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日曜日

 ドライヤーの音で目がさめる、時計を見るとまだ二時間もたっていない。布団がかけてあり、本棚の本が増えた気がする。一瞬目を閉じただけで、すべて変わったように思える。枕元に置いたはずのゴムが無くなっている。彼は使ってくれたのか、よかったと素直に思った。私は寝ていたのだろうか? 思い出したくなくて、記憶にフタをしているだけなのだろうか? いやそんなことは今までなかったし、久しぶりに朝まで起きていて、私は人形のように寝ていたのだろう。

人形のように、まるで自分が物のように扱われた気がして、腹がたった。別に自分じゃなくても良かったのだ、そこにあれば。そう考えると、怒りがこみ上げてくる、強く握った手の中で、爪が食い込む。

ドライヤーの音が止まり、彼が部屋にはいってくる。

「ひどい!」そう言って枕を投げた。

「ごめん」

彼はあっさりと枕を受け取って、目をそらした。今更目をそらさなくたって、そんな些細な行動にも怒りを感じる。

「シャワー浴びます!」

そう言って、裸のまま彼の横を通り抜け、浴室へ向かった。シャワーの音で誤魔化しながら泣いた、もっと大事に扱ってくれると思っていた、やはり世の中を甘くみているのだと、今日も思い知らされた。

 すこし落ち着いた私は、部屋にもどり。パソコンのキーボードを叩く彼へ、

「あの、お金……」

 彼は、椅子を回して無言で財布を渡し、またパソコンに向かった。言い訳もしてくれないのか、こうやって他の人にもお金を渡しているのかと思うと、ひどく悲しくなり、彼の財布に涙がこぼれた。急いで手で払ったが、その丸い涙の跡は皮の財布にしっかりと跡を残した。

 このお金を受け取ると、私も彼も犯罪者なのだろうか? お金で許すことに慣れてしまい、何の抵抗も感じなくなるのだろうか、その先は考えたくない。

「やっぱり、いいです」

 そう言って彼に財布を返す。この人にとって私は何なのだろう? もうあれこれと考えるのはよそう、今思うのは、これ以上彼を嫌いになりたくない。勝手に作り上げたイメージが実際と違うからと、彼を責めるのは間違いだ。

「ありがとうございました。」

 今は彼から離れたかった、他のことはどうでもよかった。

「待って。」

 荷物を手にとった私を彼が止める。

「これから、どうするの?」

「これから。」

 確かに、どうするのだろう? 何も考えてなかった。彼を最初にその後は、毎日別の男性を探そうしていたのだ。しかし、私は最後に残った自分自信という商品を、お金に変えることができないと分かってしまった。数日で所持金が底をついて、その後は、なんともできない。彼には車で本当のことを喋ってしまった、この場を誤魔化す言い訳もない。

「大学の近くに、部屋を借りませんか? 僕が払いますので。」

「助かりますが、それは……。」

 それは、彼が好きな時に部屋にきて、私はまた彼に昨晩のように物のように扱われる。ペットショップに並んだ子猫を見て、かわいそうと言った友達を思い出した、お金で買われるなんて寂しいよねと言った、やさしいご主人様なら幸せになれるんじゃないと、笑って答えた。私は昨日の夜に自分で値札をつけ、ガラスケースに入り、彼に買ってもらったのだ。

 冷静に考えれば、ありがたい提案だ。今まで誰にも告白されたこともない私を、彼は女として見てくれいるのだろうし、ちょっと扱いが雑でも、贅沢言えるほど高値がつく子猫ではないのだ。部屋まで用意してもらうのは、愛人という事なのだろうか、自分にもっとも不釣り合いな言葉の一つのように思われる。

「流石にそこまでしてもらうのは」

「ホテルに部屋を借りて、しばらくそこから通学されては?」

「いえ、もっと気がひけます。ここじゃだめですか?」

「ここですか!」

 予想外に彼が驚いている、ように見える、声のボリュームは少し上がったが、無表情のままだ。たまに猫カフェに通って撫でるぐらいのほうがいいのだろうか? 買ってはみたが、結局田舎のおばーちゃんの家に置いてかれるペットな感じだろうか、また会いにくるからねーと車から手を振られる、これはわんこっぽい。猫も犬も飼ったことはないのだが。

「毎日いたら、邪魔ですか?」

「そんなことは無いですが……。」

 無理に言わせてしまった気がする、そしてすごく悩んでいる。

「掃除とか洗濯とか料理とか、すっごい不器用ですけど、何でもします」

 『何でも』は、言わなきゃよかった。

「いえ、それはいいです」

 そんなあっさり断らなくても。親にも『貴方のお手伝いはいりません』と言われるほど不器用だが、この半年はなんとか一人暮らしをやってきたのだ『いないよりまし』程度は出来るとは思うのだが。そもそもまだ何もしていないだから、そこはばれてはいないはず、もちろんすこしでもやっている所を見られれば、同じ結果になるのは、簡単に想像がつく。

「……わかりました。」

 あきらめましたと言わんばかりの彼の小さな声。なんとか、ご主人様の元には置いてもらえるようだ。飛びつきたいが怒られそうなのでやめておく、ほんとに猫だったら良かったかも。

「部屋の鍵です。」

 そう言って、彼は鍵を差し出した。

「そんな、他人に鍵を渡すなんて。」

「信用します。」

 彼は、はっきりと言い切った。渡された鍵を見て、これは信用のしるしなのだと思うと、すこしうれしくなった。

「荷物は、どこかに保管を?」

「前の部屋に、今日退出なので車借りてもいいですか?」

「どうぞ、鍵は靴箱の上です。手伝いは?」

「いえ、大丈夫です。ちょっとしか無いので。早速いってきますね」

「気をつけて。」

 彼に昨晩買ってもらった、サンドイッチとジュースをカバンに入れて玄関の扉をあける。すると、作業着を着た女性が立っている。

 えっと、掃除に、そう言って様々な掃除道具を入れたカバンを持ち上げる。

「すいません」

 横によけると、おはよー、と部屋に向かって挨拶する、彼が、よろしくお願いします、と答えている。掃除を外注? やはりお金持ちなのだ。

 彼の部屋をでてからかなりの時間がたっているが、車は動いていない。私は車の運転が苦手だ、あえて得意なものも無いのだが、運転は特に苦手だ。こっちへの引っ越しギリギリに免許を取り、親のセダンで練習しようとしたのだが、車庫から出すだけでこすってしまい、それ以来乗っていない、正確にはレンタカーで練習しろと言われ、両親は車の鍵を厳重な管理下に置いてしまったのだ。そもそも教習所の卒検も、なんどもやり直した。

 素直に運転を頼めば良かったのだが、このサイズなら大丈夫だと思ってしまったのだ、彼の運転はとてもなめらかで、簡単だと思ってしまったのだが、いざ自分が運転するとなると車は大きく感じるし、死角で見えないところも多い。しかし、もうすることがない、運行前のチェックもすべてしたし、もうサンドイッチも食べたし、ナビもセットした、出発しない理由はないのだ。

 なんとか意を決して道に車を出したが、後ろからクラクションを鳴らされてしまい、パニックになる、とりあえず脇に寄せてハザードランプをつける。びっくりした、まだ心臓が悲鳴をあげている、これは無理だ。部屋の前までもどると、彼は、部屋の外で扉によりかかって文庫本を読んでいた。

「すいません、私ペーパードライバーで……運転お願いしても……。」

「わかりました、ちょっとまってください。」

 そう言って、一度部屋に入り、すぐに出てくる。掃除の人になにか声をかけたのだろうか。マンションの前の道にくると、彼の車が道路の真ん中に止まっている。これは教習所でも見た光景だ。

「すいません、よせたつもりだったのですが。」

「乗ってください。」

 彼が手を上げて車を止めている間に、助手席に乗り込む。

「ほんとにすいませんでした。」

「最初はしかたないですよ。」

 優しい!

「親の車こすってしまって、練習出来てないんですよ。」

「そうですか、これ使っていいですよ、傷ぐらい気にしませんから。」

「ありがとうございます。」

 やっぱり優しい! いや価値観が違うだけなのかも、彼にとっての車は、私の自転車程度なのかも。

 結局荷物も彼に運んでもらった、荷物と言っても大き目のスーツケースと三つ折りのマットレスだけ、後は売ってしまって残っていない、まさかこんな早く出ていくことになるとは、とりあえず行くとこがあってよかった。

 部屋にもどると、彼が掃除の業者さんと話をしている、『なんかあるかい?』『今日はもういいですよ』『また来週』と帰っていく。毎週頼んでいるらしい、私に頼んでくれたり……しないか、プロのお掃除に追いつくには、数年は必要だ。

 スーツケースを開けると、びっくり箱のように服や本が散乱した。下着も散乱し、彼が目のやり場にこまっている。

「すいません……」

「ベッド下の引き出し空けるので、使ってください」

 なんとか片付けたが、荷物がおおい、少し実家に引き取ってもらわねばならない。そんなことより、今現在の問題は、強烈な眠気が襲い掛かっているという事だ。朝の再現とならないよう何か手をうたねば。

「あの……。」

「はい?」

「寝ます。」

 彼の返事を聞く前に、ベッドに倒れ眠ってしまった。


 騒がしい音で目を覚ました、なにやらキッチンのほうが騒がしい。そんなことより、自分の服を確認するが、全部きているし下着もつけている、何もなかったようだ、よかったよかったと枕をだきかかえ二度寝に入ろうとすると、なにやら手に当たる。

 おかしい、昨日枕元においたはずのゴムが枕の下に、彼は使ってくれなかったって事なのか? 別の物かとカバンの中の残り個数を確認したが、その可能性はない。気が付けばまた、シーツと枕カバーの色がかわっている、さっきの掃除の業者さんが変えてくれたのだろうか、だとするとこのゴムはベッドの脇かどこかに落ちていて、こっそり枕の下に置いてくれたのだろう。なんて気のきいた人達だろうか。見なかった事にして捨てておいて欲しかった気もする。

 またキッチンから音がする、これは電気ドリルの音だろうか、最初は彼が日曜大工でもしているのだろうと思っていたが、ドリルの音がする、これはおかしい。よく聞くと複数の男性の声がする、もうすこし上になど、なにか大がかりな物を組み立てているようだ。

 その時真っ先に頭にうかんだのが、張り付け台。『彼氏とラブホ行ったら張り付け台があったー』とのんきな友達の会話がよぎったのだ。彼がゴムを使って無いとすると、思っていたほどやさしい人ではないかもしれない、私は張り付け台に縛られて、キッチンにいる複数の男性にされるのだろうか。いやいや、絶対にいやだ。

 そうだ警察に。でもなんて説明を、自分で泊めてくれと言って部屋にきて、警察に突き出すなんて、彼が警察に捕まるような事態は避けたい。ベランダから下までは、結構な距離がある、着地に失敗すれば結局警察沙汰に。なにか思いついて私! しかし何もおもいつかないまま部屋の扉が開く。

「服はやぶかないで!」

 おもわず目をつぶり、かなりの音量で叫んだ。

「えっと……。」

 彼の声が聞こえ、目をあけるとどうやら食器棚を組み立てる作業着の人の姿が、女性もいてこっちを見て固まっている。

 彼が、キッチンに向かって『続けてください』と一言いって、扉を閉めてベッドへ歩いてくる、彼の手が私の肩に伸びてきて、肩を引いてにげる。

「ごめんなさい」とすぐに言ったが、すこしだけうつむいて、彼は手を引く。

「すいません」

「私こそ、すいません変な勘違いしてしまったみたいで。」

「やはり、別に部屋を借りたほうが良くはありませんか?」

「大丈夫です、ちょっと寝不足で。」

「そうですか、気が変わったら言ってください。」

 そう言って、キッチンに戻っていった。なんで肩を触られそうになったぐらいで、あんなに避けたのだろうか、あの時怖いと思ったのは妄想の中の男の人達で、彼じゃなかったのに。そんな説明できるはずもない。

 キッチンは慌ただしく人が出入りしていたが、彼が『ありがとうございました』と誰かを送る声が聞こえる、終わったようだ。キッチンへ行くと、新しい食器棚に、新品の電子レンジやコーヒーメーカーが並び、冷蔵庫が三倍近い大きさの物に変わっている。昨日はゴミ箱と、小さな冷蔵庫しかなかったのに、引っ越したばかりだったのだろうか?

「あの、これを」

 そう言われて彼に渡されたのは、不動産屋のロゴの入った封筒だった。

「寝てしまってすぐに、スマホの画面に退去手続きとアラームがでていて、すいません覗くつもりではなかったのですが、見えてしまって。すいません」

「いえ、そんな……行ってくれたのですか?」

「はい、鍵は交換するので、処分してほしいとのことでした。」

「ありがとうございます、ほんとにすいません。」

 なんて失態! 荷物を確保してすっかり安心してしまった。もし彼が行ってくれなかったら、日割りで追加の家賃を払わねばならなかったと思うと、ほんとにありがたい。素敵なご主人様でよかった、やっぱり飛びつきたい、ちょっとだけ猫に変身できたらいいのに。

 そんな幸せな妄想も、すぐに過酷な現実がひきもどす。彼からもらった封筒には、部屋の補修と清掃の見積書が入っていた、確かに色々ぶつけたかもしれないけど、やはり自分で行くべきだったのか? いや、結果はさほど変わらないし、今の持ち金と来月のバイト代でなんとか払える。しかし、使えるお金が無い、やっぱり少しぐらい彼からもらっておくべきだったのかも。

 肩を落とし部屋にはいると、机に向かっていた彼から声をかけられる。

「名古屋に知り合いが来ていて夕食に誘われているのですが、パートナー同伴でと言われて、良かったらお願いできませんか?」

 彼はすまなさそうに、私の返事をまっている、ように見えるが無表情なのでかもしれない程度。これはデートのお誘いなのだろうか?

「もちろん、大丈夫です。今日はもう忘れている予定はありませんから。」

 予定もないし、置いていかれたら、私の夕飯はどうなるのですか! ご主人様! いつか口がすべって呼んでしまいそう、妄想中も自粛しよう。

「それと、服装ですが。」

「あぁそうですよね、この恰好じゃダサイですよね。」

「ええ。」

 確かにこんな格好のパートナーはつれて行きたくないよね、でもすこしぐらいは否定してほしかった。

スーツケースを開けてはみたが、私はそもそもデート服なるものを持っていない、だって必要になることなかったし! 今はスーツケースと喧嘩している場合ではない、アイロンかければ何とか誤魔化せそうな物があるが、この部屋には無さそうだし、そもそもシワがどうこうの問題ではない。

まさにシンデレラの気分はこれなのか、しかし妖精さんがあらわれる気配なさそう。お留守番しておきます。

「あの、僕に買わせてもらえませんか?」

「私を?」

 間の長さからして、自分がやらかしたことに気がつく。

「……服を。」

「そうですよね、私、寝不足で、変なことばかり言って。」

 いいかげん寝不足を理由にするのは限界だ、しかし彼が近くにいると緊張する、いい人なのかそうでないのか、はっきりしてほしい!

「今から出れば、時間もあると思うのですが。」

「そうですね。」

「では、いきましょう。」

 あれ? これは服を買ってもらえる流れになっている?


 なにかおかしな事になっている。さっきからぽんぽんと駄菓子ぐらいの勢いで彼に服を買わせている。慣れとは恐ろしい、最初の一着目はかなり悩んで買ってもらったのだが、すでに彼の両手は紙袋でいっぱいだ。すごく、ものすごくうれしいのだが、もう一人の自分が冷静になれと叫んでいる。

 そして冷静になる時がやってくる、エスカレーターを降りると自分には縁の無さそうなブランドショップが並ぶフロア、さっきまでのお店は余裕のある時なら自分で買える金額だったが、このフロアは無理、怖くて値札をみることも出来ない。そもそも、あのビシッと決めてマネキンの様に立つ店員さんがこわい、店に入る覚悟があるのだな? と言われてしまいそうだ。次のフロアに移動しよう。

 さっと一回りして、下の階へいくつもりだったのだが、ピンクのコートに足が止まってしまった。教育実習に来た大学生が着ていたコート、笑顔の素敵な可愛らしい人で、大学生っていいなぁと、他は深く考えず四年制大学を目指したことは、親には言えない。

 もっと近くでみたいが、ブランド店の見えない力に押されこれ以上はきびしい、引き返そう。よし、と方向転換したのだが、彼がいない。さっきまですぐ後ろに執事のようについてきてくれていたのに。見渡すと、ピンクのコートの横で店員さんと、何か話している、そして店の奥へ行ってしまい見えなくなってしまった。

 自分の服を買いにいったわけはない、それならこのフロアではない。後をついて店に入ってしまえばいいのだが、足が動かない。みんな緊張しないで入れるのだろうか、しかも男性が入るのに抵抗は無いのだろうか? 普段から女性にプレゼントするのに、訪れるとか? 『俺が買ってやった服だよな』ビリビリ、キャーみたいな……。あぁーやめよう、勝手に彼を暗黒キャラにして遊ぶのは、肩を引かれてうつむくなんて、それは私だってされたら悲しいけど……いや私だったらもっとへこむ自信がある! 私はなにと張り合っているのだろう?

「どうぞ。」

 そう言って自然に背中を押す店員さんに導かれ、結局お店に入ってしまった。油断した、考え事をしている間に、後ろをとられてしまった。次は気をつけよう。

 

「これは詐欺なのでは……。」

 素直な感想が口からもれる、お店に入ってからどれくらい経過したのだろう、彼が店員さんに何を依頼したのかわからないまま、髪やメイクまでしてもらって、赤いドレスを着て、初めてヒールを履いて鏡の前にたっている。これはいった誰なのだろうか?

「ちゃんとおしゃれする気になってくれましたか?」

 彼と話していた年配の店員さんが、微笑みながら声をかける。

「こんなに化けるなんて、別の人が鏡に映っているみたいです。」

「練習すれば、もっときれいになりますよ。彼もあなたの思い通りになるかも?」

「そんな、今のままで……。」

 そう言ってつばを飲み込んだ。男性を思い通り……なんて強烈な悪魔のささやき。でも、この鏡にうつる私なら出来るかもしれない。

「いや、ちょっとなら、なにかお願いを聞いてもらえそうな気がします。」

「そのいきですよ、逃がさないようにがんばって。」

「はい!」

 この人はさらっと、私の願望を言い当てる。逃がしたくない、思い通りにしたい、心のどこかでそう囁いているのが聞こえる。女性はみんなそう思うのだろうか? 私にそんな願望があると知ったら、彼はどう思うのだろうか?

 すこし前に試着室から出てくると、彼はいなくなっていた。店員さんに聞くと、荷物を置きにいくと、お会計をして出て行ったとのこと。すぐに戻ってくるだろうと軽く考えていたのだが。それからすでに数着、着せ替え人形のごとく店員さんに遊ばれて、このドレスを着ているのだ。

 車に行って戻ってくる時間は十分にあるはず。やはり、そもそもの目的をさっぱり忘れてお買い物中毒になった私に嫌気がさして逃げたとか。そもそも会計済なのに、さらに服を試着させる店員さんって、どんな精算方法なの。分かっているのは、今日着る服は、店員さんが決めるらしいということ、私が『これいいですね!』と言っても、若い店員さんに『次持ってきて』と、ピシっと指示が飛ぶのだ。

 どうやらこのドレスで決定のようだ、たぶんこのお店だけで、今までの人生以上の試着をした気がする。若い店員さんが、ワゴンにカバンを並べて押してくる。

「どれにしますか?」

 そんな食べ放題のケーキみたいに、バイト代数年分のカバンを選べと言われても。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「はい、なんでしょう?」

「彼は、幾らまでとか言ってましたか?」

「それは、お答えできません」

 やっぱり完璧なスマイルでかわされる、年配のほうの店員さんにも聞いてみたのだが、回答はいっしょだった。

 結局若いほうの店員さんにカバンを選んでもらって、荷物を入れ変えていると。年配のほうの店員さんが店の奥からもどってくる。

「すいません、彼どこかで待ってるとか、言ってませんでしたか?」

「まだ終わっていませんよ」と、ちょっと目を細めて笑顔を見せる。

「ふふ、そんな顔なさらずに、ほんとに可愛らしいお客様ですね、立っていただけますか。」

 なんとかイスからなら立ち上がれるようになったが、まだヒールは怖い。

「どうぞ。」

 そう言って、着せてくれたのは。最初に見たピンクのコートだった。鏡に映して確認する、まだすこし別人のように思えるが、可愛い。自分を可愛いなんて思ったことが、いままであったろうか、言ってもらった記憶もかなり昔の物のように思う。

「可愛いですよ。」

 いきなり鮮明な記憶に上書きされてしまった。若いほうの店員さんが小声でいった言葉は、心臓の鼓動を早くする。

「彼も言ってくれるといいですね。」

 さらにもう一人の店員さんが、追い打ちをかけてくる。自然と笑顔がこぼれる。なんというチームワークだ、お金があれば毎週でも通ってしまいそうだ。もし店に入ってすぐに、コートをすすめられていたら、私は逃げ出してしまっただろう。沢山の試着した服やドレス、ヒールやメイクも、すべて今の私を作り上げる為の、壮大な寄り道に思える。

「お連れ様は、上階のホテルフロントでお待ちです。」

「えぇ!」

 ちょっと忘れかけていた、置いて行かれたかもと思っていたのだが、どうやら逆だったようだ。

「なんでもっと早く言ってくれないんですか!」

「終わったら伝えるようにと。」

 まったく意味がわからない、かなり長い事待たせているだろうし、そもそも彼は待ってくれているのだろうか?

「落ち着いて、ハイヒールの歩き方は?」

 そう言われて、我に返る。

「かかとつま先を同時に、胸をはり目線を前に」

「忘れないでね。」

「はい。」

 二人に見送られて、私は歩きだす。もう数時間前までの、自信のない自分じゃない。今の私は完全武装だ、何も怖くない!

 

 エレベータに乗り、ホテルのフロントへ向かう。彼は私を見てなんて言うだろう『素晴らしい、この世のなによりも美しく、しかも愛くるしいほどの可愛さ、私の一生を君にささげよう!』なんて言ったりして! は! 我に返って、周りを見るが、大丈夫誰もいない、たぶん声にでていたが、大丈夫、監視カメラは映像だけと思うことにしよう。

 ホテルのフロントはかなりの広さがあったが、人はまばらですぐに彼を見つけることができた、良かったと胸をなでおろす、胸を、いや胸に手をあてると何かある。ネックレスだ、シンプルだがトップにダイヤが、いつの間に? そうだ、お店で胸元がさみしいかもと言って店員さんが、彼をみると、彼がうなずいていた。てっきり『胸が無いのでこの服はだめだね』『そうだね』って常連さんにだけわかるサインだと思っていたが、これだったのか、勘違いですこしへこんでしまっていた。

 こっそりつけるように頼んだ理由は検討がつく、直接渡しても私は素直につけないと思われたのだろう。その通りだ、少し自信つけたぐらいでは、こんな高そうなものつけれないれないし!ダイヤにもうしわけない。

 足が止まってしまった、彼はジャケットにネクタイをつけて外国人のカップルと立って話をしている。かっこいい、いつもと違うネクタイ姿と、外国人相手に物怖じせずに話す彼の姿は、かっこよかった。

 私に気が付いた彼が、手をすこし上げこちらへ歩いてくる。せっかく店員さんがかけてくれた魔法はあっさりととけてしまったようだ。彼を思い通りになんて、ちょっとでも考えてしまった自分が恥ずかしい。彼に買ってもらった武装で、彼を倒せるはずなどもとから無かったのだ。

 彼は私のところまで歩いてくると、

「あの……。」

 と照れくさそうに言葉を止める、これはもしかすると『美しい……』の流れなのか。

「すいません、すこし仕事することになって、食事は彼女とお願いします。」

 そう言うと、先ほどまで話していたカップルの男性と、もう一人あらわれたスーツの男性に挟まれフロントを出ていく。まるで連れさられて行くように見えなくもないのだが、そういえば彼の仕事ってなんなのだろう、お金持ちということはやはりなにか危ない仕事なのだろうか? お金持ちは、悪いことしてる人とおかしな思考におちるのはなぜなんでしょうか?

「だいじょうぶ、終わったら返してあげるから。」

 カップルの女性の方に声をかけられる。いつの間に後ろに立っていた女性は二十台後半の妖艶な美女という言葉がぴたっとはまる。顔立ちから外国の人かと思ったが、アクセントは日本人そのもの、そして私にしてはかなり珍しく、すこし見下ろされている。凛々しい、この人がボスなのかも?

「いこ、彼返してあげないわよ。」

 返してほしいです、今はついていくしかない。しかし、なんて足の長さ、私より高いヒールで優雅に歩いている、かっこいい!


 彼女の選んだ、前菜とシャンパンのあまりの美味しさに別世界にいってしまいそうだったが、まだ正気だ。メインを食べ終わるころには、すっかり彼女の手に落ちるかもしれない、なにか考えなければ。

 私の知識で判別がつくことといえば、バイト先より高級なレストラン、料理もスタッフさんの動きも完璧すぎるくらい、なのでお店のスタッフさんは安全なはず、こっそりヘルプ信号を送るとか? バイト先ならともかく、初めて入った店でそんなサイン分かるはずもない。

 レストランを走ってでる。彼女が、ポーチから小型の銃を取り出し、私の背中に二発、倒れた私は、彼の買ってくれたネックレスが落ちているのを見つけて、震わせながら手をのばす。あとちょっとの所で、歩いて近づいてきた彼女に手を踏まれて、頭にとどめの一発! 走って逃げるのは却下、そもそもこんな人がいるとこで撃たない、と思いたい。

 出口を歩いて出る、ホッとしていると、脇から黒スーツの男がでてきて、お約束のハンカチを嗅がされて気を失う。目を覚ますと、港の倉庫で汽笛とカモメの鳴き声が聞こえてくる、彼も私も椅子に縛られていて『言わないと女を殺すぞ!』とか言われて、彼がしゃべってしまう。あれ? これって結局二人とも撃たれて、海に捨てられるパターン。捨てられるときは、二人まとめて鎖に縛られて、永遠に一緒、フフフ。

「だいじょうぶ?」

 とミキさんに声をかけられる。さっき教えてもらったのが、本名かどうかは不明。そんなことより、バッドエンドにひたって遊んでいる場合ではないのだが、なにも思いつかない。

「彼とは、どんな関係なの?」

「関係……。」

 これはテストだろうか? 嘘をつくかどうかで、生かすか殺すか判断する流れだろうか? 嘘つくやつはきらいよ! と短気なボスに撃たれる流れのやつだろうか、私はチンピラの役なのか! 今は配役にこだわっている場合ではない、せめてメインを食べるまでは生きていたい、真面目にいこう。

「昨日初めて話したばかりなので、あまり詳しいことは知らないです。」

「恋人?」

「違います……。」

「愛人?」

「……近い感じです。」

「近い感じって、どんなの?」

 ミキさんは少し笑って質問を続ける。

「えっと、その、私が起きている時は触らないけど。寝ているときは、その、する関係です」

 とても疑わしいという目で見られている、真実を話したのに撃たれるのか。

「途中で寝ちゃったってことじゃなくて?」

「いえ、初めも終わりも記憶ないので」

「ごめん、そんなプレイしたことないのだけど、なんか薬とか使うの?」

「いえ、眠気に耐えられなくなるまで、起きていて。私が寝たら、始まるみたいです。」

「お互い大変だね。」

「そうですね、最初ぐらいは普通にしてほしかったです。」

「最初から! あぁそうか昨日初めてって言ってたわね。それで、……貴方は誰かに彼を紹介してもらったわけ?」

「いえ、図書館で狙いをつけて、直接声をかけました。」

「おぉー、最近の図書館は激しいな。もう、ずばっと聞くけど、いきなり定期でとか値段交渉するの?」

「いえ、泊めてもらうだけです。」

「ん? お金はもらってないの?」

「直接はもらってないです。今身につけているものは、今日彼に買ってもらったものです。」

「服って、食事に誘ったから買わせてくれとか言ってた?」

「はい。」

「……もしかしてだけど、相手が女性つれてくるから、付き合ってくれとか言われた?」

「はい、パートナー同伴との事だと。」

「まったく、あの機械オタクども、騙したな。」

 何故かわからないが、ボスの怒りが不在の男性二人に向けられている。目にかなり力が入っている、迫力がありすぎる、ライオンですらひるませる勢いだ。

 しかし、そんな目力もすっと元にもどる。そして、私に腕時計を見せる。文字盤にダイヤが散りばめられた、高級車が買えそうな時計。女ボスの綺麗な腕には、これでしょう! 実に似合っている。

「さっきもらったんだけど、私も同じこと言われた」

「同じって、食事のお礼ってことですか?」

「そうそう、普通に渡しても受け取らないからって、こんなすぐばれるようなことするかな。」

「私も、気が付いたらネックレス付けてました。……普通に渡されたら、私も断ってたと思います。」

「あの二人おんなじタイプかぁ……。私達もそうかな。」

「私達? 通訳さんじゃ?」

 ほんとは信じていませんが。

「嘘じゃないけど、私と彼も、愛人に近い感じかな。」

「おぉー、同業者ですね。」

「確かに! って貴方はお金からんでないでしょう。」

「お金もらってるんですか?」

「うぅーん、それも微妙でね、純粋に通訳としての仕事してもらっていると言うには、おおいかな。」

「おぉー、いいですねー、私も何か特技があればよかった。」

「本当はお金が絡まないような関係がいいのだけど、モデルだけじゃ食べていけないし、彼以外に通訳で呼んでくれる人なんていないし。貴方が羨ましい。」

「どの辺がですか?」

「例えば、通訳のクライアントじゃなきゃ、もっと甘えられるかなぁとか。まぁ、欲しい物があるときは、お小遣いもらう関係になってもいいかもって思うけど。一回そうなったら、もう戻れないし、悩ましいのよ色々と。」

「とってもわかります! あれ? ほんとに社長と通訳さんなのですか?」


「人質!」

 ミキさんが言ってから口を押える。

「すいません、ちょっと妄想が激しいので、すいません。」

「そっか、やけに素直に話す子だなぁとは思ったけど。まぁいいさ、気を使って天気の話しなんかしてるよりか、よっぽどいい。かわいい同業者と出会えたことに乾杯!」

 そう言って、ミキさんはグラスを持ち上げる。良かった、撃たれる心配もなくなったし、笑って許してくれる優しい人で本当によかった。恥かいたがそれは時間がなんとかしてくれる、ことにておこう。

 その後は、楽しくミキさんと社長さんの出会いの話や、メイクやお肌のお手入れの話をじっくりと聞いた、考えたら女の人と話をするのも久々だった。

「ミキさん、沢山おしゃべりできて、私楽しいです!」

「酔っ払いだな、大学生だったら、学校で話すでしょ?」

「私、友達いないんですよ、高校の時はいたんですけどね。無理に作らなくていいかなーって、一人でゲームしたりマンガ読んだりする時間が増えるからいいかなって。でも、話す相手がいないとどっちも前みたいに熱中できなくて。暇な時間だけ増えていくんですよねー。」

「ほうほう、それで欲求不満を彼で解消しようと?」

「そうですね、彼でって! 無いですよ、昨日までは未経験ですし、彼は宿を提供してくれるだけです。」

 ミキさんは少し笑いながら、私をのぞき込む。そんなかわいそうな子を見るような目でみないで。

「彼って、起きてる時はまったく触らないの?」

「そうですね、あ、一回だけ彼が肩に手を置こうとしたんですけど、ちょっと痛い妄想が走っていて、肩を引いてしまって。それ以外は、さっぱりないです」

「それはいろんな意味で痛いね。触ってほしいの? 想像して、手を握られて……引き寄せられて」

 ミキさんのゆったりとした声が、頭に入ってくると。彼が現れ、手を引き私を抱き寄せる。彼の顔がせまってくる。

「もしもし?」

 ミキさんの声で我にかえる。

「すいません、妄想が、」

「すごいな、ちょっとうらやましくなってきたよ、今のってもしかしていきなりベッドまで行ってたの? なんか色っぽい声でてたけど。」

「色っぽい声……、そこまでは、キスされそうになっただけで。」

「そこまではいくんだ。」

 そう言って、ミキさんは必死に笑いをこらえている。

「たぶん、お酒のせいです。普段の妄想は、もうすこしましです!」

「それって、妄想じゃなくて願望なんじゃないの?」

「わかりません……したことないし。」

「なん? それは、彼とじゃなくて、今までってこと?」

「……寝てる時と、妄想でも、彼以外もないです。」

 ミキさんが、私の横まで来てよしよししてくれた。うれしいけど、悲しい。

「よし、おねーさんが、彼を野獣化させるメイクをしてあげよう。」


 数時間前も思ったが、メイクとはこんなにも人を変えるのだろうか。お店でしてもらったメイクは、美人になるメイクだったが。ミキさんにしてもらったメイクは、可愛いメイクだ。どちらも自分の顔とは思えないが、いまならちょっとぶりっ子してもビンタぐらいでゆるしてもらえそうだ。

「さっきも思いましが、これはもう詐欺なんじゃ?」

「化粧室でそんなこといったら、こんどこそ撃たれるわよ。」

「気をつけます!」

「奥手な子は可愛い系で攻めたほうがいいわ、目を大きく開いて、彼の目をじっと見る。そして『ほーら食べてごらん』とつぶやくの。」

「ほーらた……無理です!」

「じゃ、見つめるだけで。」

「確かに、効果ありそうですけど、目をそらされてしまうんじゃ?」

「確かにね、ほぼ目線を外してくるだろうね、だがそれであきらめたら試合終了です。目線をはずせない状況にもっていけばいいのです。」

「顔を固定して、無理矢理目を開けさせるとか?」

「強引だなぁ。」

 そういってミキさんは、スマホをとりだして、横の鏡を指さす。私が鏡を見るとカシャとよく聞く音が。

「おぉ! 写真を撮ってもらうんですね!」

「よくできました。今日の服かわいいでしょ? といって、全体の写真をとらせて、次に顔のアップもお願いって言えば、しばらくは貴方の笑顔が頭から離れない。とどめに、口紅赤すぎないかな? とか言えばもう彼は思いのままよ。」

「完璧ですね!」

「うん……いろんな意味で心配だけど、とりあえず一枚撮ってみよう。」

 そう言って、ミキさんがカシャカシャと写真を撮っていく。

「私のカメラの腕ではよくわからないけど、貴方って撮り映えするわね。」

 それからミキさんから、細かい指示がとぶ、きつい体制もあったけど、褒められながら写真を撮ってもらうのは、かなり楽しい! もしも彼に撮ってもらったら、私はどんな顔するのだろう。

 もう一杯ぐらい頼めるかなと話をしていると、ミキさんのスマホが光って、あと五分で戻ってくると教えてくれた。

「それって、今日買ってもらったのよね」

 そう言って、ミキさんは歩きながら、私の胸を指さす。私がうなずくと。

「それピンクダイヤよ、かなりするわねー。今夜は頑張らないとね」

「頑張るって、どうやるんですか。」

「ほんとに聞きたい?」

「いえ自分で考えます。」

「赤くなってかわいい、がんばってね。」

 そんな話をしていると、社長さんと彼が歩いてくる。ミキさんは社長の腕に飛びついて、顔を寄せ何か言っている。見つめる瞳は大好きな物をみる少女の様、あんな目で見られたら社長さん骨抜きだろう。

「じゃね。」

 そう言ってミキさんは、社長とエレベータに消えていった。いいなぁ、腕組みぐらいしたいなぁと、彼の腕を狙うと、なにやら物騒な金属ケースを持っている。映画なら、札束や白いお薬が入っていそうな大型ケース、何が入っているのですか? などと気軽には聞けない、これは彼がボスというパターンか? 気弱そうなキャラクターが実はボスだったという、見ている人を驚かせる、そうだとすると私の配役は、警察や敵対組織に囲まれた時の人質兼盾。また人質かぁ、やめて撃たないで! とか叫ぶけど結局撃たれるのがお約束。

 またしてもバッドエンドを選択してしまうところだった、敵対組織が来る前に、彼に写真を撮ってもらわねば。それには、彼の両手を開けるために、あのケースをなんとかせねばならない。私が持つか? 持ちますーと触った瞬間に彼に撃たれるかもしれない、ドレスにあのケースは中途半端なコスプレでしかない。これはもう、彼がケースを手放す時、車に乗る瞬間を狙うしかない。

 車までもどってくると、後部座席に、彼に買ってもらった服が紙袋に入って綺麗にならんでいる。お金は勿論の事、これを全てもたせて人混みを歩かせてしまった事が、申し訳ない。しかし、今はあえて踏み台にさせてもらおう、お買い物の申し訳なさに比べたら、写真を撮ってもらうぐらい、なんてことはない。

「あの、写真撮ってもらえませんか」

 そう言って、彼にスマホを渡す。

「えっと、ここでですか?」

 確かに! 外の見えないこの駐車場で撮るのは明らかにおかしい。

「せっかく綺麗な服買ってもらったし、メイクもしてもらったから、記念に撮っておきたいんです。一枚だけでいいので。」

 しまった、二枚いるのだった。失敗はそっちではない、ここで写真をとる説明になっていない。

「お城いきませんか? 一回も行った事なくて、たぶんまだライトアップされてるはずです。」

「はい。」

 名古屋城公園は、人もまばらでカップルがお城をバックに写真を撮っていたりして、自分には別世界のなごやかな空気で、かつ適度な暗さだ。ばっちりです、見事なファインプレーで持ち直すことができました。最寄りの駐車場を探した程度だが、私も少しは貢献したのですよ! しかし冷静に考えると、彼は何故こんなデートスポットを知っているのだろうか? ほんとに初めてなのだろうか? なぜか見事にひっかかってチェックメイトに追い込まれた気分だ。

「このへんで、こっちからお願いできますか?」

 彼が、スマホを構えて下がっていく、彼は、画面越しに私を見ている、どんな顔してみているのだろう。

「撮りますよ。」

 フラッシュが光り、白い色が闇へと吸い込まれていく、彼を操ろうとしている自分の闇が彼を包んでいくようだ。

「もう一枚いいですか? 顔のアップもお願いします。」

「はい。」

 そう言って、彼はスマホを私に向ける。

「もうすこし、近くに。」

 そう私が言うと、彼が少し距離をつめる。

「それぐらいで、お願いします。」

「はい。」

 またフラッシュが光る。『近くに』自分が言った通りに彼が動いた時、自分の考えが全て彼に伝わってしまった気がした、作戦を聞いたときは隙のない素晴らしい策だと思ったのだが、なんと弱気な、ミキさんごめんなさい、せっかくのアイデア発動できませんでした。

「撮り直しますか?」

「いえそんな、お城も私も綺麗に映っています、ありがとうございます。」

「よかった。」

「はい、SNSで自慢できます!」

 しまった、余計な事を言ってしまった。全身が映った一枚目はまだいいとしても、この笑っているのか照れているのか、この中途半端写真は、こっそり鍵をかけてしまっておきたい。しかし、もし後で彼が見つけたりしたら、気まずい事になるだろうし。悩んだが、車が駐車場を出る時には、初名古屋城! なんて書いて投稿してしまった。これでしばらくは生存確認のメールも減るだろうし、よしとしよう。

 車の心地よい揺れが眠気を誘うころになって、私が、「お城のライトアップ綺麗でしたね」と言うと、彼は、「そうですね、最後に来れて良かったです」彼はそう言った『最後』私と来るのがという意味ではないだろうが、最後とは。

 目が覚めたころには、車はもう岡崎までもどってきていた。

「あの、お願いがあるんですが、私あんまり化粧品持ってなくて、今日せっかく教わったので、すこし買って頂いてもよろしいですか?」

「いいですよ。」

 そう言って彼は、前を向いたまま車を走らせる。彼の横顔から、感情は読み取れない、まだ買わせるのか! と嫌われた感じではないが、甘えてくる可愛いやつって感じでもない。

 間違いなく可愛い方ではないことが判明してしまった。ドラッグストアを出る彼の両手には、見ていて痛々しいほど袋が食い込んでいる。量も値段も、そして買い物時間も異常だ。閉店時間の放送が流れるまでは、私は彼が持つカゴを振り返りのせずに放り込み続けた。まだお酒が残っているが、それで済まされる奇行ではない。我に返って減らそうとしたのだが、時間も無いし、必要なら買いましょうと彼に言われてしまい。そのままお会計に! たしかにあのタイミングで選別している時間は無かった。

やはり毎月分とお金をもらってそこからやりくりする正式な愛人システムのほうがいい気がしてきた。甘やかしすぎです、ちゃんとしつけてくれないと。ご主人様に責任を押し付けてもしょうがない。

 マンションまで帰ってくると、前に大きなトラックが止まっている、もう日付も変わる時間に、なんて迷惑な。そう思っていると、誰か近づいてくる。彼が窓をあけ部屋番号を告げている、迷惑な配達を頼んだのはご主人様のようだ。

「どうも。」

 そう言って私に手を振るのは、さっきのブランド店の若い方の店員さんだ。忘れ物を届けてくれた訳はない。いやな予感がする。


「ではまたー」

 そう言って若い店員さんが明るく帰っていく。彼女の指示で部屋に運びこまれたのは、私が試着中に『いいね!』を軽々しく連発した服や靴などだ、正確には見た記憶すら無いものある、昨日までの広かった壁一面を使ったクローゼットも、今やまったく隙間がない、その床には靴や鞄が並んでいる、まるでお店でも始める勢いだ。

 そしてベッドの脇にはさっきまで後部座席にならんでいた紙袋達と、ドラッグストアの袋に入った大量の化粧品。そして高そうなメイクボックス、もちろん中身も入っている、言ってくれたらドラッグストア行かなかったのに! 昨日までのシンプルな部屋は、買い物中毒な女子の部屋へと模様替えされてしまった。

 私を中毒患者にしてしまった彼だが、先ほどから誰かと電話している。いきなり機械と話だすので、宇宙人と交信出来るタイプの人かとも思ったが、ヘッドセットを付けて話をしているようだ。電話を切ったタイミングがわからない為、声がかけづらい。タイミングが分かったとしても、お礼となにを言えばいいのか困る。買いすぎですと抗議するのもおかしい、たしかに一着とはいってなかったし、いいねを連発してしまったのは私だし。もうなにがおかしいのかも分からなくなってくる。

 紙袋を片付けて、ベッドに座ると、ミキさんの『がんばってね』の声が聞こえた気がした。あの時詳しく聞いておけばよかったか、いやたぶん変な緊張して失敗するのが目に見えている。とりあえずの問題は、下着をどうするかだ。やはり可愛い下着を買うのだった、彼に買ってもらうわけにはいかないし、自分で買う余裕はないのだが。今もっているかわいい下着は色っぽい物ではない、可愛いクマがプリントされたりしているもので、絶対に履いているところを彼に見られるわけにはいかない。

 そして、結局ロールケーキのようにバスタオルを巻いて、昨日同様にゴムを置いてベッドに座っているわけなのだが。彼に『食べてごらん』と言ったとしたらどうなるのだろう。だめだ、想像出来ない、そもそもそんな夜の女王キャラが彼のタイプかどうか分からない。そういえば、美人系のメイクでも、可愛い系でも、さほど彼はひるんだ様子はなかった。むしろ、慣れない夜のデートスポットで私がひるんでしまった。そもそもミキさんの言う彼が奥手なキャラという設定も、見当違いな気がしなくもない。

 彼はひたすらお仕事モードだ。画面から目をそらさずにキーボードをパタパタと叩いている。これは、昨日同様私が寝るまで待っているのだろうか? はやくしなさいと無言のプレッシャーをかけている気がしてきた。

「おやすみなさい」

 そう言って布団に入る、彼は画面をみたまま、おやすみなさいと言って、キーボードを叩いている。これは、このまま薄目を開け寝たふりをしていれば、彼が何をするかわかるのでは? しかしお布団の誘惑は容赦なく襲い掛かる、あっさり寝てしまう可能性が高い。そもそも寝たふりをしている状態で始まってしまったら? どのタイミングで起きた設定でいけばいいのだろうか? そんな事で悩んでいると、彼がベッドに向かって歩いてくる、いや早いでしょう、だってまだ目を閉じたふりしてから、二分も経過してないです。寝たふりするのも無理がある。

 彼の手が伸びてくる、とりあえず寝たふりをすることにして目をとじる。何か音がして、体がビクッと反応する、寝たふりは無理だった。目を開けると、彼は手に照明のリモコンを持って灯りを消している。ちょっと油断していたが、今日は起きている時にするのか、とんでもなく緊張する、やっぱり完全に寝てしまってからの方がいい! と願いが届いたのか、彼はリモコンを本棚に置いて、机に歩き出す。

 これは私を早く寝かせる為に、電気を消しただけなのだろうか? やはり寝てからなのか、それならば、どうしても彼にお願いしておかなければならない事がある。この枕元に置いてあるゴムを使っていただかないと色々と大きな問題が発生する。

「あの。」

 声をかけると、彼は返事をしてこちらへ椅子を回す。

「明るくても寝れるので、照明付けときますますか?」

「ありがとうございます、モニターが見にくいので、助かります。」

「いえ。」

 なぜ人は考えと行動が一致しないのですか! 部屋を明るくして、もう明るいところでするのが好きな女性のようではないですか! そもそも彼にはどんな設定だと言ってあっただろうか、すでにそんな女性だと思われるような行動をとっているように思える。今はもう、すべてが小さな問題に思えるほど眠気が勝っている、起きたら考えよう。もちろん覚えていればだが。


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