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源氏“裏側”物語 もしくはいずれの帝の御時にか光源氏の兄になってしまった不運な公僕の顛末記  作者: 松本紗和子
第一章:桐壺 もしくは主人公の水面下でバタバタする白鳥の足の如き裏側の活躍
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第28話 決意の重さ

◇一宮/隆明親王:六歳  二宮/貞明王:三歳  十月中旬

内裏 弘徽殿


「それで、母上、お爺。次のことなんだけど……」


 僕は少し緊張して話し出した。

 次の話題は、罹患者が出た場合の後宮からの宿下がりの件だ。

 母上は桐壺帝を見切っているらしい。呼ばれれば行くけど、寵愛を無理に求めようとはしていない。その分、僕の教育に専念している。手習いのほか、明経道(儒学)を教えてくれる大江先生のほか、和歌や明法道(法律)、紀伝道(中国史)なんかの専門家も呼び寄せ、スパルタ教育を施している。僕に。

 まあ我が父上こと色ボケ帝は、最愛の桐壺タンのことしか頭にないため、寵愛を求めるもクソもない状態なんだけど

 そんな状況だから、まー実家に帰ったって何の支障もないんだよな。でも、仮にも桐壺帝の正妻格を自称する人が、女房が病になりました~ってことぐらいで、実家に帰ることを了承するか?この辺はプライドの問題?

 

「流行り病が広がったときは、罹った者を周りから引き離すのが、まずは一番です。ましてや、しわぶき病みは広がりやすい病です」

「その通りでございます」


 春継がうんうんと頷く。

 滑り出しはよい。けど、次の話に母上が納得してくださるか?って話だ。僕は慎重に言葉を選ぶ。


「ですので、万が一。弘徽殿でしわぶき病みにかかった者が出ましたら―たとえ女房一人であっても、宿下がりしたほうが良いかと」

「あいわかった」

「えっ」


 早ッ。

 僕と千寿は思わず顔を見合わせた。今まで彫像のように黙っていた忠克・善克兄弟も、きょとんとした顔で御簾の中を見ている。

 いいんだ。仮にも帝の正妻格を自称する格の高い女御なのに!この人、明言したことはないけどマジで帝に期待してないんだな。


「そなたの手習いは二条烏丸殿でもできるゆえな」


 母上はなんてことないかのように言った。御簾の内でかちゃ、と音がしたから、白湯かなんかでも飲んだらしい。

 御簾の外から感じる程度だが、母上の態度は本当にさらっとしていた。雨音を聞いて、あ、今日は雨だなーって口に出すくらいさらっとしている。

 その一方、目を剥いたのはお爺と春継だ。狐に襲われた鶏みたいにぎゃーぎゃー騒ぎ始める。

 

「な、何を言うのだ女御。そなたは帝にお仕えする一の女御ではないか。そのように簡単に宿下がりなど……」

「そうだぞ女御、そなたがおらなんだら、桐壺更衣が今以上に寵愛を受けるだけよ!」

「そうじゃ!桐壺更衣が二宮様の立坊を主上に囁きでもしたらどうする!」


 お爺と春継は、口々に母上を諭した。

 二人にとって、母上は権力の源。その母上が、言っちゃ悪いが女房一人ごときのために宮中から去るなどということは受け入れられぬらしい。

 存在感が低下してしまい、今以上に桐壺更衣が寵愛され、専横っていうわけじゃないけど、とにかくそんな風なことを招くことになるとでも思っているようだ。

 しかしながら、母上は慌てる二人の懸念を鼻で笑い飛ばした。

   

「はん!」


 明らかに嘲笑が入り混じった声音だ。大きい声ではないのに、妙に力があるその声に、騒いでいたお爺と春継がぴたりと口を噤む。そんじょそこらの夜盗なんかへとも思わない平兄弟も、そして千寿も、背中を鞭で打たれたかのように背筋を伸ばした。

 母上は御簾の内で衣擦れの音をさせた。 


「一宮の立坊が目に見えた今、女色に夢中になり政を顧みぬ主上のことなどどうでもよいわ」


 母上はぴしゃりと言った。

 言い切った。帝のことをどうでもいいと言い切った。いや、原典でも帝にはそんな執着見せてなかった。母上が気にしていたのは、主に実家である右大臣家の繁栄、そして自分の地位だ。だけど、これほどはっきり言うとは!僕は息を飲んだ。

 一方のお爺と春継は顔色を変えた。明らかに帝に対する不敬だ。二人は口をそろえて母上を諫めた。


「こ、これ!声が高い!」

「大君、何を言うのだ!」

「誰ぞに聞かれでもしたら……」


 しかしながら、母上は父と兄の諫めなど、全く意に介さなかった。それどころか、さらに声高く言い募る。


「見よ、兄上!」


 よほどに溜まっていたらしい、憤懣が堰を切ったように流れ出した。


「主上は今日も今日とて桐壺に入り浸っておられ、政に全く目を剥けようとなさらぬ!二年前に一宮が諫言申し上げたものの、全く変わっておらぬではないか!此度のしわぶき病みもそうじゃ!病の拡大を防くことは、本来は帝が率先してすべきことじゃ!であるというのに、あの方は恋に溺れ、己の責務を忘れてしまっておられる!そのような天子に、どのような期待をせよというのじゃ!」


 御簾の中からばちん!と音がした。どうやら、母上が扇を膝に叩きつけたらしい。

 しん、と、耳に痛いほどの静寂が訪れる。

 誰も何も言わない。お爺も、春継も、千寿も。僕でさえも何も言えない。

 元々、母上は原典で桐壺に夢中な帝に諫言していた、と書かれているように、政治的な感覚はそれなりにあるが、これほどとは……。もしかしたら、母上に“転生”した誰かの感覚が残っている、とかかもしれないが。それでも、ここまではっきりと帝を非難するとは。

 直後、ふー、という長いため息が続いた。

 

「わらわはもはや主上(おっと)には期待せぬ。女色だろうが何だろうが好きにするがよいわ。わらわの願いはただ一つ。一宮が立坊し、帝として立派に政を行うことよ」


 母上はきっぱりと言った。それと同時に、僕の心がぎゅっと握られたように痛くなった。

 僕はもともと、光源氏打倒のため―そして、元の世界に戻るためにいろいろと改革を施していた。でも、「君主になる」ということはあまり考えていなかった。ただ、味方を得るためだけに動いて……。

 そうだ。僕はきっと、この世界のことを長く続く悪夢のように思っていたのかもしれない。いつかきっと帰る、長い長い源氏物語の世界。

 でも、いくら僕にとって物語の中でも、登場人物たちにとっては間違いなく現実なんだ。

 母上は右大臣家の繁栄を望んでいる。そして僕のことを息子として溺愛している。そんな母上が、ズルとはいえ優秀な僕に期待するのは当たり前だ。


「桐壺更衣を中宮にするとでもいうのならともかく、そうでないのなら勝手にされるがよい。何なら女御にしてもよいぞ、ほほほほほ」


 ほほほほほ……と楽しそうに笑う母上には、もはや迷いはない。

 すっとお腹の奥が冷えていく。

 そうだ。帝の第一皇子。春宮になるということは、いずれ君主になるということだ。

 あらゆる臣下の、民の上に立つ。自分より上に立つ者も、並び立つ者もいない永遠に孤独な立場に。

 今まで、これに気づく機会は何度もあったはずだった。

 だけど、僕は気づかなかった。あるいは気づいていないふりをしていたのか。

 母上の帝への怒りと、僕に対する重いほどの期待の言葉で、今やっと自覚した。脳の奥底で、今やっと理解したのだ。


「宮様……」


 千寿の声ではっとした。

 気が付くと、千寿が僕の顔を覗き込んでいる。眉を下げ、ひどく心配そうな顔だ。

 どうやら、いつの間にかうつむいていたらしい。頬に触れると、自分の顔が強張っているのがわかる。


「大丈夫か?」

「あ、うん」


 千寿がささやくように尋ねた。

 僕は軽く頬を揉み、頷いた。まだ顔が堅い。母上の重い期待に、どう応えていいかわからない。


「大丈夫……」


 僕はやっとのことでそう答えると、顔をあげた。

 

「……」


 弘徽殿の中は張り詰めた空気が漂っていた。

 お爺の顔は蒼白になっているし、春継も口をパクパクして何も言えないでいる。

 平兄弟は相変わらず何も言わなかったが、僕の顔をじっと見、どう反応するか見ている。

 そうだ。この二人は僕が引き立てた、僕の臣下だ。

 当然、この二人も期待しているだろう。

 僕が良い君主になることを。そして、自分の一族を引き立ててくれることを。

 この二人を失望させるわけにはいかない。

 この二人は―特に忠克は、僕が直接引き立てた。僕の手足となって働いてくれている、一の忠臣ともいえる男だ。

 忠克を失望させるわけにはいかない。彼の理想の君主の姿を見せなくてはいけない。

 腹に力を入れろ、隆明!自分で始めたんだ、理想の君主を演じきって見せろ!

 袖に隠れた手をぎゅっと握る。爪が手のひらに食い込み、ちりっと痛みが走る。その痛みが、僕に僕に力をくれた。

 僕はくっと頭をあげ、なんてことないような顔をする。


「母上、どれほどのことができるかわかりませぬが、ご期待に応えられるよう努力いたします」


 沈黙の中、そう口に出すのは勇気が言ったが、何とか声が震えることもなく言うことができた。

 すると、母上は御簾の中でほほ、と満足そうな笑い声をあげる。そして、母性に満ちた暖かい声でこう言った。

 僕が道を誤るなんてこと、微塵も思っちゃいない。そんな声だった。


「期待しておるぞ、一宮や。じゃがそなたはまだ稚い。何かあったら必ずこの母に申すのじゃ。ん?よいな?」

「はい、母上」


 僕は顔が引きつりそうになるのを耐えながら、精いっぱいの可愛らしい笑顔を浮かべた。

 ピンと張り詰めていた空気が緩んだ。

 お爺はふー、と大きく息を吐き、春継は脱力して柱によりかかった。

 平兄弟は……相変わらず無言だったが、忠克が力強い眼で僕を見ているのがわかった。どうやら、彼を失望させずに済んだらしい、 

 安心からか、握りしめていた手が緩んだのがわかった。

 千寿が横で「やるじゃん」と呟き、僕の太ももをパシッと叩く。どうやら、彼なりにこの空気に圧倒されていたらしい。細く息を吐いていた。

 僕もそうだ。体はともかく精神のほうは疲れ果てていた。考えることが多すぎる。布団に横になって休みたい。

 けど、話し合いはまだ半分も終わっていない。

 僕は改めて顔をあげると、御簾の中の母上に向かって問いかけた。


「では、しわぶき病みにかかった者が一人出た時点で、われらは宿下がりする、ということでよろしいですね」

「うむ」


 今度はお爺も春継も何も言わなかった。

 母上のあの剣幕に圧倒され、何を言っても無駄と感じたのだろう。権力の源泉である母上が嫌と言ってしまえば、どうしようもないのかもしれない。


「できれば、他の女御・更衣の方々にもそうして欲しいんですが……」


 千寿がそう言う。

 確かにそうだ。弘徽殿ばかりが予防に気を付けても意味がない。これは、後宮一丸となってやらねばならないことだ。

 すると、御簾の中で母上が頷いた気配がした。


「それもそうじゃな。我らばかりが気を付けてもどうしようもない」

「そ、そうだな。他の女御・更衣たちにもそうしてもらおう。万が一、帝におうつし申し上げたら目も当てられぬ」


 お爺が顔の汗を拭きつつ言った。これで、母上だけが宿下がりしなくてすむ。そう思ったんだろう。

 帝の妃というのは、帝と最も近い接触をする人間だ。そう考えると、お妃経由でしわぶき病みが移る可能性は、かなり高いと言える。

 ……もっとも、今帝と最も接触しているお妃は、たった一人なのだけれど。

 そのことに思い当たったのか、誰もがなんともいえぬ顔をした。


「では母上、他の女御・更衣の方々に伝えるのをお任せしても?」

「よいぞ」


 またさっきみたいな空気になったら見るに堪えない。僕はさっさと話を進めた。

 ……さて、ようやく本番だ。もう本番終わったような気分だけど、これからが本番。

 今回の目玉、庶民のための治療院の臨時設置だ。

 達成しなければならないこととしては、まず設置を認めてもらうこと。

 そして、お爺に場所を提供してもらうこと。資金と人はこっちで何とかする。

 だが、設置を認めてもらうこと、これが難しそうだ。

 そもそも、お爺は下々のために親王である僕が動くことをあまりよく思っていない。母上がゴリ押しすること、右大臣家の富が増えることからしぶしぶ認めてくれてはいるけど、今回みたいに収入ゼロ、出費増大の件になったらどうなるか。

 母上のゴリ押しを頼みにするとしても……いや、何とか説得するしかない。

 僕はもう一枚資料を出し、車座の中央に置いた。



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