16-1 ツリーハウス
春休みが始まる前に、ボドゲ部(仮)の年度内最後の活動をした。最後と言ってもいつも通り、活動はボードゲームを遊ぶだけ。
正式な部活動として認められるためには、一年の活動実績と部員が三人必要らしい。ボドゲ部(仮)の活動は約一年続いてはきたけれど、部員は部活を立ち上げた角八降くんと、わたし──大須瑠々の二人だけ。だから、(仮)はまだそのまま。
それでも、来年度もこの第三資料室を引き続き仮の部室として使っても良いことになって、角くんはそれで満足しているみたいだった。校舎の四階の一番端っこ、余ったスペースに無理矢理作られた物置みたいな部屋。とても狭いけどボードゲームを遊ぶにはじゅうぶんで、角くんは学校でボードゲームを遊べるならそれで良い、ということらしい。
それでふと、わたしがいない方が角くんはボードゲームを思いっきり遊べるんじゃないかって、考えてしまったりもする。
ボドゲ部(仮)の部員が増えない──角くんが増やそうとしないのは、きっとわたしのボードゲームの中に入り込んでしまうという体質のせいだ。だったら、わたし抜きで他に部員を増やして遊べば、ちゃんとした部活になってちゃんとボードゲームを遊べるんじゃないかって──でもそれは、なんとなく言い出せないままになっている。
だから、角くんが本当はどう思っているのかはわからない。
いつもの第三資料室、開いた窓から入り込むぬかるんで春めいた空気が、白いカーテンを揺らしていた。その空気の中で、角くんがカホンバッグからボードゲームの箱を取り出した。いつものように。
その箱に描かれているのは林か森の中、という景色だ。手前には落ち葉や背の低い草が描かれて地面を隠している。そのすぐ向こうに、リスとネズミだろうか。どちらもカゴやカバンを持っていて、そこにドングリや木の実を入れている。
その奥にいるのは、手提げのバッグを持った狐。狐は頭上の何かを取ろうと大きく背伸びして手を伸ばしている。それから、緑のエプロンをした大きなクマと、その隣は多分ウサギ。さらに奥には木漏れ日で霞む木々。
まるで絵本の表紙のような箱には『かばんにいっぱい』と書かれている。
瞬きして角くんを見上げると、角くんはいつものように機嫌の良さそうな顔で口を開いた。
「これは森の動物になって森の小道を散歩しながら花とかクローバーとかくだものとかをたくさん集めるゲーム」
「散歩?」
「タイルを並べて森の小道を作るんだ。そこの小道を進むのがゲームの内容で、だから散歩。中身が良いから見て」
言いながら、角くんは箱を長机の上に置いて蓋を持ち上げた。蓋の内側には、ドングリやクルミや葉っぱの絵が並んでいて、それもなんだか可愛らしい。
角くんの大きな手が、箱の中から厚紙でできたタイルの束や何かが入った小さな袋を取り出す。それらを脇に置いてから、次に取り出したのは大きな木の形のタイルだった。
わたしの手を広げたよりも大きいその木の根元と枝の上には家が描かれている。まるで絵本に出てくるようなツリーハウス。
角くんは箱の中からいくつかの細かなパーツを取り出すと、そのツリーハウスに支えをはめ込んで長机の上に立たせた。それから、別に組み立てたパーツをツリーハウスの大きく張り出した枝先にぶら下げる。
そのパーツはブランコだった。厚紙で作られたブランコが、本当にブランコのようにツリーハウスの枝に揺れている。
「え、なにこれ、すごい! 可愛い!」
わたしは思わず声をあげる。小さな人形なら座って揺れることだってできるかもしれない。小さいけど、そのくらいしっかりしたブランコだ。
角くんはわたしの反応を見て、嬉しそうな顔をした。
「可愛いよね、この仕掛け。こっちの、これがプレイヤーのコマなんだけど」
角くんが、ツリーハウスの隣に厚紙でできた小さなコマをいくつか立たせる。リスだとかウサギだとかキツネだとか、そんな動物たちの姿が描かれている。
「このゲームに勝つと、自分のコマをこのブランコに乗せることができるんだ。勝者の特権」
「これ、ブランコに乗れる以外には、何かあるの?」
わたしは改めてツリーハウスの様子を眺める。根元の家は大きな入り口が開いて中までよく見える。クマの顔の形の看板がかかっていて、家の中にはいろいろ並んだ棚があるから、もしかしたらお店なのかもしれない。
その家の脇から木の上に向かって階段が伸びていて、太い枝に渡された床の上に丸い家がある。青々と茂った葉っぱに囲まれた赤いころんとした屋根が可愛い。
「ゲーム的には、何も。あ、森の小道の最後に置くから、散歩のゴールの目印ではあるね。この下の家は『くまストア』って言って、季節の終わりに買い物できる場所って設定」
「ゴールの目印……って、ただ置いてあるだけってこと?」
「そう。置いてあるだけだし、最後にブランコに乗れるだけ。ゲームのルールにはなんの影響もないよ。でも」
角くんの指先がブランコをつついて小さく揺らす。
「可愛いし、こういうのって楽しくない?」
ブランコから目を上げれば、角くんは首を傾けて微笑んだ。その時にはもう、耳の奥で小鳥のさえずりや葉擦れの音が聞こえて、気付けばもうボードゲームの中に入ってしまっていた。
だから、わたしは頷いたつもりだったのだけど、それがちゃんと角くんに届いたのかはわからない。
このボードゲームの中で、どうやらわたしと角くんはウサギみたいだった。森の木や草花の大きさと自分たちの体を比べると、どうやらそのくらいの大きさじゃないかと思った。それに、わたしたちの頭に、ウサギの耳が生えていたのだ。
短い毛で覆われた、ぴんと立ち上がったその耳は、ウサギのものだと思う。
それだけじゃない。気付けばわたしは赤いリュックを背負っていた。角くんがそのリュックを見て「赤いリュックはウサギのコマが持っているものだから」と言って、それが結論になった。
プレイヤーである森の動物たちは、森のめぐみを入れるためのリュックだとかバッグだとかカゴだとかを持っている。角くんは何も持っていなかったので、どうやら角くんは今回はプレイヤーじゃないらしい。
角くんと争わなくて済んでほっとしたような、でもきっと角くんは遊びたかっただろうから申し訳ないような、角くんと一緒に遊んでみたかったような。そんな気分でわたしは角くんの黒い耳を見上げた。
角くんの耳がそわそわと落ち着きなく動いている。角くんの髪色と同じ黒い耳がなんだか可愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。
角くんが大きな手で自分の口元を覆った。
「可愛い」
手のひら越しに、角くんの声はそう聞こえた。角くんの耳から顔に視線を戻すと目が合った。目が合うと、角くんはふいと視線を逸らして言葉を続けた。
「可愛いゲームなんだよね、これ」
「そうだね」
わたしは頷いてから、角くんの視線を追いかけて周囲をぐるりと見回した。
明るい森の中だった。背の高い木はお互いの距離を保って生えていて、その隙間から陽の光が地面に届いている。地面は柔らかな短い草で覆われていて、ふかふかとしている。ところどころ、ぴんぴんと背の高い草が密集しているところがある。見上げるほどの野の草花。
木の根元や草の茂みなんかに、他の動物たちの姿が見えた。リス、キツネ、あれはハリネズミだろうか。その向こうにいる青い肩掛けバッグを持っているのはなんの動物だろう。
その光景は角くんの言う通りに可愛らしい。若々しい草のにおいは心地良い。ここを散歩して花やくだものを拾うのは、きっと楽しいだろうなとも思う。
わたしはもう一度角くんを見上げて、その気持ちをそのまま口にする。
「楽しみかも」
角くんはわたしを見下ろして何度か瞬きをしてから、ほっとしたような顔になった。
「それは良かった」
そう言って笑う角くんの頭の上では、ウサギの耳がほっとしたように傾いていた。その耳はやっぱり可愛いな、と思った。
ボードゲームの中に入り込んでしまうのは怖いことだったから、わたしにとってそれはずっと嫌なことだった。けど、最近は怖いばっかりじゃないって、もうわかっている。
それは角くんが、いつも怖くないボードゲームを選んでくれるからだし、ゲーム中もわたしが怖い思いをしないように気を遣ってくれているからだってことも、わかっている。
わかっているつもりなんだけど、最近は時々、それだけじゃ足りないんだろうかと、ふと思ってしまうことがある。何がどう足りないのかは、自分でもよくわかってないんだけど。




