第18話 やばいちょっと平安貴族しちゃったよというわけで説明が多い回です
◇一宮:五歳 二宮(後の光源氏):二歳 6月中旬
内裏 梨壺
春宮様がぶっ倒れてから数日たった。
本日は朝からカンカン照り。相変わらず暑いしじめじめするし、汗かいてべたべたで嫌になる。京は盆地だからよけいに暑い。
衣服も夏用極薄のスッケスケ生地に衣替えしたとはいえ、相変わらずの重ね着(男も女も)だから超暑苦しい。白雪も毛皮の呪縛からは逃れられずぐったりしてる。可哀想に。
で、そんな不快指数500な天気の中、私と千寿、そして忠克は春宮御所に向かっていた。
さて、春宮御所。その名の通り、春宮、すなわち皇太子の御所である。春宮様は、後宮の殿舎の一つ、梨壺(昭陽舎)を御所として使っているらしい。
源氏物語でも、朱雀帝(私な)の皇子である春宮(今上帝と呼ばれてる)が梨壺を御所としていることが書かれている。
じゃあ史実はどうだったかというと、平安京においては、内裏の東にある雅院(東西二つある)が春宮御所とされていた。んで、10世紀初めぐらいから内裏の中に御所が用意されるようになり、梅壺(凝花舎)や雷鳴壺(襲芳舎)が使われた。
そして、一条天皇の皇子敦良親王(後の第69代天皇後朱雀天皇。母親は道長の娘彰子)のころから梨壺が春宮御所として定着したようである。
「このほんづなしが……」
「ほん……?」
思わずつぶやいた言葉を聞きつけた千寿がきょとんという顔をした。あらいやだ、思わず方言が、おほほほほ。
いやほんと、暴言吐きたくなるぐらい大変だったのよ。
あの後、いつの間にかいなくなっていた有能忠克氏が連れてきてくれた医師に春宮様を診せた。
白髭のおじいちゃん医師は一通り診察すると、
『顔色もよく、脈も安定しております。もう心配ございません。一宮様の迅速な処置が功を奏したのでございましょう』
との診断を下した。後半は私に対するおべっかかもしれんが。
で、もう大丈夫みたいよかったねーと一同ほっとし、春宮様は私たちに何度もお礼を言って梅壺に帰っていった。
母上からもようやったとお褒めのお言葉をいただき、自分の身舎に戻って千寿と遊んでいた(忠克は左馬寮の仕事に戻った)。なんとなくやり始めた「たたいてかぶってじゃんけんぽん」があまりにも白熱し、中務たちがはらはらし始めたころ。お使いから戻ってきた式部が慌てた様子で母上の身舎に入っていったのである。
あの冷静な式部が珍しい。
私と千寿は顔を見合わせると、いったん勝負をお預けにし、千寿のスマホで盗み聞きを開始した。
すると、珍しく式部が声を荒げて―でも北の身舎に聞こえないように小さい声で、母上に何事かを話していた。
『……いかに主上とはいえあまりにもひどうございます!一宮様が春宮様を害し奉るためにこの弘徽殿にお運び申しあげたなど!』
式部がいうには、主上こと桐壺帝が春宮様ぶっ倒れ事件と私の行動、つまり私が春宮様を弘徽殿に連れてったのは、春宮様に害を加えて自分が春宮になるためなんじゃないかと言ってた、ということを帝に仕える御達から聞いたんだそうな。
元々帝は、私が半ギレで数え4歳の子どもとは思えない諫言をしたこと、それをきっかけに桐壺更衣への嫌がらせがさらにひどくなったことから、実は本物の一宮は死んでいて(当たってる)、神霊云々は嘘っぱち(当たってる)。
中身は全くの別人で(当たってる)、自身と桐壺を引き裂き(自業自得)、国に害をなそうとする(むしろ国力を高めようとしてる)物の怪なのではないか(ある意味当たってる)、という疑惑を持っていた。
ま、確かにやりすぎた感はある。いかに神霊という名の前世の知識があるとはいえ、あれば数え4歳児の言うことじゃない。でも間違ったことは言ってない。それぐらい桐壺帝のサボりはひどかった。今もひどいけど。
でだ。桐壺帝の疑惑通り、弘徽殿女御と右大臣は私を次期帝にしたがっている。つーかなる。そのためには、今の春宮である篤親親王は邪魔だってのは確かだ。
だからっつって危害を加えるってアホか!この時代、えん罪だろうが何だろうが、恨みを抱いたまま死んだ人は怨霊になると考えられていた。そして、平安貴族は怨霊を非常に恐れていた。
そんな時代に、身内から怨霊出している家の人間がそんなことするかよばっかじゃねーの!実力行使より先に交渉でどうにかするに決まってんだろ。
第一私は今年数え5歳だ、満だったら4歳だぜ。そんな幼児が何をどうしたら年上に危害を加えるってんだよ。
もちろんそのあと「我が子を疑うなど云々」「確かに帝としての責務を放り出していることは事実でごにょごにょ」って取り消したらしいけど「それもこれもあなたとあなたが生んだ二宮が愛しくて仕方がないからだよ❤」って仕事サボって真昼間っから桐壺更衣にささやくなよ!
で、それを聞いた御達の一人が、「聞いたのは更衣様と近くにいた私だけだと思うけど、帝、こんなこと言ってたから気を付けて……」とささやいてくれたそうな。
母上静かに大噴火。ひそひそ声で激怒してた。夕ご飯の時はご機嫌も直ってたけど、それでもなんだかピリピリしていて、味がよくわからんかった……お爺と一緒に帰った千寿がうらやましいわ。
それから数日後、帝のつぶやきを知ってか知らずか、春宮様から使いが来た。
いろいろとややこしいが、わかりやすく言うと「手当してくれてありがとう、これお礼ね!それからなんか最近いろいろやってるんだって?お話聞きたいからちょっと梨壺まで来てくれる?」である。
何がどうして私や千寿がやっていることに興味を持ったかは知らん。でも、別に隠しているわけでもないし、見たいっていうなら見せて差し上げようじゃあないか。見た結果どんな結論を出すかは知らんけど。
そういうわけで、一番活躍した忠克氏をつれ、簡単な資料を持ち、梨壺までやってきたというわけである。
「しかし一宮様」
「何?」
梨壺までの道のりをてけてけ歩いている中、保護者代理としてついてきた中務が尋ねてきた。手には資料や絵図が入った文箱を持っている。
「春宮様がお話をお聞きしたいとのことでございますが……その、農具まで持参する必要はあるのでございましょうか?」
そうなのである。
中務や兵衛に持たせた資料に加え、忠克にも農具や用具の見本を持ってきてもらっていたのだ。
左馬寮に仕える武士が鍬やら雁爪やらのこぎりやらを持つ……ちょっと申し訳ない光景である。
でも、実物見たほうがわかりやすいし、女房装束フル装備の中務達に持たせるわけにもいかないので、忠克に持たせてる。仕方ないね。
「充国曰く、百聞は一見に如かず。実際見たほうがわかりやすいでしょ?」
「左様ではございますが……」
皇太子の御所に農具持ち込んで怒られないだろうか、ってことか。
すると、千寿君が助け舟を出してくれた。
「もう持ってきちゃったし、持っていくしかないって中務」
「千寿君……」
中務は困った顔で千寿を見た。
「こうなったら岩が降ってきても動かないよ宮様は。それに、春宮様だって数え5歳と6歳の子どものやることに目くじら立てるようなお方じゃあないよ、多分」
「はあ……」
千寿の助け舟……うん、助け舟だ、助け舟。助け舟により、中務も納得してくれたかはどうかわからないが、これ以上口を出さないことにしたらしい。
そんなお話をしている間に梨壺につき、いくつかのめんどくさいやり取りの後に母屋の中へと招かれた。
「よく来てくれたね、一宮、千寿」
畳に座った春宮様が、穏やかにほほ笑んだ。
先日より顔色はぐっといい。けれど相変わらずやせ気味で、ちょっと力を入れたら折れてしまいそうな繊細な体つきである。そして桐壺帝に似ている。桐壺帝似の私にも似ている。
「一宮にございます。春宮様、お招きいただき誠にありがとうございます」
「藤原千寿にございます。この度は日はお招きに与り、恐悦至極に存じます」
私と千寿は母屋のところで頭を下げ、春宮様にお礼を言った。官位の低い忠克は、庇の外側、簀子と呼ばれる場所で平伏している。
「そのようにかしこまらないでおくれ。そなたたちを呼んだのは、この間の礼なのだから。さ、畳に座られよ。千寿、そなたには茵を用意した」
「ありがとうございます」
私は畳に、千寿は茵という座布団の親戚みたいなものに、そして後から紹介された忠克は簀子で円座に座った。
こういうところ、身分制社会だよねぇ。忠克は官位を得たとはいえ従七位上。平安時代において貴族とは五位以上の人間のことをいうから、七位なんて、いわば下っ端公務員みたいなもんだろう。立場で言ったら、主事とか係長とか……あ、元の私と一緒だわ。
「それにしてもひどい暑さだね」
春宮様がうっとおしそうに蝙蝠扇(普段使い用の扇)自身を扇いだ。
この人六条御息所の旦那なんだよな。御息所はかなりの教養人で風流人だし、春宮様もきっとそうなんだろーな。えーと、“そっスね”って返すわけにもいかんし。えーっと……。
「はい、白羽扇を搖かすに懶しとでもいうべき暑さかと」
「!」
春宮様が優しげな眼をぱっと見開き、にっこり笑った。
「そうだね。でも、どれほど暑くても袍を脱げないのが悲しいところだね」
どうやらお気に召したらしい。私は同意するように軽く頭を下げた。
さて、一連のやり取りだが―春宮様付きの女房と―千寿と忠克はわかってないっぽかったけど、中務はわかったようだ。ちょっと得意げな顔してる。
はい、私が何をしたかっつうと、漢詩を使って風流にやり取りをしたわけだ。
元ネタは、夏日山中。唐の皇帝、玄宗のころに大活躍した詩人、李白の漢詩だ。
現代語訳すれば、
懶搖白羽扇 白い羽の扇で扇ぐのもメンドい
裸袒青林中 青葉が茂る林の中で肩肌脱ぎしになり
脱巾掛石壁 頭巾を脱いで石の壁に引っ掛け、
露頂灑松風 頭を丸出しにして松の木を吹き抜ける風にさらした
という感じである。
このクッソ暑い日を、李白の詩を使って表現し、やり取りしたのだ!
どうどう、なんか平安貴族っぽくない?
……え、平安貴族は歌でやり取りするんじゃないかって?無理無理、和泉式部の娘なんかは嫌味を歌でやり込めたっていうけど、私には無理。
近々来てくれるらしい歌の先生に、生暖かい顔で匙を投げられる未来しか見えん。
ちなみに、女房たちがわかってなかったっぽいのは、この時代、女性は漢文を習わないのが普通だから。……まあ、母上とか中務は、習ってるみたいだけど。本当は忠克あたりはわかってたほうがいいんだけどな。あとで千寿と一緒にスパルタかな?
さて、平安人らしい位やり取りをしたところで、先日のお礼をあらためて言われ、世間話(え、もう史記を呼んでしまったのか!私でもまた途中なのに……とか)を楽しみしばらく。
「そういえば一宮、そなたは最近変わったことをしているらしいな」
「はい、春宮様」
お、きた。
私はすぐさま千寿に目配せした。すると、千寿はそばで様子を見守っていた中務達から文箱を受け取り、私の横においた。
「私や千寿の噂はご存じかと」
「聞いている。かの野見清道公の神霊より、薫陶を受けていると」
ですよね。母上(と、女房達)が鼻高々で言いふらしてるもんね!
「その通りでございます」
私は文箱の蓋を開け、春宮様に差し出した。
「私や千寿が行っておりますことは、すべて清道公よりご指南いただきましたことでございます」
できるだけ調べたうえで書いていますが、平安時代の服装や風俗、殿舎の形状など、不明な点も多々ございます。その場合は想像で書いていますが、わかり次第修正しますので、ご了承ください。




