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第9話 奪われたのは「信頼」でした



 かつて「大陸の宝石」と称えられたグラン・ゼニス王国の王都は、今や見るも無残な「機能停止した巨大なガラクタ」へと成り果てていた。

 中心部にあった王宮が物理的に消え去ったことで、王都の地下を巡っていた魔力伝導系がズタズタに引き裂かれたからだ。


 王都の朝は、絶叫から始まった。


「水が出ないぞ! 顔も洗えん! どうなっているんだ!」


 豪華な屋敷が立ち並ぶ貴族街。そこに取り残された数少ない上級貴族たちが、寝巻き姿のまま通りに飛び出していた。

 いつもなら、リシアが各省庁へ事前に回していた「魔力供給最適化スケジュール」に基づき、朝の六時には生活用水が魔法ポンプで各家庭へと送り届けられているはずだった。

 だが今、蛇口から出るのは、虚しく空気を吸い込む「シュゴー」という乾いた音だけである。


「照明もつかん! 昨夜は暗闇の中で階段から落ちそうになったぞ! 誰か、魔導技師を呼べ!」


「無駄ですよ、公爵閣下。魔導技師たちは三日前に全員、『カナン行きの特急券』を握りしめて駅へ走りました。リシア様が用意した『退職金上乗せキャンペーン』に釣られたようです……」


 残された数少ない下級役人が、死んだ魚のような目で報告する。

 そう、リシアが去る際、彼女は「引継ぎ資料」の最後にこう書き残していた。

『なお、私の離脱に伴い、福利厚生の質が著しく低下する恐れがあります。希望者には再就職支援窓口(カナン直通)を用意しました』。

 その結果、王都のインフラを物理的に支えていた「現場の有能な人々」は、真っ先にこの国を見捨てたのだ。


---


 王都の臨時政務所(かつての高級レストランを徴収したもの)。

 そこでは、残った貴族たちが割れた鏡を前にして、自分たちの身なりを整えることもできず、醜い責任の擦り付け合いを繰り広げていた。


「そもそも、リシアを追い出したのはセドリック殿下だろう! あの時、なぜ誰も止めなかったんだ!」


「貴様だって『平民上がりが目立つのは不愉快だ』と笑っていたではないか! 帳簿の管理くらい、自分たちでできると豪語していたのは誰だ!」


「……誰か、この『魔導配水管理図』を読める者はいないのか? 線が多すぎて目が回るぞ!」


 テーブルの上に広げられたのは、リシアが残した完璧なインフラ設計図。

 だが、専門知識を持たない彼らにとっては、それは未知の古代文字が並ぶ呪文書も同然だった。


「リシアがいれば……彼女が指先一つ動かすだけで、すべてが回っていたというのに」


 一人の侯爵が、力なく呟いた。

 彼らがリシアから奪ったのは、単なる「目立つ役職」ではなかった。

 自分たちが優雅に暮らすための「当たり前の日常」という名の、膨大な信頼と段取りだったのだ。


 その時、一人の若い貴族が、震える手で一つの箱を差し出した。

「あ、あの……セドリック殿下の自室から、このようなものが。殿下はこれを『リシアの代わりになる切り札』だと仰っていました……」


 それは、禍々しい紫色の光を放つ魔道具だった。

『全自動・魔力増幅機ブースター』。

 知識のないセドリックが、リシアの事務能力を「単なる魔力量の差」だと勘違いし、闇市場で購入していた禁忌の品である。


「これだ! これを魔力炉に繋げば、リシアがいなくても王都に灯りが戻るはずだ!」


 貴族たちは藁にもすがる思いで、そのスイッチを入れた。

 ――次の瞬間。

 王都の地下で、溜まりに溜まっていた魔力の淀みが、制御を失って大逆流を起こした。


 ドォォォォォン!!


 爆発音とともに、王都中のマンホールから汚水と紫色の煙が噴き出した。

 唯一残っていた魔導通信網も火を噴き、王都は完全に、物理的にも情報的にも「陸の孤島」へと成り果てた。


---


 一方、カナン自由行政区。

 可動宮殿の最上階にある観測室で、私は冷え切ったハーブティーを一口飲み、モニターに表示されるグラフを見つめていた。


「……あ、旧王都の信号が完全に消えましたね。おそらく、地下の魔力炉がオーバーロードしたのでしょう。段取り通りです」


「リシア殿……。段取り通り、というには、あまりにも無慈悲な結果ですが」


 隣で苦笑いしているのは、ユリウス様だ。

 彼の魔法端末には、王都から逃げ出してきた人々による「入国希望者数」のカウンターが表示されているが、その数字は一秒ごとに百単位で跳ね上がっていた。


「無慈悲ではありません。私は引継ぎ資料に『このスイッチは絶対に触らないでください。王都が爆発します』と赤文字で三回書いておきました。それを押したのは、彼らの自由意志です」


「……リシア様。第十ゲートに、一万人規模の避難民が到着しましたわ」


 ミレーヌが、忙しく端末を叩きながら報告してくる。


「彼らは口々に『リシア様の作ったご飯が食べたい』『リシア様の組んだシフトで働きたい』と泣き叫んでいます。……旧王国の民にとって、貴女はもはや『生存のためのインフラ』そのものですわね」


「困りますね。私はただ、効率よく仕事をしたいだけなのに。……ユリウス様、避難民の皆様に『カナン特製・炊き出しセット』の配布を開始してください。メニューは、胃に優しいお粥と、例のガストン特製コロッケです」


「承知した。……彼らも、リシア殿の『段取り』の温かさを知れば、もう二度とあの腐った王国へは戻らないでしょうな」


 私は、モニターの隅に映る「王都から続く、果てしない人の列」を眺めた。

 彼らが捨てたのは、王冠や血筋ではない。

 「ここに従えば、明日も平和に生きていける」という、最も根源的な信頼だ。


 王宮が消え、インフラが消え、最後に残ったのは――自分たちでは何一つ成し遂げられない、無能な支配層の群れだけ。


「さて、ミレーヌ。避難民の受け入れコストを計算して。それから、サフィア帝国のレオン王子に連絡を。……人手が余りそうなので、帝国の不毛地帯を耕す『出向プラン』を提案します」


「流石ですわ、リシア様。難民さえも一瞬で『資源』に変えてしまうなんて!」


 私が新しいタスクリストを作成し始めた、その時。

 宮殿の正面玄関に、これまでの誰とも違う、圧倒的な魔力を纏った一団が到着した。


『――警告。カナン領空に、帝国の超大型魔導飛空艇が接近。……搭乗者、サフィア帝国・最高権力者。通称「鉄の女帝」。……入国審査をスキップし、リシア管理者への直接会談を要求しています』


 端末から流れる警告音。

 ユリウス様が表情を硬くし、ミレーヌが息を呑む。


「……レオン王子のお母様、ですか。困りましたね、今はまだ『女帝陛下用のお茶菓子』の在庫管理が終わっていないのに」


 私は、ペンを置いて立ち上がった。

 旧王国の崩壊は、もはや通過点に過ぎない。

 私の「段取り」は、ついにこの大陸の最高権力者までも、その歯車に組み込もうとしていた。


次回、リシアの元に、隣国の「女帝」が直接乗り込んでくる。

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