第一話 あわれあの子は娼婦
ウンディーネシリーズのセルフパロディ、ルーが15歳で資本家の男にレイプされていたら、のIF世界線の話です。※BLです。※モブ×ルーのR15程度の描写があります。※ルーは薬物中毒のセックス依存症です。
けらけらと、聞き覚えのある笑い声がしている。男の子か女の子かわからないような高く空疎な声だ。シャンデリアの煌めきの中で踊るようにすいすいと足を運ぶほっそりとした後ろ姿が見える。セデュイールは何度も瞬いて彼の姿を目に焼き付ける。舞台の控室で震えていた小さな男の子。怯えたような眼差しで縋るように見つめてきた男の子。ルーシュミネ・リーヴェとの、それは実に8年ぶりの再会だった。
セデュイールは父に連れられて今回のパーティーに出席していた。大学を卒業してから後継ぎとして父の会社に就職し、既に数年経っている。それなりの経験も積み、政財界に幅を利かせる父の後について交友関係も広げた。今日は音楽好きの父が出資する某音楽系の事務所の、大物ばかりを集めたパーティーで、世間に名を知られた作曲家だの、ピアニストだのが大勢参加している。
ルーと再び、親しく交流できるようになるのではないかという期待を、セデュイールは密かに持っていた。ピアノコンクールで覇を競い合った仲で、家が近くて、彼が11歳になるころまで自宅によく遊びに来ていたあの子と。
「ルー、…シュミネ、さん、お久しぶりです」
ひらひらと蝶のように掴みどころなく会場を浮遊するかのようなルーに先に声をかけたのはセデュイールのほうだった。
くるりと彼は振り返り、精巧につくられた人形のような金の睫毛を瞬かせながらセデュイールを眺めまわす。つま先から、頭のてっぺんまで、嘗め回すように。
「…ヤア、おにいちゃんじゃないか。久しぶり。敬語は辞めてよ、君と僕との仲じゃあないか」
ルーにまだ認知されていたということにジンと痺れるような嬉しさを感じつつ、セデュイールは彼の近況を尋ねる。
片手に持っていたシャンパングラスを無造作に煽ったルーは、グラスを通りがかったウエイターに渡し、セデュイールの手をむんずと掴んだ。
「そんなことはいいからさ、ちょっと抜け出さないかい? だんだんタイクツになってきちゃった。挨拶ばっかりも、疲れたし…」
「…悪酔いしたのか? 別室で休むか?」
「テラスに出ようよ。今夜は月が綺麗だよ…」
年に似合わぬ妖艶さで微笑んだルーはセデュイールの手を引く。彼に、――ずっと憧れ続けていた、才能あるピアニストであるルーに誘われ、セデュイールは夢心地で歩を運ぶ。テラスには会場から漏れた灯りで照らされた人々の影法師が人形芝居のように揺らめいている。月明かりのみが照らす庭まで手を引かれ、銀色の飛沫を上げる噴水の場所まで行って、そこで不意にルーに抱きつかれたセデュイールは、しかし何が起こったのかわかっていなかった。
「…どうした? 気分でも悪いのか?」
「んーん。ちがう…」
「では、眩暈でもしたのか?」
「…ふたりきりだよ。おにいちゃん。ぼくときみしか、ここにはいない…」
「……」
慌てたようにセデュイールは周囲を見回す。生垣に遮られてテラスの光はここには届かない。鉄門の傍の街灯と、月の光だけが静かに彼らを照らしている。
ルーが体調を崩したのなら、すぐに医者に見せなければいけない。才能あふれるピアニスト、フランスでも一、二を争う、優秀なピアニストであるルーを、たかがパーティーごときのために、拘束してなどいられない。真絹に包むように大切に扱わなくてはいけないのだ。何よりも、誰よりも、大切に、大切に――
「誘ってるんだよ。わからない? 堅物だなア、きみは相変わらず…」
「さそ…?」
ルーがにんまりと唇を開く。闇夜に尖った犬歯が狼のようで、ひときわ目立っている。化粧をしているのかその唇は毒々しく赤い色に彩られている。白粉の香りもする。それから香水の香り。麝香をたいたような艶めかしい香りだ。まだ19歳の彼には、相応しくないような。
「きみの好きに、していいよ、おにいちゃん。きみ、ずいぶんカッコよくなったねえ。きみに見つめられたときから、ぼく、ココが疼いちゃって、仕方がないの…」
「……、」
ぐいとルーに掴まれた手が無理矢理下腹部に添えさせられる。そこは既にドクドクと脈打っている。ズボン越しにルーのその生々しい拍動に触れて、飛び退くようにセデュイールは手を離した。
「な、おまえ、何を…」
「いや? お外じゃその気にならない?」
「そういう問題では、」
「ぼく、今日下着付けてこなかったんだ。そうしたらすぐできるでしょ? みる? おにいちゃん」
燕尾服の上着を脱いで、サスペンダーから肩を抜きながらルーが言う。その手がズボンに掛けられて脱ぐような素振りをするのに必死で目を逸らしながら、混乱するままにセデュイールは呻く。
「おま、おまえは、自分が何を言っているか、わかっているのか…?」
「おかしいなア。なに狼狽えてるのさ。おにいちゃん。きみだって初めてじゃないんでしょう?」
「……」
セデュイールは黙り込む。過去に付き合った女性は何人かいるが、…いずれも、恋人未満のような状況で自然消滅していた。セデュイールの心にはずっと、それこそ11の頃から崇拝する存在がいて、それ以上の感情を彼女たちに向けることはどうしてもできなかったのだ。
5歳のルーのピアノを初めて聞いた時から、ルーはセデュイールにとっての、天使だったのだ。
「やめ、やめなさい、こんなところで脱ぐな、人に見られたら…」
「どうでもいいよ。いつものことだもん。みーんな知ってるよ。ぼくはねえ、ケツの具合がとっても良いんだよ。おにいちゃんにも味わってほしいな。女の人が好きな人でも、一度ぼくを抱くとみーんな夢中になっちゃうの。ねえ、いいでしょう? …」
「ダメだ、やめなさい、…ルー!」
幼い頃に呼んでいた呼び名を叫ぶと、しな垂れかかってきていたルーはぴたりと止まり、まじまじとセデュイールを見上げる。
「おにいちゃんは、ぼくと寝るのは、いや? …ぼく、自信あるんだ。きみを愉しませられるとおもうんだけど…」
「…8年ぶりに、久々に会ったような相手と、そういうことをするのは、…軽率すぎる。お前はもっと自分を大事に…」
「知らない仲じゃないのに。おにいちゃんのことなら5歳のときから知ってるもん」
「離れていた間のことは、何も知らないだろう…」
「…きみ、もしかして、奥さんがいる? それか、熱愛してる、彼女とか…」
「…いないよ。誰もいない」
置き去りにされた子供のように心細げに呟くルーに、真実を伝えてしまったのは、セデュイールの失敗だったのだろう。ぱっと顔を輝かせたルーはまたセデュイールの胸に飛び込んでくる。片方だけサスペンダーを外した、しどけない姿で。
「よかった。じゃあきみは、誰のものでもないんだね。うふふ、それならなんにも、困ることなんてないじゃないか」
「……ルー、」
「ねえ、セデュ、ぼくを抱いてよ。きみに抱いてほしいんだ、いきなり突っ込んでもいいよ。何回ナカに出してもいい…」
「…おまえは、」
うっとりと囁くルーに眩暈のようなものを感じながらセデュイールは額を抑える。崇高な天使だと思っていた、汚されることのない神聖な存在だと、今までずっと思ってきたルーの、ひどく淫蕩なさまに、ガラガラと何かが崩壊する音がする。
ルーのことを神聖視していたのはセデュイールの思い込みだった。離れていた間、実在のルーに近づくことなく憧ればかりを募らせてきたのだ。想像が実物と乖離していたとしても仕方のない事だろう。それは受け入れられる。
…ただ、久々に会ったばかりの男に身を任せようとする、ルーの言動が気にかかる。
彼は既に男を知っているような口ぶりだった。まだ19歳の彼が。芸能界で頂点を極めた、フランスの全少女の憧れの的であるような彼が、既に男を味わい尽くしてきたかのような。
考え始めると、胸が悪くなってくる。沸々と胸の裡に湧き出るのは、怒りだ。彼をこんなふうに作り変えてしまった、何者かへの。
「わたしはおまえを抱かない。きちんと服を着なさい。会場に戻ろう」
「…どうして」
「お前は、…まだ19歳だ。未成年だ。大人に守られるべき年齢だろう」
「ぼくはもうおとなだよ…すっごいこともいっぱい知ってる。何人もの男の人、一晩で相手したこともあるんだよ。あれは激しかったなア…」
「……」
夢うつつのような恍惚とした表情で言うルーに、何も知らず、彼を守ることのできなかった自分の無力さに、セデュイールは唇を噛み締める。
性的同意も碌にできない未成年のコドモを、食い物にした汚い大人が業界にいる。それもおそらくは一人や二人ではないのだ。ルーはずっとそんな世界で生きてきたのだ。誰にも守られることなく、無防備なままで…。
「もうやめるんだ。そんなふうに、男を誘うような真似は…」
「…セデュは、ぼくがきらい?」
「…違う、」
「…ぼくが、…誰とでも寝る、淫売だから、セデュはぼくのこと、汚いっておもってるんだね。そうでしょう…」
「…違うんだ、ルー」
「いいよ。もう言われ慣れてるから。ぼくはねえ、資本家のおじさんの愛人で、性奴隷で、おじさんの命令でいろんな人と寝たんだ。もう数えきれないくらいのひとが、ぼくのナカに出してった。みんな気持ちいいって言ってたよ。ぼくはねえ、生まれつきの淫売だから。ひどくされるのがいいんだ。顔にかけられるのもすき。人間扱いなんかされなくっていい。見下されてもへっちゃらだ。蛆虫、ろくでなし、世間のゴミ、なんとでも言ってくれ! お綺麗なきみとは、生きる世界が違うんだ。きみが抱いてくれないなら他のひとを誘うからいいよ。会場で、ぼくのことジッと見てたおじさんがいたでしょ。あのひととも何回か寝たことあるんだ、今夜はあのひとにするから…」
「ルー!」
セデュイールは叫んでルーを抱き寄せる。ほっそりとした身体は折れそうなほどに華奢で、儚げで、夜露に濡れる、白百合の花を思わせる。
「もう、やめてくれ、お願いだ…」
懇願は涙声になって途切れる。声を殺して嗚咽するセデュイールを、ふしぎそうにルーは見上げた。
「どうして、きみが泣くの? おかしいね、もう大人なのに…」
きつく、しがみ付くように抱き寄せられて、セデュイールの甘い香水を嗅いで、ルーは目を閉じる。昂ぶっていた気持ちが穏やかな掌で宥められていくように感じる。温かな体温に安心する。
男の人に抱きしめられて、こんなふうに感じるのは、ルーは初めてだったかもしれない。




