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【十一章】 透明な壁、紅蓮族の男、散開

 遠くに、土煙があがっていた。

 先行する部隊はすでに岩陰に入っているだろう。

「立て。あと二度か三度だ。営舎へ帰ったら好きなだけ眠れるぞ」

 槍を支えにして、歩兵が立ちあがる。将が声をかければ、動く者もいる。

 自軍の最後尾だった。五度目の挟撃を済ませた。成果は上々だった。

「そっちも立て」カザンが言った。「岩陰までたどりついたら、次の攻撃は休んでいいぞ」

 カザンは四十がらみの槍の名手で、おれの副将を務めて三年になる。人望はまちがいなくおれよりもあった。

 馬の腹を、かかとで軽く蹴る。馬が、むくろをまたいで進む。地面は七割がた死体で埋まっている。ほとんどが敵兵の骸だ。

 右手から風が吹いてきた。一瞬ではあるが、体が清められたような心地がした。そちらには平原が広がっている。森と草原を越えた先に、王とフィドルオが陣どる城がある。王女と王姫も、そこにいる。

「どれだけ時が過ぎても、慣れませんな、将軍」カザンがわきに来た。

「ああ」

 左手、二十歩ほど先には、敵の大軍がいる。だらだらと横に伸びた群れに沿って、おれたちは進んでいた。

 敵軍の最前列にいる者たちが、食い入るようにこちらを見つめている。どの顔も、憤怒と恐怖が入りまじった表情だ。透明な壁に阻まれて、前進することができない。味方の兵が背後に詰めているから、後退することもできない。目のまえで仲間が殺されていく様を、眺めているしかなかった兵たちだった。

 背後から、ひづめの音が近づいてきた。「うわさに聞いていたほどでもありませんな」

 トネリだった。まだ若い隊長で、いまは八百の兵を指揮している。

「挟撃がうまくいっているからだ。気を抜くなよ」カザンがたしなめる。

 カザンの――そしてフィドルオの言うとおりだった。ぶつかってみてわかったが、北方の兵ひとりひとりの力はこちらより上だ。まったく同じ状況に追いこまれたら、おれの軍はもっとたやすく蹴散らされる。そういう敵が七倍の数で侵攻してきた。正面からぶつかっていたら、ひとたまりもなかった。

「次は、カフ将軍よりも先にまん中まで行きますよ」

 そう口にしたトネリを、カザンが叱りつける。

 若い者は、それぐらいでいいと思った。

 五度の挟撃を終えて、おれの軍の被害は五百人程度で済んでいる。カフのほうも大差ないはずだ。敵は、およそ二万五千の兵を失った。そろそろ後退の命令が出てもおかしくない。

 ふいに、異質な視線を感じた。

 顔をあげる。

 憤怒の表情を浮かべる無数の兵のただなかに、そいつはいた。

 ひとりだけ馬に乗っている。赤を基調とした派手な羽根飾りが、鎧にも馬にもたっぷりとついている。紅蓮族だろう。そういう格好を好むという話を聞いたことがあった。

 前方の異変を察して、様子を見に来た将軍かもしれない。おれも体は大きいほうだが、そいつはさらにでかかった。

 こちらへ指を差しむけて、そいつがなにか叫んだ。異国の言葉だった。内容はわからないが、どうせ呪詛の言葉だろう。

 トネリが、そいつに剣の先を向けて叫びかえした。おれは足もとに視線をもどした。


 窪地に入り、丘を上がる。巨石の陰で反転した。背後には六千弱の兵が待機している。

 麾下の二十騎が集まってきた。数は少ないが、精鋭といえる男たちだった。

「そろそろ、壁が消えます」

 うなずいた。先ほどの男のことを考えていた。次の挟撃では、おそらくあいつも相手にすることになる。

 敵軍の最前部が、じわじわと動きはじめた。壁が消えたのだろう。彼らの戸惑いが手に取るようにわかる。しばらくすると、大軍の挙動にふたたび変化が生じた。シュピールが、見えない壁を作った。次の獲物の五千が、味方と切りはなされている。総勢五千とはいえ、端から順に潰していけば一度に相手にするのは五十程度だ。

「さっき、紅蓮族の将軍らしいやつを見かけた。かなり腕が立ちそうだ。そいつはおれがやるから、こちらへまわせ。行くぞ」

 おう、と男たちが返事をした。

 かかとで馬に合図を出す。

 馬が、踏みだした。丘を駆けおりていく。五年間、ともに戦場を生きのびた馬だった。恐れを知らぬ、闘うことが好きな、頭のいい馬だった。

 窪地を越えた。敵の群れに突っこむ。

 三度、四度と剣を振る。それで、二十人は斬った。

 カザンが槍を振りまわしている。敵兵の首が、はね飛ぶ。

 トネリが雄叫びをあげた。その周りに血しぶきが噴きあがる。

 手ごたえはない。挟撃と正体不明の分断をくり返されて、敵兵はひどく消耗していた。

 ほぼ中央まで、なんなく進んだ。異変はそのあたりで起こった。分断された敵兵ののこりはわずかで、密集している彼らの向こうに、カフの旗が見えていた。

「将軍! 様子が変です!」後方でカザンが叫んだ。

 目のまえの敵を斬りふせて、あたりをうかがう。おれが気づくよりも早く、二、三人が同時に叫んだ。

「壁が!」

 途端に、いやなものが背中を駆けあがった。

 透明な壁があるはずの方向へ顔を向ける。

 一歩、二歩と踏みだす者がいる。左右の様子をうかがう者がいる。剣を鞘から抜くものが、増えていく。

「反転! 退避だ! 急げ!」叫んだ。ここは危険だ。向こうにはまだ四万近い兵がいる。

 カザンが声を張りあげている。合図の鉦が鳴りはじめる。

 カフの隊も、気づいたようだ。やつの軍が反転して駆けもどっていくのが旗の振られかたでわかった。しかし、六千の兵がいる。騎馬だけでなく歩兵もいるのだ。退避を済ませるだけの猶予はない。そして、それはこちらも同様だった。

「固まれ。ここが正念場だぞ」

 周囲に、麾下の者たちが集まっていた。

「壁はもどる。なにがなんでも、百かぞえるあいだ耐えろ」

 確信はなかった。事前に取り決めた火矢の合図もなしに壁は消えた。シュピールらに、なにかあったにちがいない。

 敵軍から、声があがりはじめた。最初はごく小さなうめくような声だったが、すぐに大地が割れるのではないかと思うほどの大音声になった。

「来るぞ! 耐えろよ!」そう言ったが、すぐとなりにいるカザンの耳にも届いていない。

 敵兵の群れのなかから、一騎が飛びだした。

 例の紅蓮族の男だった。馬体をななめにして弧を描き、こちらへ向かって一直線に駆けてくる。

 その男を追うようにして、敵軍全体が動きだした。

 カザンの腕を取り、引きよせた。「あいつだけやってくる。ひと振りで終わらせて、すぐにもどる」

 紅蓮族の男が、大きな鎌を頭上に掲げた。まだ距離はあるが、まちがいなくおれたちがいる場所――向こうから見たら敵軍の先頭集団――を目指している。

 馬を走らせた。あの男がいるのといないのとでは、大ちがいだ。こちらの被害にかなりの差が生まれる。その点には確信があった。

 前方で、紅蓮族の男が奇声をあげた。笑っている。頭上の鎌を持ちあげて見せた。

 おれの馬が、加速した。

 剣を、肩に載せる。息を吸いこむ。

 ぶつかった。

 おどろくべき膂力りょりょくだった。

 全力で剣を叩きつけたのに、弾きとばすことができない。

 交差する刃の向こうで、男が笑う。顔にも紅のようなもので模様を描いている。

 二度、三度と撃ち合った。さらに四度、五度と。

 六度目で、鎌を握る指を二本落とした。

 己の拳から離れた指には目もくれず、男はふたたび鎌を振りあげた。

 剣を下から振りあげたところで、敵兵の群れが雪崩のように押しよせてきた。

 馬体がななめになる。馬はいななき、うしろ肢だけで立って、周囲の者たちを威嚇いかくした。

 紅蓮族の男は、見あたらない。

 敵兵たちが、おれの馬にぶつかりながら剣や槍を突きあげてくる。どいつもこいつも、気の狂った猟犬のような顔つきだ。

 剣先をはじきかえす。目につく腕や肩やひたいを片っぱしから斬りながら、カザンたちのところまでもどった。

「ランドルフ将軍!」

「耐えろ!」

 カザンが笑う。トネリは獣のような形相だ。どちらの顔も血と脂で汚れている。

 右手の三人を、ひと振りで斬り殺す。奪った槍で、左手の五人のひたいを次々に突いた。「壁がもどれば、敵はまた混乱する」背後の敵を突きながら言った。「こちらは合わせて一万二千だ。ここで耐えれば勝てるぞ!」

 敵兵たちの喚声にかき消されて、たぶんおれの声はだれにも届いていない。

 大ぶりな楯をかまえた五人組と、そいつらの陰にいた杖を持つ痩せぎすの男は、殺した。

 常人の三倍以上の背丈の巨漢も、足の腱を斬ってから首もとを裂いた。

 黒い鎧の将軍らしき男も、斬った。

 百は、とっくに過ぎていた。壁はもどらなかった。おれたちは四万の敵が作る濁流のなかでもがいていた。

「退け! 退け!」声が枯れていた。腕と肩に矢が突き立っているが、痛みは感じない。自軍の兵は五百ほど。六千を預かってこのざまだった。

「突破する! ついてこい!」馬の腹を蹴る。十重二十重に包囲している敵の輪のうちで、もっとも手うすそうなところへ斬りこんだ。

 突きだされた槍を払い、剣をかいくぐり、二十人ほど斬りふせた。

 途中で二度、視界がぼやけたが、なんとか敵軍を抜ける。

 駆けながら、ふり返った。味方が八十ほどついてきている。そのうしろに追っ手の騎馬が五百ほど。

 馬首を返す。駆けてくる味方のわきを通りすぎ、追っ手の先頭にぶつかった。

 剣を振っていると、視界が一瞬まっ黒に染まった。何度か経験したことのある症状だった。限界を越えて肉体を酷使しつづけると、こうなる。さらに動きつづければ、気づかぬうちに昏倒してしまう。

 目のまえの敵の頭部を両断して、馬を反転させた。味方の最後尾につく。

「そのまま駆けろ。散れ!」

 おれのすぐまえを行く兵が散開、と叫ぶ。

 岩場を、馬が跳ねていく。こんな動きができるようになったのは、ここでの調練をはじめて半年が過ぎたころだった。肩ごしに振りかえる。敵の騎馬は足をとめている。

「弓!」

 だれかが叫んだ。左ななめ前方の岩の上に、男が立っていた。青っぽい色の鎧が陽ざしを照りかえしている。半身になって、弓を引きしぼっている。

 矢が飛んできた。剣で叩きおとす。

 馬首を右手の大きな岩のほうへ向ける。

 第二矢が顔のすぐわきを飛んでいった。上体を倒して、岩場に飛びこんだ。


 マルタイヤの丘を抜け、タストラン平原に入った。

 前方に、森が見えていた。肩ごしに振りかえる。のこった者は、二十騎ほどだった。

 カザンはいる。トネリの姿は見あたらない。

 森に入った。

 木々のあいだをしばらく進んでから、片手をあげた。このまま走れば、馬がつぶれる。

 手綱を引く。馬が、しばらく行ってから足をとめる。

 鞍から降りた。大地を踏むと目まいがした。木の幹に背中をあずける。そんなつもりはなかったのに、地べたに座りこんでしまう。

 他の者たちも馬から降りた。その場に膝をつく者、座りこむ者、倒れこんだまま動かない者もいる。

「すまん。戦は負けだ。ここで別れよう」

「ランドルフ様は?」カザンが言った。全身が血と脂と泥でぬめっている。

「城にもどる。軍の壊滅を報せて、王と王妃を逃がす」

「それなら、わたしたちも」

 ほとんどの者がうなずいた。

「必要ない」

「しかし、民のために――」

「無駄死にだよ。それにおれは、軍人として行くわけじゃないんだ」

 正直な気持ちだったが、本音を隠してもいた。王に助かる道があるとは思えない。処刑されるにしろ自害するにしろ、こうなっては死ぬほかないだろう。その地位に就く者なら、それくらいの覚悟はしていて当然だ。だが、王妃と王姫は別だ。ふたりを生かすために、おれは民まで利用する気になっていた。

「身軽なほうがいい。ついてこられると迷惑だ」

「それは、命令ですか?」

 つい笑ってしまった。「軍は壊滅した。国も滅びる。もうおれは将軍ではない」

 五、六人が低くうなった。

「これまでの苦労に報いてやれずに、申しわけなく思う。できれば生きのびてくれ」

 馬のわきに立つ。それだけのことがひどく億劫だった。あぶみに足を載せ、鞍にのぼる。

 おぼつかない足どりで、馬が歩きはじめる。その首を撫でた。城までもってくれよと、祈るような気持だった。間もなく王都は大混乱におちいる。敵の侵略から逃れるために、八万の民が一斉に国境を目指して動きだす。その群れにまぎれて、おれは王妃と王姫のふたりを逃がすつもりでいた。

 森の出口が見えてくる。

 喚声があがった。右手と正面からだ。木々のあいだに、紅いものがちらりとのぞく。

 背後からも、声が聞こえた。剣と剣がぶつかり合う音も聞こえてきた。おれの部下だった男たちが、応戦している。

 前方で、声があがった。異国の言葉だった。

 右手から迫っていた五騎が、背後でやり合っているほうへ加勢に向かう。

 正面、森の出口を背にして、騎馬が駆けてくる。

 馬上の男が叫んだ。鎌を頭上にかまえている。あの紅蓮族の男だった。

 剣を抜いた。馬は、すでに闘う気になっている。

 振りおろされた鎌を、剣で受けた。

 男を追ってきた二騎が、おれの左右についた。どちらも赤い羽根飾りのついた鎧を装けている。

 左右から、ほとんど同時に槍が突きだされた。

 わずかに右のほうが早かった。

 そちらの槍を剣ではじき、左手の槍を受けながら、鞍から尻を浮かせる。

 馬の左わきに、滑り降りた。

 左手の馬に駆けより、剣を振りあげる。馬上の男の手首から先が飛んだ。

 頭上から、鎌が降ってきた。

 地面を転がり、右がわの馬のわきへまわりこむ。槍をかまえた男のわき腹を刺し、引きずりおろす。

 鎌の男は、手がかかる。他のふたりを先に始末しておきたかった。

 男の背後にまわり、のどをま横に切り裂いた。

 そいつが持っていた槍を、拳を失くして悲鳴をあげる男めがけて突きだす。

 刃先が眼窩に食いこんで、抜けなくなった。槍を捨てて、馬に飛びのる。

 狙っていたのだろう。鎌が宙を横にいだ。

 剣で受けると、衝撃でこちらの馬がよろめいた。足の踏んばりがきかないのだろう。とてもまともに闘える状態ではない。

 敵の馬に乗りかえるか――そういう考えが頭をよぎった。

 紅蓮族の男がなにかつぶやいた。おどろいたことに、鎌を肩に載せると自ら馬から降りた。口の両端を引きおろした顔で、こちらに向かって手まねきをする。

 おれも、地面に降り立った。慣れない異国の馬に乗って闘うより、ずっとましだ。

「名は、なんという?」そう訊ねた。返事はない。期待していたわけでもなかった。

 鎌を肩の高さにかまえると、足をひらき、腰を落とし、じわじわと接近してきた。

 おれも剣をかまえた。右にまわりこみながら、間合いを計る。

 向き合ってみると、やはりでかい。どうしても見あげるような格好になる。

 にやつきながら、男がなにか言った。名ではなさそうだ。なかなかの腕まえだとか、そんなようなことだろう。命のやりとりをするからだろうか。ふたりきりの立ちあいになると、急にそういうことを言いだす男が多かった。

 背後の戦闘は片づいたようだ。静かなままということは、こちらが勝ったのだろう。

 鎌が振られた。

 その鎌首に剣を叩きつける。三度つづけたところで、男がぐらついた。

 浅く踏みこんで、ま横に払う。

 男の指が、はじけ飛んだ。

 先ほどの闘いもふくめて、男の右手の指はすべてなくなった。それでもなお左手一本で、紅蓮族の将らしき男は鎌を振りあげた。

 踏みこんだ途端に、いきなり視界が黒く染まった。

 剣を振りおろす。手ごたえはあった。

 視界がもどると、地に伏した男の背中が見えた。

 座りこんでしまいたかったが、そうもいかない。馬に取りつき、鞍にあがる。

 相棒の馬は、機嫌を損ねた様子だった。馬鹿にするなと言っているようにも思えた。

 森を抜けた。むき出しの土は、赤茶けた色をしている。しばらく行けば草原に出る。

 腹を蹴るよりも早く、馬が駆けだした。

 しばらく行くと、右手に小山が見えてきた。切りたった崖も赤茶色だ。

 馬は飛ぶように駆けているが、ときおり蹄の音がま延びして聞こえる。もう限界なのだろう。おれは鞍につかまり、意識を保っているのが精一杯だ。

 崖がだんだん近づいてくる。目を疑った。黒い鎧を身につけた男たちが小山の上に群れている。北方の民で黒い鎧なら毒蜘蛛族だろう。四十騎はいそうだ。

 一騎が、崖を駆けおりはじめた。土煙をあげて、群れがつづく。

 左手へ馬首を向けた。そちらからも兵が現れた。こちらは三十騎ほどだろうか。頭部に鮮やかな青い布を巻いている。鎧と馬飾りも同じ色だ。おそらく氷河の民だろう。

 舌打ちしたい気分で剣を抜いた。王に下賜された派手な鎧が仇になっている。森のなか脱ぎ捨ててくるべきだった。

 左右から同時に襲われたら終わりだと思ったが、氷河の民は減速した。そのまま騎馬が足を止める。毒蜘蛛と共闘する気はないようだ。

 黒い鎧の四十騎は、すでに崖から降りていた。扇型に広がって、こちらへ突っこんでくる。

 先頭の男の顔が見えた。弯曲わんきょくした剣を、蒼白い顔のわきにかまえている。

 ふいに、おれの馬が加速した。蝋燭の火が消える寸前に一瞬だけいきおいを増すような、不吉な加速だった。

 気づくと、叫んでいた。

 先頭を駆けてくる男めがけて、おれは剣を振りおろした。

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