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プロローグ

『魂の重さは21g』とあるアメリカの医師は唱えた。


 21g? そんな軽い数字で、陽菜の夢が測れるのか。冷たい風が頰を削るように刺さって、胸の奥で何かが小さく砕ける音がした。生きた証が、あまりにも軽く見積もられ、冷酷すぎる。なら今、目の前にいる彼女は21g減っているのだろうか。ちっぽけな重さが、肉体を動かしていたのか。人生、21g? ふざけすぎだろう。


 俺は魂の重さは測れないものだと思う。

 目に見えないものを見ようとするのは、いかに残酷か。

 だが見ようとする過程は、いかに素敵か。

 彼女は夢を見ていた。

 俺もその彼女に夢を見ていた。

 もし夢に重さがあるとするならば、彼女の夢は月に行ったとて重く感じるだろう。


 陽菜の葬式は、高校を卒業して間もない春の夕暮れに静かに執り行われた。


 参列者たちは黒い服に身を包み、控えめな声で故人を偲ぶ言葉を交わしていた。風が墓地の桜の木々を揺らし、舞い落ちる花びらの柔らかな音が地面を優しく撫でる。遠くから聞こえる小鳥のさえずりが、追悼の歌のように響いていた。


 俺――佐藤幹也は、式場の外れにあるベンチに座り、ギターを爪弾いていた。弦の振動が指先に伝わり、静かなメロディーが風に溶けていく。金属の弦が皮膚を軽く切り込む痛みが、息を喉の奥でさらに絡ませ、うまく吐き出せない。夕陽が沈み始め、夜空に星が一つ、特別に明るく輝いていた。


“一等星”。


 あの星を見上げるたび、指が弦を握りしめすぎて白くなり、爪の縁が皮膚に食い込む。桜の花びらが視界を埋め尽くし、喉の奥で湿った甘さが、苦く絡まる。


 どうして、こんなことに。頭の中で同じ言葉がぐるぐる回る。理解できない。受け入れられない。ただの偶然か、それとも何か俺が気づけなかったせいか。


 人間には誰にだって、明日が来るはずだ。約束されるべきものだと、誰もが無意識に信じている。おっちょこちょいだけど、いつも星のように明るくて元気が取り柄だった陽菜も、そう思っていたに違いない。人間は、星のように輝く瞬間を信じて生きるが、影がいつ飲み込むかわからない。どうして俺はあの時、もっと彼女の脆さに気づけなかったのか。自分への苛立ちが、胸の奥で静かに、しかし激しく渦巻く。


「ああ、今度、一緒に桜を見に行こうよ!」


 彼女の笑いながら言った言葉が、耳元で反響する。あの時の声は、風鈴のように軽やかで、息が耳の裏でじんわり——熱を帯びたのに。文化祭で一緒に歌った夜、彼女はおっちょこちょいにマイクを落としてみんなを笑わせながらも、最後まで輝いていた。あの無邪気さが、俺の閉ざされた心を少しずつ溶かしていった。


 明日が来ないなんて、想像すらしなかっただろう。人間は、考えているよりもずっと脆い。墓石の冷たい石肌に触れた時のような、重みが肩にのしかかる。脆さは、星の光が一瞬で消えるようなものだ。なのに今、胸の奥にぽっかりと空いた穴が、すべてを飲み込んでいくような空虚さが広がる。すべてが無意味に思えて、ただ虚しくなる。


 陽菜の笑顔が脳裏に浮かぶ。細い指がギターを触る姿。透き通る歌声が耳に残る。いつも周りを明るくする彼女の存在が、俺にとっては唯一の光だったのに、それが突然失われた現実が、まだ実感として追いつかない。


 出会ったあの日から、すべてが変わった。中学時代の純也との絶交以来、俺は誰にも心を開かなかった。息を吸うのも億劫で、肺が重く淀む。星の光が墓石の角に刺さり、影を長く引きずって地面にへばりつく。高校卒業を目前に控えたあの頃、陽菜はそんな俺に「一緒に文化祭やろうよ」と声をかけ、拒めない優しさで引き込んでくれた。


 ギターだけが唯一の逃げ場だったのに、陽菜はそれを溶かした。文化祭の準備、歌詞を一緒に作った夜、互いの秘密を共有した時間。あの温もりが今も体に残っている。彼女の指が手に触れた時の柔らかさ、シャンプーの甘い香りが混じった息遣い、すべてが鮮やかに蘇る。でも今、こんなにも大事だった彼女がいない。俺のせいじゃないか、という自責の念が、胸を締めつける。何もできなかった自分自身が、ひどく許せない。


 でも、今、陽菜はいない。彼女の影が遠くに感じられる。いつも明るく振る舞っていた陽菜の、瞳に宿る強がりが俺を揺さぶった。あの言葉の裏に、どんな想いが隠れていたのか。声が風に運ばれて消えていくように、今はもう聞こえない。


 俺にはまだ、君と行きたい場所がたくさんあった。話したいことが山ほどあった。一緒に酒を飲んで、くだらないことで笑い合いたかった。もう一度、君に触れたかった。唇の柔らかさ、息を合わせた時の鼓動の同期、そんな瞬間をもう味わえないなんて。


 陽菜の声が耳元で『好きだよ……』と切れ切れに響き、指先が震えて弦を滑らせた。息が止まり、胸の奥で何かが——弾けるような音がした。


 それでも生きている俺には、明日が来る。「君の分まで頑張る」なんて、ちょっとカッコつけすぎで自惚れているのかもしれない。だって俺にだって、いつまで明日が続くかなんて分からないのだから。導きの光が、影に飲み込まれる脆さを、誰もが抱えている。短い間だったけれど、陽菜がいてくれて本当に良かった。あの光が、俺の人生を変えてくれた。


 風が墓地の花びらを散らし、心をさらに散らばらせる。ギターの音が止まる。


 ただ、君は本当に好きなことのために生きていた。その姿を間近で見て、俺はそれがどれだけ尊いかを初めて知った。だから俺も、好きなことをして、胸を張れる人生にしたい。彼女の生き様が、背中を押すように感じる。


 いつか君に会えたなら、自慢げにこう言いたい。「俺、やり切ったよ。羨ましいだろ?」そして、こう付け加える。「俺は君がずっと、これまでも、これからも、好きだ。ありがとう」。


 俺は空を見上げる。一等星が、静かに瞬く。“一等星”みたいに、眩しくて暖かくて、俺を導いてくれた彼女に対して、感謝と愛情以外の言葉なんて浮かばない。


 星の光が墓石の端を削るように刺さり、影を短く縮めて、足音が花びらを湿った音で踏みしだいた。息が、喉で絡まって、吐けない。陽菜の声が、耳の奥で切れ切れに響いて、でもその続きを、俺はまだ——うまく、つかめない。


 陽菜の光を胸に、俺は歩き出す。たとえ、どんな影が待っていても。足元に落ちた花びらが、足音に舞い上がり、優しい音を立てる。


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