2 黄金の左団扇 柄
目の前に広がる大海原を眺め、俺はそれを抱くように手を広げた。
「シム様、おはようございます!」
「シム様、今日は新鮮な魚が入ってますよ!」
「おーっす! みんなもごくろーさん。って、そんな敬語使わないでよぉー」
朝日が綺麗にのぼる頃、まだ薄暗くて少しひんやりする町へ出ると、市場の漁師さん達に声をかけられる。
俺の名前はシム。幽霊船の乗組員という不思議な体験を経て、この島に帰ってきた。
小さな島国だが、金の鉱脈が豊富なこの島の価値は高く、地図上でも重要な交易点となっている。
北に位置するノースタウンは「黄金の町」、南に位置するサウスタウンは「海と港の町」と呼ばれており、俺が町の長として管理を任されているのは、後者のサウスタウンだ。
異国情緒溢れるこの町は、港から水揚げされるさまざまな海産物を中心として市場がにぎわっている。周りが海ばかりであるせいか、遠洋の魚から海岸沿いで採れる貝まで、ありとあらゆる海産物が所狭しと並ぶ。
管理を任されているとはいっても、優秀な商業組合が仕切っているため、俺はもっぱら小説の執筆に精を出しているのだが。
石畳が敷き詰められ、白い土壁の街を歩きながら、ショーウインドに映った自分を見た。
にょきにょきと背が伸びて、ただいま185センチの長身。くせっ毛の茶髪。頭の上に乗っている愛用のゴーグルは、海に出ていた頃の記念品だ。
「シムさんっ! 今日も朝の散歩っすか?」
町の子供に声をかけられて振り向くと、パタパタと両親の手伝いをしていた子供達が駆け寄ってきた。
絵本を描いて読み語りをしていたからか、子供達とは仲が良い。俺の上司のキースさんは、『精神的に近いから気が合うんだろう』だなんて言うけれど、否定はできない。
「そーだぜ。大海原を胸に抱き、朝日で温められた空気を吸う大事な仕事だ」
「今日はやけに詩的じゃん」
「俺はいつも詩人だぜ?」
「よっくいうよ」
笑い声が起こって、俺は今日もいい一日だと思った。毎朝、こうやって人と話をするのが楽しい。さあ、次はどこへ行こうかと見回すと、名前を呼ばれる。
「シム様、少しご相談があるのですが」
振り向いた先にいたのは、サウスタウンの商業組合長だった。
領主館へ寄らず、サウスタウンの北東へついてくるように言われ、俺は首をかしげた。北東といえば切り立った崖があるだけで、あんなところに商業組合の長が足を運ぶ理由などないと思うのだが。
潮風に吹かれて揺れる草を踏みながら進むと、朝日を反射して輝く銅色の屋根が見えてきた。
「家……か?」
あんな山の中腹に家なんて立っていただろうか? でも、すごく目立たなくて……朝日が強烈に当たるこの一瞬だからこそ見えたに違いない。急に興味が湧いてくる。
「そうなんですよ。昨日まではなかったはずなのですけどね」
聞けば問題は建物ではなく、中にいる人間の方なのだそうだ。どうやら、別の場所で寝ていたはずが、目が覚めたらここにいたという。年齢は分からないが、まだあどけなさが残る少女であるため、子供に警戒されにくい俺を呼んだのだそうだ。って、これは褒められてるのかな?
「人攫いが出たのだろうか?」
「いえ、彼女はこの島の人間ではないといってますから、考えにくいと思いますよ。海に囲まれたこの島に、一晩でつれてくるのは難しいはずです。あとね、商売もしたいって言ってるんですよ。それで私が出向いたというわけなんですが……さあ、ここです」
組合長が扉を開けると、家の中の引き出しを開けていた少女がこちらを向いた。
一目惚れだった。
肩までのサラサラの黒髪、パッチリとした瞳、白い肌、桜色の唇、細い手足、服は見たことがない形をしていたけれど、彼女によく似合っていた。
「美少女……! じゃなくて、あの、こんにちは。俺はこの町の管理者を任されているシムといいます。お話を聞かせて欲しくてここまできました」
一瞬本音が出てしまったが、なるべく人好きのする笑顔を心がけてにっこり笑う。こういうときは距離感が大事だったはずだと言い聞かせ、近づき過ぎないように、でも顔は良く見える位置に移動だ。組合長がすかさずフォローを入れる。
「大丈夫です、この人若造に見えますけど、意外と頼りになりますから」
いやいや、それ褒めてない。褒めてないって!
思わず突っ込んだら、彼女は少し笑った。
「はじめまして。鈴音商会の店主で鈴といいます」
とりあえずテーブルにつくと、彼女は自分の境遇について話し始めた。これまで、遠い街で雑貨店をやっていたということ、身寄りはいないこと、前日の晩、遠くで火事を知らせる半鐘の音を聞きながら眠ったらいつの間にかここにいたことなどだ。
一番懸念していたのは、人攫いや何かの事件に巻き込まれた可能性である。しかし、彼女の住んでいたところは、この町どころか俺が今まで旅したどの町の特長とも異なっており、相当遠いところから来たように思えた。
不安そうにこちらを見る目が何故だかひどく悲しくて、なるべく明るい声で大丈夫だと請合う。
「帰してあげたいんだけど、場所が分からないとなぁ。うん、俺の知り合いにも聞いてみるわ」
「シム様でも知らない場所って……」
組合長からあなた世界中を旅していたんじゃないんです? という視線を受けて、ぐっと言葉に詰まる。詰まるが、まあ、もしかすると覚えていないだけなのかもしれないし、山奥の村だったりすると全く知らなくても不思議ではない。
とにもかくにも、今までの彼女を知ることは大事なことだけど、もっと大事なのはこれからの話だ。過去をあれこれ詮索しても前に進むとは限らない。人間なんだから、お腹は減るし、生きていく手段は必要だろう。
「全然知らない土地に来て不安だろうけど、地理とか簡単なことなら教えられるし、収入のほうもちょっと考えてみるよ」




