↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

閑話 水着と家族と友達と

「水着を見て欲しい、ですって?」

「はい……」


 適度に雲の流れる夏空の下、病院のテラスにて深刻な顔をした鬼口の口から漏れた思いもよらない言葉に、極東支部医療顧問アンジュは口をぽかんと開けて目を丸くした。


 もはや育ての親と言っても過言ではないほどの時間を共に過ごして来たアンジュであったが、鬼口から水着を買いに行くのに付き合って欲しいなどというような浮いた頼み事をされたことは全く初めての事だったからだ。


「今度の任務、まずは昼間の浜辺でパトロールと情報収集をすることは聞き及んでいます。不審と思われることを避けるため観光客と同様の水着姿で行動することも。

 ただその……異性に対して不自然に思われない水着姿というものが私の力では想像しづらくて……病み上がりでいらっしゃるのに申し訳ないのですが……」

「あれ? でも鬼口ちゃん、今まで海とかで活動するときは頑なに高校の学校指定の競泳水着に無地のパーカーだったじゃない。急にどうしたの?」


 アンジュの問いを耳にして、鬼口はうっ、と言葉に詰まった。

 彼女は少しだけ目を泳がせて、顔を俯かせ、


「い、いえ、これまでは他の男の人に見られようが全然気に留めることがなかったのですが、そのお……

 季太朗さんにだけは、変な風に思われたくないなあ、って……」


 鬼口はその長い髪で顔を隠したつもりなのだろうが、ぴょこんとはみ出た彼女の耳は、誤魔化しようのないほど真っ赤に染まっていた。


 そしてアンジュの頭にはピシャアアアンッッッ!! と凄まじい音を立て雷が落ちた!


(ッ……! 結婚もまだなのに娘が色気付く時の母親の気持ちを味わう事になるとはッ……!! 

 季太朗くん、これは高くつくわよ……私たちのかわいい義娘(むすめ)をたぶらかしてくれちゃって!!)


 なんとなく気付いてはいたのだ。

 ヤマダ騒動のあった日から、鬼口の季太朗に対する態度が少しづつ変わっていることに。


 季太朗と話す時にはいつもの一・三倍くらい口角が上がっていた気がしていたし、別れる時はポーッとした表情でずっと背中を見ていたし、ステラと風香にたまーに嫉妬の情が混じった視線を向けていたような気もするし、会った後にはいつも季太朗(ほんにん)のいない所でニマニマしていたしッ!!!!


「アンジュさん! アンジュさん!?」

「ハッ!!」


 急にギ◯グ◯画◯和の某ウサギの如き目になってわなわなと痙攣を始めたアンジュの肩を、鬼口は必死で揺り動かして彼女の意識をなんとか現実世界に引き戻すことに成功した。


「あ、危ないところだったわ」


 アンジュは自制心を取り戻すと、眼鏡をくいっと掛け直してこほんと咳をした。

 鬼口の活躍によってなんとかメスを指の間に大量に挟んで季太朗を追いかけ回す化け物の誕生は間一髪のところで防がれた。


「それでその、どうでしょうか」


 そして少しの間を置いて、改めて緊張した面持ちで鬼口はアンジュへ同行の是非を尋ねた。アンジュは少し逡巡した。


 日程的には先日なんとかオフィスの修繕工事の話をつけることが出来たので支障はない。

 人選的には、タカハラはともかくこの事がレミーに知られればまず間違いなく同行すると言って聞かなくなるし、なんならあの不器用な親馬鹿のことだから季太朗へ襲撃すらかけかねない。それに女性の水着選びへ男を同行させるなど言語道断。


 心情的には季太朗については思うところはあれど、返し切れない借りもあるし、あの男(レミー)のように愛娘の恋路を邪魔する気も無し。


 それに、なんと言っても


「……わかったわ、かわいい娘の頼みだもの。断るわけないじゃない。

 それで? 決行日はいつにするの?」


 アンジュの返答を聞いて、鬼口はぱあっと顔を輝かせ、普段の口ぶりより遥かに流暢に日時や購入場所と言った予定について話し始めた。


 それを微笑みを浮かべながら、適宜相槌を打って静かに聞いていたアンジュは、思わずにはいられなかった。


 ああ神さま、どうかこの子が私のように、難儀な恋で苦しむ事がありませんように、と。


●


 時は過ぎて一週間後。鬼口の水着購入計画実行のその日。

 かたや不敵に笑い、かたや隠し切れない緊張の色を顔に滲ませながら二人は都心にあるデパートの一角に居を構えた水着専門店の前に立った。


「さあ行くわよアイラちゃん、女の戦場へ!」

「うう……自分で選んでおいてなんですけどこういう雰囲気のお店には入ったことがなくって、ってきゃあ!」


 店から放たれるキラキラオーラに尻込みした鬼口の手をぐんっと引っ張って、アンジュは店内へハイヒールの鋭い音を立てながら足を踏み入れた。


 するとすぐさまに接客スイッチをオンにした女性店員が高速で二人の前に姿を現した。残像が見えるかと思うほどの素晴らしいムーブである。


「いらっしゃいませお客様〜、本日はどういったご用件ですか?」

「この子の水着を探しに来たのだけれど、まずはサイズの計測をお願い出来るかしら。

 あと、今年のオススメもついでにいくつかチョイスしてくれると助かるわ。私も同時進行でいくつか見繕っておくから」

「かしこまりました〜ではお客様、こちらへどうぞ!」

「あ、アンジュさん!? ちょっと展開がはやっ」

「お客様とても白くて綺麗なお肌なのにお体の方も大変健康的に引き締まっていて羨ましいです〜。何かスポーツでもされてるんですか?」

「うえっ? え、ええと少し棒術? のようなものを……」


 とんとん拍子に進む展開に困惑していた鬼口は、店員の高度な接客トークに流されるまま試着室のカーテンの奥へと消えていった。

 アンジュはその後ろ姿が消えるのを見届けると、白衣、ではなくオレンジ色の薄手のカーディガンの袖を丁寧にまくり上げて、


「さて……かわいい娘の勝負水着ですもの。気合い入れて選ぶわよ!」


 愛しい娘への水着を黙々と選び始めたのだった。


●


「お客様、お待たせいたしました〜。あとこちら採寸したサイズに合うよう選びました頼まれていた今年のオススメ水着になります〜」

「あら、ありがとう。思ったより早かったわね」

「うう……、どさくさに紛れて色々まさぐられたような気がします……」


 アンジュは一言礼を言って、心なしか先ほどよりもツヤツヤした顔になった店員からその腕に抱えられた色とりどりの水着を何着か受け取った。


「うん、サイズは少し胸が大きくなったくらいであまり変わってないようね。これなら私の選んだ物も問題ないかしら」


 アンジュは安心したように頷いて、ニッコリと鬼口の方へ向き直ると


「さあアイラちゃん始めるわよ!! 必ず素敵な勝負服(みずぎ)を選んであげるわ!!」

「なんか変なニュアンスが含まれた気がします!? ってちょっと待ってください私も自分でえら、あああ〜〜!!」


 鬼口の手をがっしりと掴んで、ズルズルと更衣室へ連行していった。

 鬼口の目尻に何かキラリと光るものがあったが、哀れなことに誰にも気付かれることはなかった。


●


「さあまずはコレ! ピンク色のフリフリの付いたザ☆女の子なやつ!」


 鬼口が最初に着たのはピンク色であちこちにフリフリのレースが付けられた水着だった。普段はクールビューティな鬼口とのギャップ萌えが激しい一品である。


「こ、こういった少女趣味なのは私のような女には似合わないのでは!? ふわふわしてて落ち着かないというか」

「そんなことないわよ最高にかわいい、と言いたいところだけど鬼口ちゃん背が高いからそこら辺の攻め口も試してみるべきね。さあ次っ!」

 

 次は長いスカートのついた実に大人っぽい紫色のパレオビキニ。

 薄いヴェールの向こうからチラリと覗く鬼口の美脚がこれでもかと情欲を掻き立て、更に紫色という雅な色が鬼口の大和撫子然とした風貌の魅力を存分に引き立てていた。


「どうよ!!」

「た、たしかに先ほどよりも落ち着きはしますがこれでは咄嗟に素早く動けないので他のがいいです!」

「任務優先なのかアピール優先なのかどっちかにしなさいよって言いたいけど言い分はわかるわ次っ!」


 次は上半身を覆い隠しながらも複雑かつ美しい模様によって女体を飾り立てるタンクトップビキニ。

 体型を誤魔化したい時にも有用なタイプの水着ではあるが、引き締まっていながらも出るとこはでている鬼口の体は誤魔化しきられることもなくその紋様を完全に味方につけ魅力を増していた。


「あ、模様が少し派手な気もしますけどこれなら動きやすくていいかも……」

「ダメ、ダメよアイラちゃん! それじゃ今までのあなたと何も変わらないわ。あなたの武器はその若いお肌に女が嫉妬するほどの引き締まった美脚にウェストなの!! もっと! もっと自分に自信を持って! その方が季太朗くんだって絶対喜ぶんだから!!」

「ええ!? 私は変に思われたくないだけで……」

「御託はいい! 次行くわよッ!」


 アンジュが次に取り出したるは最終兵器、なんか色々見えそうかつ溢れそうな凄まじくスリリングなショッツ(ト)ッッッ!!!!


「…………」

「アイラちゃんやめて、そんなゴミを見るような目で私を見ないでちょっと試したくなっただけなの出来心なんですゥ!」


 着せ替え人形の如く振り回されることに疲れ果てて目から光が消えた鬼口を、アンジュは土下座をかましながらなだめようと試みた。年上のお姉さんのイメージが台無しである。


 鬼口はそれを目にすると頭痛を抑えるように額に片手を当て、彼女にしては大変珍しく深い溜息をつき、同時に申し訳なさそうに少しだけ笑って


「……ごめんなさい、同伴を願ったのはこちらなのに私もわがままを言い過ぎました。

 やっぱり、いつもの水着で大丈夫です」


 その言葉を聞いたアンジュは化粧が剥がれるのではないかという程の大量の冷や汗を一瞬で顔面に浮かべ、ハッとした。


(マズイ、非常にマズイ!! 娘と二人きりの人生初の買い物が楽しすぎて羽目を外し過ぎたあ〜〜!!)


 思い返せばあまりにも楽し過ぎて当の鬼口本人のことを蔑ろにしていたかもしれないと。


 一難去ってまた一難。再び極東支部家庭崩壊の危機到来? である。


 アンジュがなんとか鬼口引き止める手段はないものかとオロオロしているうちに、既に鬼口は服を元のものに着替えてテキパキと帰り支度を進め始めていた。

 あわや時既に遅しと思われた、その時だった。


「鬼口、さん? 鬼口さんだよね!?」


 快活な声が、二人の間に割って入った。

 自分の苗字を呼ばれた鬼口が驚いて後ろを振り返ってみると、そこにいたのは


「あなたは……確か同じ講義を取っている」

「そうそう! 桑野よ桑野」


 大学でいつも同じ講義を取っていて、先日カラオケに一緒に行かないかと鬼口に誘いをかけた女性その人だった。

 桑野は鬼口の横に丁寧にかけられた水着の数々を見ると驚いたように目を丸くして


「やっぱり! 鬼口さんも水着を買いに来たの?」

「は、はい。そんなところと言いますか。

 ……も、ということは桑野さんも?」

「そうなのよー。いきなり女友達から海に誘われちゃってさー」


 そう言って、手をヒラヒラさせながら困ったように笑った。

 すると桑野は、突然に何かを閃いたように拳をポン! と掌に打ちつけると


「そうだ鬼口さん! もしまだ水着が決まってないようだったら一緒に選ぼうよ! 一人じゃなかなか見てくれがわからないんだー」


 こう、客観的視線がさっ! とニコッと笑って、鬼口に一緒に水着を選んでもらえないかと提案を持ちかけた。

 しかし鬼口は困ったように眉を下げると、


「し、しかし私はその、今日は連れが……」


 横に立つアンジュへと視線を向けた。


 当のアンジュはいつのまにか鬼口に背を向けていて、鬼口はその顔を伺うことはできなかった。

 そしてほんの僅かな空白のあとに、アンジュは口を開いて


「初めまして桑野さん。娘がお世話になっているようで」

「え、娘ってことは……もしかして鬼口さんのお母さんですか!? 海外の方だったの!? しかも凄い美人!」

「ありがとうございます」


 軽やかに会話の糸口を掴んでみせたアンジュは、にこやかに笑いながら桑野と他愛のない会話を紡いでいった。その話題はもっぱら、自分にさえあまり語られたことのない大学生活中の鬼口の姿のことだった。


 鬼口があまり他人と関わろうとはしないこと、しかし超が付く美人の為に男女問わず密かに人気があること、特にたまに見せる憂いた表情の虜になっている人が多いこと。しかし最近は、唐突に口が緩ませて笑うことが増えたこと等。

 

 アンジュは桑野の口から語られるそれら一つ一つを噛みしめるように、時には瞑目しながら聴き続けた。

 なお、当の本人(鬼口)は必死で隠していた様が目の前で暴露されていくことにアンジュが母親であるという誤解を解く余裕もなく、試着室の壁淵に手をかけて倒れこみそうな程に悶絶していたが。


 アンジュにとっては少々物足りない、鬼口にとっては長い長い時間が経った時、桑野はハッとして口に手を当てた。


「わ、私ったらごめんなさい! ついつい長話を。

 あの、ひょっとして親子水入らずで買い物中でした? やだどうしよう、私もしかしたらとんでもないお邪魔虫だったかも。

 なんならすぐにでもかえり」

「待って!!」


 周囲の他の買い物客も、店員も、通りすがりの人に至るまで、その大声に驚いて振り返った。

 アンジュが、足早に立ち去ろうとした桑野の細い腕を優しく、しかし力強く掴んでいた。周囲の視線を気に留めることもなく、その瞳は桑野の目をまっすぐに射抜いて離さない。


「迷惑だなんて、決してないわ。むしろとても嬉しかったの。あの子、家ではあまり自分のことを語ろうとしないから……。

 だからひとつだけ聞かせて? こういうの本当は本人が言うべきなんでしょうけど……アイラの友達に、なってあげてはくれないかしら」


 アンジュの、心からの懇願だった。微笑みという名の仮面では隠しきれない感情が、その声音から感じ取れるほどの。

 その願いは、鬼口を孤独からすくい上げておきながらその人生に踏み込んでやることが長らく出来なかった己への贖罪だったのか、それとも、純粋に彼女の幸福を想ってのものだったのか。


 その願いを聞いた桑野は突然のことに一瞬面食らったように狼狽えたが、一拍おいて目を伏せ、少しだけ押し黙った後、ついさっきまでとは比べ物にならないほどの小ささで口を開いて、


「わ、私は、ずっと前から鬼口さんを見てすごい綺麗だなあって思って、でも頑張って話しかけても、ずっと用事があるって、だからその……鬼口さんが良ければ、ぜひ」

「……桑野さん」


 鬼口の万感の思いを含んだ呟きが、アンジュの耳に届いた。


 これでも何年も一緒に過ごしてきたのだ。おこがましいと嗤われるかもしれないが、今の鬼口の声色に、桑野への嫌悪など一欠片もない事くらいなら、わかる。

 ああ、なら、安心だ。


 アンジュはパッと満面の笑顔をつくって、鬼口の方へと振り返った。


「じゃあアイラ! 私、上のレストラン街にいるから、お昼になったら合流しましょ! 桑野さんにもご馳走してあげるから。

 だからそれまで二人で買い物を楽しんで」

「アンジュさん!!」


 アンジュの言葉が言い終わるか否かの瀬戸際で、鬼口はその細い喉には不釣り合いな程の大声で、彼女の名を叫んだ。


 桑野は自分の抱いていた鬼口のイメージから掛け離れたその声量に目を丸くし、彼女らはまたもや通行人の視線を一点に集めることになったが、アンジュも鬼口も桑野も、それを気にすることはなかった。


「アイラちゃん……?」

「……最初に言ったじゃないですか。私は、今時の流行りだとか、女の子らしさというものには疎いんです。だから……いきなり友(・)達(・)の水着を一緒に選ぶなんて、もうどうしたらいいのか」


 鬼口は目を細めて、少し照れ臭そうに苦笑した。


「だから、また、い(・)つ(・)も(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)助けてください」

「……仕方ないわねぇ」


 ひとりでに瞳の端に湧き出た塩っぱいガラス玉を、アンジュは決して落とすまいと天を仰いだ。

 娘とその友人とのショッピングだ。湿っぽい展開など言語道断! さあ名誉挽回の時!


「さあ二人とも。とびっきり似合う水着、必ず見つけるわよーー!!」

「おーです!!」

「頑張ります!!」


 ……その後、店をひっくり返す勢いで水着を選びまくった結果、三人とも店員さんに底の見えない接客スマイルのままお説教されるのは、また別のお話。


●


 時は進んで激アツの日差しも傾いてきた夏の昼下がり。場所は移って青い海が延々と目前に横たわる黄色い砂浜の上。

 パラソルの下、鬼口と季太朗&ステラはレミー達のパトロールからの帰還を通信機を通して報せを受けた。


 あれだけ人々でごった返し騒がしかったビーチも、今やまばらにこんがり日に焼けたサーファーや子供の駄々に手を焼いている家族連れがいるのみであった。


「はい、はい。わかりました。では冷えたコーラを準備して待ってますんで……。

 隊長達、もうすぐこちらへ到着するそうです。あと、特に目立った事件やめぼしい情報は見つからなかったと」

「そうですか……。何事もなかったのは喜ばしいですけれど、となると夜は忙しくなりそうですね」

「俺が満足に動けんばかりに、すみません」

「季太朗さんが謝ることでは!」


 通信の内容は、このパトロールが空振りに終わったという事。

 極東支部の組んだ予定では、昼の時間帯にパトロールの成果が上がらなかった場合には、あらゆる霊現象が積極的に発生し始める夜に再度パトロールをする事となっていた。そして季太朗が安静命令によって動けないとなると、夜間の地上実働人員は必然的にレミーと鬼口に限られる。


 季太朗が負担を増やしてしまうことを申し訳なく思って頭を下げたその時、彼は鬼口の腕にキラリと光るブレスレットの存在に気付いた。記憶にある限り、普段の鬼口がこのような装飾品を身に付けていたことはなかった。


「鬼口さん、そのブレスレットは?」

「え? ああこれは……大切な友達が選んでくれたんです。お揃いのにしようって。

 そうそう! この水着も、その子とアンジュさんと一緒に選んだんですよ。

 ……その、似合って、ますか?」


 体育座りのまま、首をこてんと傾けてそう尋ねた鬼口は、パラソルの下に差し込む夕陽の柔らかい光を受けたのもあって、いつもの何倍も魅力的に、季太朗の瞳に映った。思わず、季太朗の胸の鼓動が跳ね上がったほどに。


「……ええ、文句のつけようもなく、綺麗だと思いますよ。その、あまり女性を褒めた事がないんで、うまく言えないんですけどね」

「……ありがうございます」


 その言葉だけで充分だった。

 万感の想いを胸に鬼口は、季太朗をじっと見つめた。

 ちなみにもうその時には、季太朗は後ろで見聞きしていたステラから首を極められ、必死の形相でタップをしていた最中であったが。


 慌てて止めに入りながら、鬼口は思った。

 もし本当に神がいるならば、願わくばもう少しだけ、いつか避けようのない苦難が待ち受けているとしても、それでも、この時間が終わりませんようにと。



 遠くに、手を振りながらこちらへ駆け寄るパレオビキニの女性が見えた。その後ろからも見知った顔が二人ほど。


 鬼口はステラを引き剥がしながらもぱあっと笑顔を咲かせて、大きな声で言った。


「おかえりなさい!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。