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第十一話 ラストシーンにアンダーライン 3

「小野村君、小野村君ね! 彼に私の声を真似させたんでしょう! そこをどきなさい!」


 久美は怒りに震えながら、目の前の少年に迫った。体が激昂し、熱くなるのが分かる。


 しかし、先ほどから数メートルの間隔で対峙している堂野は至って冷静だった。

 操作盤を背後に、自身の大きな身体を利用して、マイクの電源をどうにか落とそうとする久美の侵入を落ち着き払って、邪魔していた。

 残念ながら、その強固な守りは久美には突き崩せそうにない。

 事実、狭い室内の中、久美はそれまで何度も彼の背後へと回り込もうと試みたのだが、その度に、彼の長い手に押し返されてしまうのだ。まったくもって卑怯だった。


 久美は心中で悪態をつく。

 自分の体で楯を作るなんて、反則よ。


 しかし、それで諦める久美ではない。

 頭の中では次なる作戦が浮かんでいる。


「なめないで!」


 そう叫び、堂野が出していた前足を強く踏みつけると、彼がひるんだ隙をついて、再度突破を試みた。

 彼がたじろぎ、僅かに空いたスペースに身体を滑り込ませる。こうなれば操作盤までは目と鼻の先だ。

 憎き小型マイクの電源スイッチに手を伸ばし――と、手が宙を掻く。

 振り返ると、後ろ向きの堂野に肩を掴まれていた。あっという間にその場から押し出されてしまう。


 ダメ、だったか。

 すると、堂野が懇願するように言った。


「有川、頼む。静かにしてくれ」

「ふざけないでよ、堂野君。邪魔なんてさせない。今回の劇が私にとってどれだけ大切なものか、あなたは知らないのよ!」

「違う」


 彼は首を振る。


「何が、何が、違うって言うのよ!」


 助けを呼ぼうと背後を振り返るが、背後では、じたばたともがく紗江を後ろから馬場が羽交い絞めにしていた。


「馬場君、放して!」

「申し訳ないけど、いくら女性からの頼みでもそれは出来ない」

「どうして! 裏切り者!」


 なるほど、こいつも最初からグルか。

 久美の眉間に皺が寄る。

 男子二人と女子二人、認めたくはないが、そこには圧倒的に埋めがたい力の差がある。


 しかし、当然、それで簡単に降参する気はなどない。久美は演劇部部長なのだ。

 確かに力では負けるものの、喚き、叫ぶことで、彼らの計画を妨害することは出来る。


 せめて、あらん限りの暴言をたたきつけてやる。


「何とか言いなさいよ!!」


 久美は堂野を睨みつけて大声で罵った。


「有川、違う。俺は邪魔をしにきたわけじゃないんだ」


 すると、彼は眉をひそめて俯く。


「うそ!」

「本当だ。有川が作った劇を台無ししたいわけじゃない」

「なら、何よこれ!!」

「これは、だな――」

「ストーリーがまるで違うじゃない!」


 久美は感情を撒き散らすように、彼の言葉を遮って怒鳴った。


「歌姫はこれで王子と結ばれてハッピーエンドなの! 全部私が話を作った! ここから逆転の展開なんて、ありえないのよ! 王子は悪役じゃない! 上手くいくように計算してた! 全部完璧だった!」


 いっそこと、彼の顔を殴ってやろうかと思った。


 しかし、


「知ってる」


 間髪入れず、彼は答える。


「知ってる?」

「ああ、知ってる」


 その言葉に、久美は再び愕然とする。


 そうか、と思う。


 そうか、『知っている上で』、彼はこんなことをしているのか。『知っている上で』、自分を邪魔をしているのか。


 久美の中で数週間前、放課後の教室で彼と話した記憶が蘇っていた。

 内容は、演劇部に入らないか、副部長にならないか、に始まりって、演劇、芸術のことから、日々の何気ない生活ことまで、会話が広がっていったことが思い出される。


 最初は面倒くさそうに相槌を打つだけに徹して彼だったが、次第に、久美の話に耳を傾けてくれ始め、少しずつ、返事を増やしてくれた。

 親密に、仲良くなれていると思っていた、彼、堂野亮介。


 そんな彼への信頼が、ガラガラと音を立て、崩壊していく。


「なら、どうして! あなたが、私のことを分かってくれてるなら……」


 私は、こんな劇を作りたい。

 久美の理想を笑って聞いてくれていたのに。


「あなたなら、分かってくれていると思っていたのに」


 そんな堂野が、自分の劇をぶち壊しにすることが、屈辱だった。

 そして、何よりの侮辱だった。


「私の話を聞いてくれた、あなたなら!」


 公園の時のような我慢はもう出来なかった。


「どうして? そんなに私のやり方が気に入らないの! ねえ、どうして!」


 無意識に、久美は彼の服を掴み、揺さぶっている。


「答えてよ、ねえ!」


 自分の叫びが、部屋にこだまする。

 それが、鳴り終ったとき、ようやく彼が口を開いた。


「もちろん、あんたが一生懸命やってるのは知ってるし、あんたの気持ちも知ってる」


 有川・・が、「あんた」に変わっていた。


「え?」

「でもな、俺はそれを踏まえた上で」

「……」

「あんたに、言いたいことがあるんだ」


 思いつめたような、彼の張り詰めた表情。

 すると、何の前触れもなく、まるで始めからそうしようと考えていたかのように、久美を、そっと、抱きしめた。


 久美は、抱きしめ、られた。


「あっ」


 途端に、くたん、と力が抜ける。

 抵抗する力が、奪われてしまった。いや、正確には抵抗しようとする意思が、非常に希薄となってしまったのだった。

 振り上げた手が力なく彼の胸に置かれる。


 素直に、温かい、と思った。


 堂野君って、

 あったかいんだ。


 このまま身を委ねたいとすら、思ってしまいそうになる。

 ゆっくりと、彼が耳元で優しく囁く。


「一人で、何もかも支配して、自分が理想とするものを一途に信じて、良かれと思ってやったことが、過ちを招くことがある」

「さ、さっきの、説教の続きをしようって言うの?」


 彼が近すぎて、言葉が上手く紡げない。


「聖夜の歌姫」


 彼は劇のタイトルを唱えるがごとく言った。


「それが、何?」

「彼女は、皆を幸せにしたかった」

「だから?」

「そのために歌を歌った。道行く人に、酒場に集う人々に、村人に、商人、奴隷、子供、大人、老人、女性、男性、国王に会って、王国全体に歌を届けようとした。良かれと思ってだ」


 彼はそこで間を置く。


「だが、さっきも言ったように、それが過ちを呼ぶことがある。見てくれ。これは俺が書いた話だが、彼女が歌を歌い、有名になったことで、王国に上手く利用されてしまうという、悲劇にもなりかねない」

「なにそれ、全部架空の話じゃない」


 吐き捨てながらも、久美は真横にある堂野の顔を直視できなかった。それはきっと、心の中で、彼の言葉に、負けていたからだった。

 彼はそれを知っていたのだろう。構わず言葉を続ける。


「それでもだ。同じことは現実にも起こりうる。有川、今のあんただ」


 彼はぐっと久美を抱く手を強める。


「今のあんたはあの歌姫と同じだ。最善を尽くしたつもりが、自ら道を踏み外した。このまま前に進んでも、周りはついてこないぞ」

「……だったら」

「うん?」

「だったら、どうすればいいの?」


 問いかけながら、その問いの意図を、久美は理解出来ていなかった。それは、突然久美の舞台を邪魔した彼への「答えてみろ」という、投げやりな挑戦だったのか、自らの過ちを認めた素直な心の声だったのか、判然としない。

 でも、妙に、自分らしくない、自信が皆無で、覚束ない声だった。


 すると、彼は何も言わずに、抱きしめていた手を離すと後ろを向いて、指をさした。

 指し示す先は舞台だ。

 中央に、見覚えのある少年と君恵が立っている。彼が、君恵に向かって、手を差し出していた。


「あの手に、掴まればいい」


 穏やかに、彼は告げた。


「え?」

「簡単なことさ。助けは、いつだってある!」


 凛と響いた、彼の答え。

 それこそが、彼が言いたかった言葉。

 伝えたかった言葉。

 助けは、いつでも、ある。

 久美の中にぱっと光が差し込むようだった。


「助け……か」


 小さく、確かめるように、呟いた。

 自らの内に差し込んだ光が風を呼び、砂埃でもやもやと煙るだけだった視界に、そっと新たな道を示してくれた気がした。立ち止まっていた自分が、その方向に向きを変える。光を見つめている。


 そんな不思議な、イメージ。


 久美は少なからず、幸福な気持ちを感じていた。

 と、


「掴め、掴め」


 ふいに、隣の少年がそう呟いていることに気がついた。

 久美は彼の横顔を見つめる。


「掴め、掴め、掴め、掴め……」


 何度もそう唱える彼の必死の形相は、先ほどまでの冷静さはすっかり消え去り、勝利を信じ祈る、一途な信者のようだった。

 久美は、彼と同じように前を見た。


「君恵」


 彼女の表情は、久美からは見えない。


「……」


 しかし、それでも、彼女が今、意志を決めたのが分かった。


「あなたは、選ぶのね」


 少女の手がふわりと差し出される。

 そっと、今、薫の手を掴んだ。


「よし!」


 瞬間に、隣の堂野が叫んだ。


「走れ!」

「え?」

「走れ! 薫!」

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