【十二章】 紙の柱、女王の呪い、予告と助言
「さわるなよ。さわると崩れおちるからな」ゲッセンバウムが言った。「わしが歩くとおりに、足を運べ」
戸口のすぐ向こうに、白い壁が立ちはだかっていた。紙の束のようだ。
ゲッセンバウムが部屋に入る。二歩まえに進むと、蟹のような動作で左へ移動しはじめた。
「なにをしている。早く来い」
「はい」
戸口をくぐる。やはり、紙の束だ。天井すれすれまで積みあげられている。横にずっとつづいて、仕切り板のようになっていた。
「こっちだ」ゲッセンバウムが手まねきをする。
彼のまねをして、足を運んだ。通路はせまくて、気を抜くと紙に触れてしまいそうだ。
お腹と背中をすりながら左へ向かっていた彼が、急にまえへ踏みだした。
そのあたりまでフォッテも進んだ。細い通路が、まえへ伸びている。
正面へ進む。今度は右へ。しばらく行って、まえへ。ついで、左へ――迷路のなかを歩いているような気分だった。さらに四度進行方向を変えたあとで、さっと視界がひらけた。
椅子が一脚、こちらに背を向けて置いてある。その先に、立派な書斎机があった。卓上にも紙が積まれている。羽ペンや小さなナイフ、パイプ、虫めがねなどの品々も置いてある。
「そこに座れ」ゲッセンバウムが椅子を指し、書斎机のほうへ向かう。
椅子のわきに立った。座面に紙の束が置いてある。「これは、どうしますか?」
「足もとにでも置いておけ」机の向こうにまわりこみながらゲッセンバウムが言う。「落とすなよ。ちゃんと順番になっているんだから」
両手で紙の束をつかみ、慎重に持ちあげる。一番上の紙には、跳ねるような筆跡でびっしりと文字が書きこまれていた。見たことのない文字ばかりだ。
椅子に腰かけた。魔法を使いすぎたせいか、体がひどく重い。
ゲッセンバウムは机の向こうで肘かけ椅子におさまり、羽ペンでなにか書きつけている。角灯は、背後の壁のフックにかけてあった。その明かりがつるりとした彼の頭を照らしている。他にも五つか六つの照明があり、室内はそこそこ明るい。
机のわきに、長い杖が立っていた。ゲッセンバウムの身長の倍はありそうなその杖は、槍を置くような形状の台に据えられている。暗褐色で先端がごつごつと節くれだっていた。
すごい杖ですね、と口にしかけたが、思いとどまった。ゲッセンバウムはまえかがみになってペンを走らせている。邪魔をしないほうがいいだろう。
フォッテは左手へ目をやった。そちら壁は、ほとんど本棚で覆われている。どの棚にも大判の書物がぎっしりと詰まっていた。大半の背表紙はぼろぼろだ。剥がれて紙が露出したり、ほつれた糸が垂れさがっているものもある。
右手には、紙の柱が立ちならんでいる。こんなにたくさんの紙に、なにを書きつけているのだろう。
しばらくすると、ペンの走る音がとまった。
ゲッセンバウムは、投げるようにして羽のついた筆をペン差しに突っこむと、琥珀色のパイプに手を伸ばした。もう一方の手で小さな箱をつかみ、燐寸を一本取りだす。「娘、名は?」
ぱちんと鳴って、燐寸に火がついた。
「フォッテ・アインタルトです」
「チャレキの葉がほしいのか?」パイプの吸い口をくわえ、火を近づける。上下の唇を合わせて、音を立てて吸った。二度、三度とくり返してから、濃い煙を吐きだす。
「はい」とこたえてから思いだした。「それもあるんですけど、実はゲッセンバウムさんに――大魔法使いのゲッセンバウムさんに、魔法について教えていただきたくて」
思った以上の変化が現れた。しかめっ面がゆるみ、口もともほころんでいる。「ほう。ほうほう、このわしに魔法をねえ?」
「はい。これだけの書物を読んでいらっしゃるんですから、きっとわたしの知らないことを――」
「そりゃあ、もちろんだよ。おまえだって魔法使いのはしくれだ、わしの名は聞いたことがあるだろう」
フォッテは深くうなずいた。「こちらの世界に来てから、何度も耳にしました」
「そうじゃない、普段おまえが暮らしている世界での話だ」
「ごめんなさい、ここへ来るまでは」
彼がぽかんと口をあけた。「一度もか?」
フォッテが困って黙っていると、ゲッセンバウムはそっと目を伏せた。
「しかたないか。もうずいぶん長いことこっちで暮らしているからな。しかしな、ひと昔まえならゲッセンバウムといえば、だれもが 畏れ敬う、指折りの大魔法使いだったんだぞ」
「そうなんですね」とこたえたが、内心では怪しいなと思った。目のまえの男には、悲しいほど貫禄がない。それに本物の大魔法使いが、こんな風に自分のことを誇らしげに語るだろうか。
「壊門鎖縛という魔法は知っているな?」いたずらっ子のような笑みを浮かべて、ゲッセンバウムは眉があるはずの部分を持ちあげた。「なんと、あれを発明したのはこのわしだ」
「ごめんなさい、わたしは聞いたことが――」
「黒犬爪痕の呪いは?」
頭を振った。
「煉獄釜揚げ魔法は? 泥沼手鎖の術は? ええい、さすがに幻覚愛撫法は知っているだろう!」反り返っていた彼の胸が、どんどんしぼんでいった。しまいにゲッセンバウムは、捨てられたばかりの子犬のような顔つきになって訊ねた。「なあ、おまえはいままで、いったいなにを学んできたんだ?」
「ごめんなさい、先に言えばよかったんですけど、わたしは魔法を学びはじめたばかりなんです。火の魔法も、今日使えるようになりました」
自称大魔法使いの小男は、眼を伏せてながながと息を吐いた。「まさかなあ。久しぶりに知りあった魔法使いが、駆けだしどころか見習いの小娘とはなあ」
「よかったら、なにか教えていただけませんか? ゲッセンバウムさんの魔法を」
ちらりとこちらを見て、彼は言った。「ヘテロの他には、なにができる?」
「わたしが使えるのは火の魔法だけです」
またため息をついて、ゲッセンバウムは虫を払うように手を振った。「やってみろ。精一杯のでかい火を作れ」
「ここで、ですか?」
「早くしろ。時が惜しい」
「紙に火が燃えうつってしまうかもしれません」
「魔法をおぼえたばかりの者に、そんなに大きな火が作れるか。さっさとしろ」
仕方がない、と思いながら杖の先を頭上に持っていく。小さめの火を思い浮かべて――とはいえあまりにも小さいと帰れと言われそうな気がしたので、すこし加減をして――呪文を唱えた。現れたのは、ほぼ念じたとおりの火だった。両腕で作る環と同じぐらいの大きさだ。
「馬鹿!」腰を浮かせたゲッセンバウムが、こちらにひとさし指を突きだした。「早く消せ! 大切な研究記録が燃えちまう!」
言われたとおりにした。
「なかなかやるじゃないか。ん?」机に両手をついて、こちらに顔を突きだした。「まさかとは思うが――」
「なんですか?」
素早い動作でゲッセンバウムは机をまわりこみ、フォッテの横に来た。「見せろ」
フォッテの杖に、彼の手が添えられた。赤ん坊のようにすべらかでふっくらとした指が震えている。頭部には玉の汗が浮きあがっていた。
「ひっ!」と声をあげて、ゲッセンバウムは飛ぶようにあとじさった。その拍子に机のへりに腰を打ちつけて、うめきながらまえかがみになる。その肩が、すぐわきに立っていた紙の柱に触れた。
「ゲッセンバウムさん、危ない!」
身じろぎするように二、三度揺れてから、紙の柱はななめうしろに倒れていった。隣接する柱が倒れ、さらにそのとなりの柱が倒れ、ゲッセンバウムの書斎部屋はハトの大群が一斉に飛びたったときのような騒ぎになった。
「やめろ! 拾わなくていい!」まっ赤な顔でゲッセンバウムが叫ぶ。「それは極秘資料だ。見ちゃいかん。それよりおまえ、その杖はどうした?」
拾いかけた紙を床にもどして、フォッテは上体を起こした。
ゲッセンバウムは片手を背中のほうへまわして、腰を折りまげた姿勢のままだ。
「師匠にもらいました」
「だれだ、おまえの師匠は?」
「シュピールといいます」
痛みにゆがんだ表情のまま、ゲッセンバウムの顔が凍りつく。「おまえ、あいつが放った刺客か?」
「ちがいます」あわてて言った。「わたしは友人を助けたくて、こちらの世界へ――」
ゲッセンバウムが疑わしげな表情になる。「シュピールはいま、どうしている?」
「あちらの――わたしが暮らしている街のはずれに住んでいます」
「魔法は使えるのか?」
本当のことを言っていいものか、すこし迷った。「わたしには『自分はまったく魔法が使えない』と言っていました」
腐屍者のようなたよりない足どりで、ゲッセンバウムは机のわきを歩いていった。肘かけ椅子に身を投げると、天井へ顔を向けた。「ふん、あいつもか」
「どういうことですか?」
「わしとあいつは、同じ女に魔法の力を封じられた。おまえはいまわずかに逡巡したものの、結局、本当のことを口にした。それぐらいのことは大魔法使いならわかる。ならば、あいつもいまだに降伏していないということだ。よく三百年も耐えているものだ」
「三百年?」
「なぜそんなにおどろく。聞いていないのか?」
うなずいた。
「――あいつの考えることは、昔からよくわからん。いいか、魔法を剥奪されて赤子のように無力になり、そのくせ老いることも死ぬこともできない。そういう拷問なんだよ、これは」ゲッセンバウムが乾いた声で笑う。「まったく、ひどいことを考える女だ」
「女というのは、もしかして慈悲深き夜の女王のことですか?」
「いまはそう名乗っているらしいな。わしが知っているのはアリアという名だが。そういえばちょうどおまえぐらいの年ごろだったよ、わしに同盟を持ちかけきたときのあいつは。まさかそのあとすぐに、こんなところに堕とされるとは思わなかったが」
意外だった。女王という言葉から勝手に大人の女性を想像していた。しかし彼の言葉どおりなら、彼女はフォッテとそう変わらない年ごろで、シュピールとゲッセンバウムに呪いをかけたことになる。
「なぜ、女王はあなたに呪いを?」
「仲間われだ。あいつがあまりにも残酷なことをするんで、つい意見をした。そうしたらいきなりズドンだ。呪いを解いてほしかったら、あるものを体内に埋めろと言われた。あいつは拘束具と呼んでいたが、まったくもって不愉快な代物でな。拒否したらここに堕とされた」
そこでようやく気がついた。アリアというのは、以前シュピールが弟子にした少女の名だ。以前ランドルフが口にしていたはずだ。
フォッテの動揺に気づいた様子もなく、ゲッセンバウムは早口で話をつづけた。「たいていの反逆者を、アリアは即座に殺す。しかしどうしても配下に加えたい思う者だけ、呪いをかけてからこの街へ堕とす。そしてそいつが音をあげるのを待つんだ。百年でも二百年でもな。あの女に刃向かうぐらいだから、ここに来る連中はみな気骨がある。それでももって二十年というところだ。コウモリはまだしも、ヒルとウジはたまらないからな」
ウジについてはよく知らない。どんなものか訊ねると、ゲッセンバウムは大げさに顔をしかめた。
「あれは腐屍者の腹のなかに住んでいる。新しい死体を見つけると、腐屍者はウジの卵を植えつける。しばらくすると死体は腐屍者になる。ヒルのせいでおかしくなった住人同士が殺しあい、死んだらウジを注入される。そして腐屍者が増えていく。なあ、この街のウジやヒルやコウモリを、ああいう生きものに作りかえたのはアリアだよ。あの女の性根がよくわかるだろう」
うなずいた。本当だとしたらひどいことだ。同時に、ある心配ごとが頭をよぎった。「さっき腐屍者に、爪で傷をつけられました。指のつけ根です。大丈夫でしょうか?」
つまらなそうな顔つきでゲッセンバウムがうなずく。「あとでパウロの薬でも塗っておけば、化膿することもないだろう。それで? チャレキの葉は何枚いるんだ?」
「十三枚いただけると、助かります」
彼が書斎机の引きだしをあける。束になった茶褐色の葉を取りだすと、机の隅にぽんと置いた。「持っていけ」
机のまえに移動して、葉を手に取った。「ありがとうございます。それと、できればシメクリの種もいただけませんか? パウロさんが、彼が作る薬と交換してほしいと言っていました。種三十粒と、大さじ十杯ぶんの薬を交換したいそうです」
「ふむ」ゲッセンバウムが机の上にハンカチを広げる。引きだしのなかを探り、拳をハンカチの上に持っていく。小さな粒がぱらぱらと落ちた。「ほら」
折りたたまれたハンカチが、机の上をすべってきた。
「本当にありがとうございます。でもゲッセンバウムさん、チャレキの葉が十三枚より多いみたいです。種も――」
「かまわん。わしはもう、種にも葉にも用はない。もうすぐあちらの世界にもどるからな。パウロの薬は一応もらっておく。今度取りに行くと伝えておけ」
「この街から、無事に出る方法があるんですか?」
奈落の街の住人は、一歩でも外へ出ると体がはじけ飛ぶ――ランドルフはそう言っていた。ゲッセンバウムも当然そのことは知っているだろう。なにか脱出する方法を見つけたのか。だとしたらトルソーもロンユエもパウロも、もとの世界にもどれるのではないか。
「ないことはないが、おまえはなにか勘違いをしているな。わしは自力でここを脱出するわけじゃない。降参するんだよ、あの女に」赤子のような指が、琥珀色のパイプをもてあそんでいた。「昔のように陽ざしを浴びたり、うまいものを食ったり、清らかな湖で泳いだり――なにより魔法が存分に使えるなら、すこしぐらいの不自由は我慢しないとな」
フォッテの視線を避けるように、彼は椅子から立ちあがった。パイプをくわえてひょこひょこと本棚のほうへ歩いていく。
「これ以上は耐えられん。魔法が使えない体にも、ここでの暮らしにも。あの女は、わしの心が折れるのを三百年も待っていた。気が長いことだけは、認めてやらねばならん」
「いいんですか? さっき、降伏したら自由を奪われるって――」
「まだわからないだろうな、見習いのおまえには」本棚のまえに立ったゲッセンバウムが、あおぐように頭をのけぞらせる。「人生のほとんどすべてを費やして身につけた技術を、根こそぎ奪われる空しさはな」
長い杖のかたわらに立ち、握りしめて、そっと持ちあげた。「どうだ。立派な杖だろう? もうすぐこれを存分に振るえる。わしは他のだれにもまねできない特別な魔法を使うからな。あの女にしても、できれば手駒にしたいわけだ」
「特別な魔法って?」
ゲッセンバウムがにやりと笑う。「おまえにそれを教えると思うか。それとな、あの女に命じられたら、わしはシュピールを殺しに行くぞ。魔法が使えないなら小枝を折るよりたやすく倒せるだろう」
鼓動が急に早くなった。しかし、ゴドルフィンには結界が張ってある。「わたしが住んでいる街には――」
「結界のことなら知っている。だが、わしは大魔法使いだからな」
どうやってあの街の結界を破るのか――訊ねてもこたえは返ってこないだろう。そう考えてフォッテは質問を変えた。「ゲッセンバウムさんは、女王に降伏する以外にもこの街から出る方法があるとおっしゃいましたよね。どうすればいいんですか? 危険だとしても、そのやりかたなら自由を奪われずに済むんでしょう?」
「同じことだ。そちらの方法も、結局はわしをある種の奴隷にしてしまう。わしにかぎらずだれでもだ。それを心得ているから、ロンユエたちもこの街にくすぶりつづけている。さらに別の脱出方法を、わしは探しつづけてきた。長きにわたって研究に研究を重ねたが、もうお手あげだ。アリアの呪いは鉄壁だ。破ることはだれにもできない」
彼の舌が鳴り、煙の環が吐きだされた。細い糸が寄りあつまったような紫色の環が、漂いながら次第に形を変えていく。
そっと杖を置くと、彼はふたたび肘かけ椅子におさまった。
「ゲッセンバウムさん、もうひとつ、教えていただきたいことがあります」
「なんだ?」
「わたしは早く成長したいです。シュピールさんを守れるぐらい。そのためには、なにを学べばいいですか?」
「こたえようがない。いろいろありすぎて」彼が禿頭を撫でる。「魔法はこれからあいつに教わるんだろう。習いたてであれだけの火を作るなら、そこそこの素質はあるはずだ。まあ、精進するんだな」
素質があると言われたことは素直にうれしかったが、できればもうすこし、なにか情報を引きだしておきたかった。しかし、どうすればいいのか見当もつかない。
しばらく沈黙がつづいた。あまり黙っているのもよくないと思い、試しに訊ねてみた。
「もし、わたしがゲッセンバウムさんの弟子だったら、なにを学ばせますか?」
彼が鼻を鳴らす。「おまえな、自分がどれだけ贅沢なことを言っているか、わかっているのか? わしは世界に五人しかいない、禁呪の魔導書を持つ大魔法使いだぞ」
「なんですか、それは?」
「シュピールに訊け。そろそろ帰るといい」話は終わりだと宣言するように、ゲッセンバウムはペン差しに腕を伸ばした。もう一方の腕で、先ほどなにか書きつけていた紙を引きよせる。
「いつごろ向こうへもどる予定ですか?」
「わからん。しかし、それほど先のことではないだろう。今度アリアが顔を出したら、わしは降伏を宣言するつもりだ」
「女王がここへ来るんですか?」一気に血の気が引いた。
「いや、あいつは試しの門を通ることができない。門を壊そうとしたこともあったようだが、それも叶わなかった。それでアリアはのぞき穴を作った。おまえも空に浮かんでいる渦を見ただろう。あいつはたまにあそこから、こちらの世界を覗きこむ」
それきり部屋の主は口をとざした。まえかがみになって、ペンを動かしはじめる。
「わたし、これで失礼します」もう訊くべきことは――返事が期待できそうな質問は――思いつかなかった。
ペンを走らせながら、ゲッセンバウムは空いているほうの手をちらりとあげた。
葉の束と折りたたまれたハンカチを、革袋にしまう。「いろいろとありがとうございました。さようなら、ゲッセンバウムさん」
床に散らばった紙を、踏まないように注意して進んだ。崩れかけた紙の柱のあいだを通り、部屋のなかほどまで行ったときだった。
「さっきの質問だがな」ゲッセンバウムの声が聞こえてきた。「おまえがいますぐに体得すべきことが、ひとつあった」
「なんですか、それは?」来た道をもどろうしたが、
「いい、いい。そこで聞け。おまえに必要なのはよく観察し、考えることだ。人の何倍も、何十倍もだ。注意深く見て、頭を働かせろ。そうすれば道がひらけることもある」
目のまえをさえぎる紙束を見つめたまま、フォッテは腐屍者の件を思いだしていた。もっと早く彼らの特徴に気づいていれば、たしかにあれほどの苦労はしなくて済んだ。しかし、走りながら、魔法を使いながら、そのうえ頭を働かせることなどできるだろうか。
「それが、大魔法使いの心得だ」ゲッセンバウムが言った。
「わかりました。気をつけるようにします」
戸口のまえまで来た。失礼します、と言ったが、返事はなかった。
廊下に出る。杖の先に火を灯した。
「気をつけてお帰り」
紙をひっかくペン先の音に混じって、かすかに彼の声が聞こえた。
「この次どういう形で会うにせよ、わしを恨むなよ」




