15-9 『土曜日』が終われば
土曜日に紅茶と一緒にテーブルに乗せられたのは、またギフトボックスだった。すでに何粒かのチョコレートが減っているそれは、どうやら昨日の残りみたいだった。
それで、昨日はチョコレートを味わうことができなかった、と思い出す。一粒摘み上げて、そっと隣に座る角くんを見て、目が合ってしまう。
角くんはちょっと頬を染めてうろたえるように視線を泳がせたけど、またわたしを見てほっとしたように微笑んだ。それでわたしも、なんだかほっとして改めて摘み上げたチョコレートを一口かじった。ほろりと、キャラメルの香り。
「今日がゲームの最終日だから、特別なルールがある」
兄さんの声に、指先に摘んだもう半分も口の中に入れる。キャラメルとカカオの香りが口の中で混ざるのを楽しみながら、兄さんの続く言葉を待った。
「今までは、工場の中のチョコレートは、工場の中を流れて端から外に出るまで、あるいは『出荷』するまでは倉庫にはいかなかった」
「そうだね。それで毎日、工場の中にチョコレートが残ってるし」
「土曜日だけは特別で、工場の稼働が終わったら、その時点で工場に残っているチョコレートを全部倉庫に運んでしまう」
「え、じゃあ……『出荷』しなくても良いってこと?」
「そうだ。注文の履行は倉庫にあるチョコレートが使えるから、今日だけは残りのチョコレートを全部使って注文の履行ができるってことだな」
わたしはカップを持ち上げて、紅茶を一口飲んで考える。最後の『シフト』の『カカオ豆』まで、全部使えるってことだ。
「それは、わかったけど……でも、なんで今日だけ?」
「まあ、ゲーム的には最後だからな」
それがルールでそういうゲームなんだって言われたら、そういうものかと納得するしかない。でも、やっぱり思ってしまう。なんで今日だけ、それができるなら毎日そうしたら良いのに、って。
「ただの俺の考えなんだけど」
角くんが紅茶のカップをソーサーに戻して、話し始めた。
「今日が土曜日で明日が日曜日で、日曜日は休みだからじゃないかな。休みの前には工場を空っぽにして、綺麗にして、それで休日」
「そっか。ゲームも土曜日までだもんね」
角くんの言葉に納得して頷けば、兄さんに呆れたような目を向けられた。
「いや、瑠々がそれで納得してるんならそれで良いけどさ」
「そういうゲームだからって言われるよりも納得できたよ。だからゲームも土曜日までなんだって、今すごく頷いたのに」
睨み返せば、兄さんはちょっと笑った。
「まあでも実際、そういうことかもしれないな。ゲームのルールは面白くなること優先で決められたものだろうけど、テーマと噛み合ってる方が楽しいのはその通りだ」
兄さんは兄さんなりに、角くんの考えを認めているみたいだった。
そして、最後の一日が始まる。最後もやることは変わらない。まずは『工場装置』のカタログと『従業員』のプロフィールを眺める。
最後のスタートプレイヤーは兄さんなのだけど、兄さんは軽く手を挙げた。
「すみません、ちょっと長考します」
角くんが「どうぞ」と応える。
「最後の、大事な局面だからね」
角くんはちょっと苦笑してそう囁いた。角くんのその囁き声も、兄さんは今は聞いてないみたいだった。その横顔を見て、兄さんでも長考するんだって思って、わたしはなんだかちょっとほっとした。
今のうちにわたしも、自分のことを決めないといけない。兄さんがどれを選ぶかはわからないけど、候補くらいは決めておきたい。
そういえば、今まで『従業員』の方は選ぶ余地がほとんどなかったから、あまりちゃんと見ていなかった気がする。そう思ってプロフィールを眺めて、ふと思い付いたことがあって角くんを見る。
「角くん、この『整備工』の能力って、『石炭』四箱必要な装置なら二箱で動かせるってこと?」
わたしの手元を覗き込んで、角くんは頷いた。
「そうだね」
その『整備工』の能力は工場のどれか一つの装置に必要な『石炭』を半分にする、というものだった。これがあれば、昨日設置したばかりの『石炭』四箱のあの装置を二箱で動かせるってことだ。
「それってすごくない?」
「便利だと思うよ。自分が持ってる装置と、生産したいチョコレートの組み合わせによっては、だけど」
角くんが妙に遠回しな言い方をするものだから、首を傾ける。
「自分の装置が『石炭』一箱ばっかりとかだと、完全に無駄になるよね。ゼロにはならないから。あとは、一つの装置に対してしか効果がないから、いろんな装置を一回ずつ動かしたい時も効果が薄いかな。そのくらいなら『熟練炭鉱夫』の『石炭』四箱の方が、ずっと強い」
角くんの解説はつまり、状況によるってことだ。そういうものかと頷いて、自分の工場だとどうだろうかと考え始めた時、兄さんがまた軽く手を挙げた。
「すみません、長考終わります。始めますね」
兄さんの宣言に、角くんがまた「どうぞ」と応える。
角くんや兄さんが他でボードゲームを遊んでいる時って、いっつもこんな感じなんだろうか。いつもはどんな風に遊んでいるんだろう、とぼんやり考えている間に、兄さんは『工場装置』のカタログに丸を付けた。
兄さんが選んだ装置は、『石炭』二箱で『カカオ豆』を二箱の『チャンクバー』か『フィンガーバー』に『変換』できる装置だった。
わたしの工場にある『石炭』二箱で『ココア』を『変換』できる装置に比べると、『ココア』への『変換』が必要ない。単純に、わたしが持っている装置より良いような気がする。もう兄さんが選んだ後だから、今更だけど。
それで、順番はわたしに回ってきた。わたしは思い切って『整備工』に丸を付けた。自分で選んでおきながら不安になって、そっと隣の角くんを見る。目が合うと、角くんは楽しそうな顔で目を細めた。
角くんの握ったペンは、『石炭』四箱をもらえる『熟練炭鉱夫』に丸を書いた。
わたしはこのゲームで初めて『工場装置』を選ばなかった。設置することになった『工場装置』は『石炭』三箱で一箱のチョコレートを三箱に『量産』する装置だった。
便利そうなのに角くんと兄さんはこれを選ばなかった。それは、二人にとってはこれよりも必要な装置があったってことなんだと思う。
能力と同じで、装置だってうまく使えなければあまり意味はない。
新しい『量産』の装置は、『ギフトボックス』を生産する装置を上書きして設置した。それから雇った『整備工』には、あの上級チョコレート二箱を五箱に『変換』する装置の整備をお願いした。これでこの装置に必要な『石炭』が四箱から二箱になる。
わたしは装置も能力もうまく使えてるだろうか。ちゃんと勝てるだろうか。
コンベアが動き出す。やることは決まっている。工場の中を歩きながら、わたしは指示を出して装置を稼働させてゆく。使える『石炭』は十箱だ。
最初の『シフト』。昨日そのままだった『カカオ豆』は倉庫に運んで『石炭』と交換する。それから、昨日生産した『チャンクバー』二箱は、上級チョコレート五箱に。新しい『カカオ豆』は『ココア』に、それを『チャンクバー』二箱に。『石炭』は五箱使って一箱増えたから、残り六箱。
二回目の『シフト』。さっき生産した『チャンクバー』二箱をまた上級チョコレート五箱に。『量産』を使って『ナッツチョコ』一箱を三箱にする。これで『石炭』は残り一箱。
三回目、『石炭』がないから最後の『シフト』はもう何もできない。最後はなんだかあっけなかった。
それで、工場の稼働が終わって、コンベアの上のチョコレートが箱に詰められて倉庫に運ばれる。
倉庫はチョコレートの箱でいっぱいになった。『チャンクバー』『フィンガーバー』『キャラメルチョコ』『ギフトボックス』は二箱ずつ。『ナッツチョコ』だけ、昨日からあった分と合わせて五箱。それから何もできなかった『カカオ豆』が二箱。
今度はこれを納品して、注文を履行する。大型店の三回の注文を全部いっぺんに納品する。一回めは『チャンクバー』『フィンガーバー』『ナッツチョコレート』、二回目は『チャンクバー』『ナッツチョコ』『ギフトボックス』、三回目は『フィンガーバー』『ナッツチョコ』『ギフトボックス』。これでこの注文は完了。売り上げは三回分で四十三ポンド。
それから小型店の『キャラメルチョコ』と『ナッツチョコ』の注文も履行する。これで六ポンド。
土曜日の売り上げは四十九ポンドになった。やりきったと思う。
ここまでの売り上げを全部合計したら、百十六点。もうちょっと売り上げがあった方が良かったのかな、でも頑張ったと思うけど。角くんはどうだろう、もっと増えてるかな。
早く結果が知りたくて、そわそわと落ち着かなくて、わたしは工場を出て点数計算に向かった。
点数計算は、いつものカフェで。次はなんのチョコレートだろうと思ったら、ホットチョコレートが出てきた。一口飲めば、甘くとろりとお腹の中に落ちて温かい。ゲームの緊張がほぐれた気がした。
みんなでテーブルを囲んで、夕焼け空の中、ホットチョコレートを飲みながら、それぞれの売り上げを報告し合う。
「多分俺が最下位なんで俺からいきますね」
「兄さんが最下位?」
わたしの言葉に、兄さんは機嫌悪そうに眉を寄せた。
「うまくいかなかったんだよ、今回、いろいろと」
「いかさんが苦しんでくれてて、俺はだいぶ助かりました」
「カドさんたまに勝った時にそういう態度どうなんですか」
「お互い様だと思いますけど」
機嫌悪そうな兄さんと対照的に、角くんはとてもにこにことしている。わたしはそんな二人を見比べて、小さく呟いた。
「気付いてなかった……」
でも、考えたら気付かなくて当たり前だ。わたしは二人の状況を見てる余裕がなかった。勝ちたいって思うなら、他の人のことも見た方が良いのかもしれない。角くんはいつも、他のプレイヤーの状況をよく把握してる気がする。
兄さんは軽く溜息をついて、話を進めた。
「まあ感想戦は後だ。先に点数計算な。俺は路面店の売り上げが三十ポンド、デパートの人気の売り上げが五十六ポンド、デパート五箇所で注文履行できてるので二十四ポンド、残っている石炭とチョコレートが二ポンド。合計百十二ポンドだな」
わたしの路面店の売り上げが百十六ポンド、兄さんの合計が百十二ポンド。それって、わたしは路面店の売り上げだけでそれに勝ってるってことだ。
「やった! 兄さんに勝った!」
わたしが声を上げれば、兄さんは後ろ頭を掻き回した。
「だから俺が最下位だって言ってるだろ。ああ、今回ほんとキツかった」
「まあ、大須さんが点数伸ばしたの、俺といかさんで足引っ張りあってたからってのもあると思います。『工場装置』の良いのは大抵大須さんが持っていったし。それにデパート大変でしたよね」
「カドさんめちゃくちゃ嬉しそうに言うじゃないですか」
「いかさんに勝てたので」
「お前もかよ」
兄さんはもう一度溜息をつくと、わたしと角くんに点数計算を促した。
「はい、じゃあ後は二人のどっちが勝ったかだな。さっさと点数計算してくれ」
それはとても面倒くさそうな口振りだったけど、それでも兄さんはわたしたちの点数計算を待ってくれた。
「わたしは、路面店の売り上げが百十六ポンドでしょ。路面店完了数の最多のボーナスが十二ポンド。デパートは全部なし。残っている石炭とチョコレートが五箱で五ポンドだから」
「俺は路面店の売り上げで五十六ポンド。デパートの人気の売り上げが四十八ポンド。デパート五箇所で注文を履行しているから二十四ポンド、残っている石炭とチョコレートは五ポンドで」
「百三十三ポンド」
わたしの結果に、角くんが「え」と声を上げた。隣を見れば、角くんがびっくりした顔でわたしを見ている。
「俺の合計は……百三十三ポンド」
わたしはぽかんと口を開けてしまった。角くんと顔を見合わせたまま、何回か瞬きをして、それから慌てて身を乗り出した。
「え、同点ってこと?」
角くんがはっとしたように兄さんの方を見る。
「いかさん、このゲーム同点のルールありましたよね?」
「ちょっと待て今確認する」
兄さんは紙の束の中からルールブックを引っ張り出してページをめくる。そして、何ページ目かで手を止めて、そこに書かれた文章を読み上げる。
「『同点の場合、それらのプレイヤーのうち、最終日の手番がより遅かったプレイヤーの勝利』」
「最終日の……」
最後の土曜日は、兄さんがスタートプレイヤーで、わたしはその次。最後は角くん。
「じゃあ、角くんが勝ちってこと?」
わたしはぽかんとしたまま呟く。角くんは顔を俯けてテーブルの上で両手の拳を握った。
「やった! 勝った!」
それで日が沈んで、土曜日は終わりだった。日曜日は休みだから、ゲームもそこで終わってしまった。




