第17話 この人と御息所と一宮君の件は紫式部のミスと見るべきか文学的修辞と見るべきか(略
◇一宮:五歳 二宮(後の光源氏):二歳 6月中旬
内裏 弘徽殿
私たち以前の転生者からのメッセージを見つけてから、だいたい4か月。
旧暦6月中旬、21世紀で言ったら7月半ばの暑い夏の盛りである。
扇風機もなければクーラーもない。氷はあるけど超貴重。
21世紀とはかけ離れた不快な夏である。
私と千寿は、いつも通り弘徽殿の北の身舎で、忠克の話を聞いていた。
「稲は順調、ついでに植えさせたソバや雑穀も問題なし、と」
千寿が満足そうに頷いた。
葛野の荘園でやらせている稲作改革は順調らしい。
消毒はできなかったけど、塩水選・芽出し・正条植えを行い、雁爪や八反ずりで除草・土の撹拌作業を行った田んぼは、明らかに稲の成長や作業の手間が違うらしい。
最初は手間がかかるだなんだとブーブー言ってた荘園の農民たちも、稲の成長度合いや除草作業が軽減されたことを身を持って感じたようだ。
今では他の荘園の農民たちが見学に来るほどだとか。
「製材所は?」
「今のところ問題なく稼働しております」
私の問いに、忠克が頷いた。
この時代、板は高級品だった。
平安時代の板を作るプロセスは、斧で樹木を伐採し、楔で引き割って大まかに形を作り、ちょうなという道具で荒削りし鉋で表面を仕上げるという効率のよくない方法を作っていた。
鋸ははあったが、手間がかかる、技術が必要という理由で、鎌倉時代ごろまで普及しなかった。ましてや、製材に必要な巨大鋸、大鋸が伝来するのは、室町時代にはいってからだ。ゆえにこの時代、板はまっすぐ割れる良木のみからしか取れなかった。
さらに言えば、この時代の鉋は、槍のような形をした槍鉋というものだった。我々がよく知っている鉋、いわゆる台鉋自体は、紀元76年に発生したヴェスヴィオス火山の噴火によって滅びたたポンペイの遺跡から最古のものが発掘されている。しかし、日本に伝わるのは室町時代に入ってからのことだ。
板というのは木工の基本。その板がバカ高いんでは、民百姓のためになるものなど作れない。そういうことで、私は大工道具を作らせ、製材所を建設することにしたのだ。
その時、お爺に協力を仰いだ。この時代に貴重な鉄を大量に使うことになるし、鍛冶師を集めるという点や、資金面でだ。
しかし、お爺はそんなことは皇子のすることではないと大反対し、協力できない、と言った。ま、言いたいことはわかる。
幸い、資金は母上が出してくれたから心配なかったけど、どこから大量の材料をと人員を調達するか、が問題になった。
そこで役に立ったのが、忠克だ。忠克の故郷常陸国では、たたら製鉄が盛んに行われている。忠克は故郷にとんぼ返りし、故郷の鍛冶師に大鋸や鋸、台鉋制作を依頼してきてくれたのだ。
そして、その成果をお爺と木工寮(造営・材木の採集などをする省庁)の職員に見せた。さすが、専門家である職員たちは、大鋸や台鉋がどれほど画期的かすぐに気付いた。そして、べた褒めした。
これは革命だ、一宮様と千寿君すごい。さすが清道公の神霊のお弟子に以下略。
すると、お爺も微妙な顔をしつつも、私の行動を支援してくれるようになった。
あと、最近作ったのは歯刷子と歯磨き粉だ。
この時代の歯ブラシって、いわゆる房楊枝、木の先端を叩き潰した筆みたいなやつなのだが、すごく磨きづらく、口の中もなんだかすっきりしなかった。
千寿も同じ意見だったので、木と馬の毛を使って歯ブラシを作った。馬の毛は、忠克の故郷、常陸国は馬の名産地でもあるので、彼の実家から送ってもらったものを使っている。忠克氏、ホント有能。
21世紀に近い製品がようやくできたことで、私と忠克はようやくお口すっきり生活を送ることができるようになった。もちろん、母上やお爺、帝にもあげた。評判はけっこういい。
歯磨きは粉は、食塩と炭の粉を混ぜたものを使っている。いずれはハッカを配合したものを作ろうかと画策中だ。
「いつもありがとう、忠克。忙しいのに、いろいろ押し付けてゴメンね」
「とんでもございません」
私が小さく頭を下げると、忠克は大慌てで手を振った。
「私を御引立てくださったのは、一宮様と千寿君であらせられます。そのお二人のお役にたてることは至上の光栄。そう思いこそすれ、押しつけなどと……」
そう言って、忠克は頭を下げた。
相変わらず真面目だなあ、忠克氏。あれだけの恩ともいえないことに恩義を感じているなんて……。
私としては、左馬寮のお仕事をさせた上にあーだこーだと注文つけて申し訳ないなーと常に思ってるんだけど……。
お給金はかなり多く払ってるし、このプロジェクトで得た知識や技術を、常陸の所領で使っていいともいってる。
とはいえ、ブラックだよなあ……まあ、もうちょっとしたら忠克の弟が実家からヘルプにやってくるから、それまでかな。
「それならいいけど……でも、休みはちゃんととってね」
「ありがとうございます、一宮様」
忠克が大きな体をさらに屈めて平伏した途端のことだった。
ドサッ、と音と悲鳴が聞こえた。清涼殿のほうだ。
なんだなんだ?この宮中で殴り合い……って訳でもないだろうし……もしかして、弘徽殿の女房と桐壺の女房の間でバトルでもあったのか。
びっくりした私たちを尻目に、忠克が鯉口に手をやり、一瞬にして戦闘態勢に入る。武士すごい。
「何があったんだろう?」
「喧嘩でもあったのか?」
「わかりませぬ」
女房達と一緒に警戒していると、数人の女性の叫び声が聞こえてきた。
「春宮様、春宮様ッ」
「誰ぞ、医師を!加持の僧を!早うッ!」
春宮様?
「春宮様?誰」
千寿が耳元で聞いてきた。
「何人かいるけど、今の春宮は六条御息所の死んだ旦那で、秋好中宮のパパ」
そう、あの源氏の被害者その2、六条御息所の旦那である。原典では前坊(坊=皇太子)と呼ばれている。
ちなみに、年齢その他もろもろで矛盾があって、源氏物語を考察する際にはちょっと面倒なことになる人でもある。
「へー。で、その春宮様が……」
「医師ってことは……」
どさってことは。
私たちは顔を見合わせ、座っていた畳を蹴って駆けだした。
「忠克!」
「はッ!」
名前を呼ぶと、忠克もすぐさま私たちを追ってくる。
御簾を跳ね上げ、簀子を清涼殿のほうに向かって駆ける。
すると、弘徽殿と清涼殿をつなぐ通路に、女房達の人だかりができていた。
「どいて!」
私は小さな体で女房達を押しのけると、人だかりの中に入り込んだ。
輪の一人の少年がいた。
私より5~6歳上のやややせ気味の少年で、桐壷帝に似ている。
この人が、六条御息所の夫、前坊だろう。
肌は赤く―袖から手を突っ込んで脇の下に触れる。乾いている。唇も、口内も乾いている。脱水気味だな。呼吸も荒い。
私は首筋に指をやり、脈拍を確かめた。早い。
「な、なにを!」
「これ、春宮様に触れるでない!」
驚いた女房達が、私の脇を抱え春宮から引き離そうとした。当然だろう。急に入り込んできて、ぶっ倒れた主人に触り始めたのだから。けど、それじゃあ確認ができない。
その時、忠克が私の正体を伝えてくれた。
「その御方は一宮様であらせられます!」
「一宮様!?」
忠克の鶴の一声に、女房達がざわついた。
一宮様?あの神霊の……?などという声が聞こえてくる。私を抱えようとした女房も、手を離してくれた。
その時、女房達の間からにゅっと子供の手が現れ、千寿が入り込んできた。
「よッ……宮……様ッ」
「千寿」
千寿は私の隣に座りこむと、春宮に触れ、顔をしかめた。
「熱いな」
「脈も速い」
今日はものすごーく暑い日だ。しかも、湿気でじっとりしている。
そしてろくな冷房設備がない平安時代。
倒れた原因は、はっきりしていた。
「熱中症だ」
千寿の言葉に、私も頷いた。
そうだと思う。
昔、野球部の弟が部活でぶっ倒れた時も、こんな感じの症状だった。
だったら、対処法はわかる。問題ない。
私は立ち上がり、女房達の輪の外にいる忠克に声をかけた。
「忠克!春宮様を弘徽殿の僕たちの身舎にお運び申し上げて」
「は!」
「一宮様ッ!」
そばにいた女房の一人が悲鳴のような声を上げる。
うるせーな、梨壺(東宮御所。桐壺の隣)に連れてって医者呼ぶよりも、こっちで処理した方が早いわ。治療は迅速に!
「緊急時だ、責任は僕が取る。早く忠克を中に入れて。あと、誰か医者を」
私が強い口調で言うと、女房達は檜扇で顔を隠し、おずおずと道を開ける。
すると、すぐに忠克がやってきて春宮様を抱え上げた。それと入れ違いに、千寿が輪から出て弘徽殿に駆け込んでいく。
「春宮様、失礼いたしまする!」
「君たちも来て」
「は、はい……」
私が命じると、彼女らも早足でついてきた。
幸い、千寿が話を通してくれていたらしい。
私が弘徽殿に入ると、北の身舎の真ん中には畳(私用)が引かれ、中務や兵衛が女房達に指示を出していた。畳の横には、千寿が待機している。
中務たちは、私が入ってきたことに気づくと、すぐに檜扇で顔を隠す。完璧!
「いいよ、忠克」
「はっ。火急の事態ゆえ失礼いたす!」
忠克が声をかけると、弘徽殿の女房がすぐに御簾をあげた。
それをくぐると、忠克は畳に春宮様を寝かせた。すると、すぐに千寿が春宮様の衣服を緩める。私は近くに会った枕を衾で包み、春宮様の足の下に置いた。
すると、荷物を持った女房達が入ってきて、声をかける。
「一宮様、千寿君、水と手拭を持ってまいりました!」
「塩梅はちみつ水も……」
「ありがとう、置いておいて」
熱中症の応急処置の仕方は、まず涼しい場所に移動し、衣服を脱がして体を冷やす。そして、塩分や水分を補給し、医者に見せる。これが基本だ。
とはいえ、ここは平安時代。病気になったらもののけのせいで加持祈祷。薬は薬草、そもそも公衆衛生という観念がない。
応急処置をしっかり教え込んだうちの女房達に任せた方がマシかもしれん。
「中務、ぬるくなったらすぐに手拭を変えて」
「はい、千寿君」
「仰ぐ手を止めないで」
「は、はい一宮様!」
とにかく、今できる手段を駆使して春宮様の体温を下げる。
本当は氷があればいいんだけど、平安時代の夏の氷は超貴重だ。だから、水にぬらした手拭で体を冷やし、頻繁に変える必要があるだろう。
塩梅はちみつ水は、青梅のはちみつ漬けでできたシロップを湯冷ましでとき、少量の塩を入れたスポーツドリンクもどきだ。水分と塩分、はちみつの糖分、梅に含まれるクエン酸も補給できる。
この暑い時期、皆脱水気味になっちゃうから、作ったんだよね。幸い梅はあるし、高価とはいえはちみつはあるし……養蜂も考えとかなきゃならんな。
「う……」
「春宮様ッ!」
そうやってみんなでばたばたしていると、春宮様が目を開けた。
わっと歓声が上がる。
「こ、ここは……」
「春宮様、よろしゅうございました……」
「お加減は?」
春宮様が億劫そうに身をおこす。すると、すぐに春宮付きの女房の一人が背を支えた。
「少しくらくらするけど、もう大丈夫だ」
春宮様は、まだ声変わりしていない、少年らしい声で答えた。
うーん。見れば見るほど桐壷帝に似ている。
けど、線の細い桐壷帝よりもさらに細く、繊細で、触れなば落ちん―いや、触れたら粉砕骨折みたいな印象を受ける。桐壷帝もそうだけど、細身の女顔だなこの世界の皇室。私の好みじゃないな。
「ようございました……」
「ほんに……」
春宮様付きの女房たちが、ほっと胸をなでおろした。
本当よかったね。ロクな医療のないこの時代、軽い熱中症とはいえ、命に係わることもあるだろうし。
あ、スポドリもどき飲んでもらわないと。
私は春宮様に声をかけた。
「春宮様」
「……?」
私が軽く頭を下げると、春宮様は首を傾げ、そして周囲を見渡した。
「そなたは……殿上童か?それに、ここは梨壺ではないな」
「ここは弘徽殿でございますす、春宮様。ぼくは一宮。そしてこちらが従兄の藤原千寿」
「右近少将藤原春継の子、千寿でございます」
私たちは頭を下げた。
殿上童(行儀見習いで内裏に来てる貴族の子弟)だと思っていたら、まさかの帝の第一皇子(と貴族のボンボン)だからね。
春宮様はびっくりして大きく目を見開いた。
「一宮!?そしてここは、弘徽殿……なぜ私はここに?」
千寿がスルーされてる。
すると、春宮様付きの女房が春宮様に説明をしてくれた。
「春宮様は、清涼殿を出てすぐにお倒れになってしまわれたのです。そこを、一宮様と千寿君がお助け下さったのですよ」
かくかくしかじか。
女房から話を聞き終わると、春宮様は深々と頭を下げた。
「そなたが助けてくれたのか……ありがとう。一宮、千寿。心より感謝する」
「とんでもございません」
うーん。しっかりした子だ。
私が皇族だからかもしれないけど、きちんと頭を下げてお礼を言ってくれるなんて……部下を女漁りに使う源氏の野郎とは大違いだ。もっとも、この人はそんなことしなくてもよさそうだろうけど。
「それよりも、こちらをお飲みください。春宮様が倒れられたのは、この暑さで体の熱が上がり過ぎたのと、体から水と塩が出過ぎたからです」
「水が……?」
私が振り向くと、中務がすぐに器に塩梅はちみつ水を注ぎ、手渡した。
私はそれを春宮様に渡す。
「お飲みください。飲まれて、もう一度横になられて、御気分がよくなられたら、梨壺に戻られるとよろしいでしょう。医師もそろそろ……呼んだよね?」
けっこう時間立ってるし、そろそろ医者が来てもおかしくないよな。
春宮付きの女房達のほうを見ると、みんなぽかんとした顔をした。
そして。
「……あ」
誰かがそう言った。
あじゃねーよ。何やってんだよもう!




