#16 朱莉
#16 朱莉
朱莉はリビングに案内された。小言を聞くに、どうやらここは客間と化しているらしい。
朱莉はいつぞやにブレザーに入れていた御札を取り出して、祐輔に渡した。それから一通り、祐輔にことの経緯を話した。
「なるほど……じゃあ野崎洋子、といったかな? 薫くんは彼女とドンパチしてるわけだ……へぇ、まさか普通の高校生の中に追求者が紛れてるとは。いや普通の高校生が追求者になった、と考えるべきなのかもしれないね。まだまだ技術は浅いが」
紅茶を一口含み、朱莉が渡した御札を眺めながら、角川祐輔はそう言った。
朱莉は対面のソファに座って、祐輔とその隣にちょこんと座る眼鏡の少女を見ていた。いや、正確には見詰め合っていた。
「あの……この子……」
なんで私を見てるんだろう、という疑念が尽きない。視線には子供らしい好奇心の色は無く、顔には表情がない。まるで人形のようだ。
「ああ、気にしなくていい。君のことを覚えようとしてるだけだから」
よく分らない祐輔の返答に、はぁ、と気の抜けた返事をする。
「ところで……追求者ってなんですか? それに蓮灘さんとも知り合いみたいだし……」
「いっぺんに質問しないで欲しいな……とりあえず出よう。話は車の中ででもできる。自転車は乗せてってあげるよ」
祐輔が立つと、少々遅れて少女も立ち上がる、が、祐輔はそれを制止する。
「眼鏡ちゃん、君は留守番だ」
少女はコクリと頷くと、ソファに座りなおした。「いいんですか? 女の子一人を家に置いていって」と朱莉は訊いたが、祐輔は「問題ないよ」と淡々と答えた。
エレベーターで一階に降りる。外はすっかり暗くなっていた。
祐輔は自転車を取りに行くように言った。朱莉がエントランスの前に自転車を持ってくると、祐輔は駐車場から大きなワゴンをまわして来た。テキパキと自転車をワゴンの後部に載せると、祐輔は朱莉を乗せてワゴンを出す。
ステアリングを握る祐輔は、前を見たまま話を始める。
「さっきの話をしようか……追求者、というのはね……どういえばいいのか……やってることは普通の人間なんだよ。問題は手段でね……朱莉くん、といったかな? 君は解脱という言葉をご存知かな?」
ゲダツ、聞きなれない単語だ。助手席の朱莉は首を横に振る。
「えー……いや、分かりません」
「それもそうだよね、女子高生が知ってても驚きだ」
角川は小さく笑うも、車内に響くエンジン音がそれをかき消していく。
「瞑想とかして煩悩やら輪廻やらから開放されて、涅槃にたどり着いて無限の幸福を手に入れることなんだが……まぁ天国みたいなものと考えてもらっていい。僕ら追求者はその逆、天国に行かずに幸せを手にしようと試みているのさ」
朱莉は実感のわかない話に首を傾げる。
「お坊さん?」
なんて単語を呟く事しかできない。祐輔はまたしても、やりにくそうに首を横に振る。
「うーん……その逆だ。お坊さんやらの宗教を信仰する人は、無の極地を求める。だが僕らはその逆でね、考えて煩悩を解決させることで自由を得るんだ。乱暴に言えば、クイズや計算問題が解いたりするとうれしいだろ? あれの究極を求めてるんだ。自身に問題を課し、それを思考し、努力し、祈願することで解決して幸福を得る。研究者というのが近いのかな。理解する事をなによりも幸福とし、手に入れた知識と技術を行使する事にも幸福を感じる。人生をかけたマッチポンプさ」
噛み砕いて一生懸命説明してくれているのは分ったが……結局、朱莉は大して理解できないでいた。
「角川さんもですか?」
とりあえず朱莉は、少なからず理解できている事を再確認する。
「そうだよ。追求者なのに、大して追求してないけど」
自嘲気味に祐輔が目を細める。だが元から細目なので違いを判別するのは難しい。
「訊きにくそうだから先に答えるけど、行動から推測すると、野崎洋子は元から追求者だったタイプとは考えにくい。誰かに教えられたんだ。まぁ、教えたそいつは出てこないだろうね。追求者は普通、そんな目立つようなマネはしない。裁定委員会……追求者たちにとっての警察みたいな組織に殺されちゃうからね」
虚をつく発言に、朱莉はたじろいだ。軽々しい会話の中に『殺す』なんて単語が入り混じるのが不気味だ。追求者というのは、一般社会とは全然違うものらしいと朱莉は察した。
洋子とは中学校からの友人だ。仲が良かった友人……そんな彼女の裏の顔を、自分は今まで知らなかった。言い知れない喪失感を、朱莉はこうして他人と言葉を交わすことで誤魔化していた。
けれど、この男は最初から朱莉の心境を分っていたらしい。祐輔は続けた。
「こういう言い方をすると可哀想かもしれないけれど、その洋子くんとやらは解創がどういうものか履き違えてる。アレは便利にみんなを助ける道具じゃない。自分のために使うべきだ」
それは節操のない言い方だった。いくら自分は理解していなかったとはいえ、友人を馬鹿にされた気がして、朱莉は思わず反論する。
「そんなの……人の勝手じゃないですか?」
これだから素人は。そう言いたげな仕草で祐輔は肩をすくめる。
「解創については言ったとおりさ。願うことを達成する力だ。だけどね、つまり言い返せば、『ある目的を達成するだけの最低限の力』なんだ。他の目的を達成できるほど万能じゃない。他人の願いを叶えるため、なんて言語道断。そんな複雑なこと、解創で為せるわけがない。やるだけ無駄、なんてレベルじゃない。お門違いさ。事故が起こるのも当然。彼女はね、使えるだけで解創を理解しているつもりでいるのさ、本質を理解していない。追求者としては三流がイイトコだね」
朱莉は反論できなかった。元々追求者だとか解創だとか、そういうものは良く分らない。
――洋子……。
もう分からなくなった友人に、朱莉は思いを馳せるしかなかった。