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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$4$ 刹那の生
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#4 朱莉


 お坊さんが、お経を唱えている。母が隣に戻ってきた。朱莉はパイプ椅子から立ち上がると、席から離れて、お焼香の香炉がある場所まで進む。

 一度振り返って、親族一同に礼をする。まぁ、朱莉自身も親族であるが。

 一歩前に出て礼をする。これって、誰に礼をしているんだろう? お坊さん? それとも亡くなった人? くだらない事を考えながら、一歩前に出る。抹香を摘み、額の方に持っていくと、香炉にくべて礼をする。

 みんな、こんな感じでやってるから、たぶんこれであってるんだろう、と朱莉はそれ以上考えるのを止めた。

 一歩下がって、もう一度礼をする。ふと、ご本尊と目が合った。これってご本尊(阿弥陀様)に礼をしてたんだ、と今更気づいた。ふと右を見ると、脇掛の中で、禿げ頭の僧侶が笑っていた。

 え、と思ってもう一度見ると、右側の僧侶――親鸞聖人(しんらんしょうにん)は無愛想な表情をしていた。どうやら、見間違えだったようだ。

 祖父が亡くなった。食道癌だった。享年八十四歳。心筋梗塞で七十で亡くなった祖母の時と違い、一年近くにわたっての入院生活で、医者にも死期が近い事を知らされていたので、皆、覚悟はできていた。

 その為か、祖母の時よりも、幾分空気は軽かった。人が死んだことには変わりは無いが、それでも、電源を切ったように、突然死んだ唐突さは無く、少しずつ元気の無くなっていく姿を見ていたので、祖父に死が近づいていることは実感できた。泣き喚くことは無かった。母から『お爺ちゃんが、さっき死んだ』と電話が掛かってきた時も「そうか、ついに死んだのか」と現実を受け止められた。受け止める準備ができていたから、受け止められた。

 鼻を啜る音は聞こえた。けれど、わんわんと泣く人は居なかった。葬儀は滞りなく、静かに進んだ。突如とポッカリ穴が開いたような虚無感は無く、祖父の死という重い感情に、ようやく決着を付けられるような気さえした。

 小学生の頃は、退屈すぎて、拷問のようにすら思えた葬儀の時間。実際、指遊びをしていて、数珠を千切ってばら撒いてしまった事もあった。だが今では、それほど苦痛ではなかった。その代わり、ずっと下を見ているから、(はな)が垂れてきて仕方がなかった。泣いているように装って、ハンカチで拭って堪えた。

 葬儀は、一時間程度で終わった。葬儀に来ていた人々――父や、叔父が勤めるの会社の人たちは、見送りの後に帰った。親族はバスで火葬場に向かう。

 火葬場で、棺に入れられた祖父と、最後の対面を済ませる。

 冷えて固まった人間の顔だが、まだ生きているようにも、どこまでも精巧な作り物のようにも見えた。眠っているようだという感想をよく聞く。たぶん、皆がそう思うからこそ、人が亡くなることを『永眠』と表現するんだろう、とぼんやり考えた。

 火葬場の待合室にて焼けるのを待つ間に、精進明けに、魚の煮付けややエビフライの入った弁当を食べる。といっても、最近の精進料理は、卵など、けっこう動物性の物もあるので、それほど動物性のものを久しぶりに食べた感動は無かった。動物性のものを食べて、肉だ脂だと感動するのは、小学生の頃に、身体中に蕁麻疹が出て、一週間、動物性のものを食べてはいけないと、お医者さんに言われて、我慢した明けの日が最後だった気がする。

 焼き上がったらしく、皆がいっせいに立ち上がった。焼き上がったと聞くと、手作りパンでもオーブンで焼けたみたいだなと思ったが、不謹慎なので口には出さなかった。

 焼き場に戻ると、巨大な手術台のような物が壁から引き出されていた。

 目を灼く熱気に、朱莉は、思わず目を細めた。よく見ると、うっすら陽炎のような物が出来ている。赤外線が放射されているのを、顔全体で感じ取る。眼球の表面の水分が蒸発するのが感じられた。だがこの熱も残滓に過ぎない。人を焼くのには、こんなのとは比較にならない、恐ろしく高い熱が使われているのかと思う。ぞっとするよりも、人の身体というのは、結構丈夫にできているんだな、と感心した。

 台の上には、ホチキスのような金属片が大量に散乱していた。「あれなに?」と母に訊くと、「たぶん、棺おけの止め具か何かじゃないかねぇ」と答えた。そして当たり前だが、灰と、そして白い化石のような物が、いくつもあった。それが骨だというのは、みな承知していた。竹製らしい、太い箸のようなもので、一人ずつ白い骨を掴んで、真新しい骨壷に納めていく。だが、大きな骨は、壷の口には入らなそうだった。どうやって入れるのか、少し気になったが、火葬場の職員らしき人が、竹製の箸で、力任せに砕いているのを見て、驚いた。けど納得した。ああでもしないと入らないだろう。

「こんなに細かったんじゃねぇ」とか「ちゃんとしたもん食べてなかったけぇねぇ」という声が聞こえる。たぶん病院の食べ物では、それほど血肉にならなかったのだろう、と朱莉は哀れに思った。このくらいなら、医者の言う事を無視して、焼き鳥でもなんでも食べた方が、よっぽど幸せだったんじゃないかと思う。

 火葬場から、葬儀場に戻ってくる。ここからが、更に戻ってからが苦痛である。続けて初七日(しょなのか)があるのだ。本来なら、亡くなってから七日後にやるのだが、皆が遠くに住んでいて、そんな再々親族が集まるのが大変なので、一緒に済ませてしまおうということになっていた。

 この初七日の間、流石に腰や尻などが痛くなってきた。椅子に座っているだけでも、膝が辛くなるのには驚いた。

 お経を読み終わった後、僧が何か話を始めていた。朱莉は真面目に聞いていなかった。やっと苦しい時間から開放されたと、そのくらいにしか考えていなかった。だが、途中から、僧の言葉が聞こえるようになった。

「……えー、この度はご病気でね、八十四歳でね、えー、この世を去られたとの事ですがー、昔は……ほんの五十年くらい前はですね、今ほど医療技術は発達しておりませんでしたので、もっと早くに亡くなられる事も、多くありました」

 お坊さんの口調は、ひどく間延びしていた。だが、やる気の無い教師のそれと違って、厳かな、渋い声だったので、朱莉は、思わず聞き入った。お経を読む時と違って、それが意味不明の呪文でなく、人としての理性の宿った言葉だからだろう。

「その為にどうしていたかといいますと、多く子供を生んでいたんです。一人亡くなっても、まだ他の子がいますからね。残酷なようですが、それしか方法が無かったんです。ですが、悲しい気持ちが無かったわけではないんですよ。そう考えると、少子高齢化と言いますか、今の世の中は、ある意味、幸福なのかもしれません。病気なんかで幼いうちに、すぐに亡くなる子は、昔よりは、ずっと、ずっと少ないわけですから」

 僧侶の言葉が正しいのか、朱莉には全く判断がつかなかった。確かに、亡くなる子は減ったのかもしれない。けれど、別の理由で生まれる子も減っているのだ。浅ましい考えなのかもしれないけれど、一瞬でも、刹那の間でも、この世に生れ落ち、生きていることは、それだけで幸福なのではないかと考えた。

 けれどやっぱり、それが正しいのかは、判断できなかった。

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