貪
仏教における煩悩のひとつ。
欲深い様を表す貪欲、怒りの瞋恚、無知蒙昧の愚痴を以って三毒という。
中国では、犭に貪と書いてトンと呼ぶ怪物の話がある。
その名の通りあらゆるものを貪り食い、天も地も食い尽くし、最終的には自分自身すら食い尽くす欲望の怪物の話であり、まさしく貪欲の意味を表す逸話となっている。
人の欲望には再現がなく、穴の空いた容器のように全てを飲み込み、それでも満足できないように出来ている。
それでは、人以外のものはどうだろうか。
そこにひとつ、欲望があった。
どんな欲望だったかは定かではないが、はじめに持ち込んだのは人だったように思う。
だがひょっとすると、人が持ち込みやすいように、すでに環境が作られていたのかもしれない。
なら、それも欲によるものか?
答えは出ない。
そうかもしれないし、違うかもしれない。
だが、人が持ち込んだところから、少なくとも方向性は定まったのだろう。そこは欲望の置き場所となった。
人が来て、欲望を掻き立て、解消して去る。
そういう場所に成った。
その欲が何であったかは知る由もないが、目印も何もないそこは、ただただ欲望を持ちより、解消するためにあった。
しばらくすると、誰かがそこを所有した。
どうしてもその欲の場を、自分だけのモノにしたいと欲したからだ。
最初に持ち込まれた欲に加えて、そこには所有欲も持ち込まれた。
おかげで、二つの欲を果たせる場所が出来あがった。このような場所はなかなか無いだろう。
そうなると誰かに自慢したくなる。
そのような珍しい場所を所有していると知られる事で、人の見る目が変わるからだ。
自慢をして回ると、周囲の人間は羨んだ。こうして名声を得ることができ、欲の場には自己顕示欲が満たされた。
たまに他の人間に使わせてやると、その者は喜び、お礼をくれた。
そのお礼を貯めて得た富で、欲の場を広く丈夫に整えた。富を注がれた欲の場は、より快適な場所になった。
そのような状態が続いてしばらく経つと、欲の場を羨むものが現れた。
羨むものは仲間を集めると、元の所有者を殺し、欲をすべて乗っ取ってしまった。
新たに支配することに成功した者は、仲間とともに喜びを分かち合った。
支配欲は血とともに流れ落ち、場は赤く染まった。
しばらく経つと、さらに大きな集団が押しかけてきて、場の所有者と仲間を討ち倒した。
こうしたことが何回も起き、そのたびに所有者が変わり、人が倒れ、場には血や恨みが注がれた。
長い時が過ぎた。
いつしか欲の場からは人がいなくなっていた。
盛者必衰、諸行無常。争いを生む原因ともなっていたその場は、少しずつ人が離れ、いつしか価値も無くなっていたのであった。
するとそこを二足三文で買い付け者がいた。
新しい所有者である。
じきに人口が増えると、この辺りも住宅で溢れる。そう考えた新しい所有者は、先にめぼしい土地を手に入れておこうと考えたのだった。
斯くして新しい所有者は成功を収め、買った時の何倍もの金額で土地を売り払った。
そこには郵便局長の家が建ち、向かいには学校が出来た。
欲の場は風呂場の裏の藪のあたりで、井戸としてひっそりと在り続けた。底に欲望と血を蓄えたまま。
はじめのうちは郵便局長も上手くいっていたそうだが、少し心が落ち着かない様子であったらしい。
しばらくして、跡を継いだ長男がピストル自殺をしたあたりから急速に没落すると、関東の何処かへと引っ越してしまった。大正七年あたりの出来事である。
その家は敷地が広かったため、普通の人間では手が届かない金額であった。
そのため、十軒ほどに分譲されて売り払われた。
欲の場は、そのうちの一軒の土地に収まった。
それは奇しくも、最初に欲が持ち込まれた時と同じぐらいの大きさの土地であった。
井戸は何故か塞がれず、蓋をしたまま放置され、周囲に家が建つことで隠されてしまった。
そしてそのまま平成後期まで、水をたたえて在り続けた。
その家は一見するとただの古い家だが、よく見るとおかしな点がいくつもあった。
そのうちのひとつが、北向きの玄関の横にある勝手口である。
通常、勝手口は鬼門に置かないのだが、この家では鬼門から中庭へと繋がる入り口として勝手口が設けられていた。井戸は中庭の手前、建物の出窓の下にあり、ひと目ではわからないようになっている。
誰かが何かをしたに違いない。
明らかに縁起の悪い造形。
しかし誰も何も言わない。
家を建てた人物も、関わった大工に至っても、誰も異常を唱えずに建築は進んだ。
そうして出来上がった家には、二つの二階があった。真ん中をベランダが分断している。
しかし後世、図面を確認すると二階はひとつのはずであり、家を建てた際にも届出されてすらいなかったようだ。
誰が何のために作ったかわからない二階。
鬼門の勝手口に裏鬼門の勝手口。
家の中心に隠された、生きたままの井戸。
常人であれば聞くだけで怖気立つような不気味な家だが、その家族は案外普通に過ごしていたともいう。
それはただ鈍感であるからなのか、それとも何か理由があるからなのか分からない。
平成が終わりに近づいた頃、家長が亡くなった。
そしてそれを機に家は取り壊され、新しく建て直されることとなった。
その時、井戸は丁寧に埋め立てられ、祓いごともまたおこなわれた。
新しい家では以前のような陰気さは減り、どことなく雰囲気も明るくなったと聞いている。
だがやはり、時々おかしなことが起きるという。
亡くなった祖父の所へ行こうとしたり、帰ってもいないのに返事をしたり、廊下の周りをうろついたり、そういったことは治らない。
井戸は埋まった。
当初は欲を溜め込んだ場所であった。
だが、井戸が欲だとしたら、その欲はいま、何で埋まったというのか。
人の欲を飲み込み続けた場が、たかが砂や土を平らげられないとでもいうのだろうか。
まだ貪は、井戸の底にいる。




