第1話 「選別の門」
命を本来の場所へ還す
そんな魔術がある。
それが、還命の魔術。
だが、その代償を知る者は、ほとんどいない。
そして、それを使う者もまた、ほとんど存在しない。
無表情で、言葉も少ない。誰とも群れず、ただそこに立っているだけなのに――なぜか視線を引く少年がいた。
風が冷たい。季節は秋を迎えたばかり。乾いた葉が、石畳の上を転がる。薄く引き伸ばされた雲が、音もなく流れている。どこまでも遠く、手の届かない場所で。
騎士学院の門は開いていた。
セレノア王立騎士学院は、選ばれた者だけが入ることを許された場所だ。国内の選ばれた少年たちは、ここで三年間を過ごす。
剣。
魔術。
戦術。
そして選別。生き残る者は、ほんの一握り。卒業する頃には、彼らはただの騎士ではなくなっているだろう。
「...今年も来たか」
門の前で誰かが呟いた。
石造りの巨大な門。
その奥に広がるのは、試験場と寮、そして戦場のような日常。
笑い声もある。だが、それ以上に静かな緊張が、常に流れていた。
その中に一人、彼は立っていた。
艶を抑えた黒髪は、光を受けても静かに影を落とす。
深い青の瞳は、どこか遠くを見ているように揺らがない。
肌は焼けすぎることもなく、健康的な色を保っていた。鍛えられた体つきも、立ち姿も――すべてが騎士として正しい。それでいて、どこか、決定的に噛み合っていない。
まるで、そこに在るべきではない何かが、無理に形を整えて立っているかのように。それが、彼だった。
「...あいつ、誰だ?」
誰かが、小さく呟いた。
「今年の新入生だろ?確か名前は…..ディオン·リュミエール……」
「妙に目立つよな」
「いや、目立つっていうか...」
言葉を探すように、声が途切れる。
「なんか、近寄りがたい」
笑い混じりのその一言を、誰も否定しなかった。
実際、彼の周囲だけ、わずかに空気が違っている。
それは、威圧でも、拒絶でもない。
ただ、“触れてはいけないもの”に対する、本能的な距離。
「......」
その様子を、少し離れて見ている者がいた。
彼の名は、リネ·ヒルベルト。同じく今年入学した騎士科の生徒であり、すでに上位クラスと噂されている少年。明るい金髪の髪は整えられ、意志の強い透けるような空色の瞳は、まっすぐ前を捉えている。
日差しに馴染む健康的な肌と、無駄のない引き締まった体つき。立ち姿には迷いがなく、そこにいるだけで強さが伝わった。
彼は腕を組み、しばらく黙ってディオンをみていた。
ただ立っているだけの姿。
それなのに、どこか"隙がない"。
(……相変わらず、変な奴だな)
率直な感想だった。
脳裏をよぎるのは、あの日の入学試験。
◇◇◇◇◇
騎士学院 ― 入学試験当日。
初夏の朝、前日の雨は止み、石畳の上には霧がうっすら足元に残っている。太陽が出るにつれて、霧はすっと消えていった。
広い石畳の訓練場には、すでに人が集まっている。ざわめきはあるものの笑いは少ない。
「……これが、試験?」
誰かが呟く。驚くのも無理はない。出迎えたのは巨大な門だけ。教官の姿すら見えない。
前方には、三つの門が立ち並んでいる。
三つの門のうち、一つは開き、ふたつは固く閉ざされている。その上には文字が刻まれている。
Ⅰ「試練の門」
Ⅱ「適性の門」
Ⅲ「選別の門」
説明はない。誰も、何も言わない。
「……つまり」
「行けばいいってことだろ?」
一人が踏み出す。
次の瞬間、音もなく崩れ落ちた。
「は?」
ざわめきが広がる。ただ、前へ出ただけでなぜ?と少年たちは顔を見合わせる。
「……結界か」
低く、誰かが言う。ほどなくして、一人の少年が歩き出した。黒髪に、無表情な少年。
ディオンだった。彼は迷いはないしっかりした足取りで、颯爽と門の前まで行くと、“通る”何も起こらない。
静寂に辺りが包まれた。
「……なんでだ?」
誰かが呟く。ディオンは、振り返らず、そのまま、奥へ進んでいった。
詠唱なしに結界を抜けることは、ほとんど不可能だ。
霧が、わずかに裂けた。
(“虚を払い、真を示せ”)
これが、結界を越えるための詠唱だ。しかし、ディオンにとっては“必要性がない”それだけだ。
--これが始まりだ。
Ⅰの「試練の門」を抜けると、道は、三つに分かれていた。岩場、水路、森--それぞれの場所を示す札が立っている。
どれが正解かは、わからない。ディオンは、森を選んだ。理由はない。ただ、ディオンにとって“そこが一番静かだった”からだ。
リネは、森を見て感じた。
「おそらくどれを選んでも、同じ場所に繋がっている」
「ただ」
視線が、ゆっくりと動く。ディオンが進んだ方向を。
(“これは選び方で、落ちる”どれを選ぶかではない。なぜ選んだか)
「岩場は、“安全そうだから”選ぶ」
「水路は、“対処できると思って”入る」
「森は、“隠れやすそうだから”入る」
(どれも、“判断”と“反応”だ)
岩場、水路、森。
岩場を選ぶのは、“安全を読む判断”。水路に入るのは、“危機へ応じる反応”。森に入るのは、“音・風・足跡・地形--見えぬ情報を読む力”が試される。
いずれも、騎士に求められる資質だ。静かに、確信を持って。
「試験は、そこを見ている」
他の少年も果敢に挑む。彼が選んだ場所は、人工的に作られた水路。
「なんだ、ぜんぜんいける」
水路は穏やかに見えた。
幅も浅さも、渡れないほどではない。
——そう見えるだけだ。
足を踏み入れた瞬間、流れの感覚が変わる。
彼は流されてはいない。それでも、少年は倒れた。
理由は分からない。水の中を進む足を誰かに掴まれたような感覚だけが残る。
——ただ、選んだだけで。
Ⅱ「適性の門」
森の中に入ると足音が消え、静かな空気に包まれた。
「……幻術か」
徐々に視界が歪んでいく。
過去の知らないはずの風景と誰かの声。
「――」
聞き取れない。
ディオンは、足を止めると少しだけ考えてから、何もせず進んだ。何も“反応しない”。幻が、消えた?
「……適性なし?」
遠くで、誰かの声が聞こえる。だが違う。“影響を受けない”それが適性。
ある森の奥では、低いうなり声。振り返ると、影が牙を剥いていた。
「っ……!」
少年は剣を抜くと、勢いよく斬り払った。
瞬く間に、視界が砕けた。
たが--
それは、適性がないことを意味する。反応した時点で、終わりだ。
ここでも、何十人もの少年たちが落とされた。
Ⅲ「選別の門」
開けた場所には、すでに数人集まっていた。そして、中央には、背の高い教官の姿。ブリュム·ハイゼンベルクだ。やっと教官が現れた。しかし中央に立つ当の教官は、彼らに一瞥もくれない。
まるで、ここに来られなかった者など、存在しないかのように。
「遅い」
静かな声でありながら、すぐに空気が変わる。背は高く、無駄のない体つき。短い灰色の髪にアイスブルーの瞳は凍てつくほどに澄んでいる。感情をほとんど表に出さない目。騎士の制服は簡素で、使い込まれている。
手には古い傷が残る。低く通る声。立っているだけで、空気が引き締まる。
「ここから先は、試験ではない」
「選別だ。はじめ!」
一人の少年が、前に出る。
「ディオン·リュミエール」
名を告げた後、互いに軽く礼をする。剣を抜いた相手が、果敢に攻める。ディオンは最小限の動きで、剣をいなした。次の瞬間、ディオンの相手は、地面に叩きつけられていた。
相手の弾かれた剣が、空へ跳ねる。
くるり、と一回。さらにもう一度、回る。太陽の光を受けながら、空を切りながら。地面に鋭く突き立ち、乾いた音が地を打った。一瞬の出来事。誰も、何が起きたかわからない。ブリュムの視線が、動く。もちろんディオンへだ。
「……勝者、ディオン·リュミエール」
ディオンは、何も言わない。ただ、立っている。ブリュムは固い表情を崩さず、「残れ」と一言呟いた。
◇◇◇◇◇
やがて試験は終了した。合格者は、数名。誰も、喜ばなかった。それが、この学院では普通だから。その中で、一人だけ何も変わらない顔で立っている。
ディオン·リュミエール。彼の家は、古い騎士家系だが、今は名ばかりの没落貴族。家名だけが残り、力はほとんど失われている。厳しい父に教えられた剣。彼の父もまた、騎士であった。相手が子どもであっても全く容赦がない。剣の修行では加減も躊躇いもない。
それでも、身につけた。泣きわめいた時は、母が抱き締めてくれた。母はよく笑う明るい人だったらしい。もう、ずいぶん昔のことだ。
「痛いのは嫌よね。でも、ちゃんと--から大丈夫よ」 母はなんと言ったのだろうか?本人は思い出せそうで思い出せない。
「そんな顔しないの!笑って?」
それ以降の会話は思い出せない。母はしばらくして病にかかりこの世を去った。剣だけは、確かだった。基礎が深く、誰が見ても教え込まれたものだと分かる。
リネがしばらく黙っていると、
「お前も気になってる?」
不意に、横から軽い声がかかる。
振り向けば、そこには一人の少年が立っていた。無造作な明るい茶髪に、少し人懐っこい笑み。新緑を思わせる緑色の瞳を持つ少年だった。制服の襟元はわずかに崩れていて、どこか肩の力が抜けている。
カイル·ヴェルナー。リネと同室の生徒であり、入学初日に自然とつるむようになった相手だ。
「あいつだろ?さっきからやけに視線集めてるやつ」
カイルはディオンの方を指差しながら、興味深そうに目を細めた。
「……ああ」
リネは短く答える。
「なんかさ、強そうっていうより――」
カイルは少し言葉を探して、肩をすくめた。
「――触れちゃいけない感じ、しない?」
その一言に、リネはわずかに目線を上げる。
「……わかるのか」
「なんとなくな。勘だけど」
軽く笑うカイルとは対照的に、リネの視線は外れない。
(やっぱり、見ておいた方がいい)
その確信だけが、静かに残るのだった。




