13-9.陽光
「あれはただの亡霊でしょう。特になにも危害を加える訳じゃありませんよ」
礼羅は「慈雨の宮の生霊かと思ったのに全然違うじゃない」なんてとんでもないことをぼやく。俺も少しは疑ったがそれなら慈雨の宮にも陽輝にかかっていた瘴気が混ざっているはずだ。一昨日見た時は慈雨の宮に何も無かった。
「それでも気味悪うございます。現れたのはここひと月ですよ?」
「衛門はこの御屋敷にずっと勤めておいでで?」
残月が聞く。
「少外記の宮に賜れる以前よりこのお屋敷に。ここは帝が東宮になられる前からの御息所でしたので……」
衛門はこの屋敷ではベテランの女房のようだ。
「かつて御息所と呼ばれた方は麗景殿の中宮であらせられました。私はその当時まだ童女だったのです」
子供のころからこの屋敷で働いていたら主の周囲には詳しそうだ。
「最近、少外記の身近な者が亡くなったことはあるか」
「し、少外記の宮でしたら三条中納言でしょうけど……」
それは俺も聞いている。だけどあの亡霊と亡くなった中納言では男と女で異なる。似ても似つかない。
そうこうしているうちに向こうがこちらを捉える。何かつぶやいたような気がしたがふっと消えてしまった。
「消えた?」
「いつも時折こうして突然現れたり消えたりするのです。時間も決まっておりません」
しばらく屋敷をぐるりと見回ってみたものの、結局原因となる何かは見つからなかった。
陽輝のところに行く前に衛門が頭を下げてきた。
「嵐山の宮、先ほどはとんだご無礼をいたしました」
謝られるとは思っていなかったので拍子抜けする。
「私は気にしていない」
礼羅からの視線を感じるが無視だ。
「……あと調べてもらっているのに重ねて申し訳ないのですが……いえやはり……でも……」
衛門は言い淀んだ。そこまで言われると気になる。はっきり言え。
「一ノ宮の顔色が悪いことでしょうか」
「お分かりですか……」
礼羅の言葉にうなずく。
「あの方はああ見えて昔から強情なのです。努力なさるのは美徳でしょうが、体調が悪くなるまで働かなくともよろしいのに、余計なことまで気にしてしまうと手に付けてしまうのですよ。
口下手でもあるので部下に任せることも出来ないようで、左大臣と不仲になったのもその実直で几帳面な性格のせいでしょう……やはりあの霊と何か関係が?」
衛門が童女の頃から屋敷にいるのなら陽輝や慈雨の宮の二人は実質幼馴染のような関係だろう。亡霊のこともあり殊更心配だろうな。
「わたくしの目から見ても判断しかねます」
礼羅が答えを濁すなんて珍しい。
「おや、半妖の目を持ってしても分からないなんてことがあるのですねぇ」
残月が挑発するような声でそんなことを言うので礼羅は一瞬睨んだように見える。
「一ノ宮が何らかの呪詛の障りを受けておられるのは分かりましたが……奥深く……それこそ魂に何かがあるように見えるのです」
「それを先に言え!」
魂まで侵されているなら命に関わりかねない。
「むしろ主様は見えなかったのですか?」
「邪気があるのは見えても魂までそう鮮明には見える訳ないだろ!」
「はいはい、人前ですよ。この話は後にしましょうねぇ」
残月に止められてしまう。
だが昼間でもそこにいるのが分かるほどの幽霊がいると実感したのだ。陽輝も報告を聞いて「本当だったのか」と驚いていた。
調査のために何度か来ることになるだろうと言えば「調べものでなくても歓迎します」と言われてしまった。
「少外記殿、最後に屋敷に結界を張ってもよろしいでしょうか」
「……そこまでする必要は」
「なら経を。加持祈禱とまではいきませんが、亡霊にも慰めになりましょう」
そこで陽輝はようやく頷いてくれた。その場で数珠を右手に出す読経を上げる。
寺にいた頃、師匠は読経で辺り一面の霊を瞬時に吹き飛ばしたが俺にはそんな力が無かった。修行して徳を積めとは言われたが隠れて酒を飲むあの生臭修験者が徳を積んでいるようには見えなかったし。
読経を上げている間、時々横目で陽輝の様子を見てみたが、時々彼を覆う邪気が消える様子があったが湧いて出てくるのであまり効果は無かった。
車宿に向かう廊下を歩く途中、隣を歩く残月がその場で呟いた。
「貴方の読経、初めて聞きました」
「そうだったか?」
「えぇ。たまには良いものですねぇ」
残月は神に仕える側だ。仏の教えを知らないわけではないだろうが経を聞くことはあまりないのだろう。
俺の後ろを歩いている礼羅が念話で話しかけてきた。
『あの亡霊、もしかして一ノ宮の愛人だったりして』
『それはないだろ』
『あら、それはどうして?』
『それは――』と答えようとした途端、外から声が聞こえてきた。
「だから、今日はダメだって言ってるだろう!」
牛飼らの声だ。外を覗くと下人ら玄関で言い争いをしていた。
うちの下人と対立する下人、そして以外にもうちの下人を擁護する者らもいる。何があった。
「だから主を呼べと言っているだろう!――は狐とはあれか!」
礼羅を見て何か反応したようだ。振り向けば礼羅は何も知らないと必死に首を横に振る。
「お前たち、無礼ですよ。そちらの主人は礼儀を知らないのですか?」
残月が前に出ては礼羅を庇う素振りをするが下人が口々に言った。
「三条源氏の大殿がまたご乱心なのです!」
「「兄上の屋敷に来ているから狐の女を連れてこい」とおっしゃるのです!」
大殿とはこの場では貴婦人を指す。つまり慈雨の宮が俺たちを呼び出している。俺たちが街中で顔を出したりここに行くと話した心当たりはない。いつの間に俺たちがここに来ていると慈雨の宮は分かったのだろう。
そして騒ぎを聞きつけたらしい陽輝も後から追ってきた。
「雨がどうかしたのか?」
「慈雨の宮が乱心しているそうです」
「乱心だと!?――っごほ……失礼」
咳き込んだ陽輝は後ろを向いて懐紙で口元を拭う。その懐紙が赤く染まっていたのを見てしまった。




