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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$2$ 気高き一人
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22/113

#2 薫

 昼の街と夜の街。どちらが居心地が良いかと訊かれれば、蓮灘(はすなだ)(かおる)は迷わず後者を選ぶ。

 この街は、都会というほど賑やかでもないが、田んぼとか畑とかが無いから、田舎というには抵抗がある。公共機関、コンビニ、駅前の商店街などは、生活するのに不便のない程度には整っている。平日でも休日でも、昼時などの時間帯なら多くの人で賑わう平凡な地方の街だ。

 だが、それはあくまで昼の話。二十時を過ぎれば人は減り、零時を回れば人気(ひとけ)は途絶える。

 昔は、夜道を出歩くには、懐中電灯を持って出なければいけないと思っていた。いったいどんな固定観念があったのか……今の薫には、もう分かりっこない。ある日、気分が乗って懐中電灯を持って外に出てみたけれど、街に真っ暗なんてなかった。

 街頭は等間隔で設置されていて、白い光が歩行者の表情まで鮮明に照らし出す。信号はカラフルに黒いアスファルトの路面を照らし、コンビニは砂漠のオアシスのように煌々としていて、安堵を覚える領域だった。

 歩行者は当然少ないから、歩いていても遭遇するのは自動車ばかり。薫は思う。自動車には人が乗っている。けれど、歩いている自分からしてみたら、それは人ではなくて風景なのだ。森の中の野鳥と、道路の中の自動車。そこに大きな差異は無い。客観性など、夜の街では無意味にも等しい。

 今いる、この橋の上。薫がよく来るこの場所は、両脇に立ち並ぶ街頭が白ではなくオレンジだ。けどオレンジは、天蓋のような黒い夜空のせいで、トンネルの照明を思わせる。暖かさは微塵にもなく、不気味さを滲ませていた。

 だけど薫はここが好きだった。何故なら、ここなら一人になれるからだ。一人は落ち着く。こうして定期的に一人にならないと、落ち着かない。

 人は、人間社会という群体の一部だ。群れないと生きていけない。けれど人の中でコミュニケーションを交わしていくうちに、アイデンティティーが薄れていく。すると自己の認識が甘くなって、自分がなんなのか分らなくなる。

 社会と自己の境界で、人はどちらかに傾き過ぎると、違うようで似たような末路を辿るのだ。だから傾きすぎるとバランスを取ろうとする。それはメトロノームのようなもので、どちらかだけに傾きすぎると、必然的に次は逆に傾いていく。そのバランスが崩れると、他人か、あるいは自己が不都合と判断して、その人物は社会に留まれなくなる。

「はぁ……」

 溜め息をついてみる。日頃の生活で蓄積する鬱憤を、人のいない所で吐き出してみる。

 人とあまり関わらない薫でも、こういう時間は必要だった。むしろ普段あまり関わらないから、耐性が出来てないのかもしれない。そういう点で薫は繊細な少女だった。

「……っ」

 笑いを堪える。

「なにが繊細だ。こんなガタいで、繊細もクソもないだろうに」

 それが、やせ我慢だという事は分かっている。むしろ身体(フィジカル)が強すぎるから、精神(メンタル)がついてこれないのだ。

 先祖に手を加えられて、自分ですら理解できない身体。角川(かどかわ)祐輔(ゆうすけ)のような存在――追求者になっていれば、こうはならなかった。

 蓮灘の解創がどういうものなのか知っていたら、覚悟が出来たし、知識も得られ、対処も楽だった。けれど蓮灘という追求者の家系は廃れた。そのせいで、自分はこうして置いてけぼりだ。説明書もなしに専門の機械を動かせと言われたに等しい。それは一生付き合わなければならない、肉体という出力装置。いつでも手探りで、だから身体の成長に遅れて、ついていかない心。一人になろうとしても、この身体があるから、他人を意識せざるを得ない。

「いつだって、人と繋がってる」

 絆だとか、心の繋がりだとか、薫はああいった言葉が大嫌いだった。彼らの言う繋がりは、いつでも捨てられるから大切にでき、好けるのだ。捨てられない繋がりは呪いに等しいと、薫は生まれた時から、その身をもって実感している。一度私と同じ身体になってみろ。そんな戯言は吐けなくなる。

「――なんて、あーもう、やだやだ……」

 泣き言しか吐けない自分。なんて惨めなんだ。恥ずかしくて、ワケも分らない悪態をつく。だがあまりに自分の悪態の程度の低さが情けなくて、また恥ずかしくなる。

 ――帰ろう。

 結局、その結論にたどり着く。

 いい加減、この変わらない景色にも飽きてきた。オレンジ色に照らされる夜の川は、石油のように毒々しい。

 視線を外して歩を進め――一人の男と、すれ違う。

 男だというのに、髪の毛は薫とさほど変わらないくらい伸びていた。乱雑に伸びているので、伸ばしている、というよりも、伸びている、と言う方が正しいと思った。そんな(たてがみ)のような黒髪と、じっとなにかを見据える、力強くて静かな眼は、見つめるものを静寂の内に威圧する。

 男よりも十センチも背が高いのに、薫は背筋を震わせた。薫は直観した――この男は、獅子だ。纏う空気は獰猛だけど、他の肉食動物とは一線を画す高貴さがある。

 力だけではない。矜持を兼ね備えたその哲学は、正義の女神(アストレア)を思わせる。

 なんの気なしに、薫は振り向いた。男はさっきまで薫が立っていた場所を通り過ぎていて、薫に背を見せている。

 薫は男の背中に()た――そこに、自分とは違う一人の在り方を。

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