【5】
何の予兆もなく大量の血を吐いて倒れ、小鳥さえずる寝台直行。
さすがにこれは難関だった。手掛かりがまったくないのだから。
何はともあれ呪術を学びはじめた私は、その基本として、人が宿した生命の輝きを見定める瞳術を身に着けた。生命は光の流れとなって、下腹のいわゆる丹田から全身を循環している。
この流れを外部から何らかの手段で阻害するのが「呪い」というわけだ。
そうして私は気付いた。アマヒト様の体を巡る光の経路のところどころに絡みつくような、ひび割れがあること。そこから光が外に漏れ出ていること。どうりで、あらゆる妙薬さえ効かないわけだ。
しかも、ひび割れは私がやり直すたび、少しずつ増え、広がっていた。
そのことに気付いたとき、私は愕然とした。
きっと、これまでもずっとそうだったのだ。
私のやり直しが、愛しいアマヒト様の生命を削っている。あるいは、それがやり直しの代償なのかも知れない。
その瞬間、猶予はなくなった。
なんとしても、やり直しを終わらせねばならない。
「──遠慮することはないよ。我らは夫婦になるやも知れぬのだから、対等だと思ってくれていい」
いま、目の前で柔らかに微笑むアマヒト様。見詰めると浮かび上がる生命の経路には、もはや隈なくひび割れが走っていて、いつ粉々に砕け散ってもおかしくない状態だ。
呪いの主はなかなか見つからず、アマヒト様がこんな状態になるまで、私は更にやり直しを重ねてしまった。少しでも恨みを抱きそうな相手をしらみ潰しにしたけれど、呪いの痕跡さえ見付からなかった。
だって、わかるはずもない。
侍女のマユカが涙ながらに伝えてくれなければ、永遠に気付けなかっただろう。
『おまえなんか私の娘じゃない、おまえの中身はおそろしい女狐! おまえを殺して、私のクスノをとり戻す!』
半狂乱で彼女は言った。
そう、呪いの主は私の実の母親だった。
私が別人のように変わってしまったことを、彼女は化け狐にとり憑かれたせいだと思い込んで、私を救うため呪術に手を染めたのだ。
怒りも、恨みも、哀れみもなかった。
ただ母の深い愛に涙が溢れた。とうに涸れたと思っていたのに。
抱きしめる私の胸を、彼女は懐刀で貫いていた。
──これが私の、999回目の最期だ。
「心、ここにあらず、か」
「いえ、決してそのようなことは」
そうして私は決めたのだ。次の1回に運命のすべてを賭けると。
絶対にこの1000回目で終わりにすると。
「ただ、その……いえ、とても申し上げられるようなことでは……」
私は目を逸らして、言い淀む。もちろんわざとだ。こんな言い方をされて、そのままに出来るわけがない。私の大好きな彼はそういう人だ。
「いいから、何でも話してくれ」
「それ、では……」
真摯な眼差しを、痛いほど肌に感じる。これで、ここで終わらせる。私の何より大切なものを──アマヒト様の生命と、母の心を守るために。
「さきほど殿下が私に向けられた、嘗めまわすような目に……ぞっとしてしまって……」
私は搾りだす。偽りを塗り固めた言葉を。
「そのお顔も、声も、仕草も、すべてがおぞましく……いまにも……胃の中のものが、込み上げてきそうです……」
そして、深く大きく溜め息を吐く。彼がこの世の何より嫌いな、澱杏の匂いをたっぷり孕んだ吐息を。
ちらりと盗み見た彼の表情は、歪んでいた。
とうに鋼で打ち直されたはずの心臓が、それでもねじれて痛む。そのまま、ねじ切れてしまえば楽なのに。
「ああ……………そうで、あったか。それは、とても済まないことをしたな」
殿下の声は、驚くほど弱々しかった。
それから、世間話めいたことを二言三言は交わしただろうか。
胸の痛みと涙をこらえるのに必死で、あまりよく覚えていない。そんな姿も殿下にはきっと、それほどまでに自分を忌み嫌っていると映ったことだろう。
我に返ったときにはもう、私は案内役に連れられて城の外にいた。
──これで、いい。
今日を限りに私、クスノ・ミカサギは二度とアマヒト様と会わない。悪人たちにも関わらず、弱きに手を差し伸べることもしない。ただミカサギ家の長女として、平穏に生きる。
それが、皇棋で磨いた先読みで、数多の可能性の中から導き出した最適解だった。
ほどなくして、遣いがやってくる。五人の候補を立てての御后選びを廃止せよとの神託が下ったという。ゆえに現在の御后候補全員の資格もすべて白紙にすると。
やり直しの過程で、私は知っていた。
神託と呼ばれるものが、実際は皇族の支配力を補強するためのまやかしだと。
その内容は高官たちと相談して決められ、あくまで政治的に交付されるのだ。
だから都合よく私の資格だけ取り消すこともできるのに、それでは哀れと思われたのだろうか。まったくどこまでも優しい御方だ。
ちなみに、神託がまがい物だとしても覡皇は決してお飾りではない。
その最大の理由が「神威の儀」。覡皇の命と引き換えに、神の御業を為すという秘儀だ。
かつて、聖王国とは反対側の海向こうから来襲した、大帝国の無敵艦隊。これを一夜で海の藻屑に変えた暴風雨「神威風」──国のため神威の儀に命を捧げた若き皇アラヒトの伝説は、幼子でも知っている。
いわば神皇国を守るための安全装置──それが覡皇という存在なのだ。
だからこそ、私は彼のそばに居たかった。
この国に危機など訪れぬよう、お守りしたかった。何かあったとしても、最後までお傍に……。
──そして平和に一年が過ぎ、アマヒト様は滞りなく覡皇に即位された。
私の時間は前に進みはじめる。彼とは、別々の道を。




