16.気配
朝の光は、まだ弱い。
京都の町並みは、完全には起きていない。
軒先に水が打たれ、冷えた空気が地面に貼りついている。
音は少ない。
だが、完全な静けさではない。
どこかで戸が軋み、どこかで人が息を吐く。
そのすべての中に、ひとつだけ異質なものが混じる。
⸻
歩幅は一定で、迷いがない。
その足音は、わずかに速い。
急いでいるわけではない。
だが、ためらいがない。
男は振り返らない。
ただ前を見る。
その男は細川藤孝。
表情は変わらない。
視線も動かない。
だが、内側は静かに動いている。
(早い)
一つの判断。
(もう一段、来る)
歩を止めない。
だが、わずかに呼吸を浅くする。
外に気取られない程度に。
角を曲がる。
視界が一度切れる。
その瞬間。
視線だけが動く。
背後。
誰もいない。
だが。
(いる)
確信ではない。
違和感。
だが、その質は重い。
藤孝は歩を緩めない。
むしろ、わずかに速める。
ほんの半歩。
それだけ。
その変化に、追う側が反応するか試す。
一拍、二拍。
背後の空気が、わずかに変わる。
(合わせたか)
藤孝の指が、袖の中で一度だけ動く。
だが振り返らない。
振り返れば、確定する。
確定すれば、相手も動く。
それを避ける。
そのまま進む。
寺の方向ではない。
逆だ。
(外す)
一度、完全に線を切る。
路地へ入る。
狭い。
視界が限られる。
足音が消える。
藤孝は止まらない。
だが、呼吸を一度だけ深くする。
その呼吸の変化。
それだけで、身体の重心が変わる。
角をもう一つ、曲がる。
その瞬間。
完全に気配が消える。
(消した)
追っていた側が、判断を誤った。
藤孝は、そのまま歩く。
何もなかったように。
だが。
(来ている)
今度は別。
視線を動かさないまま、周囲を測る。
(複数)
一つではない。
ここで、藤孝は初めて歩を緩める。
ほんのわずかに。
理由を作るため。
店先。
干された布。
それを一瞬だけ見る。
自然な動き。
だが、その間で測る。
誰が止まるか。
誰が通り過ぎるか。
一人。
通り過ぎる。
もう一人。
止まる。
(そちらか)
藤孝はそのまま歩く。
何もなかったように。
だが、内側ではすでに整理が終わっている。
そのまま、寺の方向へ進む。
⸻
同じ頃、寺の中。
明智光秀は動かない。
だが、意識は外にある。
(近い)
理由はない。
だが分かる。
足音ではない。
気配でもない。
流れが変わった。
その時。
戸の外、わずかな影。
止まる。
二度、叩く。
同じ間隔。
昨日と同じ。
だが。
(三度目がない)
光秀の指が止まる。
(違う)
「入れ」
戸が開く。
入ってきたのは、昨夜の男。
だが、わずかに違う。
深い呼吸。
(準備している)
光秀は見ている。
その奥。
もう一つの気配。
見えない。
だが、ある。
⸻
同じ刻、尾張。
清洲城
織田信忠は、何もない空間を見ている。
その視線の先には、何もない。
だが。
(重なった)
小さく、心の中で。
背後の丹羽長秀が、わずかに息を止める。
言葉はない。
だが伝わる。
信忠の指が、畳を一度だけ叩く。
トン。
それだけ。
だが戦が、一段進んだ。
ここ数日、体調を崩し気味で更新が遅くなってしまいすいません。
なるべく早く更新していけるようにがんばります!




