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第十九話 水底からの悪夢・前編

『タカハラ、そっちのレーダーはどうだ?』

「今のところは無反応ですね。陸に仕掛けた方も()に仕掛けた方も反応がありません」


 目の前に拡げられたノートパソコンの画面を見て、タカハラは唸った。画面にはこの海岸線一帯の地図が映し出され、その上に重なるようにして赤い点が点滅していた。


 まず極東支部がこの地に到着して真っ先におこなったことは、内地や沖も含めた海岸線一帯に発信機をばら撒くことだった。霊的存在に反応してシグナルを発するタカハラ開発の逸品だ。

 沖の方はブイに発信機をくくりつけて流しており、画面上の赤い点はそれらの位置だ。


 これで何か霊的存在が動き出せば、地上を徒歩で以って捜査しているレミーと鬼口に即座に連絡がいくという仕組みだ。


 が、既に捜査開始から五時間が経とうとしているのに一切の反応がなかったのだ。このままでは行方不明事件を解決することができない。


「霊だけじゃなく何故か人っ子一人いないし、被害者が増えないのはいいことだけどさ、これじゃ閑古鳥が鳴き出すぜ」


 何とかならんかね、と言いたげな視線をタカハラはアンジュに投げかけた。しかし、アンジュはそれに対して大袈裟に肩をすくめるジェスチャーをとった。お手上げという訳だ。


「……すんません、俺が動けないばっかりに」


 そんな煮詰まった空気が充満した中、何も手にしていない手持ち無沙汰な両手を弄びながら季太朗はそう言って目を伏せた。


 神無月も無く、絶対安静命令も出されている季太朗は当然ながら探索には出撃出来ずに部屋に居残ることになった。

 もし自分が動けていれば地上捜索の負担を減らすことが出来たのにという自責の念から、季太朗の口からそんな言葉がこぼれたのだ。


 すると、その言葉を聞いたタカハラは大きく口を開けて笑ったかと思うと、こう続けた。


「おいおい季太朗くん、君を決して馬鹿にするわけじゃあないが、あの二人(隊長と鬼口)が全力で駆けずり回っているのに見つからないなら君一人が加わったところで結果は変わらないって!

 どうも見た目に反して君は律儀だよなあ」

「そうよそうよ。第一、あなたは前回私たち全員が頭を下げてもお釣りが来るほど働いたんだから、思い詰めるのは良くないわ。

 ……そうだ! 部屋の空気に熱がこもってきたから、悪いんだけど窓を開けてくれないかしら?」


 アンジュの、新鮮な空気でも吸ってリフレッシュしなさいという言外の提案を汲み取り、わかりましたとだけ言って季太朗はのっそりと立ち上がった。


「季太朗さま! お体に障るかもしれませんから私が……」

「いいんだ。ありがとう風香」


 しかしその動きに反して季太朗の心は、先程までと比べて少しだけ軽やかになっていた。

 タカハラに指摘されたことで自分がいたところでこの結果は同じという事実を改めて認識したことと、同時にそのうじうじとした葛藤を彼が笑い飛ばしてくれたことが、少しだけ彼のもやもやした気分を晴らしたのだ。


 錆の浮いた捻締まり錠をくるりと回して窓縁に手をかけ、ガラリと音を立てて季太朗は窓を大きく開けた。


 季太朗が身を僅かに乗り出すと、昼間の蒸すような熱い風とは打って変わって、仄かに潮の香りを孕んだ冷涼な風が季太朗の頬を撫で、鬱屈した思考で火照ったその体を冷ましていった。ステラも目を細めて、その心地よさを享受した。


 季太朗目の前には水平線で溶け合いそうな程に黒く染まった海と空がどこまでも延々と広がっていた。その黒色の中で夜空に輝く星のようにタカハラの発信機を取り付けたブイがか細く光を放っているのが見えた。


 海を見ているのに星空を見ている気持ちになるなんて奇妙な話だと季太朗が苦笑したその時


「……う? 季太朗、何か見えない?」

「あ?」


 ほら、あそこ、と言いながらステラが指を伸ばした海上の一点に季太朗は目を細め視線を投げた。


 光るブイの僅か数メートル後方。今までどうして気付かなかったのかと言わんばかりのボロボロでありながらも白い装束をまとった複数の人影が、()()()()()()()()


 その中のどれに意識が向こうが不思議ではなかったのに、季太朗はその中央に立つ一人の人影だけに妙に意識をひかれた。

 本来ならばすぐ、後方に控えているタカハラ達に報告をせねばならないのに、それすら簡単に忘却の彼方へと追いやって、季太朗はその人影を凝視せざるを得なかった。


 ()()()()。その立ち姿も、細っちょろい体格も、闇の中でもわかるほどの明色に染められた頭髪も。

 何より、季太朗の視線に気づいた時に口元に浮かべた、あの生意気な笑みが、あいつに、本当に、そっくりで




「来たッ!! 海上に霊反応あり! この旅館のすぐ外じゃねえか! アイラちゃん、隊長、急いで向かってくれ!

 季太朗くん! その窓から何か見え、季太朗くん!?」


 タカハラの叫びが上がった頃には、もう季太朗は部屋にいなかった。

 絶対安静の身であることも忘れて、転がり出るように旅館から飛び出し、砂に足を取られそうになりながらも必死の形相で海岸線へ走っていた。

 全身からはべったりとした気持ちの悪い汗が吹き出し、心臓はこれまで経験したことのないほどの鼓動を警鐘の如く響かせ、季太朗の四肢を突き動かした。


 そして季太朗が波打ち際まで辿り着いた時、そこには、誰もいなかった。

 

「そんな筈はねえだろ確かにここにいたんだ。どこだ、どこにいる、おい出てこいよ、なあ!!」


 その瞬間、季太朗の襟首が咽喉が潰れんばかりの力で後方へぐんっと引かれたかと思うと、彼の体は僅かな時間ではあったが宙を舞い、次には砂浜へと叩きつけられた。


「何をしているんですか季太朗さん!!」

「げほっ! がはっ!

 ……鬼口、さん」


 季太朗を投げ飛ばしたのは鬼口だった。


 何故鬼口に投げ飛ばされたのかの理由が即座に思い浮かばず困惑した季太朗だったが、鬼口に支えられ咳き込みながら背を起こした時、彼はようやく自身が投げ飛ばされた理由と、鬼口の顔が驚きと恐怖でないまぜのひどい有様になっていることの原因を目の当たりにした。


 季太朗の足がいつの間にか、大腿の中腹に至るまで海水でぐっしょりと濡れていた。つまりこれは、季太朗があと一歩で入水しかねなかったという事で


「……すんません、取り乱しました。

 ステラも、悪かった」

「きたろう、ぜんぜん、とめてもきいてくれなくて、なんどもいったのに」


 ステラの顔もまた、不安と恐怖で酷く歪み、季太朗はそれを目にして、ステラの必死の叫びにすら気付いてやれなかった己の情け無さを深く恥じた。


「……鬼口さんごめんなさい。少し時間をくれませんか。

 ……頼みます」


 鬼口は、夜の闇の中でもはっきりとわかってしまう程に青ざめた季太朗の横顔を見て、ただその微かに震える肩をそっと掌で抑えることしか出来なかった。



「そうか、海洋系の霊だとは見当つけてたけど、まさか、()()()()()が現れるなんてね……」


 湿ったタオルを頭に無造作に乗っけた季太朗の周りを囲むようにして、極東支部メンバーが座していた。


 窓から()()を第一に目撃した季太朗の報告の後、最初に沈黙を破ったのはタカハラだった。


 白いボロ布を纏い、海上に佇む複数人の人影。

 該当するケースは一つしかなかった。


 七人ミサキ、四国発祥の怪異。

 七人の亡霊からなり、一人生者を殺すとその内の一体が成仏できると伝えられる。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……で、水浴びて頭冷やしても意見は変わらねえんだな? 季太朗」

「…………はい」


 押し殺した肯定の返事を、季太朗は返すしかなかった。

 濡れた頭にかけられたタオルの下からかろうじて見えた瞳には、動揺の色がありありと浮かんでいた。その原因は


「……あの中に、俺の、妹を、見ました」


 季太朗が目にしてしまった、あの七人ミサキの内の一人。


「……見間違いということはない?

 ただでさえこんな暗くて、それも離れた海上だったのよ? だから……」


 アンジュの慰めの言葉に、季太朗は無言で首を振った。

 確かに季太朗はそれの全貌をはっきりと見た訳ではなかった。だから、見間違いという最後の希望(逃避)に縋りたくて、本当は仕方がなかった。


「……俺の家族は、妹を含めて全員海で行方不明になってるんです。だからあいつが七人ミサキとやらになってここにいても、不思議じゃない」

 

 重苦しく吐き出された季太朗の告白は、全員の耳に――――事前に知っていた者たちも含めて、沈んでいった。

 何もかも失ったあの日から、脳裏に焼き付けられたまま片時も忘れられなかった顔を、季太朗が間違う筈がなかったのだ。


「……現時点をもって、緋村季太朗をこの任務から解く。以降、部屋で待機するように」


 そんな鬱屈とした空気の中、誰もがみな口を閉じていた中で、ただ一人冷静に、レミーは季太朗へそう告げた。


「待ってください! あいつが本当に妹なら、決着(ケリ)は俺が付けるのが筋です! 妹がああなったのは俺が傍にいてやらなかったからなんだ! だから」

「だからこそだ! ……お前は()()()()()()なんだよ、季太朗。

 今までの戦いを見てりゃわかる。どんな時もお前は命を惜しんでいるように見えて、腹を決めた瞬間には自分の何もかもをかなぐり捨てる勢いで突っ込んじまう。それはな、普通じゃないんだ。

 その自棄的とも言える性格の原因が、何も出来ずに家族に先立たれた件と関わりが深いのは容易に察しがつく。だからこそお前に今回の出撃を許す訳にはいかない。第一にお前はまだ怪我人だ。

 これまでは生き残るために命を賭けていたから良かったんだ。

 俺達も今までは何があっても助けられる打算があったからこそある程度自由にさせていたが、そんな思考回路のお前にその状態で七人ミサキ()と戦われちゃあ流石に助けられん。

 俺達はお前を救うと契約した。だから、死にに行く事だけは許さん」


 確かに、季太朗の()()()は既に治っていた。しかしあまりの連戦によって霊力の方の回復が追い付いておらず、それこそが季太朗に出された安静命令の根本的な原因だった。

 そんな状態でただでさえ霊力を排出する事に特化させた神無月を使おうものなら、今度こそ季太朗が命の危機に直面しかねない事は明白だ。


 レミーに自身の精神的脆弱性をものの見事に看破され、挙句季太朗を想った上での理の通った言葉に反論することも出来ず、ただ季太朗は下を向き、歯を喰いしばって無念に耐えるしかなかった。


「とは言えお前のことだ、武器を持たずとも海に行きかねん。

 だからこそ監視を付ける。アンジュとタカハラ、任せたぞ。アイラ、俺達は早急に海岸線に向かう」

「……うっす」

「……気は乗らないけど仕方ないわね」

「ま、待ってください!」


 俯く季太朗を尻目に、レミーはそれ以上何も言うことなく部屋を発った。鬼口も慌てて立ち上がり、季太朗の方を心配したように一瞥したが、同じように何も言うことなく、レミーに追従し姿を消した。


 残された五人――タカハラは改めてパソコンの液晶と無言で睨み合い、アンジュは季太朗に声をかけようにも言葉が見つからず、その場しのぎで医療品に不足が無いかの点検を何度も繰り返した。

 同情や憐みの言葉など、時には悲しいほど無力に、そして侮辱になることをよく知っていた二人だった。


 ステラとアンジュもまた、かつてないほどの落ち込みようの季太朗を前に言葉を持たず、ただ傍に寄り添うことしか出来なかった。


 海上の月はもう、南中に至っていた。

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