしまったのでもう残っていなかった。
残りの商品は『キキョウ』か『クローバー一つ』。わたしが持っている『クローバー』は三つ。一番少ないのはリスで『クローバー』二つ。だから『クローバー』を買わなくてもわたしはマイナスにはならない。
それより『キキョウ』を買っておけば『季節のお花』のマイナスがなくなる。そう思って、わたしは『どんぐり』三つをクマに渡して『キキョウ』を買った。
紫色の『キキョウ』一つを『どんぐり』の分軽くなったリュックに入れる。凛とした『キキョウ』の隣には、『タンポポ』の黄色い花束。その周囲に緑色の『クローバー』がリュックの口から飛び出して揺れている。リュックの中には『イチジク』もある。
それでわたしの点数は全部で十二点だった。
点数が一番多いのはハリネズミで十三点、一番少ないのはリスで七点。他はみんな十二点だから、勝ってるとも負けてるとも言い難い。リスだけ少ないように見えるけど、くだものをたくさん拾っているから、きっと秋に点数がいっぱいになるんだと思う。
わたしはこの調子で大丈夫だろうかと不安になって、リュックを抱えて角くんを見上げる。角くんは何か言いたそうに口を開いて、でも何も言わずに目を伏せた。落ち着かずに動く角くんのウサギの耳を見て、わたしもなんだか落ち着かなくて、何も言えずに俯いてリュックを背負った。




