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誰が為の黄昏  作者: あめ
【外伝】 若竹色の涙
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若竹色の涙3

 

 その日の昼ごはんは、黒が昨晩獲って来た魚がメインだった。黒のご飯の量が少ないのは気のせいか。もくもくと白いご飯を口に運びながら、浅葱は疑問に思っていたことを聞いた。


「ね~黒~さっきいきなり飛んだのって何で? あんなの初めてだよね」

「飛んできた? 浅葱を振り落としたらどうするつもりだったんだい?」


 宗伝は眉間にしわを寄せた。恐らくそうしなければならない〝何か〟があったのだろうが……それにしても無茶をしすぎている。


「良からぬもの、だ」


 最後の一匹の小さな魚をごくりと飲み干すと、黒はそう告げた。意味が分からないというような二人の表情を読み取った黒は、付け加えて説明する。尚、魚が欲しいという視線をちらりと浅葱に投げるのも忘れない。


「この間村の方に出かけた時、他の奴らが教えてくれてな。光も当たらない暗闇に何か〝良からぬもの〟がいる、と。まぁ大方現世にいてはならぬものの類だろう。さっきはそんな感じの気配を察したから一気に逃げただけだ。他意はない」

現世(うつしよ)にいてはいけないもの? この間、黒が教えてくれた世界の?」


 これあげるよ、と黒の視線に負けた浅葱は、手を付けていなかった少し大きめの魚を黒に差し出した。勿論黙ってはいるが、その様子を宗伝はきっちりと見ていた。


「そんなところだ。関わることは無いだろうが、小娘は一人で暗闇に向かうな。あぁいう奴等にとって喰われたら、せっかくここまで太らせた意味が分からん」

「ん、分かった。でも黒? 私美味しくないよ。ね、宗伝様」

「そうだねぇ浅葱。浅葱よりも人の魚を獲って食べる黒の方がおいしいと思うよ」


 あぐあぐと魚を丸呑みした黒を宗伝は優しい目で見た。


「そう怒るな宗伝。これは小娘が自ら私に献上した(もの)のだ。別に食べても問題あるまい」


 何が悪い、と胸を張る黒。宗伝は諦めたようにため息をついた。


「明日村へ行こうと思っていたのだけれど。これじゃあ黒にお土産はなさそうだね」

「宗伝。明日お前が戻ってくるまでに籠を魚でいっぱいにしておいてやろう」


 〝村〟

 その単語を聞いた途端に黒は宗伝にお座りの体制で向き直っていた。黒はちょろかった。村の様子を見にいくことはあっても、人型でない黒は何か村で買ったりすることができない。

 そもそも普通とは違う狼の黒は安易に人前に姿をさらしてしまえば、捕らえられてしまうだろう。毛皮や肉にされてお偉い人々に使われる未来は手に取るようにわかる。実際、黒はそういう仲間を幾人も見てきた。普通とは違う。異端なだけで崇められ、奉られ、最後は殺される。


「村行くの? 宗伝様」


 きらきらと透明な翡翠を輝かせながら、浅葱は前ノリになって聞いた。夏だというのにひんやりとした風はどこから吹いてくるのだろうか。大きな尻尾を一度ばたんと動かしながら、黒は掌を返して心配そうに言った。珍しく。


「でも、宗伝。ここ最近の村の治安の話は知っているだろ。行くのはやめた方が良い」

「大丈夫だよ黒。すぐに帰ってくるから」

「……ふんっ勝手にしろ」


 とろりと瞼を閉じ、眠ってしまった浅葱を己の毛皮に横たわらせながら言う。


「何なら黒もついてくるかい? 姿を見せなければ大丈夫だろう」

「この生意気な小娘は」

「もちろん連れていくさ。まぁちょうど良いタイミングだろう」



 次の日。


「むっらむっら初めての村!」

「おい、宗伝。最初から企んでおったな」

「浅葱、離れちゃだめだからね」

「うん!」


 奇妙な家族が山をのんびりと下っていた。大きな黒い狼の背には二人の人影。宗伝一行である。黒


「無視するな!」


 背中で楽しそうにしている二人にかまってもらえないのが寂しいのか、黒は唸る。馬車ならぬ狼車。


「ん、大丈夫。黒のお土産探してきてあげるからね」

「何回も聞いたぞそれの言葉。宗伝、何度も言っているがな」

「何か起こりそうになったら素直に戻ってこい、だろう? すっかり臆病者になって」


 黒は何か一言言い返してやりたがったが、牙を剥くだけに留めた。これ以上何か小言を言ったり、反論したりしたら土産の質が落ちてしまう。何気に黒は、宗伝が村へ行ったときに持ち帰ってくるお土産を浅葱並みに楽しみにしていた。


 ──小娘と宗伝二人行くから今回のお土産は二個か……。


 結構楽しみにしていた。


「行ってきまーす。黒! 待っててね!」


 ぶんぶんと浅葱が手を振る。手には葡萄のツルで作った籠を下げている。黒はただ唸りながら言った。


「とっとと行って来い」


 その尻尾はめちゃくちゃ振られていた。


 村は結構に賑やかなところで、浅葱が黒から教わっていたのとはだいぶ異なっていた。もっと閑散とした所だと思っていたのに。


「商人だよ」

「商人?」


 宗伝は浅葱のための髪飾りを見繕いながら言った。リボンの髪飾り。様々な色がある。これは黒のアドバイスに乗っ取ったものである。


「いろんな場所から物を売りに来る人たちさ。ここの村はこの時期、そういう人がたくさんやって来てね。とっても賑やかになるのさ」

「なるほど」


 確かにそういう人達のお話は黒から聞いたことがあった。色な所をまわって物を売る。物々交換をする。

 浅葱はまた一つ、ものを覚えた。


「んーー赤がいい!」


 暫くして、浅葱が選んだのは赤い色をした綺麗な髪飾り。そしておまけに貰った綺麗な音が鳴る鈴。たくさんの薬草。黒へのお土産。


 そして、少女は不幸の女神に愛されているらしい。また、だ。また。また彼女は愛する人を失う。


「浅葱、黒の元へ走りなさい!」

「宗伝様!」


 盗賊。

 一本の矢。

 広がる赤い血。

 降り始めた雨。

 駆けてくる黒い影。

 伸ばしても振り払われる手。

 赤黒く染まった赤いリボン。

 鈍く鳴る鈴の音。


 淡々とした、恐ろしい程に醜い情報が一気に浅葱の背筋を凍らせる。でも今回は凍らせた、だけ。狂わせは、しない。


「小娘! 乗れ!」


 いつの間にか浅葱の背後に黒がいた。村に降りてきちゃ駄目でしょ! と普段の状況、普通の浅葱なら言うだろうが──


「でも宗伝様が!」


 今は火急の事態だ。


「くわえてやるから、逃げるぞ!」


 必要な荷物を抱え、浅葱は涙目になりながら黒の背中にのる。混乱する人ごみの中、人を咥え、人を乗せた黒い獣は一気に駆け抜けた。あっという間に浅葱の耳に阿鼻叫喚な悲鳴が聞こえなくなる。


 その日の夜は、ほうっと息を吐きたくなる程の満天の星空だった。月が凛と鳴き、ちらりちらりと地上の星が舞う。


「泣くな小娘」


 ぱちりと浅葱が目を開けたら布を被せられた宗伝がいた。それを見たとたんに浅葱は泣き出した。黒の尻尾に顔を押し付けて。一晩泣いた。胸の中が空になって。

 でも、浅葱は何故か素直にそれを受け入れることができた。恐らくと言わずもがな、黒がいたからだろう。大きな黒い狼の黒が。ふっさふさの毛並みは残ってくれた。


 黒は面倒くさそうに欠伸をしながら、大きな前足で浅葱の頭を撫でやる。人間とは何て脆いのだろう、と思いながら。たかが人が一人輪廻の輪に戻っただけで泣いている。なんと滑稽な事だろう。

 〝(くろ)〟という何とも言えない渾名(あだな)を付けられた大黒狼(おおこくろう)は、泣き疲れて眠ってしまった〝浅葱(あさぎ)〟という名前を付けられた少女を見た。そして暫し悩んだ後、真ん丸のお月さまを見つめ、今回の宗伝が遺した書きかけの本を見る。

 ふと、黒狼は満月に反抗する様に口を三日月に歪めた。ほんのちょっぴりの気紛れを起こしても良かろう、と。戻って来た彼がそれを望むかは分からないが。



 まぁ、たまには。



「宗伝様、死んじゃったね」


 翌朝、清々しい表情で起きてきた浅葱はせっせと穴を掘りながら言った。余りにもあれな様子の浅葱に、流石の黒狼も恐ろしさを感じた。時折休憩しながらも穴を掘り続ける少女の頬に光っているのは汗か、涙か。(むし)(うるさく)く鳴くのを黒狼はその威厳をもってして黙らせ、浅葱を護る。


 逢魔(おうま)が時。作業を終えた浅葱は諦めがついたようにぼそりと言った。


「生き返らないかぁ。もう訳わかんないや」

「死にたいのか?」


 黒狼の直入な一言に浅葱は言葉を詰まらせた。穴を掘りながら、一緒に埋められたいとでも思っていたのがばれたのだろうか。

 浅葱はそっと目を伏せた。


「小娘、幾つか選択肢をやろう」


 浅葱が何か言葉を発するのを待たずに黒狼は問うた。


「死ぬか、たった一つ宗伝の骸に言葉をかけるか」

「……?」


 何を言っているか分からない、という表情で浅葱は黒狼を見上げた。それで何が変わるというのだろうか。いたたまれなくなって黒狼は目を逸らしながら付け加えた。


「宗伝の骸に声をかけるっていうのはあれだ。無に等しい奇跡を乞うと言う事だ」


 少し考えてから浅葱は聞いた。もしかして、と前置きをして。


「奇跡、叶ったら、また会える?」


 黒狼は何も言わなかった。目を閉じ、静かに浅葱の選択を待つ。


 やがて、太陽がとっぷりと沈む直前。何故か旅支度を終えた浅葱が黒狼の前にいた。赤いリボンの髪飾りを付けて、首に鈴をぶら下げて。長い黒髪をたなびかせて。


「きっと、長い旅になるわよね」


 そうして少女は長い一眠りについた。

 一つの記憶を犠牲に。一つの言葉を頼りに


 それからまた幾十年、とある黒狼は筆を止めない彼の隣にいた。


「君もなかなかに酷いことをしてくれるよね。あんなこと言われたら、いつまで経っても死ねないじゃないか」

「ふんっ。お前はとっととその物語を完成させんか」


 黒狼はその大きな前足で積み重なった書物を叩いた。






 〝若竹色の涙〟

 後に〝竹取物語〟と何者かによって改名され、世に出回る物語である。作者不明の布を被り、成立年も分かっていない。










「またいつか会いましょう。宗伝様」



 ここでずっと待っているから。




 かつて浅葱と呼ばれた少女は、今日も月を見上げる。


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