王都へ
「荷物は全部運んだか」
「不備がないようにしろ」
騎士や従者たちの声を聞きながら、アイシャは自分が乗り込む予定の馬車を見つめていた。
平民としての記憶しかないアイシャにとって、馬車とは荷物を運ぶ箱馬車か、人を乗せる幌馬車が一般的だ。目の前の馬車は貴族が乗るべきものでアイシャには関係のない存在だったのだが、それに乗ることになる。
「前にもこんな馬車には乗っているけどね」
呆けたように見上げていると、何を考えているのかわかったのか隣に立っていたロイナーが馬車を見上げて言ってきた。
「代理人として王都に向かったときにも乗っているよ」
その記憶がないので、初めて乗るという感覚しかない。
「あの時も似たような反応だったかな」
アイシャが貴族の馬車に乗ることになって、今と同じ反応を示していたらしい。同じことを繰り返していると思うと少し恥ずかしい気もするが、記憶がないのでどうすることもできない。そして、当時ロイナーは送り出す側だった。それが今回は一緒に王都に向かうことになっていた。
彼は今アレスの側近として働いている。エリストン侯爵領に残るという選択肢はなかった。
見知った人間が一緒だというだけで安心感がある。ただ、それ以外はすべて知らない人間でもある。
「アイシャ」
呼ばれて振り返るとアレスが騎士を2人連れて近づいてきた。
「君に紹介しておこうと思う。俺の護衛騎士をしているレイストだ。隣が君の護衛をすることになっているディランになる」
茶髪に緑の瞳をした背の高い男が軽く会釈してきた。
「殿下の護衛騎士を務めていますレイスト=ビークルです。今回の騎士たちの指揮も務めています」
「初めまして?」
アイシャは首を傾げて挨拶をした。記憶がないのでわからないがアレスの護衛をしているのなら会ったことがあるかもしれない。
「3年前にもお会いしています」
アイシャの疑問を正確に理解してレイストが言ってきた。
「ですが、殿下の外交についていったため、王都では会う機会がありませんでした」
王都でのアイシャの生活をレイストは見ていない人間だ。
「そうですか」
彼はアイシャに何もしていないのだとわかると、少しだけ安心できた。
「自分はディラン=ザクロスといいます。代理人様にお会いするのは初めてになります」
少し緊張した面持ちでレイストの隣になっていた黒髪の青年が挨拶をしてきた。同じ黒い瞳がまっすぐにアイシャを見つめる。会うのが初めてということは、3年前には彼は騎士ではなかったのだろう。
「自分は3年前は騎士団に入ったばかりで見習いのような立場でした。代理人様と接触することなどありえない下っ端です」
ディランは騎士であったらしいが、騎士団に入ったばかりで城にいたアイシャと接触することはなかったようだ。アイシャがどんな生活をしていたのか彼の耳に入ることはなかったようだ。
「ディランはアイシャと接点がない騎士で、剣の腕を見込んで専属の護衛騎士にすることにしました。これからは常にディランが側にいることになります」
レイストの説明にアイシャは改めて自分が重要な存在であることを認識することになった。
ただ、説明を聞いて気になることがあった。
「3年前に私の護衛をしていた騎士はどうなりました?」
3年前にもアイシャには護衛騎士が付けられたと聞いている。その騎士はアイシャが周囲から虐げられていても見て見ぬふりを貫いていたらしい。その彼はどうなったのか気になったのだ。
するとレイストが一瞬アレスに視線を向けた。小さく頷いたアレスの動きに話してもいいと許可を得てからレイストが説明してくれる。
「女神の代理人様に手を出したわけではありませんが、護衛騎士にも関わらず傍観していたことは処罰の対象になります。彼はすぐに騎士団から追い出しました。その後他の領地で騎士として働こうとしたようですが、女神の代理人を傷つけた騎士という噂が広がってどこの騎士団にも所属できなかったようです。そのあと傭兵になったようですが、その後の消息は不明です」
一気に話をしてくれたレイストは何の感情も見せなかった。知っていることを報告するだけ。
彼の話を聞いてアイシャは内心ほっとしていた。何もすることなくアイシャを守らなかった騎士がまだ城にいるのかと思うと気持ちが沈みそうな気がしたが、すでに罰を受けて城からいなくなっていることに安心できた。
記憶がないアイシャはこれから王都に行って周囲からどう扱われるのかわからない。同じことを繰り返すことはないと思っているが、アイシャを傷つけた人間が近くにいると思うと不安な気持ちが生まれそうな気もしていた。
「わかりました。護衛をよろしくお願いします」
騎士に関しては問題ないようだったのでそのままディランがアイシャの護衛に就くことになった。
「荷物の準備ができたようなので、出発したいと思います」
レイストの言葉で周囲にいた人々がそれぞれの場所に移動していく。
「アイシャ」
馬車に乗らなければと思っていると、エレナの声が聞こえた。
そちらを振り向くと、心配そうな顔をしたエレナと寂しそうな様子を見せながらも黙って隣に立っているカインがいた。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「何かあればすぐに連絡しなさい。侯爵家の力を使ってでも助けになろう」
馬車に乗ってしまったらもう2人とは会えなくなってしまう。感謝祭には王都に来てくれるようだが、それまでアイシャに優しくしてくれた2人とはお別れだった。
そう思うと無性に寂しくなってアイシャは馬車に乗る前に最後の我が儘をしてみることにした。
駆け寄ってエレナに抱き着いたのだ。貴族令嬢として走ったり抱き着いたりすることは、はしたないと思われる。だが、あえてアイシャは子供のように振舞った。
「行ってきます」
それだけ言ってすぐに離れる。
エレナは今にも泣きそうな顔をしていたが、何とか笑顔を見せてくれた。カインも優しく見守るように小さく頷く。
離れがたい気持ちを押し込めて、アイシャはロイナーが待っている馬車へと戻った。
「何かあればすぐに戻ってきたらいい。女神の代理人を縛り付けておくことは誰にもできないから」
馬車に乗り込むと、その後に続いてきたロイナーがそんなことを言ってきた。アイシャがエリストン侯爵家に帰りたいと思えばすぐにでも帰ってこられるのだから、そんなに心配することはないと言っているように聞こえた。
「あまりアイシャを焚きつけるなよ。彼女にはできるだけ王都にいてもらいたいのだから」
最後にアレスが馬車に乗り込んでくる。彼も同じ馬車で移動するようだった。
3人乗ったとしても馬車は十分に広い。足がぶつかることもないので窮屈には思わなかった。
「それは殿下たちの対応次第でしょうね。僕はアイシャが戻りたいと言うのなら、いつでも領地に送り出すつもりでいますから」
アレスの言葉にロイナーは臆することなく言い返している。女神の代理人を傷つけたり怒らせればいつでも王都から逃がすつもりだということを宣言しているようでもあった。アレスが王族とはいえ女神の代理人であるアイシャを押さえつけておくことはできない。ロイナーのほうが身分は低いが、アイシャの保護者として立場が上のような感じになっていた。
「ロイ兄さま。あまり殿下を困らせないほうがいいと思うわよ」
記憶がないので王都は初めて行く場所という感覚だ。どんなことが待っているのか想像できないアイシャの支えになってくれようとしているアレスが弱っているのはあまり見たくないと思えた。
「アイシャがそう言うのなら」
ロイナーはそれ以上何も言うことなく馬車がゆっくりと動き出す。
期待と不安を胸に、アイシャは王都へと向かうことになった。




