そういう意味じゃなくて
作者この小説が恋愛小説であったことをようやく思い出したようです。
「レイダ、遅くなって悪かった。フリーダたちは帰した」
見送りを済ませて、ソファの隣に腰掛けたケノワに耳元でそう囁かれてレイダはやっと顔を上げた。しばらくのあいだケノワに背中を優しく撫でられて何とか涙が止まった。
「…自分で、できると言ったのに情けないですね…」
何とか微笑みかけるとケノワは眉を寄せる。
「無理に笑わなくていい」
「ケノワ様にはばれちゃいますね…私、慰めようとしてくれたマノンの手を振り払ってしまったんです。あの小さな手を守るために、私は一年前まで生きていたのに情けない」
そっとケノワに手を握られて彼を見ると、体ごとケノワの肩に引き寄せられる。
「今は、自分のために生きている。それでいいんだ」
「でも」
小さい棘のようなものがレイダの胸をチクチクさせる。自分で拒絶しておきながら身勝手な思いだ。
「…私は、レイダの為だったらなんでもする」
「え?」
「だから、レイダを苦しめるもの無くしたいと思っていた」
驚いて彼の顔を見上げようとしたら、額を押さえられて叶わなかった。しかし、ケノワが話を続ける素振りを見せたので大人しく黙った。
「…レイダには黙っていたが、去年の・・あの・・ことがあってからヤサにいるレイダの妹の事を、フリーダに任せたんだ」
「フリーダちゃんに?」
「ああ、あれはああ見えても医者の妻だからな。リュウ家の保護下で治療できるようにしてもらった。どんな状態だったかは把握できていないが、悪化の報告は貰っていない」
「…そう…だったんですか。だから、フリーダちゃんが来たんですね」
「隠していて、悪かった」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて強張っていた体から力が抜けていく。
隠されていた事はショックだけれど、きっと家族の話題をしようとすると拒否反応を起こしてしまう自分にケノワが気を使ってくれたのだ。
感謝しなくてはいけないのかもしれない。
「いいえ、今まで隠してくれていてありがとうございます。去年のあの直後に今の話を聞いていたらもっと取り乱してたと思います」
何とかそう言葉を返すと、ケノワが腕の包囲網を少し緩めてくれた。そっと彼を見上げると、なんだか無表情の中にも安心したようなものが混じっていた。
「じゃあ、やはり今日の事は・・・」
「今日については全く知らされてなかった。どうして、フリーダたちが王都に来たかまでは分からない」
「そうなんですか。あんなこと言って本当にごめんなさい」
疑って酷いことを口走ったのはやっぱりいけないことだったと反省する。
今度は何も言わずにケノワは頭を撫でてくれる。
ケノワが隣に居てくれるとこんなにも心が落ち着くのに、一人になると不安になる。ずっと隣に居てくれたらいいのに。
「…今日は、ケノワ様の部屋で寝たいです」
「…」
ケノワの肩に頭を預けて何気なく自分の呟いた言葉で沈黙が訪れて、自分の言った言葉にレイダは改めて気づかされる。
以前に旅行に行った時、ケノワに怒られた。
「あ、あの…そういう意味じゃなくて…」
そう、寝ぼけてケノワのベッドに入り込んでしまって…次は何もしない保証は無いと…。
先ほどまで悲しくてジクジクと痛んでいたはずの胸が急にバクバクととてつもなく早く鼓動を刻む。
ケノワの表情を見るのが怖くて顔を上げられない。
頭上で大きな溜息をつくのが聞えてこっそりと見上げると、ケノワが片手で顔を押さえている。
こんな状況であれ、変な事言い出した自分に頭を抱えたくなるだろうな。
そんな事を考えていたら、こちらへ視線を動かしたケノワとばっちり目があった。
「…そういう意味じゃない?」
確認するように聞かれて、レイダはぎこちなく無言で頷く。
「では、私がこのソファでレイダが私のベッドに寝る?」
「え、それはちょっと」
「それがどういう意味か言えるのか?」
ケノワが難しい顔をする。もしかすると彼は怒っているのかもしれない。
でも、ずっとそばに居たいと思うのは間違いなくてこうやって抱きしめてもらう事を求めてしまう。
いつだって彼をはなしたくないし、自分を見ていてほしい、それはつまり自分がいつの間にかそういう事をしてもよいと思っていたというのか。
レイダはそれを唐突に理解して、顔がさらに熱くなるのを感じた。
混乱しつつも返事をしようと彼を見つめて口を開く。
「えっと、その…ケ、ケノワ様と居たいっていうのと……それとですね、私は…」
自分から誘うような言葉に羞恥心ゆえに若干涙目で口を開く。
「わかった」
「え? まだ…」
まだ言い終わってない。それも一番だいじなところを…!
「もういい、ちょっとからかったんだ。今日みたいな日に悪かった。…だから、そんな顔で見るな」
「そんな顔? でもケノワ様…」
もういいと言われて、なお言い募ろうとしたレイダは強制的に頭を撫でられて俯かされる。
「いいから、これ以上見ていると何もしないでいられないから見るな」
「……はい」
「今日は疲れただろう? 着替えてきなさい」
何かを含んだため息混じりに言われて、無理やりレイダは顔を上げる。
きっとあきれられたのだろう。自分の事なのにここまで鈍いレイダに。それでも今日は彼の隣に居たい、極度の混乱状態の自分が安心できるのは彼だけなのだから。
「今日は、だめってことですか?」
しばらく彼は硬直していたが、ゆっくりと口を開く。
「…そうは、言ってない。私の部屋で寝ていい」
「一緒ですか?」
「そうだ…前回の言葉は保留にしておく」
その言葉に頷く。
ケノワが求めるのであれば本当は保証など無くても良かったのだけれど、レイダは一緒に居られる事だけで嬉しくなって、先ほどの言葉を告げる事やめた。
そして彼をぎゅっと抱きしめて急いで自身の部屋に着替えに向かったのだった。
レイダに抱きしめられた格好のまま再び硬直していたケノワは、我に返りおもう。
――前言撤回したい。
上気した顔に涙目で訴えるという何とも今の自分には無防備すぎる彼女に、自身の理性を叱咤するしかなかった。
きっとまた彼女の事が色んな意味で気になって眠れないのだろう。
「とりあえず、明日が休みで良かった」
ぽつりと呟きがもれた。