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再教育

「歴代の女神の代理人様は、感謝祭で女神の祝福を受け取り、国に繁栄と平穏をもたらしてくれています」

目の前で本を広げて説明してくれる女性は、とても優しい声でアイシャに諭すように話していた。

3年前にも女神の代理人としての勉強とアレスの婚約者として妃教育を受けていたアイシャだったが、その記憶が何もないため、再び教えてもらうことになった。

前回は半年という期間にゆっくりと勉強していたらしいが、今回はすでに3か月を切っているため詰め込むように再教育となってしまっている。だが、女神の代理人と国の歴史を語ってくれる目の前の女性は慌てることなく、アイシャがしっかり理解していることを確認して話を進めていた。

「この調子で大丈夫なのですか?」

勉強を受けている側ではあるがアイシャも少し心配になっていた。

「問題ありません。細かく歴史を詰め込むには時間があまりにも足りませんが、要点だけ覚えておけば歴史に関しては大丈夫です」

誰かと細かい歴史の話をすることもない。代理人と女神の関係を把握できていればいいのだと言う。

「マナーなどはできるだけ完璧を目指したほうがいいでしょう。周囲の人々に侮られる原因になりますから」

平民出身の女神の代理人。アイシャが失敗をすればそれを喜んで突いてくる貴族がいるのだ。彼らが口をはさめないようにするのも必要だ。

「とは言いましたが、アイシャ様のマナーは問題ありません」

歴史を教えてくれている目の前の女性教師はマナーの講師ではない。それでも、授業を受けている態度やアイシャの振る舞いを目の前にして、マナーがしっかり身についていることを見抜いていた。

「ありがとうございます」

「侯爵家での教育が良かったのでしょう」

アイシャは平民出身ということで、女神の代理人に選ばれた後、侯爵家の養女となった。そこで王都に来るまでの間にすべてのマナーを叩き込まれたと思っているようだ。

だが、アイシャの振る舞いは幼いころから母親が教えてくれていた。エリストン家と交流があった母は娘が失礼をしないように教えてくれていた。その母はどこでマナーを学んだのか、アイシャは何も知らなかった。両親ともに貴族と接するのに問題がない様子だったことを覚えている。

母からすべてを学んだと言ってしまえば余計な追及をされそうだったので、アイシャは曖昧に微笑むだけにした。

「マナー講師のダイアナ侯爵夫人は厳しい方で有名ですが、アイシャ様なら大丈夫でしょう」

ダイアナ侯爵夫人は3年前にもマナーを教えてくれた講師だったと聞いている。厳しいというのは誰もが知っていることで、その分完璧な淑女を目指せるということでも有名だった。

挫折する令嬢が多いとも聞いたが、アイシャも3年前に学んでいた。その時の評価に問題がなかったらしいが、記憶がないアイシャとしては不安である。

それでも逃げるわけにもいかない。会ってもいないのに講師を替えてほしいとも言えないだろう。

「頑張ります」

そんな話をして今日の授業は終わりとなった。

授業は午前中だけで、午後からは行くべき場所があった。

その前に着替えなければいけなかったためアイシャは部屋に戻ることになった。

「祭壇用の服は少し複雑なんですが、習ってきたので時間をかけずにお手伝いできると思います」

部屋に戻るとルルネがすでに着替えるための服を用意してくれていた。

全体的に白を基調とした体のラインが出そうな服だが、最後に体を覆うような布で隠すようになっている。綺麗に着こなすためには侍女たちの手伝いが必要になる。3年前にも用意されていた服だが、ルルネが1人だけ手伝ってくれていたらしい。だが、複雑な部分があるため時間がかかったり綺麗に着こなせなかったりしていたそうだ。

アイシャは今回初めて着るつもりでいるが、説明していたルルネは過去を振り返るように話をしていた。懐かしい思い出くらいに思ってくれていればいいが、他の侍女が何も手伝わないことで苦しい思いをした記憶を思い出していたら申し訳ない気持ちになってしまう。

アリンとナナミは初めなので、ルルネの指示に従うように手伝ってくれた。

3人の侍女が手伝ってくれたおかげで時間をかけずに次の場所に行くことができそうだった。

午後からは城の中に用意されている祭壇に行くことになっていた。そこで女神の代理人は女神オリビアに祈りを捧げ、声を聞くこともあるという。代理人はこれを定期的に行うのだ。

3年前も行っていたはずだが、どんな感じだったのか覚えていない。

祭壇には代理人のほかに神殿から派遣された神官が付き添うことになる。侍女は部屋の手前で待機することになり、護衛騎士も入ることはできない。

「行きましょう」

初日ということで侍女3人に護衛騎士も3人を引き連れていくことになった。

侍女と騎士を1人だけと思っていたアイシャだったが、周囲に見せつけるためにも全員で行った方がいいとディランが提案してきた。それに全員が同意したのでアイシャも彼らを連れて行くことにした。

今のところアイシャに敵意を向けてくる人間を城の中で見ていないし、話をしたこともない。それでもアイシャが女神の代理人であるということを周囲に知らしめるためにも、貴族出身の侍女や騎士を引き連れていくのは効果があるのだろう。

先をディランが歩き、その後ろをアイシャがついていく。3年前に生活していた城の中だが、その記憶がないため行きたい場所に行くときは誰かの案内が必要となっていた。少しは慣れたが、誰もがアイシャを気遣って何も言うことなく先を歩いてくれるのだ。

途中数人の貴族とすれ違ったが、誰もがアイシャに道を譲るように廊下の端に移動してくれていた。

ディランが先頭だからではないことはアイシャでもわかっている。女神の代理人の先を塞ぐようなことをしてはいけないという彼らの配慮なのだ。

3年前はアイシャを虐げる者たちが城の中にいた。こうやって歩いていても前を塞ぐ貴族がいたのかもしれない。その差がわからないことが、なんとなく残念に思ってしまった。

そんなことを考えながら歩いていると、ディランが急に立ち止まった。

そこは行くべき場所の途中。廊下の真ん中で止まったのだ。

不思議に思ってディランの横から顔を覗かせてみると、行く先に1人の男が憮然とした表情で立っていた。その視線に敵意を感じて、アイシャはすぐにディランの後ろに隠れるように身を引いた。

「女神の代理人様の前だぞ」

普通ならすぐにでも横にずれるはずなのに、彼は動こうとしなかった。

「3年前と同じ平民出身の女神の代理人だろう。俺は彼女に用がある」

明らかにアイシャを敬う態度ではない。初めて会った敵意を向ける相手にアイシャは無意識に体に力が入っていた。何のために立ちはだかっているのかわからないため不安が募る。

すると、アイシャの不安を察知したように後ろについてきていた侍女3人がアイシャを囲むように立った。

その行動にアイシャは無意識に安心感を覚えていた。アイシャを守ってくれている人たちは、女神の代理人として認めてくれているのだ。

そう思うと先ほどまで感じていた不安も消えていた。

アイシャは不安を抱えることなく前に進むとディランの横に立った。彼より前に出るのは護衛騎士として許してくれなさそうだったので、それ以上前に出ることはしなかった。

「私に用とは?」

「本当にピンクの髪と金の瞳なんだな」

アイシャが姿を見せると、上から下まで視線を動かしてから男が吐き捨てるように言った。

完全にアイシャを見下している態度に、騎士と侍女たちの雰囲気が冷たくなった気がした。ここまでアイシャを下に見る貴族は初めてだ。

ただ、アイシャの中に怖さはない。不思議と怒りも感じなかった。

「私が女神の代理人であることを知っているようですが、あなたはどちら様でしょう?」

見た目だけでアイシャが女神の代理人であることはわかるが、相手の男は名乗ることもせずに不躾な視線をアイシャに向けているだけだった。3年前に会っているのかもしれないが、今のアイシャに男との面識はない。

「この国の貴族の顔と名前も覚えていないのか」

「ちょっと、あなた」

不遜な態度に先に反応したのはナナミだった。声を上げて一歩前に出る。男のあまりの態度に怒りを抑えることができなかったようだ。

「それが女神の代理人様に対する態度なの」

「お前こそ、侯爵令息に対する態度とは思えないな」

男はどこかの侯爵家の息子らしい。ナナミはアイシャの侍女をしているが、男爵家出身だ。貴族の身分として侯爵家よりも低い立場のため、相手の男の態度は大きかった。

身分差がわかったナナミはそれ以上何も言えなくなったのか、唇を噛みしめていた。握りしめていた手が震える。

「ナナミ」

アイシャが声をかけると悔しそうな表情をしながらナナミが振り返った。そんな彼女に静かに下がるように指示を出すと、彼女は素直に従ったが、内心では悔しくてたまらないようだった。

アイシャがまっすぐに侯爵令息だと名乗った男を見る。だが、彼はアイシャの視線など気にすることなく不遜な態度のままだ。

「あいにく、今貴族のことを勉強です」

「今から覚えるなんて、今まで何をしていたんだか」

女神の代理人に対して、男は態度を変えることがないし名乗るつもりもないのだとアイシャは判断した。そんな態度の相手に怒りよりも呆れが先に生まれていた。

「ザクロス卿」

アイシャは男を無視してディランに話しかけた。

こういう男は相手にしても無意味だと判断したのだ。

そのことに相手が気付いているかはわからないが、アイシャは気にすることなく話を続けた。

「女神の代理人に対して不遜な態度を取る相手は、どういった対処になるのかしら?」

「相手の態度次第ですが、危害を加えるようなことがあれば問答無用で我々が制圧します。発言内容によっては侮辱罪や不敬罪を適用させることもあります」

男に聞かせるようにディランが言う。その言葉に男の表情が歪んだ。女神の代理人に対しての態度ではないと気が付いてくれたのならよかったが、彼の表情から、反省するような雰囲気はなかった。こいつらは何を言っているのだと疑問に思っているような顔だった。

男は女神の代理人という存在を何も理解できていないのかもしれない。そうなると何を言っても無駄になる。3年前の失敗についてもきっと何も理解していないのだろう。

そう考えると、彼にかまっていることが時間の無駄になると思えた。

それはディランも感じたようで、視線が合うとディランは何も言わずに歩き出した。その後ろをアイシャも続いて男の横を通り過ぎようとした。

すると、男が無視されたことを不快に思ったのか、眉間にしわを寄せた後無言でアイシャに手を伸ばそうとした。

刹那。一番後ろについてきていた双子の騎士が音もなく動いた。

アイシャに伸びた手は届くことがなく、男は瞬時に床に叩きつぶされるように倒されていた。

「う、ぐぅ」

謎のくぐもった声を出していたが、アイシャは男を気にすることなく前に進んだ。その方がいいのだとわかったからだ。ディランが止まることなく進み、侍女たちも全く動じることがない。

結局相手の素性もわからないまま、アイシャは廊下を歩き続けることにあり、目的地まで進むことになった。


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