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たったひとつの冴えない能力(ちから)  作者: 相田 彩太
第三章 汚泥の帰宅者
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その12 天下一武道会 乙女の部

 「おや、もう始まっているようだね」

 その時である、朝顔の横から壮年の男性が現れたのは。

 茶のスーツの下の茶のウエストコートを纏い、温和な表情を浮かべた顔からは上品そうな気配が漂っていた。

 気品があるという事はこういう事かと朝顔は思った。

 新しい傍観者の声を逃さなかったのは天野である。

 体の動きを止め、その視線を来訪者に向ける。

 それに釣られてデイジーも闖入者へ顔を向ける。

 「お、お父様!?」

 その声に天野はニヤリと笑みを浮かべた。

 娘からの声に、壮年の男性は微笑みながら軽く手を振る。

 そして天野は見上げながら見た。

 デイジーの顔が一瞬晴れやかに笑い、そして泥だらけの自分の服に目をやると、目の端に浮かんでいた涙の粒が大きくなっていくのを。

 「うううう、うわぁ~、ごめんなさい、おとうさまごめえんなさい」

 泥の地面にぺたんと女の子座りでへたり込むと、デイジーは大粒の涙を流し泣き始めた。

 そして、開始より無言で試合を眺めていた審判が口を開く。

 「それまでです。この勝負、天野さんの勝利でございます」

 

 「う、うおぉぉぉぉ!」

 時計塔は盛り上がっていた。

 いや、二人が泥レスを始めた時から熱気が籠もっていたが、今、それが爆発したのだ。

 「えっ、マジか! 勝っちゃったのか」

 「そうよ、それだけでなく、あのデイジーを泣かしたのよ」

 クラスメイトの面々は遥か先の河原に届くのではないかと思われるくらいの声で話す。

 「ちょっと待って、まだ何か話しているわ」

 その声に一同は静まり返り、再び情報端末から聞こえてくる音に耳を澄ます。

 

 「ちょっとパーカー! どういう事ですの! わたくしは負けていませんのよ!」

 デイジーは立ち上がりパーカーに詰め寄る。

 「理由も何も、ルール通りでございます。U12公式ルールにちゃんと記載がございます。『泣いてしまったら負け』と。これはU12に限定の勝敗条件でございます。そもそも、このルール制定は総帥が天下一武闘会少年の部から引用したものでして……」

 ずらずらと蘊蓄(うんちく)を述べるパーカーの前でデイジーは俯く。

 そして視線を父へ移す。

 「残念だったね、マイリトルハニー。でも次はきっと勝てるから元気を出して」

 その男性は優しく語り掛ける。

 「でも、わたしくはお父様に頂いた大切な服を、こんなにしてしまいましたわ」

 その言葉通り、デイジーの服は泥にまみれ、春を思わせる若草色の生地は冬を思わせるの土気色に染まっていた。

 「服は汚れるものさ。さあ、おいで」

 その言葉にデイジーの顔が一瞬綻び、その足が父の下進もうとする。だが再び顔を曇ると、その歩みは止まってしまった。

 男性は少し考える素振りを見せると、そのスーツの上着とウエストコートを脱ぎ、パーカーへ放り投げる。

 「パーカー、ちょっと持っててくれ」

 そう言うと、男性は天野の方向へ視線を向けると。勢いよくダッシュし始めた。

 「お父様!?」

 「旦那様、何を!?」

 二人の言葉を背に男は走り続ける。

 そして身構えた天野の前で、男は両手を広げてジャンプすると、その胸から大地にダイブした。

 そして、泥飛沫を上げながら数メートル地面を滑り、その反動で勢いよく立ち上がった。

 そして男は笑顔で振り返る。

 「これで、ペアルックだ! さあおいで、マイリトルハニー!」

 両手を広げ泥で汚れたシャツを見せつけ、愛娘を迎え入れるポーズで男は言った。

 「まあ、お父様ったら。うふふ、うふふっ」

 デイジーの頬に涙の痕はある。だが、もう涙は流れていなかった。

 「さあ」

 「ええ」

 デイジーは走り出すと、その父の胸に抱き着いた。

 「お帰りなさい。お父様」

 「ただいま、マイリトルハニー」

 男はデイジーの脇に手を入れ、軽くリフトすると、二人でクルクルと回り喜びを表現する。

 「今の結局なんだったの竜ちゃん」

 タオルを手に天野に駆け寄った朝顔が問いかける。

 「ああ、デイジーは泥まみれの服で抱き着くと、父親の服が汚れると思って躊躇したのさ。それを察した彼は自ら泥まみれになる事で、それを払拭したのさ。良い父親だ。だからこそデイジーが素直で女の子らしい性格に育ったのだろうな」

 「もっとも、そのおかげで竜ちゃんが勝利したのだけどね。ちょっと竜ちゃんの性格悪いかもよ」

 「ふん、勝利の為に出来る事をするのは当然だろ」

 少しバツの悪そうな顔で天野はそう言った。

 「パーカー、その上着を彼女に」

 ひとしきり回り合った後、彼はその執事に自らの上着を天野に渡すよう促した。

 「かしこまりました、旦那様」

  軽く一礼するとパーカーは天野に近づき、手にした上着をその肩に掛けた。

 「秋の雨は冷えます。それと非常に言い辛いのですが、女性の方が胸をはだけているのは少々はしたないですよ」

 「はぁ?」

 「竜ちゃん、胸、胸!」

 天野が胸にあるのは一面の泥模様、だが目を凝らして見ると、そこにあるはずの名札と、その下の布地が消失していた。

 天野は思わず肩に掛けられた上着をがばっと引き寄せ、胸を隠す。

 顔を上げると、こっちに向かってアカンベエをしているデイジーの顔が見える。

 やりやがったな、と天野は思った。

 お返しですわ、とデイジーは顔と心でほくそ笑む。

 「さあマイリトルハニー、一緒に帰ろうか」

 「ええ、お父様。ク、クシュン」

 「おや、冷えてしまったようだね。少し急ごうか」

 親子は手を繋ぎ、土手を越えると陰りの出て来た夕闇に消えて行った。

 「天野様、本日はありがとうございました」

 「いえこちらこそ、パーカーさん、今日はありがとうございました。あなたのジャッジのお陰で勝つことができました」

 パーカーと天野は互いに礼をする。

 「いえ、私は公平に審判を務めただけでございます。それに、天野様の策とは分かっていても旦那様とお嬢様の時間を作って頂いたのは感謝の言葉もございません。今日の夕方だけでなく明日まで旦那様に仕事を依頼して頂いたのは感謝の極みにございます」

 「良いんですよ、親子サービスの為にと言ったらポイントも大幅に割引になりましたしね。それに……」

 「それに?」

 「いや、こっちの話です」

 天野は何か言いかけたが手を振ってその言葉を飲み込んだ。

 「そうですか。では私もこれで失礼いたします」

 再び礼をして、パーカーは小走りにその主人の後を追って行った。

 「お疲れ様、竜ちゃん。でもあたしも分からないな。デイジーさんのお父さんを雇うのは今日の夕方だけで良かったのじゃないの?」

 そう、朝顔が聞いていた今回の策は、ポイントを使ってデイジーの父親を雇い、天野とデイジーの決闘を見物させる事。その時、デイジーが天野との闘いの中で醜態をさらしていれば精神が乱れて隙が生まれるかもしれないという物だった。

 それは上手く行った。いや泣くほどであった結果を見れば、上出来という言葉を越える程の成果であった。

 だが分からない。父親を雇うのは今日の夕方だけで良いはずだ。明日も家族サービスの時間を取るために雇う必要は無いはずだ。それとも本当にデイジーの事を考えていた判断だろうか。

 「ああ、あれは明日の伏線さ。上手く行くかは分からないけどな」

 ああ、その顔は少し卑怯めいた事を考えている顔だな、と朝顔は思った。

お読み頂きありがとうございます。

今回の小ネタというか伏線は「天下一武道会少年の部のウェブリーくんVSピョンタットくんの泣いたら負け」です。この為にU12ルール作成に関わったであろうこの国の最高権力者、総帥が趣味で漫画図書館みたいな物を作った、という雑賀と朝顔との会話をを入れておきました。パロディ要素を含む作品は多々あり、ドラゴンボールネタは巷に溢れているといえども、天下一武道会少年の部の泣いたら負けを持ち出したのは本作が初めてではないかと……でも世界は広いので(目逸らし)。

デイジーが泣いたのは理解しづらいかもしれません。でも少女が大人から見るとささいな理由で泣いてしまうのは、子供に触れる機会の多い方は経験的に理解してもらえるのではないかと思います。デイジーは少女らしく描きたいと書いてましたよね、ね。

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