15-2 『一週間』が始まる前に
爽やかな青空と、まるで絵本にでも出てきそうな赤い屋根。その向こうにそびえる大きな煙突。チョコレート色の煉瓦造りの建物の入り口は大きくて、今はその木の扉が大きく開け放たれている。
その入り口に、クラシカルな車が一台止まっていた。前輪だけ大きなタイヤ。運転席には真ん中にハンドル。後ろは荷台になっていて、そこに木箱が積まれていた。
さっき箱に描かれていた絵と同じだ、と思って瞬きをする。
赤い屋根の建物の向こうには、同じような煉瓦造りの建物が並んでいる。一つ隣は黄色い屋根、その向こうは青い屋根。
いつものように隣を見上げたら、いつもみたいに角くんがいてほっとする。角くんは落ち着いたオレンジのジャケットを羽織っていた。ノッチド・ラペルの襟と、袖口はチョコレート色。クリーム色のスカーフタイに黄色い石のブローチが止められている。
服装のせいもあるし、前髪がきっちりとセットされているせいもあって、随分と大人っぽく見えた。後、やっぱり背が高いせいもあると思う。
わたしを見下ろした角くんは、何度か瞬きをしてから口元に手をやって視線を逸らした。それでわたしも角くんをじっと見上げていたことに気付いて、慌てて視線を逸らして自分の姿を見下ろした。
鮮やかな赤いジャケット。襟ぐりが広く開いたバックボタンの白いブラウス。露出してしまっている鎖骨の間に、赤い石のペンダントが下がっていた。それから、ジャケットと同じ色の赤いタイトスカート。黒いストッキングに包まれた足の先には、赤いハイヒール。
わたしはどちらかと言えば背が低い方だから、こういう服を着ても子供が大人の真似をしたみたいになってしまってるんじゃないかって、心配になってしまう。
もう一度、そっと隣を見上げる。ハイヒールのせいで、いつもより少しだけ見上げる首の角度が楽だなと思ってしまった。
何か言いたそうにしていた角くんと目が合った。けど、角くんが何か言う前に、反対側から兄さんの声が聞こえた。
「瑠々、ルールブック持ってるか?」
兄さんを振り返る。兄さんは、チェック柄の明るい青のジャケットを羽織っていた。チョコレート色のネクタイと、青い石のネクタイピン。淡いブラウンのベスト。角くんみたいに前髪が撫で付けられてセットされていた。
その姿は確かに大人みたいではあるけど、顔立ちの印象のせいで、わたしにはどうしてもうさんくさく見えてしまう。詐欺師みたい、というのはわたしの偏見だとは思う。本当の詐欺師はきっと、こんなにわかりやすく怪しくはないだろうから。
わたしはもう一度自分の姿を見下ろして、それから困って空っぽの両手を上げた。
「今回は何も持ってないけど」
「いつもだったら大須さんが持ってるんだけどね」
角くんが首を傾けてそう言った時、真っ黒いスーツを着た男の人が音もなく近付いてきて、わたしたちの脇で恭しくお辞儀をした。
わけがわからないままぽかんと眺めていたら、紙の束を差し出された。受け取れってことだろうかと手を出すか迷っていたら、横から角くんが代わりに受け取ってくれた。
そして今度は移動を促される。兄さんがさっさと歩いて行ってしまう。角くんはヒールの高さに慣れないわたしを振り返って、少し微笑んで、待ってくれた。追いつけば、いつもみたいにゆっくりと歩いてくれた。
少し歩いた先には、オープンテラスのカフェのような場所があった。店先に並んだお洒落なテーブルセット。そこに座って道の向こうを振り返れば、並んだ工場が見える。
角くんがテーブルの上に紙の束を置いて広げる。中に赤いストライプのルールブックもあった。それ以外にも、カタログのようなものや──何かわからないけど色々あった。
「ここでインストして良いってことだろうな」
それだけ言って、兄さんがルールブックを手に取って開く。気付いたら、さっきの黒いスーツの男の人はもういなくなっていた。
兄さんがルール説明を始める前に、四角いブロックがくっついた形の──つまり板チョコレートが運ばれて来た。どうやらチャンクバーらしい。
よく見かける板チョコより小さめなのは、食べやすいようにだろうか。もしかしたら、一枚の大きなチョコレートを食べやすいサイズに割ったものかもしれない。わたしのお皿にあるチョコレートは、四角いブロックが六つ並んでいた。
それから、温かな紅茶。紅茶を一口飲んでから、チャンクバーを一欠片折り取って口に含む。紅茶の熱で温まった口の中で、チョコレートがふわりと柔らかくなる。口の中に広がるカカオの香りと甘さに、思わず笑ってしまった。
「食べてても良いけど、インスト聞けよ」
兄さんに冷たく言われて、わたしは睨み返す。
「聞くよ。ちょっとチョコレートを楽しんでただけ」
「あの、せっかくだし、いかさんも飲みませんか、紅茶。温かいうちに」
角くんに言われて、兄さんは溜息をついて紅茶を一口飲んだ。わたしはもう一欠片、チョコレートを口に含む。兄さんが紅茶のカップを置いて、それでルール説明──インストが始まった。
「このゲームは『チョコレートファクトリー』って名前の通り、チョコレート工場を舞台にしたゲームだ。自分の工場を拡張して、人を雇って、チョコレートをたくさん生産する。生産したチョコレートをデパートや路面店で販売する。そうやって最後に一番たくさんお金を持っていたプレイヤーの勝利だ。ここまで大丈夫か?」
兄さんの言葉にわたしは素直に頷いた。角くんに一度聞いていたのもあるけど、チョコレートを作って売ったらお金がもらえるってことだ。イメージしやすい。
「ゲームは六ラウンド──月曜から土曜までの六日間ある」
「日曜はないの?」
「休みってことじゃないかな、日曜だし」
紅茶のカップを持った角くんが、隣でそう言って微笑んだ。納得できるような、できないような。それでも、六日間というのは理解できたので、わたしは頷いた。
「毎日やることは決まっている。最初に、その日に使える石炭が手に入る」
「石炭で工場を動かすんだよね」
確か角くんがそんなことを言っていたと思いながら口にすれば、兄さんは頷いた。
「そう、そのための石炭だ。毎日手に入る数が違う。月曜日は五つ、火曜は六つ、そうやって毎日一つずつ増えていって、土曜日は十個の石炭が手に入る」
わたしは首を傾けて紅茶を飲む。その数が多いか少ないかわからないので、反応に困る。兄さんはわたしの様子を気にすることもなく、説明を続けた。
「その次に、その日に雇える従業員と手に入れることのできる工場の装置が並ぶ。今だと多分この書類だな。これが『工場装置』のカタログ。こっちが『従業員』の情報」
兄さんは紙の束から二枚を抜き出して、テーブルの上に並べて置いた。色々書いてあるけど、よくわからなかった。
「これの詳細は後で説明する。今は、これを確認するってことがわかれば良い」
「中身はよくわからないけど、それで良いならわかった」
わたしが頷くと、兄さんはまた口を開く。
「その次に、実際にこの『従業員』や『工場装置』の中から選ぶ。選び方にもルールがあるけど、今はまあ、ここから『従業員』と『工場装置』を一つずつ選ぶことができるってだけ覚えておけば良い」
「従業員を雇ったり、装置を手に入れるのにお金は必要ないの?」
「ゲーム的には不要だな。このゲームで手に入れたお金──実質勝利点なんだけど、それは減ることはない」
「そうなんだ、不思議な感じ」
「合理的な説明をこじつけるなら、拡張の予算と売り上げは別ってことだろ。まあ、ゲームなんだから、そこは気にしなくて良いところだ」
「えっと……お金がなくても従業員は必ず雇えるし、装置も必ず手に入れることができるってことであってる?」
わたしの言葉に兄さんは頷いた。
「そう。それで、手に入れた『工場装置』はすぐに工場に配置する必要がある。この配置にもルールがあるけど、それも後で説明する。『従業員』の能力も後で説明する」
なんだかさっきから「後で説明する」ことばっかりだ。もしかしたらこのゲーム、難しくて大変なゲームなんじゃないだろうか、と不安になってくる。
そんなわたしの心配をよそに、兄さんの説明はどんどん進む。
「その後は、いよいよ工場の稼働だな。さっきカドさんがやってただろ。コンベアにカカオ豆が乗っかって、それをチョコレートに変換してくやつ。あれをやる」
さっき角くんが『カカオ豆』を『チャンクバー』にして見せてくれたのを思い出した。それで、チャンクバーをもう一欠片折り取って口に含む。渋みのある紅茶と甘いチョコレートを交互に口にするだけで、幸せな気持ちになる。
「工場の稼働が終わったら、次は注文の履行」
「ちゅうもんのりこう」
急に難しい言葉が登場して、眉を寄せてしまった。せめてもと、口の中の甘さの余韻を楽しんでいたら、兄さんが呆れたような顔になる。
「履行、な。路面店からの注文と、デパートからの注文の二種類ある。注文されたチョコレートを持っていれば、その商品を販売できるってことだ」
「チョコレートを売ったらお金になるんだよね」
「そうなんだけど、そこにちょっと仕掛けがある。路面店の注文は、指定のチョコレートを揃えたらすぐにお金が手に入る。これはわかりやすいな」
兄さんの言葉に頷いた。注文の通りにチョコレートを用意したら売ることができて、そのお金が手に入るってことだ。わかりやすい。
「けど、デパートに関してはゲーム中はお金が増えない。デパートの注文でお金が手に入るのは、ゲームの一番最後だ。しかも、人気の順位にしたがって幾らもらえるかが変わる」
「どういうこと?」
「そうだな」
兄さんは紅茶のカップを持ち上げて一口飲んでから、言葉を続けた。
「デパートでの販売は人気の奪い合いだ。まずはデパートで一番たくさん販売したプレイヤーが一番の人気を持っているってことで、お金をもらえる。二番目のプレイヤーがもらえるお金は、一番目の半分。さらに、人気によっては二番目でもお金がもらえない可能性がある」
「競争ってことか」
「そういうことだ」
兄さんはチャンクバーを手にすると、折り取ることをせずに口に咥えて、そのまま歯でかじりとった。「甘いな」と呟いて、紅茶を一口飲んだ。
つられて、わたしもまた一欠片、口に含む。紅茶のカップを置いた兄さんがまた話し始める。
「注文の履行が終わったら、一日の終わり。もしこの時に注文に使わずに残っているチョコレートが倉庫にあっても、二つまでしか残しておけない。石炭は幾つでも次の日に持ち越しができる」
「待って、チョコレートが倉庫に三つ以上あったらどうなるの?」
「残しておく二つを選ぶ。それ以外は破棄して、同じ数の石炭になる」
「チョコレートを石炭にするってこと?」
「そう。ちなみに、倉庫にあるチョコレートを石炭にするのはいつでもできる。工場稼働中でもやって良い」
チョコレートを石炭にする。なんでそんなことをわざわざ言うんだろうと思ったけど、これまで遊んだゲームを思い出して、その時の角くんの口振りを思い出す。
わざわざ言うってことはきっと大事なルールってことだから、覚えておいた方が良いことなんじゃないかって気がする。
「他にも新しい注文なんかがあって、最後にスタートプレイヤーが移動して、次の日。また石炭を貰うところから始まる。これの繰り返しで土曜まで遊んだら、最後に得点計算をしてゲーム終了。ざっくりとゲームの流れは大丈夫か?」
「ちょっと待って」
兄さんの話を思い出しながら、頭の中で整理する。ずいぶんと色々なことを言われた気がする。ちゃんと覚えていられるだろうか。
「ええと、最初に石炭が貰えるんだよね。それから従業員と工場の装置を選ぶ。それで、工場を稼働して、その後に注文。倉庫のチョコレートは二つまでで、次の日。それを土曜日まで繰り返して、最後に得点計算」
「あってる」
兄さんに言われて、わたしはほっと息を吐いた。
「わかった、と思う、多分」
「わからなくなったらフォローはするから」
隣で角くんがそう言ってくれて、わたしは頷きを返す。
「それにまあ、詳しいルールを説明していかないといけないからな、これから」
「え、ルール説明終わりじゃないの?」
わたしは相当不安そうな顔をしてしまったらしい。兄さんが呆れたように目を眇める。
「あのなあ、今の説明じゃざっくりすぎるだろ。それにさっきいろいろ後回しにしたし。まあ、あとは実際ゲームを進めながらだな。その方がわかりやすいだろ」
兄さんはそう言って、雑な動作で紅茶を飲みきるとチャンクバーをまた一口かじった。




