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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$2$ 気高き一人
28/113

#8 朱莉

 眠れない。きっと寒いからだろう。

 時計を見ると、午前一時を回っていた……唐突に朱莉は、なんだか外に出たくなった。夜遊びや夜歩きなんてした事が無いからか、妙な背徳感と好奇心に駆られ、朱莉は音を立てないように服を着替え、コートを羽織り、そっと玄関から出ていた。

 冬の夜は、寒々しさが昼間よりも増していた。暗いせいだろう。けれど街の光のおかげで、幾分払拭されていた。

 ふと、空を見上げる。都会では星が見えないというが、この辺りでは都会ほどの光量が無いからか、街の中でも冬の大三角を観測する事ができた。黒いキャンヴァスに広がる無数の光点は、とても綺麗だ。互いに近くにいて密集してて――結ばれて、一つの意味を成す星座。まるで繋がることで目的を達成する人のように見える。私たちが今、この星たちのようでなかったとしても、なろうと思えば、こんな風になれるのかな――なんて考える。

 けれど――心の奥底で湧き上がる情動は、まったく別のものだった。なんだか、すごく苦しい。まるで一生懸命光り輝くことでしか、自身の存在を証明することが出来ないように――まるで、それ以外に方法が無い、追い詰められた寂しい姿に見えて。

 なんで、こんなに悲しくなるんだろう?

 まるで理由を求めるように、朱莉はあても無く夜道を歩く。時々夜空を眺めてみても、感想は変わらない。

 憐憫は悲哀に変わり、悲哀が涙腺を緩ませる。朱莉はびっくりした。自分がこんなに情緒が不安定だなんて、知らなかった。

 涙を拭いて、洟を(すす)る。目頭は熱を帯びたまま。首の筋が緊張したままで痛い。どこか休める場所、座れる場所は無いだろうか……。

 駅の近くを歩いていると、ちょうど良いものを見つけた。待ち合わせ場所にでも使えそうなフェニックスの木だ。正しくはカナリーヤシと言うらしい。ぐるりと囲む円形の石のオブジェが植木鉢となっており、中には土が敷き詰められている。

 巨大な植木鉢となっている部分に近づく。つるつると平らな石の断面が、月明かりと街頭の光を冷たく反射している。風で飛んだ土を払って、石の部分に腰掛ける。ズボン越しに伝わる冷たい感触は、芯から体を凍えさせてしまいそうだ。すごく目が覚めてしまいそう――と思っていたのだが、泣き疲れたらしく、つい、うとうとしてしまう。

 くらり、くらりと意識が明滅し、視界がが暗転しだした時――不意に、人の気配を察知して、驚きから、朱莉は思わず面を上げる。

「蓮灘さん……」

 目前にいたのは、背の高い、男性と見間違えそうな同級生だった。灰色のパーカーにジーンズという格好をしていた。寂しさが紛れた気がして、思わず、胸が締め付けられる。

「やっぱりか。……危ないよ。こんな時間に出歩いて。何してるの?」

 口調は、女子高生を嗜めるお兄さんみたいだった。だが断じて、彼女はお兄さんではない。間違ってもお姉さんである。

「自分だけは良いの? ずるいよ」

 朱莉は自覚していながらも、意地の悪い質問をする。

「私はいいの……図体デカいし」

「背が高くても、女の子は女の子だよ」

 当然のことを言ったつもりだったのだが、朱莉の言葉に、薫はひどく驚いていた。その反応に朱莉は焦る。

「えっ、何か変なこと言ったかな?」

 薫は頭を抱える。どうやら、相当に朱莉の発言は衝撃的だったようだ。

「いや……うん。確かに、言ってることは当たり前なんだけど……」

 やりにくそうに後ろ頭を掻く姿が、なぜか妙に可愛らしかった。

「……あれ、泣いてた?」

 薫は、朱莉の目の端を、じーっ、と見つめる。

「えっ、いまさら?」

 ――ってか、まだ赤いんだ。

 誤魔化すように笑いながら、朱莉は目の端を指で擦る。

「まぁいいや。わたし帰る。ありがとね、蓮灘さん」

 朱莉は立ち上がると、来た道を思い出して歩みを進める。すると後ろから、薫がついてくる。

「どうしたの?」

「送ってくよ」

 疑問の声に答える声は、簡潔な内容を口にした。

 いいよ、悪いし。そう言おうとした朱莉の口は、

「ありがと」

 なんて言葉を紡いでいた。

 ――……なに言ってるんだろう? 私。

 なぜか、背筋にヒヤリとしたものを感じた。目を背けていたものが、自分を窮地に追い込んでいるような、そんな不安があった。

 寂しさからなのか、朱莉は質問を投げかけていた。

「蓮灘さんって、さびしいって思ったことある?」

「なに? 突然」

 街頭と街頭の間で、光に照らされていない薫の表情は見えにくかったが、皺が寄っているのは分かった。

「いやさ……ちょっと気になって……蓮灘さんって、その、家のことで、いろいろあるみたいだしさ……」

 蓮灘の記録という単語を言うのは、なぜか躊躇われた。記録という単語が、非人道に感じられたからなのかもしれない。

「寂しいか……どうだろうね。最初から他の人とは違うって意識があったから、一人なのは当たり前って、割り切ってたのかもしれない。ま、押し付けられた身だから、純粋に独りってわけでもなかったし」

 割り切る? 違う、そうじゃない。朱莉は頭の片隅で否定する。

「それは違うよ、たぶん……」

 言いかけて、慌てて朱莉は口を(つぐ)む。

「? たぶん、なに?」

「いや、なんでもないよ……」

 ――割り切ってたんじゃなくて、諦めてたんだと思う。


 しばらく話をしながら夜道を歩いていると、いつの間にやら家の前まで辿り着いていた。別に不審者とは巡り合わなかったが、朱莉は薫の親切心に対して、深く感謝した。

「ありがとう、わざわざ」

「いいよ。じゃ、お休み」

 立ち去ろうとする後ろ姿は、どこまでも男っぽかった。それだからなのか――朱莉の頭の中では、普段では有り得ない考えが浮かんでいた。

「あ……あのさ、もし良かったら……その……泊まっていかない?」

 まるで好きな男の人に告白するくらいの勇気を振り絞った。何でこんなに緊張したのだろうか――恥ずかしかったから? ……分からない。

 けれど、放たれる薫の言葉は、

「いや、悪いよ。それに大して遠くもないし」

 ふっ、と蝋燭(ロウソク)の火が吹き消されるように、朱莉の心が一気に冷める。

「え、あ、うん……」

 勝手に盛り上がって、勝手に沈んでいる自分に、薫は困っているようだった。朱莉は自分のことが情けなくて仕方がなくなる。私は何をやってるんだろう? 勝手に泣いて、外で寝そうになって、蓮灘さんに迷惑をかけて――不意に、疲弊が降りかかる。

「ごめん……」

 消えそうな声で、そう呟くのが精一杯だった。目を背け、鍵を使って玄関の扉を開けると、すぐに鍵を閉めて自室に戻る。夜中の家に、扉の閉まる音やら足音やらが響くが、気にしていられなかった。

 コートを脱ぐと、寝巻きに着替えもせずに、ベッドに入って布団をかぶる。

 そう――やっぱり私は、一人なんだ。

 さっき泣き疲れたからか、もう今は、溜息しか出てこなかった。

 まどろみを感じる。今さら睡魔が襲ってきた。背中に降りかかる、影に押し潰されるような感覚を愉しんでいると、いつの間にか、意識は(ほど)けて(とろ)けていた。


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