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猫は死ぬ  作者: 和田好弘
補:救済
25/25

※猫は死ぬ


 オリヴィアはその光景に目を見開き驚いていた。


 ベッドに身を起こし、ぼんやりと外を眺めている少年。


 オリヴィアは少年の名を呼んだ。


 少年は振り向き、その呼びかけに応えた。


 オリヴィアは少年にそのまま待つようにいうと、再びバタバタと足音をけたたましく立てて走り去った。


 これまで昏睡状態であった少年が目を覚ましたのだ。担当していたノエリアはもういない。だからオリヴィアはこの治療院の責任者であるエルヴィラを呼ぶべく廊下を走って行った。


 廊下を走ることは禁止とされているのに。


 再びひとりとなった少年は、ゆっくりと病室内を見回した。


 殺風景な病室。花ひとつない。だが何故かリンゴを詰め込んだ籠がテーブルに置かれていた。


 そのテーブルをよく観察するも、あるのはリンゴが盛られた籠だけで、皮を剥き切り分けるためのナイフの類は見当たらなかった。


 ひとつ大きく伸びをした後、胸元に寄せた自身の両掌をじっくりと見つめた。


 確かめるように手を握り、開く。――問題ない。


 これまでの事を思い出す。


 アレン少年は、これまでのすべてを視ていた。夢の中で。しっかりと。


 その顔に不適な笑みが浮かぶ。


「大丈夫。次はうまくやれる」


 ぼそりと呟いた。


「そうね。きっと、次はうまくやれるでしょうね」


 突然すぐそばで聞こえた声に、少年はぎょっとした。


 いつのまにか、寝台の脇に女がひとり座っていた。


 まるで獅子の様におさまりの悪い髪をした妙齢の、金色の目をした女性。

 彼女は左手に持った林檎をしゃくりと齧り、咀嚼し呑み込むと、林檎から零れだし、左手首にまで伝った果汁をペロリと舌で舐めとった。


 その仕草は酷く艶めかしく、少年をドキリとさせる。


 その興奮に体が熱を持つ。


「あ、あなたは……」

「私はあなたを止めに来たのよ」


 そしてもう一口林檎を齧り、咀嚼し、呑み込む。


 背筋がゾクりと震える。冷たいものがじわりじわりと這い上がって来るようだ。


 表情を強張らせつつ、アレンは云う。


「僕は、なにも……」

「そうね。なにもしてないわね」


 そう答え、女性は口元に笑みを浮かべた。


「今は、まだ、ね」


 その言葉に、少年は顔を強張らせていた。


「でも、あなたは知ってしまった。知るべきではない事を、知る必要のないことを知ってしまった。そして覚えている。あの刺激を、あの味を、あの快楽をあなたは決して忘れられない。まして、その衝動を抑えるなんて、好奇心を抑えることなんてできない。できやしない」


 女性がしっかりと少年を見つめる。


「だから、私が来たのよ。あなたを止めるためにね」


 その表情はまるで聖母の如く優しげだ。


「あ、あ、い、嫌だ。せっかく、せっかく……」


 せっかく、生き延びたのに。


 少年が逃げようとあがく、だが、なぜか体が動かない。


「だから、これは私の仕事。【夜魔王の使徒】たる私の仕事」


 いいながら、少年に向け右手を伸ばす。


 その右掌には、青白い魔法陣が浮かび上がっていた。


「や、やめ、やめ……」


 少年の目を塞ぐように、その手で少年の頭を掴む。


 右手に魔力を込める。


「さようなら。ゆっくりとおやすみなさい」


 女性が囁く。


 幼子に云い聞かせるような、酷く優し気な声。


 それが、アレン少年の聞いた最後の言葉となった。






 そよそよとした風にカーテンがなびいている。風に乗り聞こえてくる喧騒が、まだまだ日が高いことを報せていた。


 バタバタとした足音が遠くから聞こえて来たかと思うと、勢いよく執務室の扉を開けた。


 その様子にエルヴィラは呆れるばかりだが、咎めはしなかった。オリヴィアのこの調子は治療院には救いであった。少なくとも今しばらくは。


 明後日にはここを完全に引き払わなくてはならない。


 そしてオリヴィアからもたらされた朗報。


 引っ越しの直前、最後の患者であるアレン少年が目を覚ましたことはまさに僥倖であった。


 エルヴィラもオリヴィアに続いて病室へと向かい、入った。だが、なにか様子がおかしい。


 アレン少年はオリヴィアが最後に見た通りの姿勢でベッドに身を起こしていた。


 だがその表情は非常にぼんやりとしていた。


「アレン……君?」


 オリヴィアが呼んだ。少年は首を傾げた。


「アレ……ン? それが、僕の名前なの?」


 開け放たれた窓からは、喧騒が聴こえてくる。


 それはいつもの街の日常。


 吹き込む風に、カーテンがゆらゆらと揺れていた。






 リアは林檎を片手に、協会の医療施設からのんびりと歩き出た。


 【使徒】の重鎮であるリアがそこにいるにも関わらず、なぜか協会員の誰一人として彼女に気が付いていない。


 普段であるなら、三賢者のひとりの存在は大騒ぎになることであるのに。


 右手に【使徒】のシンボルたる戦槌を持ち、左手には真新しい林檎。


 ふたつめの林檎。


 しゃく。


 林檎を齧る。


「ふふ。やっぱり林檎は酸味の強いのが一番だわ」


 微かに寂し気な笑みを浮かべ、リアはゆっくりと街中へと歩き始めた。



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