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誰が為の黄昏  作者: あめ
【3章】 空を見上げ
81/96

七月七日 1



"時を大切に"

 

(つき)、起ーきーなーさーーい!」


 湿った風が暑さを手助けし始めるこの季節。その家に、少々怒り気味の声と熊よけのベルの音が物凄くうるさく響いていた。

 チリンチリンと絶妙に甲高い音を立てるベルを持っているのは時雨(しぐれ)。ベルは、昼をたっぷり過ぎても起きてこない槻を叩き起すために良く雪斗が用いる最終手段だ。なぜ最終手段か。それはうるさ過ぎて近所迷惑だからである(雪斗談)。


 耳が非常に良い槻は、脳にまで響くその音が苦手だ。嫌いだ。だってうるさいから。槻はベルを鳴らしながら、ドアをバンッと躊躇いなく開き、ベッドの脇に立った時雨をチラリと見、メリーさんとは別ベクトルの恐怖を覚えていた。私時雨さん。今あなたのベッドの脇にいるの、みたいな。

 チリンチリンと鳴り響くその音にさすがに耐えきれなくなった槻はガバリと身を起こした。衝撃で頭がグラングランと揺れる。また、槻は時雨を盗み見た。やっぱりそこには、こいつどう調理してやろうかと瞳で語っている時雨がそこにいた。


「起きるから殺さないで」


 槻は耳を両手でぎゅーっと塞ぎながら、もぞもぞと布団の中に隠れた。布団の中はまだぬくぬくがそこにいて、このまま気持ち良く二度寝できそうだった。その脇で何気なく布団にくるまった槻に時雨はムカついた。寝たい気持ちは凄く分かる。時雨だってこのまま布団に潜り込みたかった。

 時雨はそんな思いを断ち切るように、ベルを槻の耳元で思いっきり響かせた。そしてその余韻が消えた頃、小さく鳴らして静かに聞く。


「勿論今すぐ、起きるわよね」

「もちろんです! 時雨姐さん!」


 一年分のベルの音を聞かされた槻は、そう答える他なかった。


 暫くして、ちゃんと着替えた槻はソファに身を預け、家での生活を全身で満喫していた。諜報組織の建物からこの家に戻ってきてまだ三日。疲れはだいぶ抜けきったが、頭痛がちょくちょくあったりする。何があったのか思い出そうとする時に起きるそれは、単に人を殺したことによるストレスが原因だろうと槻は片付けていた。仮面をつけていても、槻がどんなに慣れていても本体に完全なダメージがない訳では無い。


 組織の建物で過ごすのも悪くはないが、こう普通の生活の一片を味わえる家はやはり良い。雪斗と時雨と一緒に生活するのも楽しい。朱里や氷と一緒に過ごせないというのは、つまり暫く訓練を共に出来ないということだ。それだけは槻をほんのり寂しがらせたりもしているが、すぐにそれも日常に溶け込むだろう。

 何よりここには槻のストレスの原因である叶がいない。それだけで槻は幸せだった。暑さを運んで来る風は季節を感じさせ、太陽から隠れるように外はシンとしている。命の奪い合いもなければ、ぐうたら生活をしていても許されるこの環境。邪魔者はいないし、負った傷は殆ど治りかけている。槻は頬を緩ませた。やっぱりこの日常が心地よい、と。

 そんな槻を見た時雨は下ろしていた長い黒髪を一括りにしながら市販のミルクティーを取り出した。そしてさらりと言う。


「槻、すごく幸せそうねぇ。雪斗がいないのがそんなに嬉しいの?」

「うんうん……ん?」


 槻は何も考えずに返事をしたことを直ぐに後悔した。いつの間にかに時雨は手に録音レコーダーを持っていた。通常、なにかあった時の現場証拠のひとつとして使われるそれは〈黄昏〉から提供されている。大体の〈黄昏〉構成員に渡されるそれはいたずら専用器具としても大活躍だ。

 時雨が持っているそれはもちろんスイッチONで、今も尚録音中。槻が気付かなかったとはいえ録音は酷い。文句を言おうと思った槻に、トドメと言わんばかりに時雨は言った。


「言質はとったわ」


 もちろんこの場にいない雪斗に聞かせるのだろう。雪斗の耳に今の会話が入ったらほぼ確実に、しばらくご飯なしの生活が続く。しばらくレトルト料理の日々が続くだろう。


「……雪斗にご飯抜きにされるから今すぐ消してほしいな。何? 雪斗また一人買い物にでも行ったの?」


 話を明らかに逸らした槻だが、時雨もこれ以上からかうつもりは無いらしい。案外あっさりと録音レコーダーを誰も寝ていないベッドに放り投げた。時雨は括りきれなかった髪を鬱陶しそうに耳にかけながら、答えた。


「んーー、何かよくわかんないけど、今日から日本で発売される図鑑を本屋さんに探しに行くってはいってたわ。もうそろそろ帰ってくると思うんだけど、大方街中をふらついてるんじゃない? こんな暑いのによく出かけたもんよ」


 そういえば今日は30℃近くまで暑くなると一週間ほど前からニュースが喋っていた。今日は晴天、そして七夕。年に一度しか会えない織姫と彦星が頑張った結果なのだろう。不謹慎な話だが、そのせいで天に召される人も多い気がする。


「それなら夕方まで帰ってこなさそうだね。まぁ夜までには帰ってくると思うから心配しなくていいか。一応聞くけど時雨、」


 槻は身を起こすと、大きく伸びをした。時雨は予め水に戻されていたタピオカをつまんでいる。


「ん、何?」

「しばらくは暇だよね。暇が続くよね? だってここに一仕事終えて帰ってきた子がいるもんね? まさか次の瞬間仕事をふるような、休む期間も与えないようなところじゃないもんね? ブラックじゃないもんね? 〈黄昏〉は」


 念の為、と言う割には結構恐る恐るなそのセリフを聞いた時雨は、うっかり手が滑ってタピオカを床に何匹か逃した。時雨は何事も無かったかの様に、床に逃げたタピオカをきっちりと三秒ルールで拾い上げ、水で洗った。そしてどこか八つ当たり気味にタピオカをコップに入れた。コップの数は三つ。それらに冷蔵庫から取り出したばかりのミルクティーを注いで専用のストローをさせば、最近人気の飲み物の完成。


「はい、槻の分」

「ん、ありがとう。ねぇ、時雨何かあったの?」


 時雨はあからさまに槻から目を逸らした。その碧眼はなにか誤魔化すように、困ったように揺れている。槻が見る限り、別に嘘をつこうとしたりするつもりはないらしい。そのつもりだったら時雨はもっと上手くやる。そういう人だ。

 向かい合ってソファに座り、槻は頬杖をしながら時雨が何か言うのを待った。静かに吹く風は明らかな湿気を孕み始めていた。


「んーーーなんていえばいいのか分からないわね。本当はもう少しもう少し確定してから話そうと思っていたのだけれど」


 時雨はどさりと横に倒れると天井を仰いだ。別に極秘だがそこまで極秘じゃないし、言葉にするのが難しいわけもない。単にもう少し、内容が確定してから伝えたいと思う気持ちが説明を邪魔するだけだ。曖昧な情報は誤解を招く。

 槻はそんな時雨を見て茶色のタピオカをつつきながら言った。少し伸びた茶色のボブはふわふわと揺れていた。


「ん、無理なら今伝えなくていいよ。雪斗の首根っこ捕らえて聞き出すだけだから。全然大丈夫」

「どこが大丈夫なのかしら?」


 全然大丈夫ではない。でもまぁ、雪斗なら被害に合わせても良いかなと時雨は一瞬思ってしまった。ついでに現在進行形で雪斗のとばっちりを受けている時雨は、雪斗は教育的指導を施してもらうべきなのではないかとも思った。

 槻はあっという間に飲み干したそれをテーブルに置くと立ち上がった。そして窓に向かい、空を見上げる。露草色の空は、穢れなき真っ白な雲すら彩り、悠々とそこにある。槻は小さくため息を吐くと時雨を振り返った。


「勿論全部。それにしても時雨をそこまで言い淀ませることって言うだけで何なのか気になるな」

「んーーーー別に言い淀んでるってわけでは……なくもないのかしら。ただ単にもう少し内容が確定してから槻にも教えたいなって。まぁ、簡単にいえば組織を兼業することになりそうってことなんだけど」

「おおっ!」


 槻は目を輝かせた。組織を兼業、というのはちょくちょく聞く話だ。実際に槻も暗殺組織と諜報組織を兼業している。


「兼業先はどこになりそうなの? 暗殺組織? アットホームな職場だよ!」

「大丈夫。絶対ありえないから。後方支援の私がいきなり前線に行くことはないから安心して。もちろん指示組織でもないと思うわ。あそこはそういう才能の塊の集まりだし」


 時雨は脳裏に雪斗を思い浮かべながら言った。槻もそれは同じだったらしい。


「まぁ、指示組織と言ったらうちは雪斗だよね。確かに普段があれでもやる時はやるもんね。一応。……才能かぁ。で、一応どこか知らされてるの?」


 槻が無邪気にそう聞くと時雨はまた目を逸らした。この反応はつい先程も見たものだ。


「時雨、どこか知らされてるね? どこ」


 一応槻はもう一度聞いた。時雨は耳を塞ぐとクッションに顔をうずめた。

 かぁっとどこかでカラスが鳴いた。嫌に響き渡るその声は、クイズ大会の始まりだった。



「んと、ハニトラ組織?」


 時雨はありえないとばかりに首を横に振った。


「諜報組織?」


 結構有り得そうな線だったが時雨はノーと言った。


「もしかして戦闘機関じゃない?」


 今度は肯定された。ふとここで早くも槻は嫌な予感に到達した。


「……その組織はブラック?」


 ぽくぽくぽくと三拍おいて時雨はやや躊躇いがちに頷いた。槻は実に奇遇だがブラックと密やかな噂が流れている機関で、また最近大きなトラブルがあり、ただでさえ忙しいのに忙しさに拍車がかかっていて地味に人手不足と名高い機関を知っていた。しかもそのただでさえ忙しいのに忙しくした原因に槻も一枚噛んでいた。



 ──003系列 情報機関。



 槻は察した……という顔をすると住み着いているコウモリの理由にも納得した。コウモリはなぜか情報機関のマークとなっており、機関内でも数匹飼われているという。そして氷から聞いた情報機関のコウモリ一匹行方不明という話の原因も知った。


「多分近いうちにその機関の関係者がここに来るわ。その時にいろいろ、分かると思う」


 力なさげにそう言った時雨の肩を叩き、槻は全力で同情した。 


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