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第13話 疫病vs爆速検疫システム



 カナン領の港湾地区は、かつてないパニックの淵に立たされていた。

 漂着した樽から漏れ出した「黒い粉」。それは風に乗って広がり、触れた海鳥はバタバタと落ち、港の倉庫に並んでいた特産の野菜は瞬く間にどす黒く変色して腐り落ちていった。


「リシア様、近づいてはなりませんわ! 医療魔導師たちの解析によれば、これは魔力を媒介にして増殖する人工的な疫病菌――『魔力血栓症』の変種です!」


 会計官のミレーヌが、防護魔法の障壁越しに悲鳴を上げる。

 私の横では、ユリウス様が剣を引き抜き、目に見えない細菌を切り伏せんばかりの鋭い眼光で周囲を警戒していた。


「リシア殿、一歩下がってください。……レオン! 貴公の帝国の仕業ではないだろうな?」


「失礼なことを言うな。我が帝国にとってもカナンは重要な貿易拠点だ。こんな不潔な手段を使うメリットがない。……だが、この術式の組み方、どこかで見覚えがあるな。……旧王国の禁忌庫に眠っていたはずの『魔導生物兵器』に酷似している」


 二人の緊迫した会話を余所に、私は魔法端末をパチパチと叩き、管理AIエギスから送られてくるナノレベルの解析データを眺めていた。


「……なるほど。不備だらけですね、この疫病。増殖の段取りが甘すぎます」


「リシア様!? 今、なんと仰いましたの?」


「いいですか、ミレーヌ。この菌は魔力の高い個体に優先的に寄生するよう設計されていますが、一定の温度以下では代謝が著しく低下するバグがあります。……エギス、港湾地区全体の気温を魔法冷却でマイナス十五度まで下げて。それから、空気中の魔力濃度を一時的にゼロにする『真空浄化フィルター』を全域に展開してください」


『承認しました。……カウントダウン。三、二、一……クリーンアップ開始』


 その瞬間、港に猛烈な冷気が吹き荒れた。

 空中に漂っていた黒い粉が、冷却と魔力の遮断によって結晶化し、キラキラと輝きながら地面に落下していく。

 私は防護服も着ずに石畳へ降り立つと、落ちている結晶をピンセットでつまみ上げた。


「……はい、無効化完了。所要時間は三分十二秒。予定より四秒遅れましたね。ユリウス様、後で冷却システムの導線を確認しておいてください」


「三分……。数千人の命を奪うはずの疫病が、リシア殿にとっては『掃除の遅延』程度の問題なのですか」


 ユリウス様が呆れたように額を押さえる。

 一方、レオン王子は私の手元にある結晶を見て、感心したように顎を撫でた。


「驚いたな。帝国の最高医療チームが半年かけても解明できないはずの術式を、君は『バグがある』の一言で片付けたのか。……リシア、君を本気で帝国の『厚生大臣』にスカウトしたくなってきたよ」


「お断りします。……それよりミレーヌ、被害状況の算出を。腐った野菜の廃棄費用、および港の閉鎖に伴う損失額……。すべて算出して、旧王国の『損害賠償請求リスト』に加えておいてください。これは明らかに、管理の行き届いていない旧王宮の地下から漏れ出したものです」


「かしこまりましたわ! 利息は複利で、桁を二つほど増やしておきますわね!」


---


 カナン領が爆速で疫病を鎮圧しているその頃、旧王国の王都はまさに地獄絵図と化していた。

 セドリック王子がうっかり開けてしまった「黒い箱」から溢れ出した菌は、管理者のいない王都で爆発的に増殖。

 町中に黒い粉が舞い、人々は咳き込みながら倒れ伏している。


「陛下! 大変です、教会の神官たちが『これは神の怒りだ、祈るしかない』と言って、祈祷の寄付金だけ集めて逃げ出しました!」


「薬師たちも『リシア様がいないと薬の調合比率がわからない』と言って、店を閉めてしまいました!」


 臨時政府の建物の中で、ゼニス三世はガタガタと震えていた。

 かつてなら、リシアが各省庁へ「非常事態マニュアル」を配布し、医師の配置から薬草の備蓄、隔離施設の設営まで、彼らが目を覚ます前にすべて終わらせていただろう。

 だが今、彼らの手元にあるのは、使い道のわからない空の帳簿と、埃を被った王冠だけだ。


「……リシアだ。リシアを呼べ! あやつなら、なんとかしてくれるはずだ!」


「陛下、彼女を追い出したのは貴方とセドリック殿下ですよ……。それに、彼女は今、カナンの『クリーンなテント』で美味しいスープを飲んでいるそうです」


「うおおおぉぉん! わしもそのスープが飲みたい! こんな黒い粉まみれの街は嫌じゃぁぁぁ!」


 旧王国の権威が完全に地に落ちた瞬間だった。

 武力でも経済でもなく、「公衆衛生の管理能力」という最も地味で、最も不可欠な力によって、国の格差が残酷なまでに浮き彫りになったのだ。


---


 数日後。

 カナン領の「再教育キャンプ」の入り口には、全身に消毒液を浴びせられ、真っ白な防護服(カナン支給品)を着せられた国王一行が、トングを持って立っていた。


「……よし、除菌完了。ゼニス三世さん、貴方のテント周辺に舞っていた黒い粉は、すべてリシア決済で清掃させていただきました。費用は草むしり五千時間分、追加しておきますね」


 ゲートの受付嬢が、リシア直伝の「無慈悲な笑顔」で告げる。


「ご、五千時間……。わしは一生、このトングを離せないのか……?」


「不服なら、消毒なしで王都へお帰りいただいても構いませんよ? あちらは今、黒い粉で真っ黒だそうですけど」


「……むしります。喜んで、むしらせていただきますぅぅ……!」


 国王は泣きながら、一本の雑草を丁寧に抜き取った。


 その頃、私は宮殿の最上階で、エギスが映し出す大陸全土の魔力マップを眺めていた。

 疫病の発生源、そしてそれが意図的にカナンへ流されたルート。

 すべてを繋ぎ合わせると、一つの不自然な「点」が浮かび上がる。


「……旧王国の背後で、この非効率な混乱を喜んでいる者がいますね。エギス、次のターゲットをロックして。……私の街の空気を汚した不届き者には、徹底的な『整理整頓』が必要です」


「リシア様、少しはお休みになってください。……ユリウス様が、貴女のために『特製・殺菌効果のあるハーブティー』を淹れて、扉の前で三十分も待機していますわよ」


 ミレーヌが呆れたように言う。

 私は時計を見て、秒単位でスケジュールを調整した。


「ティータイムは五分。その間に、旧王国の『王位継承権の放棄に関する書類』の雛形を作成します。……陛下がトングを握っている間に、すべての引継ぎを終わらせてしまいましょう」


 有能すぎる事務官のペンは、疫病すらも「事務的な不備」として処理し、世界の理を書き換えていく。


次回、旧王国の国王、今さらリシアに「王位」を譲ると言い出す。

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