1日目
「あの!」
閉館時間のせまった図書館に、悲鳴かと疑われそうな声がこだまする、昔から緊張すると音量の調整がきかない、恥ずかしくて逃げ出しそうだが、今はそんな事を言ってはいられない、声をかけられた彼が無表情で振り向く。
「あの、コーヒーおごってくれませんか?」
心の中で『ちがう!』と叫ぶ、もしもの時にと考えていた台詞がでてしまった。彼は自販機へお金を入れて、少しよけるとゆっくりと手を自販機へ向ける。
「どうも」
小さく会釈して、自販機のボタンを押す。出てきた缶コーヒーを持ってすこしよける、まだ大丈夫、持ち直せる。大きい頼み事をするには、まず小さな頼み事から、交渉の基本、だった気がする。
いつも彼はここでコーヒーを飲んで、缶をすぐ横のごみ箱に捨てて帰る、ゆっくり飲むから話す時間はある。ありがとうございます、実は親に仕送りとめられちゃって、えへへへ。などとゼロに近い可愛さを振りまきつつ、話を盛り上げてから、本題に入る、よしよしこれでいい。
なかなか彼がコーヒーを買う音が聞こえてこないので、おそるおそる振り返ると誰もいない。なんで今日は買わないのよ? もしかしてあれが最後の百円だったとか? 私じゃあるまいし、いや私でももう少しはある、数日後にはそうなる可能性が高いのだが。
考えても仕方ない、今は動かねば、出口に向かう廊下にでると、彼が歩いているのが見える、他の人もまばらにいる、できれば人に聞かれたくはないが、夜道で話かけるよりかは、建物の中のほうがいい、出口前で彼をとらえねばならない、全速力で走り彼の前に回り込む、なんとか追いついたが息が上がってしまった。
「あの」
なんとか声をふりしぼり、他の人に聞かれないよう彼に近づいたのだが、距離をつめすぎた、お互いの靴があたりそうなほどだし、顔をあげれば鼻があたりそうだ。今更一歩さがるのもおかしいし気がする、このまま言うのもおかしいし、しかしこれが最後だ、早く言え私!
しかし、声がでない! お願い思い通りに動いて! 予定通りにいくとは思ってなかったが、こんなに緊張するとは思ってなかった、落ち着いている時間もないし、別のプランもない。
時間だけがすぎ、余計に言いにくくなるのは分かっているのだが、顔を上げることもできない、いつもなら逃げ出すが今日を逃すと明日からまさにホームレスだ、あすには退去手続きをしなければならない、十分すぎるほど追い込んだでしょーお願い、一言でいいから思い通りに動いて。
彼の右足がさがりはじめ、突然体が制御をとりもどす。顔をあげ彼に言う。
「今日泊めてくれませんか?」
彼は表情を変えず、ゆっくりと目をそらす。なんとか言えたがこれで終わりではない、ホテルのフロントに言ったわけではないのだから、彼が満室ですと言えばそれまでなのだ。
彼はとても悩んでいる、ように見える。いつも無表情なので判断はむずかしい、いきなり声をかけてきて、コーヒーおごってくれといい、次は異常接近してきて泊めてくれという、自分だったら絶対に断る!
答えを待ちきれず、説明しようと口を開こうとしたとき。
「いいですよ」
と彼の答えが帰ってきた、想像していたよりも若い声だった。
彼が出口に向かって、私の横を通ったのを確認し、小さくガッツポーズした、やった今日の宿確保! よしよしこれで、なんとかなりそうな気がしてきた、うんうんとうなずき振り返ると、彼がこっちを見ている、しまった!
「えっと、あまりにもうれしくて、そのついガッツポーズを」
そんな説明を求められていないのは分かっている。なんとか笑顔を作ってみるが、ひきつっているのが自分でもわかる。これはまずい、ただでさえ怪しいのに、さらに怪しさを増す行動、やっぱり無理ですという流れになるのか。
「荷物もちましょうか?」
予想外の彼の言葉に、しばらく固まってしまったが。
「いえ、大丈夫です」
そう答えてしまった。
軽くうなずき、歩き出す彼の後をついていく、ここは持ってもらうべきだったのだろうか、疑っていると思われただろうか? 世の可愛い女の子達は、ありがとう! と言って素直にカバンを差し出すのだろう、そんなに難しい事でもないように思えるのだが、やっぱり素直じゃないからだろうか? 性格だけでも可愛くなりたい。
図書館の外にでると、すこし肌寒かった。昨日までは重ね着でなんとか寝れたが、突然寒くなった、宿が確保できて本当によかった。ボロを出して、彼の気が変わらないよう気をつけよう。
横を見ると、図書館のガラスの壁に猫背の不愛想な自分が映る、背筋を伸ばしてみるが、それはそれで背が高い。かなり前の事だが男子に指摘されてから、この身長が気になってしまい猫背になる、背中を丸めたぐらいでは、さほど変わらないことはわかってはいるのだが、気が付いてしまった自分の弱みからは簡単には逃げられない。服もかわいくない。思わずため息がでる、こんなんだから彼氏どころか友達もできないのだ。
半年前、期待していた大学生活は出だしからつまずいてしまった。それまで服もメイクもさっぱり気にしいなかった自分には、別世界だった。なんとか追いつこうと頑張ってはみたのだが、やればやるほど不安になり、正門の勧誘活動がおさまるころには、一人もいいかなと思い始めていた。
彼の車は、コンパクトカーだった。彼らしい、そう思った。彼は全てがシンプルに思える、つねにおとなしい色の綺麗なスラックスとシャツを着て、表情一つかえずたまにゆっくりとページをめくる。図書館でしか見かけたことはない、名前も知らない無表情な男性、一回りぐらい上だろうか、どんなときも表情一つ変えない姿勢は、とてもともて羨ましかった。
「ほんとに助かりました、ありがとうございます。」
「いいえ」
精一杯明るく言ってみたのだが、運転する彼はまっすぐに前を見てそっけなく返事するだけ。
「私近くの大学の学生なんですけど、仕送り止められてしまって。親には友達のところに転がりこむからって言ったんですけど、ほんとは友達いなくて。地元じゃないから宿無しで。それで、たまに見かける貴方なら泊めてくれるかなって、ほんとありがとうございます。」
緊張でかなり早口になってしまったが、なんとか説明する。
「いいえ、大変ですね」
そうなんですよー、などと軽くはなせる空気ではない、彼の口調はそっけない。こころなしか身構えているようにも見える。
友達の家に泊まりにいくのではない、相手が男性なら、なにが起こるかぐらいは想像がつく、ただ泊めてくれるだけ、そう思えるほどは子供ではない。優しく見える彼も何をかんがえているかなんて、決してわからないのだ。彼の部屋にはいったら、いきなり襲い掛かって、縛り上げ、彼をベルトでおもいっきり打ち付ける! ふふふ、さけべ、もっとその声をきかせてみろ! いや、まてまて、なぜ私が鞭打つ?
「あの?」
彼の問いかけに我にかえる、すこし別世界に行ってしまっていたようだ、彼がのぞき込んでいる、車はいつの間にかコンビニに止まっている、そしてこの沈黙はいったい? は!
「すいません聞き逃しました!」
たぶん聞き逃すような小声ではなかったろうが、これで乗り切るしかない。
「部屋、なにも無いので、なにか買いましょう。」
「はい、そうですよね。」
無いとは? なにを指すのだろうか? 店に入りかごを持つ彼のあとをついていく、携帯の充電器、猫缶、なにげなく手にとっていくがさっぱりわからない、さっき妄想から突然ひきもどされたせいか、まだ思考が不安定だ。無いもの、縄とか縛るもの、ムチとかベルトとかたたくもの、たたくもの。
「たたくもの?」
いつの間にか振り返っていた彼が、不思議そうに問いかける。
「あ、すいません! 独り言です」
すこし大げさに手をふってみる、どのへんから声にでていたのだろうか、車でも妄想がもれていたのでは? 妄想中の発言は確認ボタンを押してから発言するようにならないだろうか、いつか大事故につながりかねない、すでにバンパーぐらいは無くなってそうだ。
すでにコンビニ内を二週回っているが、彼の持つカゴはからのままだ。彼もなにか探しているが、叩くものでないことを祈るばかりだ。いくらなんでもデータ不足な気がしてきた、意思疎通がとれていない! 彼の部屋に無いものとはなんだろう? 真っ先に縄とムチがうかぶがそういう事ではない。普段は女性がこない部屋と想定すると、あ! シャンプーとか、しかし使い切りなのに高い。それと歯ブラシと、あとは、これか。手にとったのは、0.01と書かれた少子化対策の逆をいく、小型の商品だが。これってこっそり男性側で用意する物な気もするが、どうなのだろう。前に友人達とファミレスで熱く討論したことがあったが、結局答えもでなかったうえ、まったくそのような予定がないことを悲しみ解散となった、あのときもう少し時間があれば、今なやむ事も無かったのに!
「あの?」
彼がふしぎそうに声をかける、今は声がもれてなかったか、聞かなかったことにしてくれたのか。どうぞ、とカゴを出す。
これは、彼が買ってくれるということか、ありがたい、ばらばらと両手に持っていたものが落ちていく、討論の議題となる例の物が二種類も入っていく。これはもう、そういったプレッシャーをかける女性の行動ではないですか!
まてよ、さらにマムシドリンク的な物をカゴに投入すれば、彼が引いて今日はなにもないという展開になるのでは? これはいい作戦では、と栄養ドリンクコーナーに向かおうとしたが、そもそも引く流れなのだろうか? 『がんばってね』みたいな、孫はまだかと親に聞かれる新婚みたいな展開になれば、制御不能だ! この作戦は中止とする。
オレンジジュースとサンドイッチを軽い笑顔でカゴに入れる、いつの間にかエビアンが三本入っている、お金持ちなのか? コンビニで複数飲み物を買うなんて、ドラッグストアやネットで買えば、どれだけ節約できるか? そもそもコンビニに入ることも久々なので、私から見れば、彼は超お金持ちだ。
レジを待っている間、本当はこっそりっと離れたかったが、例の商品が結構なお値段のため少しは払わねばならないし、一人で購入する恥ずかしさを彼に味合わせるわけにはいない。しかしこれは、いつ出せばいいのだろう?
「払います」
一括でお願いしますとカードを渡す彼、なんてすきのない動き。自分の分も買ってもらえるからだろうか、かっこよく見える。『彼氏にネックレス買ってもらったー』と喜ぶ友人を、そんなにうれしいものだろうかと疑問に思ったりもしたが、男性に買ってもらうのはうれしい! 金額が上がれば、さらに喜びがますのだろうか? これが貢がれるという現象なのか、食べ物なら無理には詰め込むことは出来ないが、他の物ならどうなるのだろう? 単純な自分はすぐにマヒしてしまいそうで、よくわからない恐怖を感じる。今お金がないからだろうか?
「ありがとうございます」
店を出て買い物袋を持ってくれた意味もこめて感謝を伝えてみたが、いえと小さくつぶやくだけで、彼は無表情のままだ。もうすこし反応があっても良さそうなのだが、などと助手席で考えていると、ここですと彼が指さす。コンビニから歩いても3分ほどの場所に、小さなマンションが見えた。作りからみて年数がたっていそうだが、自分の木造アパートに比べると家賃は高そうだ。
彼が部屋の鍵を開け、どうぞと言われ部屋にはいる。緊張する、他人の男性の部屋なんてはじめてだ、ずっと彼氏いないので当たり前なのですけど! 部屋の中は外見と違い広く、きれいにリフォームされている。キッチンを抜け、入った部屋には、セミダブルのベッドが。
覚悟しているなどと言いながらも、実は彼の家が大きな家で寝室が複数ある、もしくはソファーがあって、ここで寝ますね、おやすみなさい! そしてさっさと寝てしまうなど、都合のいいプランを練ってはいたのだが、これはもう覚悟を決めるか。
「浴室は、玄関の横です」
そう言って私に、バスタオルを渡す。はいと返事して浴室へ移動して扉をしめる。今更ながら何しているのだろう、しゃがんで頭を抱えてみても、今の状況が変わるアイデアは出てこない。
世の中を甘くみていた、大学に入ってからよく感じる。自分が沢山の人に守られていたといやでもわかってしまう。親や先輩や学校は当然、友達にも守られていた。毎日当たり前のようにしゃべっていた友人達も、最初は向こうから話かけてくれたのだ。大した不安も感じないでいられたのは、いろんな人が守ってくれていたからだ。一人で全てできると勘違いして群れから離れた私には、守ってくれる人もいないし、今更もどることもできない。
立ち上がって洗面台を見ると、さっき買ってもらったシャンプーやリンスが並べてある、彼まめな人なのかも。そう思うとすこし安心した、私はやさしいオオカミを選んだはず。まずはこの三日も洗ってない髪を洗わないと。
さんざん服を再度着るか迷って時間を使ってしまったが、バスタオル一枚だけをまいて、寝室の部屋をあける。
「おまたせしま……」
その声を聞くはずの彼がいない、これはいったい?
すでに十五分が経過したが、彼はいない。部屋をさがしたが、誰もいない。隠れる場所といえば、トイレとクローゼットだけだが、開けてはいけないことは分かってはいたが、結局がまんできずに、広いクローゼットを開けてしまった、見慣れた彼のスラックスとシャツに、小さなプラスチックの衣装ケースが隅にひっそりとあるだけだった。
玄関には、私の靴しかなく、どうやら出掛けてしまったようなのだが、どこに? ベランダから体を乗り出してみたが、建物の影になり車の駐車場所はぎりぎり見えない位置にあり、車があるかどうかはからない。さっき行ったコンビニが見えるが、その道に彼の姿はない。バスタオル一枚であることを思い出し部屋にもどる。誰かに見られていなければよいが、もし警察が駆け付けるような事になったら彼は逮捕されるのだろうか? 何もないと言っても信じてはもらえないのだろう、とりあえずベランダにでるのはもうやめよう。
誰もいない部屋、落ち着かない。人の部屋なのだから当然だし、もし彼がいたらとんでもなく緊張する空間なのだが、十二畳ほどだろうか、この縦長な部屋は生活感がない。
まずおかしなのが、天井まであるガラスケースだ、中に機械が並びさまざまな色の線でつながっており、たまに緑のランプが点灯する、サーバーようだが、個人で家に置いたりするものだろうか? まさかとは思うが観賞用? 後はその横にある机に、キーボードとマウス、大きなモニターが二つ置いてある、一段のみ引き出しが付いているが、ガラスケース同様鍵が付いている。ゲームならどこかに鍵が隠してある展開だが、触ってみると赤いランプがつく、どうやら指紋認証式らしい。
あとはベッド脇においてある、三段の本棚、上段には本屋さんの入口に、映画化とかオビが付いてそうな見慣れたタイトルの本と、時計にエアコンと照明のリモコン、のこり二段にはプログラム系だろうか難しそうな本が並んでいる。部屋にあるものはこれで全てだ、ここまですっきりと片付くものなのだろうか、誰かの訪問が一週間前にわかったとしても、私ではここまでは片付かない。もしや住んでないのでは?
家が別にあって、仕事場として使っている、このベッドは昼寝もしくは仮眠用とか。なかなか隙のない推理のように思えるのだが、そんな部屋に今日会った女の子を入れたりするだろうか? それも込みの部屋なのでは? 結婚していて、別に女性がいてそういった人と会ったりする事も兼用の仕事場なのでは? 推理はそこそこな気がするのだが、彼がそんな人には見みえないし、このシンプルな部屋は彼のイメージとぴったりと合う。
今いない人よりも、帰ってきたときのほうが大事だ、さっきから私は二種類のゴムの箱をパタパタとぶつけているが、答えがでない。物は冷蔵庫の上に置いてあった、コンビニ袋の中に隠すように紙袋に入っていたのだが、彼が気付いていない訳がない。
かなり経験豊富な女性だと思われただろうか、なんと説明すれば誤解がとけるだろうか? いっそそういったキャラで押し通すか? そんな高度な演技力が自分にあるとは思えない。へんに背伸びするのはやめよう、すぐにボロがでるだけだ、それよりもこれは隠しておいて、いざその時に彼に頼むのだろうか? そもそもこの箱開けておくのが正解なのだろうか? 電気を消した状態では開けにくいだろうし、しかし開けて置いておくのは、もうそれが好きで待ちきれない人いうことに、やっぱりそっちにいってしまう。
結局一つとりだし、枕の手前に置く。自分で置いたのに恥ずかしくて死にそう。あとはもう彼が帰ってくるのを待つだけだ。
おそい! すでに外は明るくなってきている。 眠いし、バスタオルがほどけないよう、じっと座っているのは疲れる。浮気した旦那様を待ち構える奥様状態だろうか、問い詰められる立場ではないのだが、問い詰めたい!
もう無理だ、そうつぶやき枕に顔をうずめる、これは石鹸の香り? そういえば枕もシーツも最初に入った時と色が違う気がする、私の長いシャワーの間に彼が変えてくれたのだろう、今頃気がついたが、暖房もついている、やっぱり彼まめだな、枕から石鹸以外の香りもする、彼の匂いだろうか、よかった嫌いじゃない。




