#8 朱莉
眠れない。きっと寒いからだろう。
時計を見ると、午前一時を回っていた……唐突に朱莉は、なんだか外に出たくなった。夜遊びや夜歩きなんてした事が無いからか、妙な背徳感と好奇心に駆られ、朱莉は音を立てないように服を着替え、コートを羽織り、そっと玄関から出ていた。
冬の夜は、寒々しさが昼間よりも増していた。暗いせいだろう。けれど街の光のおかげで、幾分払拭されていた。
ふと、空を見上げる。都会では星が見えないというが、この辺りでは都会ほどの光量が無いからか、街の中でも冬の大三角を観測する事ができた。黒いキャンヴァスに広がる無数の光点は、とても綺麗だ。互いに近くにいて密集してて――結ばれて、一つの意味を成す星座。まるで繋がることで目的を達成する人のように見える。私たちが今、この星たちのようでなかったとしても、なろうと思えば、こんな風になれるのかな――なんて考える。
けれど――心の奥底で湧き上がる情動は、まったく別のものだった。なんだか、すごく苦しい。まるで一生懸命光り輝くことでしか、自身の存在を証明することが出来ないように――まるで、それ以外に方法が無い、追い詰められた寂しい姿に見えて。
なんで、こんなに悲しくなるんだろう?
まるで理由を求めるように、朱莉はあても無く夜道を歩く。時々夜空を眺めてみても、感想は変わらない。
憐憫は悲哀に変わり、悲哀が涙腺を緩ませる。朱莉はびっくりした。自分がこんなに情緒が不安定だなんて、知らなかった。
涙を拭いて、洟を啜る。目頭は熱を帯びたまま。首の筋が緊張したままで痛い。どこか休める場所、座れる場所は無いだろうか……。
駅の近くを歩いていると、ちょうど良いものを見つけた。待ち合わせ場所にでも使えそうなフェニックスの木だ。正しくはカナリーヤシと言うらしい。ぐるりと囲む円形の石のオブジェが植木鉢となっており、中には土が敷き詰められている。
巨大な植木鉢となっている部分に近づく。つるつると平らな石の断面が、月明かりと街頭の光を冷たく反射している。風で飛んだ土を払って、石の部分に腰掛ける。ズボン越しに伝わる冷たい感触は、芯から体を凍えさせてしまいそうだ。すごく目が覚めてしまいそう――と思っていたのだが、泣き疲れたらしく、つい、うとうとしてしまう。
くらり、くらりと意識が明滅し、視界がが暗転しだした時――不意に、人の気配を察知して、驚きから、朱莉は思わず面を上げる。
「蓮灘さん……」
目前にいたのは、背の高い、男性と見間違えそうな同級生だった。灰色のパーカーにジーンズという格好をしていた。寂しさが紛れた気がして、思わず、胸が締め付けられる。
「やっぱりか。……危ないよ。こんな時間に出歩いて。何してるの?」
口調は、女子高生を嗜めるお兄さんみたいだった。だが断じて、彼女はお兄さんではない。間違ってもお姉さんである。
「自分だけは良いの? ずるいよ」
朱莉は自覚していながらも、意地の悪い質問をする。
「私はいいの……図体デカいし」
「背が高くても、女の子は女の子だよ」
当然のことを言ったつもりだったのだが、朱莉の言葉に、薫はひどく驚いていた。その反応に朱莉は焦る。
「えっ、何か変なこと言ったかな?」
薫は頭を抱える。どうやら、相当に朱莉の発言は衝撃的だったようだ。
「いや……うん。確かに、言ってることは当たり前なんだけど……」
やりにくそうに後ろ頭を掻く姿が、なぜか妙に可愛らしかった。
「……あれ、泣いてた?」
薫は、朱莉の目の端を、じーっ、と見つめる。
「えっ、いまさら?」
――ってか、まだ赤いんだ。
誤魔化すように笑いながら、朱莉は目の端を指で擦る。
「まぁいいや。わたし帰る。ありがとね、蓮灘さん」
朱莉は立ち上がると、来た道を思い出して歩みを進める。すると後ろから、薫がついてくる。
「どうしたの?」
「送ってくよ」
疑問の声に答える声は、簡潔な内容を口にした。
いいよ、悪いし。そう言おうとした朱莉の口は、
「ありがと」
なんて言葉を紡いでいた。
――……なに言ってるんだろう? 私。
なぜか、背筋にヒヤリとしたものを感じた。目を背けていたものが、自分を窮地に追い込んでいるような、そんな不安があった。
寂しさからなのか、朱莉は質問を投げかけていた。
「蓮灘さんって、さびしいって思ったことある?」
「なに? 突然」
街頭と街頭の間で、光に照らされていない薫の表情は見えにくかったが、皺が寄っているのは分かった。
「いやさ……ちょっと気になって……蓮灘さんって、その、家のことで、いろいろあるみたいだしさ……」
蓮灘の記録という単語を言うのは、なぜか躊躇われた。記録という単語が、非人道に感じられたからなのかもしれない。
「寂しいか……どうだろうね。最初から他の人とは違うって意識があったから、一人なのは当たり前って、割り切ってたのかもしれない。ま、押し付けられた身だから、純粋に独りってわけでもなかったし」
割り切る? 違う、そうじゃない。朱莉は頭の片隅で否定する。
「それは違うよ、たぶん……」
言いかけて、慌てて朱莉は口を噤む。
「? たぶん、なに?」
「いや、なんでもないよ……」
――割り切ってたんじゃなくて、諦めてたんだと思う。
しばらく話をしながら夜道を歩いていると、いつの間にやら家の前まで辿り着いていた。別に不審者とは巡り合わなかったが、朱莉は薫の親切心に対して、深く感謝した。
「ありがとう、わざわざ」
「いいよ。じゃ、お休み」
立ち去ろうとする後ろ姿は、どこまでも男っぽかった。それだからなのか――朱莉の頭の中では、普段では有り得ない考えが浮かんでいた。
「あ……あのさ、もし良かったら……その……泊まっていかない?」
まるで好きな男の人に告白するくらいの勇気を振り絞った。何でこんなに緊張したのだろうか――恥ずかしかったから? ……分からない。
けれど、放たれる薫の言葉は、
「いや、悪いよ。それに大して遠くもないし」
ふっ、と蝋燭の火が吹き消されるように、朱莉の心が一気に冷める。
「え、あ、うん……」
勝手に盛り上がって、勝手に沈んでいる自分に、薫は困っているようだった。朱莉は自分のことが情けなくて仕方がなくなる。私は何をやってるんだろう? 勝手に泣いて、外で寝そうになって、蓮灘さんに迷惑をかけて――不意に、疲弊が降りかかる。
「ごめん……」
消えそうな声で、そう呟くのが精一杯だった。目を背け、鍵を使って玄関の扉を開けると、すぐに鍵を閉めて自室に戻る。夜中の家に、扉の閉まる音やら足音やらが響くが、気にしていられなかった。
コートを脱ぐと、寝巻きに着替えもせずに、ベッドに入って布団をかぶる。
そう――やっぱり私は、一人なんだ。
さっき泣き疲れたからか、もう今は、溜息しか出てこなかった。
まどろみを感じる。今さら睡魔が襲ってきた。背中に降りかかる、影に押し潰されるような感覚を愉しんでいると、いつの間にか、意識は解けて蕩けていた。




