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セシ公を送り出してから、『太皇』は再び『ハテノトショカン』に戻った。
久しぶりに取り出して眺めた映像は、懐かしいものもあれば、記憶にないものもある……もっとも、今生の体では、と言うことだろうが。
崩れるようにセシ公が座り込んでいた椅子に腰掛け、指先でもう一度1つの水晶球を呼んだ。
天井付近から、カロカロ、カロカロと小さな音を立てて空中を滑り降り、手元の台に辿り着く。
指先を触れて呟く。
「紫の雷の時代、3500」
水晶球が揺らめき、真っ黒に染まった。
『太皇』は無言で目を閉じる。
突然声が響いた。
『「花弁」は人類の英知を集結させた資料庫、図書館のようなものだと思えばいい。「大樹」はそれらを統合し、命を再生する場所になる』
『最終戦争は間近だ。細菌兵器・化学兵器が次々投入されるだろう。僕達がこれほど長く丁寧に磨き上げてきたDNAもあっという間に汚染変形させられる。そうなってしまってからでは遅すぎる』
『「SORA」が発動したら、およそ95%の人間は助からない』
『「花弁」に十分な知識を溜め込んでおけば、きっと文明はすぐに甦るはずだ』
別の声が加わる。
『んーと。つまりね、新しい世界には新しい世界にふさわしい命があるんじゃないかっていうこと』
『あたし達じゃない方がいいってことはないの?』
『知らなかったの、わかっていなかったの、無知だったのよ、ただ、知らなかっただけ、なのよ!』
困惑した声が響く。
『…計画通りだ』
『問題はない。うまく行っている』
『僕達はどこで間違ったんだ?』
興奮しひび割れた声が叫ぶ。
『どういうことだ、自然発生なんて! 外部因子の設定を間違った? データの集積範囲が狭過ぎた? だって、全ての不安定因子を取り除いたんだ!』
『……長期間のDNAの再生は変異をもたらす……ただし、選別された特殊な個体を基本ベースとして使用する限りにおいて……?』
『……98%…?』
『僕が人を滅亡させた張本人だ。なのに、誰も断罪してくれない……』
明瞭な声が断じる。
『「うさぎ」はもう保たない、わかっているだろう?』
『離脱しろ。「SORA」の機能は破壊している。太陽系を離れても、もう追撃はないはずだ』
『ごめんよ、君。大人はいつも愚か過ぎて、君の未来を守り切れなかった。守り切れないのに、君に未来を託そうとする傲慢さを許してくれ』
『君の苦痛に寄り添い、君の重荷を共に背負う。産まれた瞬間に人の未来を背負わされた君を僕が支える………この「ラズ・ルーン」を』
声が途絶えた。
『太皇』は閉じていた目を開いた。
この水晶球には映像が浮かび上がらない。だが、どれほど繰り返して眺めようとも浮かび上がらない光景を、『太皇』はまざまざと脳裏に呼び出せる。それこそが、『太皇』だけが保持しているかつて滅びた『この世界』の光景だ。
自らを命の選択者とし、運命を紡ぐ存在と断じ、巨大な理に無防備に手を突っ込み、背負い切れない悪夢を呼び起こした。
必死で愚かで虚しい願い。
『人』を永遠に存続させようとした試み。
だがそれもまた、『氷の双宮』が閉じられると共に失われて行くことになるだろう。
「あなた達が『人』のために置いた道標を、今、手折ろうと思う」
誰にともなく、『太皇』は呟いた。
既に次世代へ引き継ぎは済んだ。この後、『太皇』が生き残ることは、開かれた未来に影を持ち込むようなものだ。
微笑むことのなかった幼いアシャの顔が、血塗れになって走るユーノの姿が、呆然としたギヌアの表情が、脳裏に煌めきながら過っていく。
「『人』は再び多くの間違いを犯し、あなた達が辿り着いた高みの端にさえ到達できず、ただ滅亡して行くだけかも知れない」
それでも、滅びも含め、未来を人の手に返そうと思う。
「…あなた方が、守護の名の下に奪い去った未来を、『人』は自ら選び自ら歩むことで取り戻す」
指を上げ、水晶球を元の棚へと引き戻す。
「選択に責任を、祈りに努力を、そして、自己憐憫には咆哮を」
カロカロと音を立てながら離れていく水晶球を見つめる『太皇』は晴れやかに微笑む。
「それがユーノから学んだことなのじゃ」




