第1話・異界の怪異
第1話・異界の怪異
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暗い
まるで深海の底に沈んだような、感覚すら奪われた無我の夢中の中。
意識はただ、闇に溶けていた。
「――ろ」
ん……なんだ、声が……。
「――きろ」
聞き覚えのない声が、糸のように意識を絡め取る。
「――水ぶっかけるもダメ――それじゃ――」
触覚がゆっくりと戻ってきた。びしょ濡れの服が肌に張り付き、背中にふわふわとした感触。ベッドか……?
突然、何かが痛い……いや、痛くない?変な感じあちこちに伝わってくる。誰かが何かを――
「――噛むもダメ――」
噛まれた?吸血鬼か、ゾンビか、何かに襲われたのか――
「――やっぱり探偵に言うと推理と――」
言葉が途中で止まり、次の瞬間、オレの腹に強烈な衝撃が炸裂した。
「――格闘技のだ!喰らえ!」
「うおおっ!痛えよ!」
深海のような眠りから、一気に浮上させられた。
まるでアッパーカットで水面をぶち破ったみたいに。
オレは暴行の実行犯を睨みつける。そこには、オレの身体に馬乗りになった小さな少女の姿があった。
「子供……?」
その瞬間、不満が一瞬で吹き飛んだ。
床まで届きそうな長い白髪がさらりと揺れ、蒼と金のオッドアイが悪戯っぽく輝いている。小柄で愛らしいロリ体型に見えるが、その瞳には天才的な知性が宿っていた。白いシャツに黒のプリーツスカート、カーキ色のトレンチコートを羽織った姿は、まさに知的な探偵そのものだ。
「失礼だな、キミは。目を覚ました第一声が他人を子供扱いとは。こう見えてもボクは母上より背が高いの144センチ、立派な大人だぞ?その目、大丈夫か?もしかして先ほどのパンチで視力を失ったのか?」
「いやいや、どう見てもロリじゃねえか!鏡見てみろよ!」
我慢できずにツッコミを入れると、少女は斜め掛けバッグから本物の手鏡を取り出した。
「ん……どう見ても立派なレディだな。」
「……ほら、早くオレの上から降りてくれ。あと、変に揺れるな。」
「おっと、失礼。これはキミを覚醒させるための各種実験の一つだ。自分の体重で圧迫、左右に揺する、大浴場の水をぶっかける、痛そうなところを噛む……パンチも効かなければ、次は一回殺すつもりだったぞ。」
白髪の少女はもぞもぞとオレの上から降りながら、平然と恐ろしいことを口にした。
「オレを殺すつもりだったのか!?可愛い顔して狂人かよ!?」
「ははっ、危険はないよ。ここでは本物の死など存在しないからね。死んでもこのホールで完全復活するだけさ。」
「復活?何だよそれ、現実はゲームじゃ――」
「ちちちー。これは空想ではないぞ?なぜならボクはすでに体験済みだからだ!ボクの初期位置は大浴場の浴池中央。目覚めるとそのまま溺死した。だから、この場で一番早く意識を取り戻したというわけだ!」
白きロリ探偵は誇らしげに両手を腰に当て、胸を張った。
「そのような噂を現実に変える存在がいるだろう?そう!ここは現代に蘇った大怪異『千門ホテル』に他ならない!」
怪異――知っている。
インターネット時代に突如として流行した、噂が現実化する現象。悪魔、妖怪、幽霊、呪い……あらゆるものが噂によって形を得てしまう。
出かける前には必ず最新の怪異図鑑でルートを確認しないと、突然遭遇する危険がある。
千門ホテル……数年に一度、ネットで「脱出成功者」の話題が上がる、あの伝説の異空間だ。
「まさか、オレが本当に巻き込まれるなんて……」
「うんうん、ワクワクするだろう?そういえば自己紹介がまだだったな。ボクは西園寺初雪、怪異学の博士だ。家族の資金を借りて民間の怪異研究会『解明者』を設立し、首席を務めている。ボクのこの髪と目の色は、幼い頃に怪異に遭遇した影響らしいが、気にしないでくれ。ここに来る前は、ムカつくほど拠点でメンバーの冒険報告を整理していたところだ……今回こそ、ボク自身が未解明の大怪異に挑む番だ。ざまあみろ!」
彼女はカバンから名刺を取り出し、オレに渡した。確かに、そこには西園寺グループ令嬢であり、解明者首席の肩書きが記されている。
「あの西園寺グループの……!?マジかよ、お嬢様じゃねえか!それに『解明者』って、あの怪異図鑑サイトを運営してる組織だろ?いつも世話になってる、ありがとう。」
「ふふ、この言葉は素直に受け取っておくよ。それでは、キミのことを教えてくれ。」
「オレは……え、オレは……」
名前も、経歴も、家族も……自分に関する記憶が真っ白に塗り潰されている。
知識や常識は残っているのに、肝心の「自分と関連する」が欠落していた。
初雪は興味津々で顎を撫でながら、オレの反応を観察している。
「なるほど、なるほど……自分自身に関する記憶が『奪われた』ようだな。名前がないと不便だから、便宜上、キミはボクの『助手』ということに決定だ!ボクのことは気軽に『初雪』と呼んでくれ。」
「なんでいきなり助手扱いなんだよ……それより、オレのこの状態に心当たりあるのか?」
「名探偵には助手がつきものだろう?だから当然さ。それにキミの記憶の消失は、普通の記憶喪失ではない。この怪異のルールだ。説明は長くなるから、他の子たちを起こしてから一気に話そう。今は我慢してくれ。」
「他の子……?」
オレは周囲を見回した。
ここは典雅な円形の大ホール。木製の壁に等間隔に並ぶ燭台の炎が、怪しく揺らめいている。三つの通路が延び、一つは果ての見えない長い廊下で、金色のプレートが付いた無数の扉が並んでいる。
床のワイン色の絨毯の上に、二人の少女が倒れていた。
一人は蒼く輝く白髪の小柄な少女。金糸で複雑な紋様が施された、布面積の少ない薄い白い衣を纏い、神秘的な雰囲気を漂わせている。
もう一人は赤いふわふわの寝間着を着た、蜂蜜色の金髪の少女。小さな王冠が近くに転がり。お姫様のような佇まいだ。
「ほら、一般人には見えないだろう?だからボクはキミを最初に起こしたんだ。」
「確かに……錯覚じゃなければ、白い子はなんか光ってるし、もう一人は王冠被ってるし……」
「だろ?助手くんはどっちから起こす?」
「透明感あって光ってる子から……もう一人はなんか面倒くさそうな予感がする。」
「そっかそっか。では始めようか。」
*
オレたちは蒼く輝く白髪の小柄な少女に近づいた。
初雪が軽く肩を揺すると、重たげな瞼が辛うじて持ち上がり、金色の瞳がぼんやりと開かれた。
「……うぅー……女神を揺らすんじゃないよ~……今起きるから……。長年ぶりの熟睡だったのに、もう~。失礼な魂だな……気軽にこの転生の女神ファティラに触れるなんて、次はドロドロの戦乱世界に転生させてやる……なんてね、それを決めたのは生前のカルマ~」
眠そうな瞳を半分だけ開け、彼女はオレたちをだるそうに見つめた。声は低く、どこか投げやりだ。
「……って、お前たちはどうやって死んだんだい?この女神ファティラに正直に教えてくれよ?若そうだから自然死じゃないよね……事故死?病死?それとも他……あぁ~、トラックに轢かれて異世界転生……はえ?どうしてこの魂の狭間に肉体が付いてるの?……ん、周りを見ると、ここはわたしの領域じゃないよね~?」
「ねえ、初雪さん。本物の神様って実在するの?」
「……知らない、怖い。ボクは怪異の専門家だけど、流石に本物の神様は管轄外だ。噂由来の偽神怪異なら知ってるけど……」
キャラクターが濃すぎる。ダウナーな口調で自称「転生の女神」ファティラ。蒼く輝く髪と金色の瞳は、確かにただ者ではない。
「……早く帰らないと……えい~」
ファティラは本当に疲れた様子で地面から立ち上がろうと手を振った。しかし、何も起こらない。
「……え~、なんで?テレポートできない……力が入らない……呼吸すらこんなに億劫……?まあ、帰れないなら魂の転生は他の女神に任せればいいか……やったー、休み時間延長~。もう寝よ……」
一連の動作が終わると同時に、彼女の全身から力が抜け、へなへなと絨毯の上に崩れ落ちた。すぐにすやすやと寝息を立て始める。
「寝たね……」
「そうだな。完全に寝落ちした。過労死寸前の限界社畜みたいだ……。まあ、無数の死者を毎日相手にする仕事だ、仕方ない。今は寝かせておこう。」
オレたちはしばらく、ダウナーロリの女神ファティラを放置することにした。
視線を横に移すと、次は王冠を傍らに転がした蜂蜜色の金髪の少女が、まだ穏やかな寝息を立てていた。
*
「ほら助手くん、次はキミの番よ。ボクはもう充分働いたからね」
「オレが?……まあ、いいけど」
オレは蜂蜜色の金髪をした少女に近づき、変な意味なんてない、ただ肩に手を置いて軽く揺すった。
ただ、普通に起こそうとしただけだ。
その赤いふわふわの寝間着は、シルクのように滑らかな感触だった。
結果は――
「ん……あと五分……」
普通に寝言だった。
「ほら、起きてください。ここは普通の場所じゃないんです。起きて!」
仕方なく、もう少し力を込めて揺する。
「ああもう、うるさいわね!あと五分って言ったでしょ!揺らさないで!名前を名乗りなさい、さもなくば城から追放よ!」
怒りながら目を開けた彼女は、オレの顔に人差し指を突きつけた。
「って、あなたたち誰!?城のメイドじゃないわよね?どうしてわたくしの寝室に……ここはどこ!?まさかラランド王国の王女であるわたくしを拉致したの!?ぐぬぬ、舐めないでよね!王族は強いわ、このアイリス・ラランドが相手になるんだから!!」
突然の警戒に後ずさり、オレは誰もいないカウンターに背中をぶつけた。アイリスは勝ち気な碧眼を鋭く光らせ、腕を構える。
「なあ、初雪。自称名探偵なら、パニック状態の相手を説得するのもお手の物だろ?記憶喪失のオレには自信ないぜ」
「ふふっ、当然だな。任せてくれ!」
自信満々の初雪がアイリスの前に歩み寄る。
……
…
結果は、劇的に成功した。
まるでTRPGの説得判定がクリティカルヒットしたかのように。……こんな知識が持つ何で、元のオレは一体どんな趣味だったんだ?
初雪の丁寧な説明を聞いたアイリスは、ようやく冷静さを取り戻した。小さな王冠を拾い上げ、頭にちょこんと乗せる。状況を理解したようだ。
「あなたたちの話が本当なら、わたくしたちは別次元のダンジョンに拉致された被害者……協力し合わなければ元の世界に戻れないのね?そして、あなたたちは異世界人?」
「うん、簡単に言えばそうなるな。ボクたちから見れば、キミのほうが異世界人だけど。ボクの世界に『ラランド王国』なんて存在しないからね」
「じゃあ、あそこにぐにゃぐにゃに寝てる方もあなたたちと同じ世界なの?なんか光ってるし、変だわ」
アイリスは視線を、床でへなへなと寝続けるファティラに向けた。
「それはボクもよくわからない……どうやら女神らしいけど」
「え、女神様ですって!?でも、そのお名前……わたくしの知ってる神様の記憶にはありませんわ。知らない神様みたい……」
まあ、転生専門の女神だから、生きてる間は会わないのも当然か。
「ところで、異世界人って……まさか『地球人』ですか?」
「え、どうして地球って知ってる!?」
アイリスの口から、知らないはずの単語が出てきて驚いた。
「地球人は時々こちらの世界に現れて、特別な力で歴史に痕跡を残すって聞いたわよ。あなたたちもそんな力を持ってるの?山を両断する無双の力とか、無限の魔法とか!」
「それはないわー。オレたちは一般人だから、そんな大それた力は使えない」
「怪異の力も貸せない以上、そういう派手な力は無理だな」
「へえー、ただの平民みたいなのね。まあ、いいわ。このダンジョンから脱出するために協力するわよ。あなたたちが持ってる情報、全部わたくしに教えてちょうだい」
「いいよ。ボクもそう思う。ここにずっと立ってるのも非効率だ。一旦食堂へ移動して説明しよう。助手くん、あの女神を運んでくれ」
初雪がアイリスを連れてロビーから続く通路を歩き始める。
「はいはい、かしこまりましたよ、探偵さん」
仕方なく、オレは寝落ちしたファティラをおんぶした。
「……はぁ~~ん、この揺れ、いい感じかも~……はむっ」
「こら!オレの耳を噛むな!?女神ならもっと礼儀正しくしろよ!」
「……は~い……ん……」
一瞬だけ目覚めたファティラは、再び夢の世界へ落ちていった。オレは慌てて二人の後を追いかける。
*
食堂は高級ホテルのビュッフェさながらに、無数のテーブルと椅子が並んでいた。
壁際には世界各国の料理、そして見たこともない異世界の料理がずらりと並んでいる。
「はわわ~、知らない料理がいっぱい……。わたくしの食卓はいつも力をつける魔獣やドラゴン料理ばかりだったから、平民の料理なんて滅多に食べられないの。とっても興味深いわ!」
「うんうん、ここは食べ放題だよ。目を離すと元に戻るから、遠慮なく食べてね」
全員で一つのテーブルに着席し、オレはファティラを起こして椅子に座らせる。自然と全員の視線が初雪に集まった。
「ここは異次元空間……ボクたち解明者ですら完全には理解できていない。ボクが知っている情報は、過去の脱出者から集めたものだ。その名前は――」
初雪は静かに口を開いた。
「――異次元の大怪異、『千門ホテル』」
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追記:
これは気分転換に始めたシリーズです。
本編の魔法少女を書く合間に、こちらを更新していこうと思います。
そのため、更新頻度は固定ではありません。
全編の長さはまだ決まっていませんが、気まぐれに書いていく予定です。




