一葉 十一節 資格
「これは、素晴らしい衣装ばかりですね……!」
蘭様に促されて、私は私が持っている袿や小紋、ワンピースを蘭様に見せていた。王族の中ではかなり少ない数だと思うけれど、蘭様は眼鏡の向こうの緑の瞳をきらきらと輝かせて衣装を見つめている。
――実際、目に強化の巫術でも使っているのでしょうか?
この輝きが、楽しさによるものなのか巫術によるものなのか、私には判断できない。
「小紋や羽織も素晴らしいですが、なによりこのアルメリアのドレスがまた……。向こうにも絹糸産業があるのですか?」
「えぇ、こちらから蚕の卵と桑を贈ったことで供給が安定したと聞いております。以前までは絹織物を犀を通じて輸入していたとお祖母様……前王妃様より手紙で伺っております」
「あぁ、槐様の件での賠償で贈られたと伺っております。そうですか……向こうにも良い職人がいるのですね」
つやりと光る布地を撫でながら、蘭様は真剣な表情で布地を観察している。その目には異国だからという侮りは一切ない。
「……蘭様は、異国を……アルメリアを認めてくださるのですね」
「研鑽を積んだ技術に国は関係ありません。技術の高さは、掛けた時間に裏打ちされる物です。そこに国が違うということは、関係がないのではないでしょうか?」
現に、犀の絹織物も目を見張る物が多く……と蘭様の饒舌は続く。語りつつもその目と指は衣装の検分を止めることはなく、忙しそうに、でも楽しそうに洋服箪笥の中を見渡している。
――ほんとに衣装がお好きなのですね。
蘭様のような凜とした清廉な女性が、好きな物の前で気分が高揚しているところを見るとなんだか微笑ましくなる。
ただ、微笑ましいとは別の、胸が弾むような気持ちは一体何だろうと考えて、はっとする。
――蘭様は、あの人達と違って異国だからと蔑んでないからですね。
アルメリアを……母の国を蔑む事なく対等に扱ってくれている。
それが何よりも嬉しい。
思わずくすくすと笑ってしまった。
「ふふっ!蘭様、私室の方にもお祖母様から頂いたワンピースがあるのですが、ごらんになりますか?」
「よろしいのですか……!」
「えぇ。ここには限られた数しか置いておけませんから……。街に降りるのでしたら、もっと格を落とした物の方がよろしいでしょう?」
――もっとも、それは建前ではあるのですけれど。
ただ単に、私が彼女を喜ばせたいだけなのだ。
「さぁ、蘭様。行きましょう?」
微笑みながら蘭様を手招きしつつ、私自身かなり浮き足立っているなぁと可笑しくてまた笑ってしまった。
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私室のさらに奥、衣装部屋になっている部屋で、私は鏡台の前に座らされていた。私の後ろには蘭様が立っていて櫛を持って私の髪を梳いてくれている。
――ここまで来るのが長かったです……。
少しだけ遠い目をしながら、私は衣装部屋についてからの事を思い出す。
蘭様は部屋に入って真っ直ぐに洋箪笥の方へと向かっていった。すぐに開けるのでしょうと思っていたら、まずは扉や側面に緻密に彫られた花細工に興味を示して「この模様はどうやって作られているのですか?」から始まり「材質は?」「防虫の巫具はどこに?」と質問攻めにあった。それを一つ一つお答えしてようやっと洋箪笥を開けたら開けたで「収納方法が違います……!」と感銘を受けていらした。そこからまた衣装一つ一つに対して染めや刺繍、縫製の方法について尋ねてきたので「今度お祖母様にお手紙で尋ねてみますね」と答えたところで我に返ってくださり、無事、街に降りるための衣装が決まった。
そこから「菜乃華様の御髪ですが、そのままだと目立ってしまいますので……失礼ですが整えてもよろしいでしょうか?」と蘭様から提案があり鏡台の前に移動したのだった。
ふと窓を見ると日差しが傾き始めている。そろそろ修練も終わりの時間だ。
――修練よりも疲れたかもしれません。
よくぞここまで語ることがあったものだと、一人思い返して感心する。
「……懐かしいですね」
「蘭様?」
鏡の向こう、丁寧に私の髪を梳く蘭様がいる。夕日が差し込もうとしている眼鏡の奥には、見にくいけれど微かに優しげに目尻を垂らした緑の瞳があって。
そして、その目に宿るのは憧憬と哀惜の感情。
「私は、桜様につく前に、とある方に付き人見習いとして付いたことがありまして。そのとき、あなたのお母様であるヘレナ様とお話させていただいたことがあるのです」
「母様とですか……?!」
「えぇ。ヘレナ様は見習いの私のために『練習になりますから』と、その御髪を触らせていただきました。……菜乃華様の髪はヘレナ様とそっくりですね」
そう言って、そっと私の毛先に指を絡めて笑う蘭様。
「部屋から下がる際に『いつか、私の部屋に招待してあげるわ』と言ってくださいました。おそらく、私がヘレナ様の衣装に興味があったことに気づいていらしたのだと思います。……こんな風に叶うなんて、思っておりませんでしたけど」
「そうですか……母様が……」
言葉の端々から、たった一回の邂逅だったのに蘭様が母様を好いてくれたことが理解できてしまって、目の端が潤んでしまう。慌てて俯いて涙が溢れないように息を大きく吐いた。
――母様は、蘭様の事をとても可愛らしくて良い子だと思ったのでしょうね。
そして、それは私も同じだ。
「……蘭様。不躾なお願いだと思うのですが、聞いていただいてもいいでしょうか?」
「何でしょう?」
髪を梳く手は止めず、でも優しい気持ちが籠もった温かな声に一度止めた涙腺が再度緩みそうになる。それをもう一回大きく息を吐くことで押さえて、蘭様に私の気持ちを告げることにした。
「あなたの事を“蘭ねえさま”と呼ばせて頂けませんか……?」
「え……」
ぴたりと蘭様の手が止まる。蘭様から否定の言葉を聞きたくなくて、わたしは慌てて言葉を紡ぐ。
「今日、蘭様と衣装を合わせるのがとっても楽しかったのです!その、お恥ずかしい話なのですが、私はこの見た目ですので親しい友達もおらず……こうやって過ごしたのは蘭様が初めてだったのです」
ちらりと脳裏をよぎった、今より幼い青藍の瞳の持ち主を今は頭を振って脳から追い出す。
「しかも、母様とも繋がりがあったと知って私本当に嬉しくて……!この、桜様との会合の間だけでも構わないのです。私のねえさまになっていただけませんか……?」
最後の方はみっともなく声が震えてしまった。蘭様の顔が怖くて見れず、俯いたまま蘭様が話し出すのを待つ。
痛いくらいの静寂が部屋の中を支配する。刻一刻と時が過ぎる中、蘭様が息を吸う音だけが私の耳に鋭く届いた。
「申し訳、ありませんっ……!」
「蘭、様……?」
大きく震えて今にも泣き出しそうなくらい切羽詰まった声に、思わず顔を上げて鏡を見る。
そこには俯いて口を手で覆い、今にも崩れそうに立っている蘭様が映っていた。
「私にはっ……私には、ねえさまなどと、呼ばれる資格はっ、ないのですっ……!!」
「資格……?蘭様も私のことを“混じりの仔”と蔑んだことがあるのですか?それなら、私は……」
「違いますっ!違うのですっ……!私、私はっ……!」
その瞬間、鏡の中の蘭様の姿がふっとかき消える。
同時に背後でどさりと何かが落ちる音がした。
「蘭様?!」
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」
慌てて鏡台から立ち上がり振り返ると、そこには蹲って手で顔を覆って泣いている蘭様の姿。
「蘭様?どうしたのですか、蘭様?!」
肩に手を当てて小さく揺さぶってみるけれど蘭様は「ごめんなさい……ごめんなさい……」とすすり泣くばかり。
――どうして?蘭様とは今日が初めて会ったばかりなのに、謝られる事なんてなにも……。
そこまで考えて脳裏に微かな言葉が浮かぶ。
――前にも似たようなことを考えて……。
「そこまでにしようか」
その声とともに、眩しいくらいの白金の光が私の視界と思考を奪う。
光は蘭様に降り注ぎ、蘭様の意識を刈り取った。
ぐったりと力なく後ろに倒れ込もうとする蘭様の体を支えようとする私の前に、さっと学生服の腕が入り込む。そのまま軽々と蘭様の体を抱え込んでしまった。
「……蘭に菜乃華の相手はまだ早かったか」
「桜様……!」
至近距離で金の目と視線が重なる。またこの距離、と心臓が跳ねる前にさっと蘭様を抱えた桜様が立ち上がった。
「ごめんね。今日はもう蘭を回収するよ。今後についてはまた明日、相談するね」
「は、はい……」
「じゃあ、蘭を休ませないといけないから、またね」
桜様は小さく困ったように笑って、そのまま部屋を出ていってしまった。
取り残されたのは、何も分かっていない私だけ。
「……どうして」
その言葉に籠もった惨めな響きにはっとして、ぱっと手で口を覆う。
でも心の中の嵐は収まらない。
――桜様と蘭様、お似合いでした。
落ち着くために目を瞑っても、浮かぶのは蘭様を抱きかかえた桜様の姿ばかり。
「……服を片付けないといけませんね」
あえて口に出すことで、目の裏に焼き付いた虚像を追い払う。
それでも、あれだけ楽しかった出来事が今はとても色褪せてしまったように思う。
ただただ部屋の片隅に積まれた衣装達が煩わしくて仕方がなかった。




