消えた皇帝《2》
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「ご苦労様でした、イエルド殿。兵達には十分な食事と休息を与え、労ってやって下さい。後で私も直接感謝の気持ちを伝えに行きます」
「ありがたき幸せに存じます。では私は先に持ち場へ戻ります。いつでもすぐに動けるように待機しておきますのでご心配なく」
踵を返したイエルドのマントがヒラリと風になびいたのを眼の端で捉えた後、セシーリアは立ち上がった。
オリビエの葬儀後すぐに、ラティア軍はイシード帝国に侵攻した。
急ピッチで進められた新路の開拓や兵士の戦闘強化訓練、新たな戦略はことごとく成功し、徐々にイシード帝国を追い詰めていったのだ。
なかでもマルケルスの開発した大型の戦闘武器は扱いやすい上に建物破壊の威力が増していて、ほんの数時間で主要三都市を陥落させる程であった。
ところがである。
「カリムは今どこに?そろそろ討ちに行きたい」
張り巡らされた陣幕から出たセシーリアは、夕日の中に立つマルケルスの背中を見てこう言った。
「いや、まだ掴めてない。密使の情報によればある日を境にカリムの居所がまるで掴めなくなったらしい」
振り向いて首を振ったマルケルスは、再び眉を寄せてガムズ河の対岸を見つめる。
「雲隠れか?!意気地無しめ」
シーグルが忌々しげに鼻を鳴らし、セシーリアは唇を引き結ぶと空を見据えた。
「同士討ちもうまくいったし、ガムズ河の底掘りのお陰で誘い込んだ敵兵を半分に減らせた。しかも三都市に奇襲をかけて攻め落とし、ラティア軍が占拠したというのに、何故カリムは姿を現さないんだ」
シーグルがマルケルスとセシーリアを交互に見つめながらこう言うと、彼女は僅かに両目を細めた。
……カリムのあの性格からして、こそこそ隠れまわりはしまい。
前皇帝を殺して成り上がったような人間が劣勢を理由に逃げ回って姿を現さないなど、軍全体の士気が下がるというものだ。
イシード帝国に対し攻撃を開始してから、もう三ヶ月が経つ。
……カリムは一体どこに。
「捜しに行きましょう。そして息の根を止めてやるのよ」
「待て、セシーリア。あとしばらくでアルディンが戦線から離脱し一旦帰還する。その時に詳しい状況を確認して策を練ろう。もしかしたら密使が手に入れたイシードの地図にはいくつか軍事上の要衝が描かれていなかったのかもしれない」
「……じゃあ、偽物の地図をつかまされたの?」
「その可能性はある。どの国にも敵を欺く偽の地図は存在するから」
セシーリアは唇を噛んだ。
主要都市を三ヶ所も壊滅させたというのに、カリムはセシーリアの前に姿を現さないどころか使者もよこさない。
おまけにイシードの首都に潜入している密使も忽然と消えたカリムを血眼になって捜しているが、足取りを掴めていないままである。
カリムは一体何を考えているのだろう。
「焦りは禁物だ、セシーリア」
赤い赤い太陽が、セシーリアの心を焦らしている。
その夕日を背にしてこちらを見下ろすマルケルスの表情は、逆光で見えない。
「……分かった」
今のセシーリアにはこう答える他なかった。
けれど。
一体いつまでこうしていればいいの?
いつになったらカリムを討てるの?
いつになったら安心して眠ることが出来るの?!
先が見えず身体が焦げそうだ。
セシーリアはマルケルスに気付かれないように大きく息を吸うと、それを静かに吐き出しながら眼を閉じた。
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数週間後、セシーリアの元にアルディンがラティア帝国エシャードへ帰還したとの知らせが届いた。
エシャードに帰還ということはおそらく、本陣に到着した筈である。
それは予定よりも早く、セシーリアにとっては思いもかけない嬉しい知らせであった。
「シーグル!アルディンに会った?!今どこにいるの?!」
セシーリアはいてもたってもいられず声を張り上げる。
その声に、大木に背中を預け仲間と談笑していたシーグルは僅かに喉を動かした。
「シーグル。アルディンは?」
「……さあな」
交代の兵達が任務へとつくために散る中、シーグルは短く言葉を返すと唇を引き結んだ。
腕を組んだままゆらりと身を起こしたシーグルに、セシーリアが手を伸ばす。
「さあなって、まだ会ってないの?」
「ああ。姿も見てない。帰った事も知らない」
「……でも、」
「悪いが俺は忙しいんだ。また後でな」
ポン、と一瞬だけセシーリアの頭に手を乗せると、シーグルは踵を返し一番近くにいた兵に声をかけ、連れ立って行ってしまった。
……なによ。変なの。
さっき本陣を覗いた時にはマルケルスも出掛けてしまっていて留守だった。
でも……もう一度行ってみよう。
セシーリアは納得できない思いを抱えながら小さく息をついた。
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翌日。
「セシーリア様にご伝言です」
亜麻布を縫い合わせ、幾重にも重ねて接着した鎧を身につけると、セシーリアは最後にマントを羽織った。
そんなセシーリアの耳に、伝令係のよく通る声が響いたのは早朝の事である。
陣幕の入り口に跪く人影が浮かび上がり、セシーリアは待機している護衛兵に頷く。
「入って」
「はっ」
姿を現した伝令係が身を低く構えたかと思うと、早口で告げた。
「マルケルス様からのご伝言です。アンリオン様、シーグル様と共に、暫く陣を離れると」
マルケルスとアンリオン、それにシーグルが?!
驚きのあまり身を翻したセシーリアのマントが、朝の日差しに光った。
「何故?!」
彼はかぶりを振るとぎこちなくセシーリアから顔を背けた。
「分かりません。ですが帰還されたアルディン殿が陣に加わるので心配ないと……」
わからない?!
セシーリアは信じられない思いで伝令係を見つめた。
分からないなんてあり得ない。だって、本陣内の伝令係じゃないの。
身内の事情なら理由までしっかりと把握し、伝えるのが当たり前だ。
しかもその相手は女王である。
セシーリアは苛立つ心を抑えながら伝言係を見下ろした。
それから無意識に眼を細める。
よく見れば……この伝令係には見覚えがある。
……そうだ。この伝令係は幼い頃、よくマルケルスといた。
名前は……確かシモン。
シモンの父親も、マルケルスの父……ユリウス・ハーシアと行動を共にしていた。
シモンの伏せた瞼が、不安げに揺れている。
謎が……解けた。
「あなたの家は代々、ハーシア家に支えているわよね?」
コクン、と彼が喉をならした。
「シモン」
まさか女王に名前を覚えられているとは露にも思っていなかったシモンは、ビクリと身体を震わせた。
それから、澄んだ湖のようなセシーリアの瞳を見つめる。




