その3
こんなことになるとは。
俺は自宅で買ったばかりのベースを試し弾きしながら、もの思いにふけった。
今の生活には十分満足している。
今さらバンドなんて…考えてもいなかった。
それが、こんなことになるとは。
もちろん、スタジオに入るだけだ。まだメンバーでも何でもない。先が決まったわけじゃない。
ただ、アイヴィーは強引だったけどちゃんと筋を通してくれたし、パンクスではない俺を見た目で判断しなかった。
彼女のペースに巻き込まれるのは悪い気分じゃない。
そういえば、前にもこんな感覚があった。何だったっけ…。
考えてるうちに思い当たった。
龍二君だ。
自分勝手でマイペースで気まぐれで、いつも俺は振り回されていたけど、でも俺はそれが楽しかった。
いま思えば、龍二君と俺はいいコンビだった。
龍二君は地方の大学へ行ってしまった。いま会うのは年に1回くらい。
俺はちょっと寂しかったのかもしれない。
久しぶりに俺は「振り回される楽しさ」を感じている。
おっと、お気に入りのアニメ番組が始まる時間だ。
俺はベースを脇に置き、テレビのスイッチを入れた。
アイヴィーから連絡が来たのは2日後だった。
次の金曜日の夜、高円寺のP.I.G.スタジオで音合わせしようとのこと。
俺はLINEに「いいよ」とだけ返事をした。
スタジオで録ったらしい曲のデモがスマホに送られてきた。ヴォーカル、ギター、ドラムだけのテイクだ。
ちょうど講義が終わったところ。俺は大学のカフェで飯を食いながらイヤホンを付け、再生を押した。
ドッカーン!
ぶっ飛んだ。すげえ!
アイヴィーの声は、まるで雷だ!
こんなヴォーカルがいるなんて。こんな女性がいるなんて。
とりあえず停止を押し、飯を急いで食った。とても食事しながら聴ける曲じゃない。ちゃんと聴かないと。
誰もいない教室に移動し、繰り返しデモを聴きながら俺は思う。
あの子、自分を持ってるだけじゃない。
これ、今までに聴いたどのバンドより胸に響いたかも。
俺は急に不安になった。こんなヴォーカリストを前にして、初めてスタジオに入る男に、いったい何ができるんだろう?
それから10日間、スタジオの日まで俺はもらったデモ3曲をコピーし、ベースラインを考えながら必死で練習した。
練習するしかなかった。
夜、寝ていても気になると起き出してアンプなしでベコベコやって、ちょくちょく親に叱られた。
好きなアニメを観る時間もなく、ハードディスクはデータが貯まる一方。
前日は不安で眠れず、ウトウトしてはスタジオの夢を見て、ベースラインが思い出せずに冷や汗をかいては飛び起きた。
結局そのまま朝になってしまい、俺は講義を休んで崩れるように寝落ちした。
高円寺p.I.Gスタジオ。名前は知っていたが、来るのは初めてだ。そもそもスタジオに入るのが初めてだ。
俺は青ざめた顔をして到着した。
睡眠は何とか確保できた。緊張はマックス。
入り口のイスにアイヴィーが座っていた。両隣には2人の男。どちらも完全武装したパンクスだ。
「あ、来たよ。良かった、来ないかと思った。」
そう言ってアイヴィーは笑った。
「紹介するね。これがギターのゴン。うちのバンマス。」
「よろしく。」
ゴンと呼ばれた男は、背が高いうえにさらに巨大なモヒカンを立てていた。革ジャンを引っ掛け、サングラスをかけてタバコを吹かしている。物腰は柔らかい。
「こっちがドラムのショージ。」
ショージは中背で筋肉質だ。髪は短くして、金髪のスパイクヘアにしている。カットオフしたGBHのTシャツを着ていた。
「よろしくなっ。」
そう言ってショージは手を差し出してきた。俺はその手を握った。
「なんだあ、シケてんなあ。こうやるんだよ。」
そう言ってショージは手を組み替え、腕相撲のような形をとった。これがパンク流の握手なのか。
「ショージ、そんなの何でもいいじゃない。彼、何にも知らないんだからさ。」
「だってよ。」
アイヴィーの言葉に、ショージは生意気そうな顔をしてニヤッとした。俺は早くも圧倒されっぱなし。
「今日はスタジオだけど、アタシたちのバンドの雰囲気を分かってもらいたいからさ。ちゃんと正装してきたよ。ゴンも2時間かけてモヒカン立ててるしね。」
それを、ベーシスト候補が来るたびに毎回やってるのか。彼らの本気が伝わってくる。
対する俺はシングルの革ジャンにジーンズ、ベースボールキャップにコンバース。今の精いっぱいだ。
アイヴィーは俺の姿を見て、どう思ったんだろうか。
「じゃ、やりますか。」
そう言って、アイヴィーはスタジオへ続く通路へと歩き出した。メンバーがそれに続く。
俺は生つばを飲み込んで、重い足取りでついていった。




