#16 薫
答えは聞きたくなかった。だからこそ、病室には自分の足で赴いた。
受付を通り過ぎ、階段を駆け上がる。昨日、看護師に教えてもらった、瞬の個室まで。
胸が、どきどきと鳴っていた。それは不安から、緊張から。
いつも通り、がら、と音を立てて引き戸を開けた。ずっと遅れる粘性の流れを感じたが、終わって見れば、刹那の間だった。
陰になって、暗い床だった。窓から光が射し、白いカーテンがそよ風に揺らめく。
清潔感の保たれた空間だった。サイドテーブルには紙袋があり、昨日、薫が折った銀色の折り鶴と、三週間前に、瞬が折った茶色の折り鶴もある。
ベッドは白く、眩しいくらいに光を反射した。白い布団が目を灼く。
「……っ、あれ、おかしいな」
いつもなら、居る時間なのに。
白いベッドは、がらんどうだった。
「……なんで?」
堪えるのが、精一杯だった。それでも声は震えていた。
パイプ椅子を広げて、いつも通りに座った。サイドテーブルを引き寄せる。紙袋を覗き込み、いつも通りに折り紙を取ろうとして――手が、止まってしまった。
いつも通りのフリは、もう出来なかった。
その時、扉が開いた。一瞬で思考が白く染まり、脊髄反射で振り返る。少年がその扉を開けたんじゃないか、という願望があった。ジュースでも買ってきてたんだ、と理由をこじつける。
だが、立っていたのは看護師だった。
「蓮灘さん……」
勝手に入った人間を、非難する声色でないだけ、唯一の救いだった。
「ごめんなさい。受付け通ったら、止められると思ったんです……人のいない病室に、見舞い客は、入れないですから」
薫は、そ知らぬ顔で続ける。
「瞬は、何処に行ったんですか?」
答えを自分で言っておきながら、薫は訊いた。確認と同じだった。
看護師は、一瞬、目線を逸らした。
――それだけで、薫は察した。約束は、果たされなかったのだと。瞬の行き先を、その視線が示していた。そこは暗く、とても暗い場所だった。
「紙袋……貰ってくれって、お母さんが」
いらない。それくらいなら瞬が戻ってきてくれた方がマシだ――薫は、我侭を、首を振って振り払う。
「ありがとうございます」
紙袋の中で、折り紙の他に入っているものは、袋だった。――薫は、思い出した。袋を取り出す。
チャックの袋に入ったアルミニウム粉。ペンチと、爪楊枝と、リップクリームと、ライター。新聞紙。
水とペットボトルは自分でどうにかしろ、ということか。
ふと、視線が折り鶴に向いた。銀色の方と――そして、茶色の方と。
吹っ切れたように、薫はその茶色い折り鶴を分解した。手の動きは速くなかった。折り目に沿って、破かないように、壊さないように。
分解している途中、黒いサインペンの文字が見えたが、読まないように努めた。
やがて、白い面が表れた。黒いサインペンで、こう記されていた。
『好きな人と、一緒に楽しい時間を過ごせますように』
「何言ってんのよ……馬鹿」
照れくさかった。生きていたら、いくらでも一緒に居てやったのに。
「私は……」
なんて、無力だ。
背が高くても。足が速くても。腕が逞しくても。彼を救うことは叶わなかった。人より優れた才があろうと、それを彼の為には使えなかった。
薫は、銀色の折り鶴を開いた。昨日、自分が折った折り鶴を。内容を確認した。間違っていないか。けれど一字一句、覚えているものと同じだった。
『また、瞬と会えますように』
彼自身の願いは叶った。だが彼への願いは果たされなかった――これが、解創の限界だった。




