お代わり! 後日譚
ドラゴン砦の厨房担当、薬草師リナの料理はとてもまずい。
――はずだったのだが。
「あれ、えっ? これ……うまっ!?」
「どうして何これ、美味しいわ!?」
毎食恒例の悲鳴ではなく、なぜか今日は素っ頓狂な叫び声が響き渡る。
食堂の兵士達は皆、「信じられない」と言わんばかりに目を見開いていた。まるで目の前の料理が化け物であるかのように、気味悪そうに皿を眺めて遠ざける。
恐慌に陥っている一同を見渡し、エプロン姿のリナが得意気に胸を膨らませた。
「ふっふっふ。栄養満点の薬草料理のお陰で、皆さんもすっかり元気になられたみたいですからね。今日からは薬草料理は数品に減らして、薬草抜きの料理もご用意することにしたんです」
「――ほ、本当に!?」
歓喜に瞳を輝かせると、兵士達は一転して料理をがっつき出す。奪い合うように骨付き肉を鷲掴みにする彼らを微笑ましく見守って、リナは弾む足取りで踵を返した。
向かうはロイドとメルヴィンの待つテーブルだ。
「ロイドさん、メルヴィンさん! 隊長さんと副隊長さんであるお二人には、特別メニューをご用意してあります!」
さあさあ遠慮なく召し上がれ!
にこにこ笑顔で並べ出したのは、見事に緑色の皿ばかり。何の嫌がらせだと顔を引きつらせる二人を前に、リナは恥ずかしそうに視線を落とした。
「えへへ、そこまで喜ばれちゃうと料理人冥利に尽きますねっ」
「いや全くもって喜んどらんわ」
ロイドが速攻で突っ込むと、隣のメルヴィンも控えめに手を挙げた。
「リナさん。わたしは他の隊員と同じ料理が食べたいです。まずい料理スキーなロイド隊長はこのままで構わないとして」
「誰がまずい料理スキーだっ!」
リナは小さく首を傾げると、意外にも素直にメルヴィンの皿を片付け始める。ロイドに首を絞められているメルヴィンに、儚い微笑を向けた。
「コンブ草を細かく刻んだネバネバスープを始め、毛根を強くする薬草尽くし料理……。お気に召さなかったみたいで、残念です」
「頂きましょう」
すぐさま前言を翻したメルヴィンは、ロイドの手首を鮮やかにひねり上げる。ぺいっと叩き落とすと、張り切って料理に挑みかかった。
痛む手首を撫でながら、ロイドが胡乱な目付きでリナを見上げる。
「……俺のも毛根料理か?」
「いいえ。体力回復や風邪予防なんかの、滋養強壮に良い料理です。毛根料理はロイドさんには必要なさそうですし」
今のところは。
小声で余計な一言を付け足したリナをひと睨みして、ロイドもスプーンを取った。しかし、一口食べた途端ブッと噴出する。
「げふごほがほげほッ!?」
「メルヴィンさん。お代わりもありますからね?」
「ごほグェッホげほんゴホンッ!!」
「やあ、ありがとうございます。このネバネバ、意外と癖になりますね」
「良かった~! じゃあ今度から定番メニューに昇格させてみますっ」
「ゴホげほ……って少しは心配しろよお前らはッ!?」
涙目のロイドから喚かれ、リナとメルヴィンは顔を見合わせる。代表してメルヴィンが「何を今更」と言わんばかりに肩をすくめた。
「この破壊力満点の味にも、最近は慣れっこになってたじゃないですか。なんですか、久しぶりに大げさな反応をして、リナさんの気を引きたかったとかですか」
「バッ、違……!」
ロイドが一気に真っ赤になる。
あわあわとスプーンを振り回す彼から身を引いて、メルヴィンがリナの袖を引いた。
大真面目な顔でリナに囁きかける。
「ロイド隊長は『構ってほしい』と申しております」
「申してねぇ!!」
メルヴィンの後頭部を殴りつけ、「違うからな!」と声を張り上げる。リナがくすりと笑みをこぼした。
「わかってますって。……さ、お茶をどうぞ」
「あ、ああ……」
一体何をわかってるんだ? とドギマギしつつ、ロイドは湯気の立つカップを両手で包み込む。火傷しないよう慎重にすすり、またも激しくむせ込んだ。
「ゲホゴホガホゴエッ!?」
「ご馳走様でした。満腹です」
「はあい、お粗末様でしたっ」
メルヴィンが爽やかな笑みを浮かべて手を合わせる。嬉しげに応じるリナに腹が立ち、ロイドは荒々しくカップを叩きつけた。
「だからちっとは気にしろよっ! 何なんだリナ、今日はまずさに拍車がかかってるぞ!?」
思いっきり睨みつけるが、リナはどこ吹く風とにこにこ笑顔を崩さない。メルヴィンの皿を手早く重ね、ぐいっとロイドに顔を近付けた。
ロイドは反射的にのけ反ってしまう。
「……っ」
なぜだろう。
彼女はいつも通り、明るく笑っているだけなのに。
決して機嫌が悪いわけでもなさそうなのに。
(何なんだ、この迫力は……!?)
ロイドの背中を冷や汗が伝う。
絶句する彼をとっくりと眺め、リナはまた少し笑った。放置したままになっていたロイドの料理を、カチャカチャと音を立てて並べ直す。
はい、とスプーンを差し出した。
「お残しなんかしませんよね? だって、ロイドさんは好き……なんですからね?」
「へっ!?」
赤くなったり青くなったりするロイドから目を逸らさず、リナがゆっくりと繰り返す。
「好きなんでしょう? 私の――……まずい料理が」
しん、と食堂に静寂が満ちる。
いつの間にやら他の隊員達も、固唾を呑んでロイド達のやり取りに見入っていたらしい。
ロイドは内心たじろぎながらも、虚勢を張って腕組みした。
「も、勿論だ。男に二言はないとも」
「わあっ。さすがは隊長さんです!」
大仰に褒めそやすリナの圧力をひしひしと感じつつ、ロイドはロイド史上最低のまずい料理を涙目で完食した。
◇
「まずさが、足りてないんでしょうか……」
『ぴぎ?』
ドラゴン砦裏手の薬草畑。
最近やっと畑らしくなってきたそこにしゃがみ込み、リナはぶちぶちと雑草を引き抜いていく。抜いた端から子ドラゴンが雑草を平らげてくれた。
うわの空で作業し続けるリナを、だいぶ経ってから子ドラゴンがつんつんと鼻先でつつく。
『ぐるぐる』
「あ……っ。ごめんなさい、雑草ばかりじゃ飽きちゃいますよね? 蜂蜜ミルクを取ってきて、休憩にしましょうかっ」
『ぴぎぃ~!』
喜びのダンスを踊る彼を残し、リナは大急ぎでミルクの大瓶を取ってくる。
自分用のカップとドラゴン用の桶。桶の方は念の為ふたつ用意したが、どうやら正解だったようだ。
薬草畑の前には、さっきまではいなかった母ドラゴンが悠然とくつろいでいた。笑顔で彼女達に手を振って、小走りで合流する。
「母ドラさん、子ドラさんっ。お待たせいたしました!」
『ぴぎっ!』
『ぴい、ぴい』
はしゃぐ我が子を鼻で押してたしなめながらも、母ドラゴンも嬉しげな声を上げる。つられてリナも嬉しくなって、いそいそと二頭に蜂蜜ミルクを振る舞った。
ぽかぽか陽気の昼下り。
腹が満ちて眠気に襲われたのか、子ドラゴンが翼を畳んで丸くなる。すぐに健やかな寝息が聞こえ始めた。
『ぴゅ~……ぃ、ぴゅ~……ぃ』
カップや桶を片付けて、リナも草の上に座り込む。子ドラゴンの巨体に寄り添って、吐息に合わせて膨らむ体を優しく撫でた。
規則的に手を動かしながらも、思考は勝手に飛んでいく。
薬草料理と――……そして、ロイドについて。
ざらざらとした感触の子ドラゴンの皮膚に頬を押し当て、リナは湿っぽいため息を漏らした。
「やっぱり……やっぱり、まずさが足りないとしか考えられません……!」
『ぴい?』
不思議そうに顔を覗き込んでくる母ドラゴンにはっとする。慌てて立ち上がり、作り笑顔で取り繕った。
「あっ、いえ何でもなく――!……いえ、何もなくはない、んですけど……」
言葉が尻すぼみに消えていく。
そっと見上げれば、母ドラゴンはリナに優しい眼差しを向けていた。そのやわらかな瞳に勇気付けられ、リナはおずおずと母ドラゴンの耳に向かって背伸びする。
「あの、ですね……。ここだけの話、なんですけどね……?」
こしょこしょと囁きかけた。
母ドラゴンはふんふんと頷いたり、ヘッとあきれたように鼻息を吐いたり。色んな反応を返しながらも、最後まで熱心に耳を傾けてくれた。
すっかり話し終えて、リナは心が軽くなったのを感じた。
「――と、いうわけで。私、決めたんです。昨日よりも今日、今日よりも明日。毎日少しずつでも進化したまずいごはんを、ロイドさんに食べさせよう、って!」
『…………』
母ドラゴンが口を半開きにする。そのまま彫像のように動きを止めてしまった。
予想外の反応に不安になって、リナは彼女を激しく揺さぶる。
「えっ、私何か、おかしなことでも言っちゃいました!?」
『…………』
やはり何も答えてくれない。
半泣きになったリナは、だって、と弁解する。
「ロイドさんが本当にまずい料理スキーなら、進化したまずいごはんにきっと大喜びしてくれるはずでしょう? これぞうちのお母さんが教えてくれた『胃袋を掴む』というやつですっ」
『…………』
「それでそれでっ。もし、もし仮に、ロイドさんがまずい料理スキーじゃなかったとしたらっ。その場合はつまり、ロイドさんが言っていたあの時の言葉の意味が、変わってくるというわけで……」
つまり、ロイドさんが本当に好きなのは……。
しどろもどろに言葉を濁し、真っ赤になって俯いた。
もじもじとスカートを弄るリナを眺め、母ドラゴンはふしゅうと鼻息を吐く。大きな口をひん曲げると、のっしのっしと踵を返した。
「母ドラさんっ?」
リナは大慌てで彼女の背中に追いすがる。
薬草畑からほんの少し離れた、年経た大木の前で母ドラゴンは足を止めた。やおらリナを振り返り、「見てな」というように顎をしゃくる。
『…………ぶい』
微かに唸り声を上げたかと思うと、ズドン、と地面が激しく振動した。母ドラゴンが大木に体当たりしたのだ。
「えええっ!?」
『ぶい、ぶい、ぶいっ』
驚愕するリナを完璧に無視して、母ドラゴンはズドンズドンと体当たりを繰り返す。
何度目かのアタックで、大木がみしりと傾いだ。きらりと瞳を光らせた母ドラゴンが、すかさず追い打ちをかける。
『ぶぶぶいっ』
平手打ちが見事に決まった。
大木は真っ二つに折れ、轟音を立てて地に倒れ伏した。
『ぴぎ~!?』
目を覚ましたらしい子ドラゴンが、半狂乱になって駆けてくる。怯える彼を冷静になだめつつ、リナは堂々と立つ母ドラゴンに歩み寄った。
「母ドラ、さん……」
『…………』
感極まってなかなか言葉が出てこない。
振り返らない彼女の背に向かい、リナは必死で言葉を絞り出した。
「私、私、わかりました……! つまりは――『押して押して押しまくれ』ってことですね!?」
『……ぶい』
そうとも、と言うように母ドラゴンが息を吐く。
フッと目を細める彼女に、リナは大興奮で抱き着いた。
「母ドラさんの教え、きっちり胸に刻みつけます!」
『ぶい』
『ぴぎっ』
母ドラゴンが力強く頷くと、絶対にわかっていないであろう子ドラゴンも嬉しげに声を弾ませる。
――こうして、リナは決意を新たにしたのであった。
◇
「うぐぉ……っ。なぜだ、なぜ日に日にまずさが増していく……!?」
テーブルに爪を立て、ロイドが低いうめき声を上げる。半死半生の彼をよそに、メルヴィンを含めた他の隊員達は料理に舌鼓を打っていた。
最低二品は供されるまずい薬草料理すら、「うわマッズ~!」「今日も絶不調だな!」と話の種にして盛り上がる始末。羨ましく眺めながら、ロイドは自身のまずい尽くし料理を忌々しくつついた。
「なぜ俺だけこんな目にっ」
「ロイドさん!」
頬を上気させたリナが駆け寄ってきて、慌ててロイドは悪態を飲み込んだ。
「ど、どうした?」
はにかむように視線を逸らす彼女に、ロイドもつられて照れくさくなってくる。あえてぶっきらぼうに問い掛けると、リナはぽっと頬を染めた。
「今日の料理は、いかがでしたか?」
「あ、ああ最高だ! 最高にまずいな!!」
やけっぱちで声を張り上げた瞬間、リナは微妙な顔をした。「うぅん、これはどっちでしょうか……?」などと、意味不明な呟きを漏らす。
「リナ?」
「ああいえ、何でもありません!」
誤魔化すように笑って、足早に厨房へと戻ってしまった。
首を傾げるロイドを、メルヴィンが肘でつつく。
「……早く白状した方がよろしいのでは? 俺が好きなのはまずい料理じゃなく、本当は君なんだグホ」
「うるせぇっ!!」
胸ぐらを掴んで黙らせ、ロイドは荒々しく料理へと戻った。決死の覚悟でスプーンを使い、みるみる平らげていく。
(今じゃない、絶対に今じゃないはすだ……!)
今告げてしまえば、まるでまずい料理から逃れるのが目的のようではないか。すでに一度やらかしてしまった身、またリナに勘違いされてしまったらたまらない。
(……それに)
ロイドは、一生リナのまずい料理が食べたいと宣言したのだ。
せっかくこうしてリナが期待に応えてくれているのに、彼女を幻滅させるなんて冗談じゃない。
「うおお! 俺は負けない、絶対に負けてなるものかあぁっ!!」
周囲のあきれ果てた視線も何のその。
ロイドは勇猛果敢に薬草料理に立ち向かっていった。
◇
「最高、かぁ……。やっぱりロイドさんてば、単にまずい料理スキーなだけなんでしょうか……」
肩を落としつつ、いやいや落ち込んだってしょうがない、とリナは己を奮い立たせる。
ロイドが嗜好がそうならば、リナはますます腕を磨けばいいだけの話だ。母ドラゴン直伝、『押して押して押しまくれ』作戦だ。
よおし、と腕まくりする。
「見ててください、ロイドさん! 最高の料理で振り向かせてみせますからね!」
◇
昼食を終えた午後の休憩時間、メルヴィンは砦の外に出て大きく伸びをした。
「まったく。お互い意地を張らず、素直になったら早いものを………。じれったいにも程があります。そうは思いませんか、子ドラゴンさん?」
『ぴぎ~?』
「あはは、すみません。お子様にはまだ少し早かったですかね」
日向ぼっこする親子ドラゴンの傍らに座り込み、メルヴィンはおかしそうに独りごちる。目をつぶっていた母ドラゴンが、なぜか『ぶぶっ』と喉を震わせた。
「おや? 今のはまるで、含み笑いしたみたいでしたよ。母ドラゴンさん」
のんきに指摘して、メルヴィンも二頭の側に寝っ転がる。母ドラゴンは優しく目を細めると、ゆうゆうと大あくびした。
おまけの後日譚。
蛇足だったらごめんなさい(汗)
面白がってからかう母ドラゴンさんでした!