15-6 『水曜日』は少し落ち着かなくて
新しい『石炭』と『カカオ豆』が工場に運び込まれて水曜日が始まった。
紅茶と一緒に出てきたのは、一口サイズのナッツチョコレートだった。口の中に入れて噛み砕けば、ナッツの歯ごたえと塩気が甘く溶けるチョコレートと混ざり合う。舌の上を転がるナッツの感触。そこに紅茶を一口。
チョコレートを味わいながら、スタートプレイヤーの兄さんの選択を待つ。
兄さんも角くんもどうやらデパートの競争を頑張っている。兄さんはいつも『工場装置』じゃなくて『従業員』から選んでいる。それも「どのデパートか」というのをとても気にしているようだった。
角くんも月曜は『工場装置』から選んだけど、火曜は『従業員』からだった。火曜日の角くんの選択は『従業員』の能力が強かったから、というのが理由らしいけど。それでも、積極的にデパートの人気争いをしているように見える。
兄さんは今日もやっぱり『従業員』から選んでいた。『パレス・ブティック』の『取締役』で、パレス・ブティックの注文を履行するときに人気が倍になる能力。やっぱりデパートでの人気で勝つつもりらしい。
兄さんの次はわたしの番だ。わたしは『工場装置』から選ぶ。『ナッツチョコ』一箱を『ギフトボックス』一箱か、『キャラメルチョコ』一箱を『ギフトボックス』二箱にする装置。これで『ギフトボックス』が作りやすくなる。
角くんは『カカオ豆』一箱を『チャンクバー』一箱か、『ココア』一箱を『チャンクバー』二箱に『変換』する『工場装置』を選んだ。それと『従業員』は『ハウス・オブ・ラグジュアリー』の『品質管理者』。角くんの工場に、『石炭』が三箱追加で運ばれてくる。『品質管理者』は、一回の『シフト』で流れてくる『カカオ豆』が一箱から二箱になるらしい。
それでまたわたしの番だ。今回は『従業員』に『ソルターズ・エンポリアム』の『路面店エージェント』と『フレッシュ・ファンシーズ』の『事務員』が残っていた。
『路面店エージェント』の方は路面店の注文一回で、注文のチョコレートとは違う上級チョコレートを納品できるという能力。上級チョコレートというのは、売り物になるチョコレートのことらしい。『カカオ豆』と『ココア』はデパートでも路面店でも納品できない。それ以外のチョコレートは納品できる。その、納品できるチョコレートが、上級チョコレート。
『事務員』の方は、路面店の注文を一回飛ばして納品済みにしてしまえる能力。でも『事務員』の能力で納品済みにした場合、お金はもらえない。
お金がもらえないのは嫌だから、わたしは『ソルターズ・エンポリアム』の『路面店エージェント』を雇うことに決めた。
最後に兄さんが「いらねえ」と言いながら『工場装置』を受け取っていた。『チャンクバー』を『ナッツチョコ』一箱か、『フィンガーバー』を『ナッツチョコ』二箱にする装置だ。
「いかさんの路面店の注文、『キャラメルチョコ』ばっかりなんだよね」
そっと角くんが教えてくれた。言われて確認してみれば、兄さんの路面店の注文は、小型も中型も大型もみんな『キャラメルチョコ』が必要だ。『ナッツチョコ』は求められていない。
「それだけじゃなくて、デパートの注文も。『ソルターズ・エンポリアム』で求められているのは『キャラメルチョコ』だし、他のデパートも『ナッツチョコ』を納品できるところは別のチョコレートでも代用できる注文ばっかりだし」
確かに角くんの言う通りだった。兄さんにとって『ナッツチョコ』は今は不要なものってことか。そう思いながら、目の前のナッツチョコを一粒摘んで口に入れる。
美味しいのに。でも、注文がなければお金にはならない。
「後は多分だけど、いかさんは今『フィンガーバー』とか『チャンクバー』を生産したいはずなんだよね」
「どういうこと?」
「いかさんが持っている『フィンガーバー』を二箱の『キャラメルチョコ』か『ナッツチョコ』に『変換』できる装置を活かしたいだろうし、デパートの注文では『チャンクバー』が必要だから。そう考えると、大須さんが月曜日に選んだ『ココア』を二箱の『チャンクバー』か『フィンガーバー』にできる装置、あれが今いかさんの欲しい装置だね」
口の中で噛み砕いたナッツチョコを飲み込んで、わたしは口を開く。
「ひょっとして、わたし、良い『工場装置』持ってる?」
わたしの言葉に、角くんは笑って頷いた。
「大須さんの工場の拡張、すごく順調だと思う。理想的なくらい」
「そうなんだ……でもきっと、二人が『従業員』から選ぶから、わたしの時は好きな『工場装置』を選べて、だからじゃないかな」
「その中から、ちゃんと良い装置を選んでるのは大須さんだよ」
角くんに褒められて、なんだか恥ずかしくなって紅茶を一口飲む。ふわふわとした気分が、紅茶の渋みで少しだけ落ち着いた。
「俺もいかさんが苦しんでる間に頑張らないと」
そう言って、角くんもナッツチョコを一粒摘んで口に入れた。
「カドさん、全部聞こえてますけど」
テーブルの向かいで兄さんが呆れたような声を上げた。アンダーリムの眼鏡越しに、眇めた視線を向けられる。
角くんと二人、口を閉じて顔を見合わせる。角くんはわたしを見たままふふっと楽しそうに笑ってから、兄さんの方を向いた。
「俺の言うこと、何か間違ってました?」
角くんの声に、兄さんがわざとらしく溜息をつく。
「だいたいカドさんだって『ギフトボックス』の生産できないのに『ハウス・オブ・ラグジュアリー』選んで、厳しいんじゃないですか?」
「俺は『量産』があるので」
「『量産』だけだと効率悪いと思いますけど」
そんな言い合いをしながら、兄さんはにやにやと笑っているし、角くんも楽しそうにしている。二人の間だと、こういうのも普通なんだろうか。
前に『DANY』というゲームを遊んだとき、二人がお互いを疑い合って議論した後に笑っていたのを思い出す。これもそういうものなのかもしれない。
せっかく拡張して『ギフトボックス』を生産できるようになったけれど、今の注文だと必要なさそうだった。小型路面店の注文は『キャラメルチョコ』と『ギフトボックス』だけど、『路面店エージェント』の能力があれば『ギフトボックス』がなくてもこの注文を履行できてしまう。
それから、中型店の注文は『チャンクバー』二箱と『キャラメルチョコ』二箱。倉庫には『チャンクバー』と『キャラメルチョコ』が一箱ずつあるから、中型店の注文はいっぺんに履行できそうだ。
大型店の注文も後二回残っていて、そっちは『フィンガーバー』二箱と三箱。こっちまではさすがに難しそうだけど。
今日の『石炭』の使い途を考えながら、わたしは工場の稼働を開始した。
水曜日の『石炭』は七箱だった。まずは昨日何もしないままだった『カカオ豆』が流れてきたので、それを一度倉庫に移す。『石炭』と交換してもらって『石炭』が八箱になる。
昨日生産しておいた『チャンクバー』二箱は、片方を『キャラメルチョコ』二箱に『変換』。これで『石炭』は残り七箱。
その隣で、新しい『カカオ豆』を『ココア』にする。その『ココア』をどうしようかと考えて、少し手を止める。今生産したい『チャンクバー』は二箱だから、倉庫にあるものと合わせて数は足りている。
だったらと『ココア』は『フィンガーバー』二箱に『変換』した。これで残り四箱。
次の『シフト』では流れてきた『チャンクバー』一箱と『キャラメルチョコ』二箱を『出荷』して倉庫に運び込むだけで、何もしない。
そして最後の『シフト』で『カカオ豆』を『ココア』に、『ココア』を『フィンガーバー』二箱に『変換』。さっきの『フィンガーバー』二箱を『出荷』して工場の稼働は終わった。
コンベアの動きが止まって、すごい音を出していた装置の稼働が止まる。工場の人たちは片付けや掃除を始めた。その光景を少し眺めてチョコレートの香りを吸い込んでから工場の外に出た。
残りの『石炭』は一箱。倉庫にある商品は『チャンクバー』二箱と『キャラメルチョコ』三箱、それから『フィンガーバー』二箱。
小型路面店の『キャラメルチョコ』と『ギフトボックス』の注文は、『路面店エージェント』の人に任せることにした。『キャラメルチョコ』と『フィンガーバー』を渡してなんとかしてもらう。
中型路面店には『チャンクバー』二箱と『キャラメルチョコ』二箱をいっぺんに渡す。これで注文二回分。この注文も完了だ。
今日の路面店の注文で、増えたお金は十八ポンド。ここまで増えたお金の合計が三十ポンド。路面店の注文の完了数も四つになった。
路面店の売り上げ報告の書類を眺めて、わたしは今日も自分の仕事に満足していた。
「大須さんお疲れ様」
夕焼け空とチョコレートの香りを背景に背負って、角くんが自分の工場からやってきて、声をかけてくれた。
「角くんも、お疲れ様」
そう返事して振り向いたわたしを見下ろして、角くんは何度か瞬きをした後、ふふっと笑った。
「大須さん、うまくいってそう」
「え、そう見える?」
「とても良い笑顔だったよ」
角くんはそう言って、首を傾けて顔を覗き込んできた。なんだか恥ずかしくなって、顔を俯ける。誤魔化すように手元の書類を眺めたりした。
「うまくいってるかはわからないけど……路面店の売り上げが三十ポンドになって、それは嬉しいなって」
「今日で注文完了が四つ目だよね。うまくいってると思うよ」
「そうかな。でも、デパートは全然だから、最後に角くんと兄さんに追い抜かれるのかなって思ってはいるけど」
角くんはようやく小型路面店の注文を履行していたけど、ようやく一つ。それで五ポンド。兄さんはまだ路面店の注文を一回も履行していない。
角くんと兄さんは相変わらず、デパートでの人気争いで忙しいらしい。二人がそうしてるってことは、それだけデパートもらえるお金が大きいってことなんだと思っている。
でもやっぱり、自分がそこで一緒に競争したいとは思えなかった。
「まあでも、デパートで稼げる以上に路面店で稼ぐことができれば勝てるわけだし、大須さんのやり方も間違ってるわけじゃないと思うよ。実際それで大須さんはお金を手にしてるわけだし」
「だと良いけど。でも、路面店の売り上げはわかりやすいから、楽しいかも」
「楽しいなら良かった」
そう言って笑った角くんを見上げて、今度は角くんに聞いてみる。
「角くんの方は調子はどう? デパート、大変そうだけど」
「俺はね……うーん」
角くんが難しい顔をして言い淀む。うまくいってないようには見えてなかったから、わたしは首を傾ける。
「別に、兄さんと比べて負けてるわけじゃないんだよね」
「今のところはね。二人とも、五箇所あるうちの二箇所で人気一位。ただ、実際の人気の数を見てるとどうしても……いかさんの方がちょっと強いよね」
「そうなの?」
「いかさん、『従業員』の人気が倍になる能力をうまく使ってるんだ。俺がそれに追い付こうとすると、単純にチョコレートの数が倍以上必要になるから。あ、ほら、いかさんが今回納品した『パレス・ブティック』、いかさんが納品したのは『ナッツチョコ』が三箱で、それが倍になって人気は六。俺がこれを追い越そうとしたら七箱必要になる」
「七箱」
角くんの言葉を繰り返して、考える。わたしが今日生産して『出荷』したチョコレートは、全部で七箱だった。それを全部デパートに納品しないと、兄さんには追い付けないってことだ。
「一位は諦めるとしても、一位の人気の半分以上がないと人気のお金はもらえないから、二位狙いだとしても三箱は必要になるんだよね」
「大変そう」
わたしはやっぱり、それなら路面店の注文で良いやと思ってしまう。もしかしたら、そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。角くんは難しい顔をやめて笑った。
「まあ、大変だけどね。でも楽しいよ。毎日『従業員』を選ぶところが一番の勝負どころって感じ。いかさんがどのデパート狙ってて、今は何をやりたいのか。俺はどのデパートを狙えばうまく行くのか。どの『従業員』と『工場装置』をいかさんに渡したらやばいのか。そっちの立ち回りはまあまあ上手くいってると思うんだよね。仕方ない部分も多いけどさ」
「え、角くんいつもそんなこと考えてたの。わたし、自分が欲しいもののことしか考えてなかった」
「大須さんはそれで良いと思うよ。俺がいかさんに勝ちたいってだけだから」
角くんはそう言って笑ったけど、なんだかわたしは落ち着かなくなってしまった。
わたしが楽しいって思っている部分と、角くんや兄さんが遊んでいる部分が、全然違う気がする。一緒に遊んでいるのに違うゲームを遊んでいるみたいだった。
それになんだか、角くんは兄さんに勝とうとして、兄さんは角くんに勝とうとして、わたしはそこに入っていけていない気がする。ひょっとしてわたしは、二人のゲームにいてもいなくても変わらないんじゃないだろうか。それどころか、二人の競争の邪魔になってないだろうか。
それはわたしがデパートの人気争いをしてないからなんだとは思うけど──勝てないってわかっていても、一緒に競争した方が楽しかったのかな。
不安になって、角くんをそっと見上げる。角くんはいつもみたいに穏やかに微笑んだ。
それでも、今からデパートの人気争いをしたいかと言われると、どうしてもそうは思えなかった。




