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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
最終章 「還る場所」
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最終話 「虹の橋」

 春は、あっという間に過ぎていった。

気付けば、王都の風には夏の匂いが混じり始めている。

 

 

 そして――。

騎士学院、卒業の日がやってきた。朝から学院は慌ただしい。旧寮の窓を開けると、遠くから賑やかな声が聞こえてくる。

笑い声や、教師達の呼び声。

石畳を行き交う足音まで、夏の風が運んでくる。

 

 

 黒い制服、見慣れた銀の徽章(きしょう)。三年間着続けたそれも、今日で最後になる。


 「……卒業か」

 小さく呟く。不思議だった--ちゃんと通っていた記憶はある。

 訓練も任務も試験も。ところどころ、大切なページだけ抜け落ちた本みたいに曖昧だった。思い出そうとすると胸がざわつく。

それでも騎士学院で過ごした日々が、大事だったことだけはちゃんと分かる。


 その時だった。

コン、コン--。

「ディオン、まだか?」

 カイルの声だった。

「開いてる」

 

 ギギッと音を立てながら、古びた扉が開く。正装姿のカイルとリネが入ってくる。

二人とも、いつもより少しだけ大人びて見えた。

カイルはディオンを見るなり吹き出す。

「何だその顔」

「いや、実感なくて」

「まあ、それは分かる」

カイルは肩を竦めた。リネは静かにディオンを見る。

「……体調は?」

「普通」

「ならいい」

 

 短いやり取りだったが、きっといつものやり取りだったんだろう。その空気が妙に落ち着く。

俺ははふと、小さく笑った。

「多分、俺」

「お前らといる時間、好きだったんだろうな」

 カイルが目を瞬く。リネも少しだけ視線を止めた。

ディオンは苦笑する。

「思い出は曖昧なのに、そういうのだけ残ってる」


 カイルはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑う。

「……なら、また作ればいいだろ」

 顔を上げると、カイルはいつもの調子で続けた。

「卒業して終わりじゃないんだし、また任務もある」

「飯も行くだろ? 面倒事にも巻き込まれる」

「多分な」

 リネが小さく頷く。

「お前は、放っておくとすぐ変なことに首を突っ込む」

「否定できない」

 二人の様子に思わず笑った。

 窓の外では、夏の光が校舎を照らしている。始まりの日みたいな空だった。

失ったものは、確かにある。戻らない時間もある。


 けれど、

それでもまた、人は歩いていける。季節が何度でも巡るみたいに。



 騎士学院の鐘が、静かに王都へ響いている。

正装姿の騎士生達は、学院の正門前へ整列していた。

誰も、いつもみたいには騒がない。

けれど、張り詰めた空気の奥に、僅かな高揚が混ざっていた。


 今日、彼らは学院を卒業し、王宮で正騎士叙任式を受ける。

ディオンは空を見上げた。眩しい陽射し、濃い青空。

夏の風が、外套の裾を揺らしていく。


 少し前まで、当たり前みたいに歩いていた学院の石畳。その景色を見ていると、不思議な感覚になった。

「緊張してるか?」

 隣からカイルの声がした。正装姿のまま、小さく笑っている。ディオンは少し考えてから肩を竦めた。


「……まあ、普通だ」

「絶対嘘だろ」

「お前こそ」

「俺は普通」

 リネが静かに本を閉じる。

「二人とも落ち着きがない」

「お前だけだよ、いつも通りなの」

 カイルが呆れたように返す。その時だった。重い門が、ゆっくり開かれる。視線が前へ集まると、前には学院長が立っていた。

静かな空気を纏ったまま、ゆっくり生徒達を見渡す。

「——行こうか」

 穏やかな声だった。その一言で、空気が変わる。

騎士生達が、一斉に歩き出した。


 王宮へ続く道。

夏の陽射しが白い石畳へ落ちている。王都の人々が道を開け、静かにその姿を見守っていた。

やがて、白い王宮が見えてくる。


 高い塔、大理石の階段、王国の中心。ディオンは小さく息を吐いた。


 その先には、陛下、王妃、エリアス殿下、教官達、家族達。多くの人が待っている。

卒業--。

そして、騎士になる日が、静かに始まろうとしていた。



 王宮へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

磨き上げられた白い床に深紅の絨毯が敷かれている。高い天井、差し込む夏の日差し。

騎士達の靴音だけが、静かに回廊へ響いていく。

案内された先は、大講堂だった。巨大な扉が、ゆっくり開かれる。

思わず、息を呑んだ。


 色鮮やかなステンドグラス。

そこへ描かれているのは、王家の紋章。そして、その下には、


『樹』『人魚』『本』『剣』『橋』『炎』『薔薇』


 七不思議を象った図柄達が、光の中へ浮かび上がっている。どれも美しく、何故か胸がざわつく。

この国そのもののような--感じがした。


「前へ」

 教官の低い声が響く。騎士生達は整列したまま進んでいく。

その先の壇上には、剣が並んでいた。神聖な静寂の中、

玉座の近くにはネージュの姿がある。


 ロラン、フェルマ、ブリュム教官達、そして、椅子へ静かに腰掛けたエリアスの姿も見えた。エリアスは、白い正装を身に纏っている。少し痩せた横顔。

けれど、その眼差しだけは穏やかだった。殿下に一瞬だけ目を止めると、

エリアスが小さく笑った気がした。


 その時--。

「——よく来た」

 穏やかな声が響く。いつの間に現れたのか。学院長が、壇上へ立っていた。

その一言だけで、場の空気が引き締まる。

やがて、一人ずつ名前が呼ばれていった。


「——カイル・ヴェルナー」

「はい」

 カイルが一歩前へ出る。

学院長から差し出された剣を、静かに受け取った。

次の瞬間、淡い光が刃を走る。


 ざわめきが広間へ広がった。浮かび上がったのは、羽ペンと天秤。知と均衡を象る紋章だった。

宰相である父が、僅かに目を細める。カイルは少し困ったみたいに苦笑した。


「——リネ・ヒルベルト」


「はい」

 リネが静かに進み出る。

剣へ触れた瞬間、白銀の光が、刃を滑るように広がった。浮かび上がる円環。そしてその周囲を巡る細かな記号。まるで術式そのものだった。

フェルマは静かにその光を見つめている。


「——ディオン・リュミエール」


 自分の名前が呼ばれる。

「はい」

 広間が静まり返った。赤い絨毯の道を静かに前へ進む。


 夏の日差しが、ステンドグラス越しに床へ落ちていた。静かな講堂で、俺は壇上の前に片膝をつく。

学院長はしばらく俺を見つめ、それからふっと目を細めた。

「……リュミエールの子か」

低く落ちた声が、静かな空間に響く。

俺は顔を上げなかった。


「——そうか」

 それ以上は何も言わず、剣を差し出した。俺はは、その柄へ手をかける。重みが掌へ伝わった。


 次の瞬間——淡い緑の光が、刃を走る。

ざわめきが広間へ広がった。

浮かび上がったのは、小さな芽の紋章だった。

まだ若い命を思わせる、淡い光。


 夏風に揺れる新芽みたいに、その紋章は静かに輝き――その光は一瞬で消えていった。


 小さく目を瞬く。何が起きたのか、自分でも分からない。

ただ、遠くで、誰かが静かに息を呑んだ気がした。



「——騎士ディオン・リュミエール」


 低い声が、広間へ響く。視線が一斉に壇上奥へ向いた。ネージュだった。

王は静かにディオンを見る。その眼差しは厳しいけれど、どこか穏やかだった。


「その剣を認める」


 広間へ、静かな緊張が走る。それは、王国の王による、正式な承認だった。そして、静かに頭を垂れた。


「……はい」

 夏の光が、ステンドグラスを透かしていた。その少し後ろで、ロランは静かにその姿を見ている。黒い正装、表情はほとんど変わらない。

けれど、俺が剣を握る姿を見つめる眼差しだけが、僅かに柔らかかった。


「……立派になったな」

 誰にも届かないほど、小さな声だった。



 卒業式が終わった頃には、空は柔らかな夕色へ染まり始めていた。騎士達は再び学院へ戻る。

見慣れた石畳、訓練場、白い校舎。

ほんの数時間前までと同じ景色のはずなのに、何故か少し違って見えた。

「……終わったな」

 カイルがぽつりと呟く。

誰もすぐには返事をしなかった。もう、“騎士生”ではない。騎士学院の中庭には、まだ笑い声が残っている。


 泣いている者、教師へ挨拶をしている者、それぞれが、“終わり”と“始まり”の間にいた。


 俺に続き、カイルとリネも校舎を出て、ゆっくり石畳を歩いていた。

「やっと終わったな」

 カイルが大きく伸びをする。

「卒業式って、あんな長い必要ある?」

「毎年言われてる」

 リネが淡々と返す。苦笑しながら空を見上げた。

夏の終わりの夕暮れ。


 その時だった。

「……あれ」

 ディオンが足を止める。カイルとリネも視線を上げた。


 王都の空へ、大きな虹が架かっていた。夏の日差しは強い。けれど同時に、頬へ小さな雫が落ちる。

「……雨?」

 俺は空を見上げた。雲は薄く、青空も見えている。なのに、細かな雨だけが、風へ流されるみたいに静かに降っていた。

お天気雨だった。


 淡い七色が、王都を横切るみたいに空へ伸びている。

「虹?」

 カイルが目を瞬く。

リネは静かに空を見つめた。

「……珍しいな」

 その虹は、不思議なほど真っ直ぐだった。

まるで、どこかへ続く橋みたいに。


 夏風が吹く。

虹の向こう側へ、白い花弁が流れていった。

その瞬間、胸が、何故か少しだけ温かくなる。

懐かしいような、安心するような、説明できない感覚だった。

 カイルが小さく笑う。

「そういや、あったな」

「王都の七不思議」

 カイルに視線を向ける。

カイルは虹を見上げたまま続けた。

「“卒業の日に虹の橋を見ると、未来で大事な人と再会できる”ってやつ」

「子ども向けの噂だろ」

 リネが静かに言う。けれど、その声は少しだけ柔らかかった。


 ◇◇◇◇◇

 

 昔から、騎士学院にはこんな話が残っていた。

——卒業の日に虹の橋を見ると、未来で大事な人と再会できる。

 雨上がりの日だけ現れる、不思議な虹。けれど、それは普通の虹ではない。

王都の空へ、橋みたいに長く架かる光だ。

まるで、どこか遠い場所へ続いているみたいだと言われていた。

 騎士生達は半分笑い話みたいに語る。

「恋人と再会できるらしい」

「いや、家族だろ」

「未来の仲間かもな」

 誰も本気にはしない。


 けれど卒業の日だけは、皆一度は空を見上げる。

もし虹が出ていたなら--。

その先で、また誰かに会える気がしたから。

そして、本当に大切な人と再会した者は、不思議とその話を誰にも語らない。

ただ静かに、空を見上げて笑うのだという。


                虹の橋の祈り より

 ◇◇◇◇◇


 もう一度、空を見る。


『七色の橋』


 穏やかな夏空。

何故だろう、その景色を見ていると“また会える”

そんな気がした。

 『還命の魔術師 ―失われた王子の記憶―』を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


 約一ヶ月にわたる連載でしたが、無事に完結まで辿り着くことができました。

 最初は、命や記憶、喪失など、少し重たいテーマから始まった物語でした。

ですが、最後は「また出会える」という希望へ辿り着けた気がしています。

ディオン達の物語を、少しでも楽しんでいただけていたなら嬉しいです。


 個人的には、七不思議とおとぎ話を結びつける構成を書くのがとても好きでした。

 嗤う本や、鏡の剣、深紅の薔薇。

少し不思議だけれど、受け継がれるものを書きたかったのだと思います。

命が巡るように、 祈りも、 願いも、 人や国を巡って残り続ける。

 『還命の魔術師』はそんな物語でした。

 

 改めて、ここまで読んでくださった皆様へ心から感謝を。

本当にありがとうございました。

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