#14 桐高
目的の女がどこにいるのか、桐高には見当もつかなかった。
けれど――もし『蓮灘の記録』も桐高を探していてくれるなら、今までに遭遇した場所に来るのが道理だろう。互いの目的は一緒だ。
すなわち、廃れた商店街か、それとも橋の上か。
迷った挙句、桐高は前者を選んだ。もし対峙することになれば、人目につきにくい場所の方が都合がいい。
アスファルトの地面は、黄金に輝いていた。時間は午後四時半。逢魔の時まであと少し。太陽は、最後の輝きで街を照らしている。そろそろ、光は黄金から橙となり、理由もなく、そこらじゅうの建物を黒い影にして、あまりにも綺麗な空とのコントラストで、世界を哀愁漂う風景に化かすのだろう。
やがて、時は逢魔となる。道路を行きかう車の流れは、川のように途切れることを知らない。 歩道では、さまざまな人とすれ違う。
もう仕事が終わったサラリーマン。残業なしで帰っているというのに、顔の表情に喜びはなく、堅いままだ。
放課後に遊んで帰ったのであろう、泥だらけの小学生。笑顔のまま、走って歩道橋を駆け上がる。その姿を見ると、自然、子供の頃を思い出す。俺があのくらいの頃は、何を思い、どう生きていたんだろうか……。
歩道に設置された、風雨に晒されボロボロのベンチは無人。西日を浴びて、影は歪に伸びている。人の気配の無い、時空の歪んだ異界だった。ふと、まどろみが襲いかかる。桐高はベンチに腰掛けた。
夢の内容は、ノスタルジーとも、走馬灯とも言えた。蘇る過去の断片的な記憶が、桐高を包んでは通り過ぎていく。睡眠時による夢の独特の創作性はなく、むしろ記憶の中に潜り、過去を手繰る感覚に近かった。
子供の頃、どこかの村に居た頃ですら、自分は浮いていた。国の中の異郷の地という辺鄙な場所の中で、さらに異質な存在だったらしい。けれどそれは当たり前だった。好き嫌いや、人との関わりは他と違っても、見解や価値観までは違わなかった。一人ではあったけれど、独りとは感じなかった。たぶん、村人と自分は、互いに距離の測り方が上手かったんだと思う。だから互いに関わりもしなかったけれど、互いに傷つきもしなかった。
けれどそうでない老人もいた。距離の測り方が分からずに、無理に人に近づき、そして傷つける人物だった。我慢が限界にきた村人もやがて、老人を傷つけるようになった。攻撃は悪化の一途をたどった。
村で惨劇が起こった。限界に達した老人が、猟銃で村人をことごとく殺していった。老人に何の感慨も抱かれていなかった桐高と、その家族は生き残った。
それをきっかけに都市に出た。都市の人々の価値観は、桐高とはまるで違っていた。訳の分からない理由で近づいてくるのを、桐高は拒絶した。まるで自分と違うモノが周囲に居る。恐怖であり、ストレスだった。それからというもの、彼は孤独を感じるようになった。
ある時から変わった。それが手に入ってからだった。異質さから人をひきつけることは無くなった。桐高の中で膨らんだ、圧倒的なまでの隔絶の感情が、知らず、周囲に振り撒かれるようになったからだ。
力の誇示せずとも、力を潜めている気配だけで、人は桐高を異邦人として認識し、彼を避けるようになっていった。
目が覚める。周囲は真っ暗だった。恐ろしく長い時間が過ぎ去ったのだけは、感覚で理解した。
暗くなった道を、街頭が橙色に照らしている。陽の光とは違い、暖色なのに寒々しい。まるでトンネルのような色彩だった。
やがて、廃れた商店街に辿りつく。
アーチ状の商店街の看板は、ネオンは灯らず、汚れと埃で寂寞を振りまいている。
寒いだけではない。建築物に囲まれた空間では、空気の対流すら凍り付いている。入り口から吹いてきた木枯しが通過する、ひゅぅ、という消えそうな音は、細い枯れ木のように物寂しい。
踏み入ると、待っているのは二十メートルほどの広い道。かつかつと、足音が天蓋のようなルーフに反響する。
透明なルーフ越しに入ってくる月光が、タイルの道を怪しく照らす。ぬらりとした表面は、網で引き揚げたばかりの魚群を想起させる。
壁のような店の数々は、そのどれもがシャッターが下ろしているか、あるいは電気が消えていて、そこから生気は感じられない。人の気配の残滓があっても、残りの滓は、むしろ虚しさ掻き立てる。もはや廃墟も同然だった。
道の突き当たりで、ふと左に方向を転換する。道幅は半分になった代わりに、道の長さは今までの倍はある。
その――道の真ん中。タイルの路上に、一人の女。
桐高は、女の雰囲気に訝る。あの時――まるで桐高に畏怖と憧憬を抱いていた時とは違う、張り詰めた空気――獣というより修羅のような、暴力性の中にも静けさを宿した、奇妙な雰囲気を漂わせている。
桐高よりも一回り大きい人影、待ちに待った『蓮灘の記録』は、あの時とは違った眼差しを、桐高に注いでいる――。




