それでも選ぶ
水色の結界が、戦場の中心で静かに広がっている。衝撃を受け流し、仲間の動きを繋ぎ、ほんのわずかに流れを取り戻していた。だが、その均衡を崩すように、上空の霧が大きく渦を巻く。カリンが、ゆっくりと降りてくる。足が地面に触れた瞬間、黒い波が広がり、周囲の怪物が一斉にこちらへ向き直った。
「……やっぱり、嫌いだなぁ」
さっきより低い声だった。笑っていない。
フィアは一歩も動かない。結界を維持したまま、まっすぐ見返す。
「そうなんだぁ」
やわらかい声は変わらないが、その奥に芯がある。
カリンは首をかしげる。
「ねぇ、まだやるの?」
少しだけ間を置いて、言葉を続ける。
「どうせ壊れるのに」
フィアはゆっくり息を吸う。胸の奥で、さっき掴んだ感覚が確かに残っている。
「うん、やるよぉ」
カリンの目が細くなる。
「なんで?」
フィアは少しだけ考えて、笑う。
「やりたいから」
それはとても単純な答えだった。
カリンの眉がぴくりと動く。
「それだけ?」
フィアは頷く。
「それだけ」
一瞬、静寂が落ちる。遠くで剣と拳の音が鳴っているのに、この二人の間だけ、時間が遅くなったように感じられる。
カリンが一歩踏み出す。黒い霧が足元から溢れる。
「……いいよ」
その声は、少しだけ震えていた。
「じゃあさ」
手をかざす。霧が一点に集まる。
「壊してあげる」
次の瞬間、巨大な怪物が生成される。今までとは比べ物にならない密度。歪んだ核が、濃く脈打っている。
地面が沈む。
空気が重くなる。
それは“DやCのレベル”ではない。明らかに、Bクラスでも単独では対処しきれない質量だった。
ノエリアが遠くでそれに気づく。
「フィア……!」
駆け出そうとするが、目の前の敵に足を止められる。ダニーも叫ぶ。
「やべえ、あれ……!」
ハイジが歯を食いしばる。
「フィア一人じゃ無理だ!」
ジェイドの目が鋭くなる。
「行かせろ!」
だが、怪物の波がそれを阻む。前線が分断される。
フィアは、その中心で立っていた。結界の中で、ただ一人。
目の前に、巨大な黒。
(……大きいなぁ)
正直な感想が浮かぶ。でも、足は下がらない。
カリンが少しだけ笑う。
「守れるの?」
フィアは首をかしげる。
「わかんない」
カリンの笑みが深くなる。
「ほらね」
フィアは続ける。
「でも」
結界に手を添える。水色の光が、ゆっくりと広がる。
「やるよぉ」
その瞬間、怪物が動く。腕が振り下ろされる。ドォン!!衝撃が結界に叩きつけられる。空気が震える。ヒビが走る。
フィアの足が半歩沈む。
息が詰まる。
でも、崩れない。
「……まだ」
もう一撃。さらに重い一撃。ドォン!!ヒビが増える。結界の端が欠ける。
カリンが呟く。
「無理だよ」
フィアの視界が少し揺れる。腕が重い。力が削られていく。
(……ほんとに、無理かなぁ)
一瞬だけ、よぎる。
そのとき。
ノエリアの背中が見えた。何度も倒れそうになりながら、剣を振り続けている。ダニーが歯を食いしばって立ち上がる。ハイジが炎を叩き込む。ジェイドが無駄なく切り開く。
(……みんな)
フィアは、小さく息を吐く。
「やっぱりねぇ」
カリンが首を傾げる。
「なに?」
フィアは少し笑う。
「守りたいよ」
その言葉と同時に、結界の質が変わる。水色の光が、今度は“内側から”広がる。外を弾くのではなく、中を強くする。衝撃を受け止めるだけじゃない。“分散する”。
次の一撃が来る。ドォン!!だが、さっきより軽い。ヒビが止まる。
カリンの目が見開かれる。
「……なんで」
フィアは息を整えながら言う。
「わかんないけど」
少しだけ笑う。
「守れてるから」
その一言で、空気が変わる。
フィアは一歩前に出る。結界ごと、前へ押し出す。
怪物の腕を押し返す。
じわり、と。
確実に。
カリンが初めて後ろに引く。
「……なにそれ」
声が小さい。
フィアは続ける。
「意味、あったよぉ」
カリンの表情が揺れる。
「……ないよ」
否定する声が弱い。
フィアは首を振る。
「あるよ」
静かに、でも確信を持って。
「ここにあるから」
結界の中。守られている空間。仲間の存在。
カリンはそれを見ている。何も言えない。
フィアがさらに一歩踏み込む。結界が、怪物の核に触れる。水色の光が、じわりと侵食する。
カリンの声が震える。
「……やめて」
フィアは止まらない。
「大丈夫だよぉ」
やさしく言う。
「終わるから」
次の瞬間、光が弾ける。怪物の核が砕ける。黒が崩れる。霧が散る。
静寂が落ちる。
カリンはその場に立ち尽くしていた。膝が少しだけ震えている。
フィアは結界を解き、ゆっくり近づく。
カリンは目を逸らさない。
「……意味ないのに」
小さく呟く。
フィアは少しだけ考えてから言う。
「意味はねぇ」
少し笑う。
「あとから決めていいんだよ」
カリンの目が揺れる。
何も言えない。
フィアはそれ以上何も言わない。
ただ、隣に立つ。
戦場の音が、少しずつ戻ってくる。
その中で、水色の光だけが、静かに残っていた。




