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還命の魔術師 -失った王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
25/27

第25話 「薔薇は夜に微笑む」

 夜風が、静かに庭木を揺らしていた。

 晩餐会を抜け出したあと、私は一人で城内を歩いていた。

 

 広すぎる城は好きではない。

 どこも似たような廊下ばかりで、息が詰まる。

(つまらない)

 だから、少し外の空気が吸いたかった。

 月明かりを頼りに進んだ先で、小さな中庭へ出る。

 噴水と、蔦の絡まる白いアーチ。咲き乱れる薔薇。

 その中央で、一本の深紅の薔薇が揺れていた。


 ――あら。

 そこに先客がいる。

 黒髪の少年。

 昼間、馬車から見かけた騎士学院の学生だ。

 彼は薔薇を見上げたまま動かない。気配に気づいたのか、ゆっくりこちらを見る。

 静かな目だった。

「こんばんは」

 私が声をかけると、少年は一拍置いてから軽く頭を下げる。

「……こんばんは」

 随分と落ち着いている。

 普通なら、王族相手にもう少し慌てるものだ。

「こんな時間に庭園散歩?」

「いえ……」



「迷いました」


 思わず吹き出した。

「ふふっ、正直ね」

 少年は特に恥ずかしがる様子もない。

「城の廊下、似すぎてるんです」

「それは私も同意します」


 月明かりが、深紅の薔薇を照らす。見事な花だった。

 夜だというのに、妙に鮮やかで――どこか目を引く。

 深紅の薔薇は、まだ七分ほどの咲きだった。

「綺麗な薔薇ですね」

 何気なく呟くと、少年は静かに花へと視線を向けた。

「……そうですね」

 短い相槌。けれど、その目はどこか薔薇を観察しているみたいだった。


 初夏の風が吹き、深紅の花弁が月明かりの下でゆっくり揺れた。


 その瞬間、ほんの僅かに、空気が変わった気がした。私は薔薇を見たけれど、変わった様子は見当たらない。理由までは分からなかった。

 ただ、隣に立つこの少年だけは、その変化を知っている気がした。

「……王宮とはいえ、夜の一人歩きは危ないです」

 真面目な声だった。

 私は思わず笑ってしまう。

「あら、ではあなたがいれば問題ないでしょう?」

 彼は少しだけ言葉に詰まった顔をした。

(面白い!)

「よければ、送りましょうか?」

 私がそう言うと、少年は僅かに目を瞬かせる。

(普通は逆じゃないかしら)

 そう思った瞬間だった。


「おい――ディオン」


 遠くから声が飛ぶ。

 振り返ると、騎士学院の制服姿の少年がこちらへ歩いてきていた。明るい茶髪に新緑を思わせる緑の瞳。

(随分と遠慮のない歩き方をする人ね。恐らく彼と同じ騎士生。きっと彼を探しに来たのかも)

 けれど、こちらへ近づいた瞬間、その少年がぴたりと止まる。

「……は?」

 固まった。

 ディオンの隣に立つ私を見て、完全に思考が止まっている。

 そして遅れて気づいたように姿勢を正した。

「あ、いや、これは、その……」

 慌て始める彼の横で、ディオンだけが妙に落ち着いている。私は堪えきれず、小さく笑った。


 私はふわりとドレスの裾を軽く持ち上げ、名を告げた。

「フローレンス·ソラーナ·ニエベスと申します。こちらの方がお困りのようでしたので、送って差し上げようとしていました」

「……え?」

 先程まで勢いよく歩いてきていた少年――カイルは、その場で完全に固まった。

 目だけが、私とディオンの間を行ったり来たりしている。

 一方で、ディオンは小さく眉を動かした。

「……姫?」

「ええ」

「今さらかよ!?」

 カイルの突っ込みが夜の中庭へ響いた。

 私は思わず吹き出す。

 ディオンは少しだけ視線を逸らした。

「名乗られてなかったので」

「普通気づくだろ!?  晩餐会いただろお前!」

「遠かった」

「そういう問題か!?」


「どうぞ気になさらないで下さい」

 私が笑うと、少年はまだ少し顔を引きつらせたまま姿勢を正した。

「……失礼しました、姫様」

「ふふ、堅いのは苦手です」

 それから、私は二人へ視線を向ける。

「お二人のお名前は?」

 すると、先に口を開いたのは茶髪の少年だった。

「カイル·ヴェルナーです。こっちはディオン」

 横から紹介されたディオンは、静かに一礼する。

「ディオン·リュミエールです」

 その名前を聞いた瞬間。

 私はほんの少しだけ目を細めた。

 ――リュミエール。

 どこかで聞いた覚えがある、けれど今は思い出せない。

 それ以上に、私はカイルへ視線を向ける。

 以前、どこかで見たような気がした。

 ヴェルナーの名にも聞き覚えがある。

 確か、外交官の――。


 その間にも、カイルはちらちらとディオンを見ていた。

「お前なぁ……なんで普通に姫様と話してんだよ」

「迷ってたら会った」

「会った、じゃねぇんだわ」

 私はとうとう堪えきれず、声を上げて笑った。

「……ヴェルナーの名は」

 私は小さく首を傾げる。

「どこかで聞いた覚えがありますね」

 するとカイルは、少しだけ困ったように頭を掻いた。

「多分、一番上の……兄のレイ・ヴェルナーかと」

「ああ、やっぱり!」

 思わず声が弾む。

「兄さまの外交相手の方でしょう?  一度だけお会いしたことがあります」

 カイルは「あー……」と何とも言えない顔をした。

「兄貴、やたら顔広いんですよね」

「あなたも少し似ています」

「え、嫌だな」

「褒めているのだけれど?」

「兄貴って胡散臭いんですよ」

「お前が言うのか?」

 横から静かに入ったディオンの一言に、カイルが勢いよく振り返る。

「お前なぁ!?」

 カイルは咳払いを一つすると、改めて姿勢を正した。

「……姫様、お送り致します」

 随分と急に“ちゃんとした人”になった。

 私は思わず笑みを零す。

「そんなにかしこまらなくて平気よ」

「いや、そういう訳にも……」

「さっきまで普通に突っ込んでいたでしょう?」

「……忘れてください」

「無理ね」

 くすくす笑うと、カイルは露骨に困った顔をした。

 その横で、ディオンだけが静かに薔薇を見上げている。


 初夏の風に乗り、薔薇の香りが微かに漂った。

 その瞬間だった。

 ざわり、と深紅の薔薇が大きく揺れる。

「……?」

 私は無意識に薔薇へ手を伸ばした。

「――触らない方がいいです」

 ディオンの声と同時だった。ピタリと風が止んだ次の瞬間、棘が生き物みたいに伸びた。

「っ!」

 カイルが咄嗟に私の腕を引くけれど、避けきれない。

 細い棘が、指先を浅く裂いた。

 深紅の血が、一滴だけ花弁へ落ちる。


 花弁に触れた瞬間、庭園の空気が変わった。

 風が吹き抜けたその時、周囲の薔薇たちがざわりと揺れた。

 深紅の花弁が、一斉に夜空へ舞い上がる。

 月光を受けた赤は、まるで空へ溶ける炎みたいだった。


 薔薇が一斉に揺れ、呼吸するかのように、露を纏った深紅の花弁が月光の下でゆっくり開いていく。


 「……これは」

 カイルが息を呑む。

 ディオンだけが静かに薔薇を見ていた。

 先程までの拒絶が消えている……いや、違う。むしろ歓迎している。


「……あら」


 私は小さく笑った。

「嫌われた訳では、なかったみたいね」

 その声と同時に、ふっと手首を引かれる。

 見ると、カイルだった。


 深紅の薔薇へ触れようとして、月光に照らされた自分の指先が目に入る。

 白い肌に、小さな棘傷だけがやけに赤く見えた。


 彼は何も言わないまま、懐から白いハンカチを取り出す。私の指先からは、まだ細く血が滲んでいる。

「……じっとしててください」

 低い声だった。

「でも、汚れるわ」

 白い布へ視線を落としながら、小さく言った。

 深紅の血はよく目立つ。けれど、カイルは眉一つ動かさない。

「別にいいです」

 即答だった。

 私は、目を瞬かせる。

(汚れるのに、どうして、この人はそんな顔をするの?)

「……こういう時くらい、自分の心配してください」

 呆れたみたいに言う声は、妙に優しかった。

 そして、血の滲む指先へそっと押し当てた。

「少し沁みますよ」

 ぶっきらぼうな声なのに、手つきは驚くほど丁寧だった。私は少しだけ目を瞬かせる。

「慣れてるの?」

「騎士学院いると、このくらいは」

 カイルは視線を逸らしたまま答える。

「訓練で怪我するやつ多いんで」

 そう言いながら、器用にハンカチを巻いていく。

 無駄のない手つきだった。

「姫様、こういうの普通に触るタイプなんですね」

「綺麗だったから」

「普通は躊躇しますって」

「あなたは躊躇しなかったでしょう?」

 そう言うと、カイルが一瞬だけ言葉に詰まった。


 自分が手を引くのが遅れた。

 そう思っているのかもしれない。

 私はその横顔を見て、小さく笑った。

「そんな顔しないで」

 カイルが僅かに視線を上げる。

 私は風に揺れる深紅の薔薇へ目を向けた。


「薔薇と仲良くなれてよかったわ」


 そう言って笑うと、カイルは一瞬だけ呆気に取られた顔をした。それから、小さく息を吐く。

「……普通、そうなります?」

「なります」

「ならないですって」

 ようやくいつもの調子が戻る。

 そのやり取りを見ながら、ディオンだけが静かに薔薇を見つめていた。

 先程までと違う。

 深紅の花は、もう敵意を見せていなかった。



 ◇◇◇◇◇

 月光の下、深紅の薔薇が静かに揺れていた。

「では、姫様をお送りします」

 カイルがそう言うと、私は小さく頷いた。

 その横で、ディオンが静かに口を開く。

「……俺もついていく」

 カイルが勢いよく振り返る。

「なんでだよ!?」

「夜道は危ない」

「さっき姫様に言ってたやつ!?  お前まだ迷子だろ!」

「……帰り道は分かる」

「信用できねぇ……!」

 私は思わず吹き出した。(本当に賑やかな人たち!)


「ふふっ」


 笑った瞬間、二人がこちらを見る。

 夜風が髪を揺らし、深紅の薔薇の香りが、微かに混ざった。

「では、お二人ともお願いしますね」

 そう言うと、カイルが一瞬だけ言葉を失う。

 ぽかんとした顔。

 まるで今さら初めて私を見たみたいに。

 ――あら?

 その反応が少し可笑しくて、私はまた笑ってしまった。

 するとカイルは慌てたように視線を逸らした。

「……行きますよ、姫様」

「ええ」

 私は二人の騎士生と室内へ戻った。

 *****



「姫様!?」

 王宮へ戻った途端、待機していた侍女が目を見開いた。

 当然だろう。

 他国の王女が夜の庭を、騎士学院の学生二人と歩いて帰ってきたのだから。

「ごめんなさい、少し庭を見ていたの」

「少し、ではありません! 護衛も付けずに――……っ、姫様!?  そのお手!」

 侍女の声が裏返る。

 視線の先には、カイルの巻いた白いハンカチ。

「あら」

 私はそこでようやく、自分の指先を見下ろした。

「少し薔薇の棘が刺さっただけよ」

「だけ、ではありません!」

 侍女は今にも倒れそうな顔をしている。

 その横で、カイルが気まずそうに頭を掻いた。

「いや……すみません。俺がもう少し早く引ければ」

 珍しく歯切れが悪い。

 すると侍女は勢いよくカイルを見る。

「あなた方、姫様を危険な目に遭わせたのですか!?」

「違っ、いや、危険っていうか……」

「棘です」

 横から静かに答えたのはディオンだった。

「……薔薇の棘?」

 侍女が困惑した顔になる。説明しづらい沈黙が落ち、私は思わず笑う。

「でも、薔薇と仲良くなれたから満足しているわ」

「姫様ぁ……」

 侍女がとうとう額を押さえた。

 その後ろで、カイルが小さく息を吐く。

「だから普通そういう感想にならないんですよ……」

「そうかしら?」

「そうです」

 即答だった。

 私はまた笑ってしまう。

 夜風が、静かな回廊をそっと通り抜けていった。


 ◇◇◇◇◇



 むかしむかし、ある城の庭に、深紅の薔薇が一輪咲いておりました。その薔薇は、まだ咲きはじめたばかり。

 けれど、花びらは熟れたりんごのように赤く、まるで小さな灯火のようでした。

 

 王家につかえる人々は皆、その薔薇を美しいと褒め称えました。

 ですが、古くから城にはこんな言い伝えがありました。

『深紅の薔薇には、むやみに触れてはならない』

 何故なら、その薔薇は、人の心を映す花だったからです。

 優しい者が触れれば、薔薇は静かに花をゆらすだけ。

 けれど、欲深い者や、心ない者が触れれば

 薔薇のつたは生き物のように絡みつき、その身をこばんだといいます。

 

 鋭いとげは容赦なく肌をさき、決してはなさなかったそうです。だから人々は、深紅の薔薇を“庭の守護者”と呼び、恐れながらも大切にしていました。


 ある初夏の夜のこと。

 ひとりの王女が、その薔薇へそっと手を伸ばしました。

 すると、どうでしょう。

 薔薇は王女へ向かって棘を伸ばしかけ――けれど、ぴたりと止まったのです。

 そして、ゆっくりと元の場所へ戻っていきました。


 不思議なことに、月明かりの下、その夜の薔薇は、まるで王女を迎えるかのように静かにゆれたのです。薔薇は決して彼女を傷つけなかったと言われています。

 その薔薇は枯れることなく、今もなお命をつないでいるのです。


 あなたにもし、誠の心があるのなら、

 深紅の薔薇もまた、きっと静かにあなたを受け入れてくれるでしょう。


              深紅の薔薇の物語 より


 ◇◇◇◇◇


 出立が迫る王宮前は、朝から慌ただしかった。

 騎士たちの号令、荷馬車の音と侍女達の忙しない足音。

 外交官達が行き交う中、私は王女として完璧に振る舞っていた。

 その隣には、エリアス殿下。

 帰国用の馬車まで、エスコートする彼の手は優しい。

「……綺麗」

 誰かが、思わず息を呑むように呟いた。

「銀の髪と、深紅のドレス……まるで絵画みたい」


 さらに少し離れた場所では、兄のアウレリオ皇太子が王族達と挨拶を交わしている。

 王族同士の空気だ。

 カイル達は、少し離れた場所からこちらを見ていた。

 騎士学院の学生である彼らは、王族の近くまでは来られないらしい。


「……すげぇ世界」

 カイルが小さく呟く。

 その隣で、リネは静かに腕を組んだ。

「お前が普段軽すぎるだけだ」

「いや、普通に緊張するだろこれは」

 少し後ろでは、ディオンが静かにその様子を見ている。

 カイルが呆れた顔をしたその時だった。

 彼らを見つけた私は不意に足を止める。

 エリアス殿下が何かを問うようにこちらを見て、私は小さく微笑んだ。

 

 私はそのまま、三人の方へ歩み寄ると、周りのざわめきが少し大きくなった。

 けれど、そんなことはもうどうでもよかった。

「……は?」

 カイルは固まる。

 周囲もざわつき始めた。


 隣国の王女が、わざわざ騎士学院の学生達の方へ向かってきたのだから当然だ。

 侍女達も少し慌てている。

 けれど私はは気にせず、三人の前で立ち止まった。

「間に合ったわ」

 そう言って笑えば、カイル達が少しだけ目を見開く。

 まるで花が咲いたみたいに笑えた気がした。


 まず、整った金の髪の少年に視線を向けた。

「あなたは?」

 静かに問うと、彼は一瞬だけ目を瞬かせてから、騎士らしく一礼した。

「リネ·ヒルベルトです」

「まあ、あなたが」

 カイルの話を思い出して、私は小さく笑う。

「カイルから話は聞いているわ。とても優秀だそうね」

「……どうも」

 彼は静かに一礼する。少しだけ困っている顔。

 私は内心で笑う。それから、ディオンへ視線を向けた。

「ディオンもありがとう」

「……いえ」

「今度は迷わないようにね?」

 その瞬間、ディオンがほんの少しだけ黙る。

 横でカイルが吹き出した。

「言われてるぞ」

「……お前もいた」

「俺は迷ってねぇよ」

 そんなやり取りを見て、また笑みが零れる。

 

 そして最後に、ゆっくりカイルへ視線を向けた。


 「カイル」

 

 名前を呼ばれた途端、彼の動きが少しだけ止まる。

「……はい」

 妙に素直な返事だった。くすりと笑う。

「棘、気をつけるわ」

 夏の風が吹く。

 長い髪が、陽の光を受けて揺れた。その瞬間、

 カイルがふっと真顔になる。


「……ケガするの、あんま向いてないですよ。姫様」


 別れ際、カイルはそう言った。

 その言葉に、私は一瞬だけ目を丸くする。

 それから、ふっと笑った。

「平気よ」

「その時は--来てくれる?」

 カイルが固まる。

 驚いたみたいに、言葉を失っていた。

 その反応が少し可笑しくて。

 私は笑った。


 まるで、一輪の深紅の薔薇が咲くように。




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