その2
その日、俺は新しいベースを手に入れた。アルバイトでコツコツと貯めた金で、念願のビンテージ物を買ったのだ。
ウキウキしながら俺は新宿の「パンク・マーケット」に寄って中古のCDをあさっていた。ベースが思ったより安かったので、余ったお金で前から欲しかった音源を一気に買ってしまおうと思ったのだ。
まず5枚ほど掘り出し物が見つかった。さらにお宝を探そうと戦利品を脇に置き、低い段に身をかがめた時。
「デッド・ビーツにモーター・ヘッドにトラジディー。ガイアにノッカーズ?いい趣味してるね~。」
俺は振り向いて声の方に顔を向けた。
これぞパンク!という感じの女が目の前に立っていた。
襟元がヒョウ柄になっているライダースを着込み、やはりレザーのタイト・スカート。袖からのぞいているのはガーゼ・シャツだろう。えんじ色のDr.マーチンはピカピカに新しい。ごついシルバーのリングをいくつも指につけて、緩くパーマをあてた髪は真っ赤だった。
まるでパンク雑誌からモデルが飛び出してきたみたいだ。
かなりの美人だと思う。「思う」っていうのは、俺はその時彼女の顔をあんまり見ることができなかったから。
とても恐かった。本能的に「この人は関わり合いたくないタイプの人だ」と感じた。とりあえず、無難に切り抜けよう。
俺は曖昧に頭を下げた。のちに彼女は「初めて会った時、アンタほほ笑んでたよ」と言って笑った。自覚はないけど、オタクってのは身の危険を感じるとほほ笑むものらしい。
でも、その時の彼女は俺のことを開放してくれなかった。
「ベース、やってんの?」
買ったばかりのビンテージ・ベースは真新しいソフト・ケースに収まっている。帰宅したら自前のハード・ケースに入れ替えるつもりだった。
「あ、うん。」
「そうなんだ。いま、バンドやってる?」
「やってない。」
「マジで?そうかそうか。ところで、他には何が好きなの?」
アニメとかゲームの話じゃないよな。手にした音源の束をチラリと見ながら俺は考える。
お気に入りのバンド名をいくつか挙げた。名前を挙げるたびに、彼女がウンウンとうなずきながら顔がほころんでいくのが分かった。
「あとブレッツ・アンド・オクタン…2枚目までだけど。」
そこまで言うと、彼女は唐突に俺の肩をバシッと叩いた。けっこう強い力で、少し痛かった。
「ちょっと、お茶でも飲みに行かない?」
俺と彼女はパンク・マーケットの近くにある「らんぶる」という喫茶店に入った。今まで何度も目の前を通っているが、入るのは初めてだ。入り口は狭いが中は地下になっていて、とても広くシックな雰囲気だった。
彼女はコーヒーを注文した。正直、こういう店に入ったことがないので何を注文していいか分からない。彼女は俺がメロンソーダを注文するとピクッと目を上げたが、特に何も言わなかった。
俺は黙って座っていた。
これ、何なんだ?いわゆる逆ナンってやつか?
いや、そんなわけない。相手は本物のパンク女、俺は楽器を持ってるだけの普通の男(しかも中身はオタク)。
彼女が俺にひと目惚れするなんてことは、地球が滅びてもあり得ない。というか生きてる次元が違い過ぎて、気に入られるとか何とかいう以前の問題だ。
彼女についてきた理由は「断ったら恐そう」という本能だけ。逆らったら殺される。早くやり過ごそう。
俺はいつも通り黙っていた。
「アタシ、アイヴィー。アンタは?」
彼女…アイヴィーが切り出した。俺は自分の名前を告げた。
「そうか、よろしくね。ビックリしてるでしょ?」
「うん。」
「ごめんね。アタシ、いつもこうなんだ。せっかちでさ。」
「いや。」
「ちょっと気になったんでね。アンタと話してみたい、って思って。」
「うん。」
ちょうど飲み物が運ばれてきた。アイヴィーは俺の顔を興味深げに見ながらコーヒーをかき回した。俺はメロンソーダをストローで飲みながら黙っていた。
「アンタ、いつもそれくらいしかしゃべらないの?」
「うん。」
「無口なんだね。」
「まあ。」
「じゃあ、アタシが勝手にしゃべっててもいい?そっちから質問は何でもオッケーだからさ。」
「いいよ。」
アイヴィーは“何から話そうか”という風に首を傾けた。魅力的な仕草だ。正直、彼女はかなり可愛いと思う。でも、それ以上に恐い。恐すぎる。こんな女性とは絶対に付き合えない。友達にすらなれないだろう。
「アタシ、バンドやっててさ。ベースを探してんだ。」
俺は黙ってうなずいた。
「アタシたち、まだ組んで2ヶ月くらいなんだけどさ。アタシがヴォーカルで、ギターとドラムは決まったのよ。でもベースだけが、なかなか合う人がいなくてね。」
また俺はうなずいた。メロンソーダはなくなっていた。
「何人もスタジオに来てもらって音を合わせたんだけど…何かこう、しっくり来ないんだよね。上手なやつも、中にはいたんだけどさ。それだけじゃ、ね。」
俺はメロンソーダのグラスを見つめていた。氷がカランという音を立てる。アイヴィーはそんな俺を見つめていたが、苦笑いするように問いかけてきた。
「お代わり、欲しい?」
俺は大きくうなずいた。アイヴィーは店員を呼んだ。
この子、思ったより人のことをよく見ている。すごく気配りができる感じだ。
「それでアタシたちも焦っててさ…このままじゃ、曲はあるのにライヴができないしね。で、脈がありそうな人に片っ端から声をかけてるってわけ。」
「なるほど。」
「今日はパンク・マーケットで働いてる子が仲間でさ、挨拶しに寄っただけなんだけど、たまたまアンタのこと見てさ。」
「うん?」
「アンタが買ってたCD、アタシたちの趣味にドンピシャなんだよ。実際、アタシたちが出してる音もそんな感じ。基本ハードコアでファストだけど、ロックンロールが入ってるみたいな。」
「へえ。」
「ねえ、今までのバンドってどんな感じだった?」
「ないよ。」
「へっ?」
「やってない。」
「やってない?バンドを?」
「うん。」
「それってつまり…ベースを弾いてるだけ、ってこと?」
「うん。」
「スタジオとかは?セッションとか、人と音を合わせたことは?」
「ないよ。」
「…ライヴハウスとか出入りしたことは?」
「ないよ。」
「そもそもライヴに行ったことは?」
「ないよ。」
アイヴィーは天を仰いだ。“アテが外れた”というような表情が浮かんでいる。俺は黙っていた。
アイヴィーはしばらく考え込んでいた。俺は待った。待つことは苦手じゃない。黙っていることも。
「でもまあ、考えようによっては…何色にも染まってないってことだもんね。」
独り言のようにアイヴィーはつぶやいた。
「ねえ。アタシらホントに今、ベーシストが必要なんだ。失礼かもしれないけど、アンタのこと、試させてもらってもいいかな?」
「いいよ。」
「へっ?」
アイヴィーはまた間抜けな声を発した。どうも俺のペースが掴めないらしい。まあ、そうかもな。
「アンタ、話が早いね。まあ、ありがたいけど。」
俺は黙っていた。俺も俺なりに考えている。即答したのは、もちろん断ったら恐いから。だけど、それ以上に「恐いもの見たさ」という気持ちも強かった。
「アタシたち、かなり活発に動く予定だよ。平日もライヴ入れるし、地方だって行きたいし。」
「うん。」
そう言われてもピンと来ないから何とも思わない。
「アンタ、仕事は?」
「大学生。」
「大学か…。年、いくつなの?」
「二十歳。」
「二十歳か…アタシの2つ上だ。」
俺は少し驚いた。同世代だとは思っていたけど、年下だったのか。彼女はすごく大人びて見える。自分をしっかり持っている感じだ。
「じゃあ、ある程度自由の利く身分ってことだね…。」
アイヴィーはまた考え込んでいた。俺は待った。値踏みされているのは分かっていたけど、不思議とイヤな気はしなかった。
「メンバーと相談して、一回スタジオに来てもらってもいいかな?高円寺なんだけど。」
「いいよ。」
「良かった。じゃあ近いうちに連絡するよ。」
そう言ってアイヴィーは俺と連絡先を交換した。
「どこ、住んでんの?」
「阿佐ヶ谷。」
「あ、じゃあ近いね。実家?」
「うん。」
「いいね。」
アイヴィーはぼそりと言った。何が「いいね」なのかは知らないけど、察するに彼女は実家暮らしではないらしい。
「なんか…アタシからお願いしてるのに、テストするって何だか変だし、失礼かもしれないけど。アンタみたいなタイプ、初めてだからさ。ごめんね。アタシ、なに言ってんだろ。」
俺は黙っていた。アイヴィーが混乱するのは当然だ。
俺はバンドマンの皮をかぶったオタクなのだから。
全てのリズムが違い過ぎる。
「じゃあ、よろしくってことで…ここはアタシが持つよ。」
そう言ってアイヴィーは伝票を取った。
「いや、いい。」
俺は手を振った。
「大丈夫だよ、無理やり付き合わせちゃったし、メロンソーダ2杯くらい何てこと…。」
「そこは対等だろ。」
言った途端、後悔した。俺らしくないカッコつけたセリフ。
アイヴィーは俺の顔をじっと見た。そしてニヤッと笑った。
「気に入ったね。」
なぜアイヴィーがそう言ったのかは分からなかった。
二人で勘定をして、「らんぶる」の外に出た。
「じゃあ、連絡するから。」
「うん。」
アイヴィーは右手を出してきた。俺はどうしていいか分からなかったので普通に握手した。アイヴィーはまた少し戸惑った感じだった。
「ま、いいや。またね。」
そう言って彼女は駅の方へ歩いていった。振り返りもせず、堂々とした態度で。
俺は彼女の後ろ姿が見えなくなるのを見届けてから、また「パンク・マーケット」へ戻った。




