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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$1$ 本質乖離
14/113

#14 薫

    #14 薫


 今日は校舎裏から侵入したりはせず、校舎内で機会を待った。

 校舎が施錠されるのを待ち、校舎が教員によって施錠された時間を狙って、隠れていた選択教室の屋根裏から這い出た。昼食の時に目をつけておいて、放課後になってすぐに忍び込んだのだ。環境はホコリっぽくて最悪だったが、寝れないことはなかったので、体力は温存している。

 冬とはいえ、まだ午後五時半なので、いくら曇天といえど屋外は真っ暗ではなかった。だが建物の中は別、すでに暗黒が降りていた。

 建物の中でありながら、中庭に面した廊下は、屋外と屋内、どちらの性質も備えている。日没後の曇り空を映す窓は、ダルトーンの青色の四角いモノにしか見えず、その薄暗い印象からか、光源として認知できない。

 いつだったか、前にもここを、こんな心境で歩いていたな――薫は思い出す。あの時は、教室と選択教室、世界と異界、二つの空間をつなぐ境界のように思った。白い、白い空間だと。

 当たり前の感想かと思ったが、そんなのは違っていた。当たり前のように存在する光の存在を、すっかり忘れていた。

 窓という名の四角い青色の配列は、延々と向こう側まで続いている。

 自分の周りを見れば明るいが、遠くにいくに連れて薄暗く見える――まるで異界に繋がるトンネルのように、静謐でおぞましい。だけど薫は知っている。人の存在を示す喧騒が無いのなら、後ろも前も違いはない。だが、どちら側にいてもと反対側が異界のように見えるというのなら、自分の立っている此処(ここ)こそが本当の異界なのだ。遠くの空間を不気味に見せるトリック・ハウス――それがこの場所だ。

 だから――そんな異界に突然、教室から生徒が出てくれば、誰だって動揺する。

 現れた女には、足音があった。制服は薫と同じもの。前髪を垂らしていて、顔は見えず、表情は読み取れない。

「へぇ……まさか本体が出てくるとはね……」

 祐輔の言うとおりなら、光源を利用せず、月光で誤魔化さないこれは像ではない。今日は向こうの景色も透けていない、確実にこれは実体……肉体だ。

「ええ。前は突然な事だったから、保険を取らせてもらったの」

 今日は口の動きと声にも違和感がない。確実にこの女は本物だと確証を得る。

 薫は女の足元に、白い御札を投げ出した。

「あら、決まったの。うれしいわ」

 垂れた前髪の隙間から、女が笑っているのが見えた。

「別に。でもこれ使ったら、なんでも願いを叶えてくれるんでしょ?」

「上手くいくかは分らないけど、努力はするわ」

 薫の問いに、女は謙虚さを見せる返答をする。

「そっか。じゃあ今からする質問に答えてもらうってのは?」

 薫の口元が、悪戯を楽しむ子供のように釣り上がる。

 女は諦めたかのように、肩をすくめてみせる。

「何? なんでも言って」

 女は薫の望みを叶えてくれるらしい。躊躇い無く、薫は問いかける。

「人が願ったから叶えるって前に言ってたけど……アンタが叶える義理がどこにある?」

「義理なんて……そんなのは、どうでもいいわ。私はね、願われたから叶えるの。それが理由。それだけなの。この力があれば、皆を幸せにできる。いや、みんなが自分の望みを完璧に叶えられて、幸せになれる。そうでしょ? 願いを叶えるなんて、こんなに凄い力……一人で使うべきじゃないわ」

 角川祐輔がこの女を裁定委員会に引き渡すといっていたが、薫は、ただまじないを広めるだけの女を、裁定委員会が引き取るメリットがあるのか……と疑問でならなかった。だが、現在のクラスや学校全体の雰囲気と状況、そして今の女の発言から、それは簡単に悟れた。

 裁定委員会は、追求者や解創の社会全体にとって害悪となる者を消す組織だ。解創を一般社会に漏洩することは特に危険視する。それは何故か?

 追求者は、『解創を追求する者』である。つまり追求者にとって解創は手段である。だが、それと同時に目的でもある。なぜなら解創を使って自由を手にするには、解創を深く理解する必要があるからだ。『野球で試合に勝つ為に、バッティング能力を鍛える』というような、大きな目的のための、小さな目的が個々の解創だ。だから彼らは解創を手段として用いながらも、解創というものを誰よりも、よく理解している。

 だが、これが一般社会に漏洩すればどうなるか?

 ただ願うだけで手に入ってしまう、問題を解決する力。それは強大な力だ。漏洩すれば科学が覆され、社会が混乱に陥るだろう。だが、そういう事はどうでもいい。

 解創というものを全ての人間が知る事になれば、解創はより多くの人の目に晒され、混乱をもたらし、初めは解創をというものを畏怖するだろう。だが、人間は今までの自分達を絶対に曲げない。やがて一部の者達が気付く。『これがあれば自分達の生活は、今までよりもっと便利になる』と。

 その時から、社会の常識(パラダイム)はシフトする。今までの科学から、これからの解創へと。緩やかに、けれど軽やかに、いつの間にか常識は、社会へと浸透していく。

 そしていつしか商業化された解創に、消費者が手を付ける。『みんなが持っているから自分も』と。解創がどれだけ超常的な力であろうと関係ない。今までと同じ、刃物、火、電気、電子機器――ありとあらゆる道具と同じに平等に扱う。解創は、ただの技術に成り下がる。

 自分達が誇っていたものが、有象無象どもの、ただの手段になる。

 理不尽な大きな力を持つ者――企業や国といったものに解創が掌握されれば、自分達が扱っていたときとは比較にならない規模で使われ、より大きく強い力へと進化していく。それだけでも、自分達の劣等感を思い知る事になる。なのに、それだけ凄い力を、有象無象は、社会は、『ただ便利な技術』としてしか使わない。こんなことを許せる追求者が、いるはずがない。

 解創が多くの人間によって深く研究されれば、解創の力はみるみるうちに大きくなる。だが、その価値は貶められる。そう――解創とは、俗物的な一般社会で扱われるべき代物ではないのだ。

 祐輔は言った。裁定委員会の行動理由は自分勝手だと。だが薫は、裁定委員会の意見に同意した。このまじない……御札がそうだ。いくらこの女が頑張って、人々を幸せにしようと願い、解創を使っても……人々は結局、一時的にもてはやすか、自分にとって都合のいいように使うだけで、本質を理解しようとしないのだ。

 例えば、御札の話を仲間内のタネにする。

 例えば、一部の生徒がまじないの御札をかき集め、小遣い稼ぎの道具にする。

 例えば、まじないで混乱している中、まじないの仕業に見せかけた事件が起こる。

 それは悲劇だ。一部の者が理解して作り、使うのならば、それは互いの高潔さを守るだろう。

 だが、理解しない者達に使われれば、その本質は曇ってしまう。理解者による正しい主観は失われ、愚者達の主観の集合に(かたど)られた客観性が正当化される。

 それが裁定委員会が、解創を社会に漏洩させまいとする理由。

 消費するだけの愚者によって、解創は、その本質から乖離する。

 そして――そのシミュレーションとでもいうべき事態が、もう、ここで起こっている。

 薫の中で感情が渦巻く。それは怒りではない。哀れみでもない。もっと別の、なにか――

「願われたから叶える、か。そんなの間違ってる」

 女の肩に力が入ったようだった。緊張している様子とも取れる。

「どうして? 私が悪い事をした? 冗談じゃない。願われたから、その願いを叶えてあげただけ。例えば……あなたは人の恋路を手伝う事も、悪い事だと言うつもり?」

「――」

 薫は、答えない。

 そもそも薫に恋愛の経験はない。せいぜい片思いがいいとこだ。だから、それを手伝うことが正しい事なのか、それとも間違っているのかなんて、わかりっこない。

 だが――それに解創を使うことは、間違っていると断言できる。

「知らない。けど、本当に誰かに手伝われたって知ったら、そいつはどう思う?」

「馬鹿いわないで。手伝って欲しいから、願ったんでしょう?」

「本当に、そのまじないとやらを信じていたら、の話だよ、それは」

 薫は遠慮なく言い放つ。

「オカルトなんて流行らないよ、電子機器が流通してる時代だ。いくら多感な時期だからって、まじないなんて本気で信じるわけがない。ただの暇つぶし、それだけだよ。信じてもないことに興味をそそらせ誘って、まるでお前の意思だと言わんばかりに現実にするのは、理不尽さだけなら詐欺と違わない。手伝われたっていうソイツは、解創のことを知ってる? 知らないでしょ。もし知ってたとしても実感がない。理解してない力を、知らない内に使って手に入れた結果になんて、誰も喜ばない。それは押し付けだ」

 前髪から覗く柳眉を歪めて、女は吠える。

「適当なことを言わないで! あの子は……未来は確かに喜んでたわ!」

 未来というのは少女の名か。名前しか知らない少女――薫はその少女に、複雑な感情を抱いた。

「喜んでるのは知らないからでしょ。でも知ったところで、その未来とかいう子は変わらない。人は結果しか見てない。結果を出した解創という力は見てくれない。彼女が見てるのは、結果だけだ。自分の力で恋が叶ったと思い込んで有頂天になるだけ」

 それを手伝ったと、本当に言えるのか。

 自分が勝手に手伝って、相手はそれを知らずに、自分自身を過信する。それはいずれ、彼女の不幸を招くだろう。

 だって――彼女の所業は、誰も認めてくれないから。

「は、よく出来た話じゃない。つまりアレでしょ? ズルをした奴はズルをした分だけ弱くなる、呪いのおまじないさ。まじないを提供してる人間に、悪意がないのが……無自覚なのが更に性質が悪い」

 鼻で笑って、薫は女を馬鹿にする。

「そんなものじゃないわ! 呪いだなんて……私は、別に人を貶めようなんて思ってない!」

 ――ああ。そうか。

 薫はこの前と同じく、女から何かを感じ取る。違和感というか、既視感というか――その正体にようやく気付く。私は、この女を見たことがあるのだ。

 女の息を切らす音が、この場において、なにものよりも弱弱しい。いつのまにか薄暗い廊下の薄気味悪さは払拭されていた。

「結構、印象が変わるわね。気付かないわけだ。暗いし、普段はポニテだから」

 女の名前を告げようとして――

「……洋子?」

 思考が、空転した。

「アンタは……」

 薫の背後、三メートルほど離れた階段のすぐ下に現れたのは、片手に何故かローファーを携えた、茶髪のショートカットの女子生徒。確かこの女の友人の……。

 ――しまった……挟まれた!

「何してるの……二人とも……」

 薫は待たなかった。

 一瞬にして、筋肉質な脚が収縮し――ばね仕掛けのように薫の巨躯を吹き飛ばす。

 息を呑む速度で飛び出した薫の姿は、獲物に飛び掛る猛獣さながらだった。一瞬にして朱莉の前に躍り出て、制圧を試みる。

 薫の判断は甘かった。狭い廊下、退路を立たれたという状況だけで、相手側の意図した挟撃と思い込んだ。相手は追求者という緊張感も、薫を真実から遠ざけた一因だ。

 だから、まさか自分が狙った少女が。無関係とは思わなかった。

 一瞬にして朱莉を腕力で組み伏せて――あまりの抵抗感のなさに違和感を抱いたところで、薫の巨躯は吹き飛んだ。

 ――は……?

 自分の身体に何が起こったのか、何によるものなのか判断できなかった。

 固い廊下の上を撥ねる。まるで飛び石になった気分だ。

「変ね」

 遠くから、声が聞こえた。

「がっ……」

 続いて、小さな呻き声が聴こえる。硬質な廊下に人体が倒れた音だった。

 薫が身体を起すと、倒れていたのはショートカットのクラスメイト――ここでやっと、薫は自身の過ちを悟った。この少女は、ただ通りがかっただけなのだ。衝撃で気を失っているのか、ピクリとも動かない。

「やっぱりあなた、普通じゃないわね。普通なら今ので十分な筈なのに」

 小首をかしげる女の仕草は、どこまでも自然体だった。

「……殺したのか?」

 薫の質問に、女――野崎洋子は高らかに笑う。

「まさか。死にはしないわ」

 洋子の身体が硬直する――薫は何か不穏なものを感じ取って『何か』を迂回するようにして前進する。

 薫は皮膚で、自分が動いて生じたのとは違う、別の空気の流れを感じ取る。何か――立体的なものが通り過ぎていく気がした。

 背後から近づいてくる気配――薫は理解した。昨日、幽体離脱とか馬鹿らしい話を祐輔としたが、あながち間違ってもなかったらしい。

 薫は廊下に寝そべる少女を抱えると、そのまま階段を駆け上がる。

「待って!」

 後ろから聞こえてくる金切り声。構わず薫は階段を上りながら助走をつける。

 薫が移動しているのには理由がある。

 廊下の窓は中庭と繋がっているが、中庭は、中庭を形成する生徒棟と特別棟の間の空間を、昇降口が塞いで『コ』の字になっているから、逃げるのに不向きな地形なのだ。

 教室にいけば、廊下の窓とは逆側の窓で、教員棟との間にある空間に繋がっているが――それでは相手も追跡できてしまう。

 できるだけ上に上った方が、距離が稼げるのだ。

 蓮灘の記録たる薫の身体は、三階へ一気に上ったくらいでは疲労など覚えさせない。

 薫は、生徒棟と教員棟の間の中庭に繋がる窓を開けた。

 眼下には、硬いアスファルトの中庭。

 自殺願望でもなければ、ここから身を投げ出そうとは、普通考えない。

「な……」

 追って来る追求者は言葉を失っていた。

 それもそのはず、蓮灘薫は朱莉を抱えて三階の窓から飛び出したのだから。

 自由落下の速度は速い。それもそのはず、抱えている朱莉の体重は四十キロと少し、そして薫の体重八十二キロを合計すれば、総和は百キロを超える。

 アスファルトの地面に着地する。着地の瞬間に膝を曲げて衝撃を逃がしたとはいえ、常人ならば骨折してもおかしくない。

 薫は中庭とは反対側、逃げるのに有利な教員棟と生徒棟の空間に躍り出る。追求者といえど相手は人間。特別な手段が無ければ、三階から一階に降りるには、階段を使うしかない。

「……ん? 蓮灘……さん?」

 着地の衝撃で目が醒めたのか、抱えている同級生がうっすらと瞼を持ち上げる。とにかく今は僥倖だった。意識があるなら逃げることもできる。薫は作戦を変更した。自分が足止めしたほうが彼女が逃げられる可能性は増す。

「なんでもいいから逃げて。このままじゃアンタも殺される」

 殺される、という言葉でやっと実感が戻ったのか、同級生はちらちらと薫の背後を見ながら、

「でも蓮灘さんは……」

「いいから、どっちみちアンタは逃げる以外、できることないから」

 突き放すような言い方に、薫自身、冷徹だと思った。だが彼女のためを思えばこれ以外の選択肢はない。同級生は頭を下げると、一目散に駆け出していく。

 ――それでいい。

 小さくなっていく背中から視線を外す。

 薫は教員棟を見上げる。この時間なら暗いとはいえ、まだ教員がいてもおかしくない。部活の生徒もいるだろう。なのに今日は、人っ子一人見当たらない。

「……なんかした?」

 一階の教室の窓から出てきたクラスメイトに、薫は問う。

「まぁね。私って、色々手広く手をつけてみるタイプだから。あなたのためを思えば、このくらいは当然でしょ。今日あたりだと思って、人払いさせてもらったわ」

 やはり目的は蓮灘の記録か――薫は溜め息をいた。本人も『色々手広く手をつけてみる』とか言ってたし、自分の前で魚が泳いでいたら、釣ってみたくなるのも道理か。

「そりゃどうも」

 人払いを行った理由は一つだ。今ここで薫を捕まえるつもりなのだろう。甘い目算だ。像写し、人払い、そして未だ正体の知れない不可視の力……この三つ以外にも、なにかあるかもしれないが、あまり戦うのが得意なタイプとは思えない。

 薫は心持ち腰を落として、体勢を整える。


 人気(ひとけ)のない校舎に囲まれて、薫は追求者と対峙する――

時間を一週間ぶん間違えて設定しちゃってました。

仮にもし待っている方がおられましたら、申し訳ございません。

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